教室やオフィスに通う生き方の問題

教室やオフィスのような、人が密集しているひとつの箱のなかに一日中居ること。工場のような環境もそれに近い。そしてそこに毎日通うこと。これが人間の当たり前の生き方だと思っている人は多いだろう。そのこと自体を問題として考えたいのだ。自分も人生の初めの30年は疑いもなくそれをやっていた。その後思い切ってやめて以来、まったくその環境には縁がない。この変化は、自分の人生を振り返っても特に大きなものだった。そして今は、もしあれを続けていたらどうなっていたかわからないと、胸をなでおろすような気分だ。 あれほど人の視線が張り巡らされている空間に、あんなに長時間座っていることなど、今からでは想像もできない。否が応でも他人のことを強く意識してしまうし、意識すればもめごとも起きる。生きた心地がしないではないか。 ああした場所に通わない生き方など、何かとんでもなくひどいことになるのではないかと誰もが思うだろう。自分も初めはそう思った。けれども、そんなことはないと言っておきたい。(もちろん収入もつながりも、この社会は保障してくれないのだが)。 教室やオフィスや工場のような環境にずっと居ること、そしてそこに毎日通うことが当たり前になったのは、人間の歴史のなかでもヨーロッパで18世紀に産業革命が起きて工場ができ、続いて学校ができてからの、ここ200年くらいのことだ。人間の体や脳は、そんな環境に合わせて作られているわけではない。誰もができて当たり前のことではないのだ。だから意識過剰になったり、視線恐怖になったりと、様々なバグ…

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9月の「不適応者の居場所」は」代々木公園でどうか

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」は、代々木公園でのピクニックでどうでしょうか。すっかり涼しくなったし、日が暮れて虫が一斉に鳴きだすのを聞いてみたい。そして散策の企画は、考えるのが大変でもあるので。日時:9月26日(土)13時~17時?    雨天延期(雨の多い季節なので日程は流動的なものくらいのつもりで) 場所:代々木公園噴水池のそば、渋谷門から向かって右の池の向こう側。いつもの木の下、図の赤丸印) 持ち物:シートは大きいのを用意します。飲み物、食べ物は基本的に各自持参ですが、食べ物はある程度あります(できる人はカンパで)。アルコール可。 注意:支援活動ではないので、お互い様の精神で相手の気持ちを思いやることは欠かせません。ハラスメントはやめてください。   途中から参加、途中抜け、途中帰りなどすべて可。途中で公園の散歩に行くのもいいと思う。   話したくない人は話さなくても可。 対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。とは言え、基準は曖昧。どうぞよろしく。

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「人はみんな死ぬ」と思っただけでもホッとする

転んだことが直接の原因になって死んでしまう人は、国内で年間1万人もいる(間接的な死因となる人はもっと多い)。風呂に入ったことが原因(溺死・温度差など)で死ぬ人は年間1万9千人。そして去年1月の窒息死亡者は1300人。これらの原因は主に餅を喉に詰まらせたことではないかと推測される。(季節性インフルエンザで死んだ人は、18年は3325人)。これらは、最近自分で勝手に調べて分かったことだ。毎日今日のコロナの死者は10人、今日は15人、今日は13人、減る気配がありませんなどとやられると、絶望的な気分になってくるが、こういう数字を見ると気が楽になる。以前に本に書いたことだが、今地球上に生きている人が100年後にはほぼ全員死んでいると思ってまわりを見回してみるのも好きだ。 人は死ぬのだと思っただけでホッとするし、死んではならないなどと思うと肩に重い荷が載ったような気分になる。 前から思っていることなのだが、人が死ぬことをすべて、あってはならない痛恨の過ちのように見なして、死から目を背けていると、何かを見誤ってしまう。人が生きて死ぬというごく当たり前のプロセス全体を、普通に見ることができなくなってしまう。それは我々が生きるうえで、大きな考えの歪みをもたらしているはずだし、精神的な重荷にもなっているはずだ。(人が死ぬことを「殺された」と見なして、何かのせいにしようとする作戦のようなものも使われすぎていると思う)。 重荷になる言葉の最たるものが「生きることは素晴らしい」だ。自分は「生きていさえすればそれだけで…

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個人を不幸にするのは別の個人による加害である

人生の不幸を減らすために一番重要だと思っていることがある。 1~2年以上といった長期にわたって、自分のことを狙い撃ちして攻撃してくる人間がいるだろう。家族、同じ学校、同じ職場、同じ地域にいることが多いが、ストーカーやネット上の加害者に出くわすこともあるだろう。そういう人間は、一生のうちに10人も現れないだろうが、5人以上は出るかもしれない(はっきりと姓名を憶えているはずだ)。人の不幸の最大の原因になるのは、そういう人間であり、そこから来る攻撃(暴力や嫌がらせ)なのだ。そしてそういう人間が現れた時に、なるべく早く有効な対処をすることが何よりも大事だ。そう思っている。 人の不幸の原因として、政治や社会制度のことばかり語られるけれども、この日本の場合それでいいのかと疑問に思う。もちろん国政を変えねばどうにもならない問題はあるのだから、そちらも大事だ。けれども、別格と言える不幸を招くのは身近な人間からの執拗な攻撃ではないか。経験からはそうとしか思えない。個人を不幸にするのはまずは、「鈴木」とか「田中」といった具体的な名前を持っている別の個人だ。 身も蓋もない話だ。けれども世の中は、唱えられている社会論のとおりではない。本気で自分の苦しみを減らしたいと願う人には、社会論など勉強するよりもまず、とにかく身近な人間から来る加害に目を向けてほしいと思う。そして加害者からはもちろんのこと、そういう加害が容認されている世界からも、迷わずに離れる(近づかない)ことだ(もちろん、そうできない場合もあるし、反撃し…

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猛暑のなかの居場所@石神井公園の報告

石神井公園での居場所は猛暑のなかになってしまった。電車に乗って公園までの道のりは、直射日光を散々浴びたので、こりゃ数人しか来ないかな、と思えた。けれども参加者は16人。もちろん暑いのだが、石神井公園は木陰ばかりなので、そこそこ涼しく過ごせる。そこらじゅうに木陰がある環境だったなら、猛暑でもこんなに困らないことがわかる。 夏だけあって、池のまわりは様々な昆虫で一杯で、耳に聞こえるのは大音量のセミの声だ。虫に詳しい人が、トンボや蝶の名前を、ぱっと見ただけで次々と言い当てて、「なわばりから追い払っている」などと生態を教えてくれる。(人間以外の生き物を意識するのは、人間関係を絶対化しないためにとてもいいので、こういう集まりにはよく合うと思っている)。そんなふうに池のまわりを歩きつつ2回ほど休憩して飲食をした。日が暮れるとすぐに、セミの声がスズムシの声に変わった。そして突然涼しくなる。これもさっきまでの暑さがあってこそだ。『枕草子』によると「夏は夜」だと誰かが言う。真夏にやる外の居場所もいいものだと思えた。そのまま暗いなかで飲みながら駄弁っていた。 これまでは夏は暑くて、外で居場所などできるわけがないと思っていた。けれどもやってみれば、割と問題なくできるし、夏ならではのよさがたくさんある。暑いなかでやったことさえ、他の季節よりもハッキリした思い出になるのではないか。 最近こんなことばかり言っているが、「できないと思っていたことができる」のはものすごい快感だ。「やった!」というあの爽快感に匹敵するも…

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8月の不適応者の居場所は石神井公園の生物観察会でどうか

つながりをなくしがちな人がつながるための集まり「不適応者の居場所」、8月は以前に行った石神井公園でまたどうでしょうか。「水辺の生物観察会」と銘打って。まず、感染者が収まらないので散策が適していて、さらに暑いので日陰で休める場所が必要。こういう条件なら、石神井公園が一番ふさわしいと思いました。虫や植物に詳しい参加者がいて、生物観察会にもなっていたし。アクセスが悪いのは申し訳ない。 日時:8月29日(土)、13時から日暮れまで場所:練馬区・石神井公園。13時に駅から最寄りの公園入口のボート乗り場ベンチのあたりに集合(図の右上赤丸のところ)。日陰がなければ、どこか屋根のあるところで待ちます。コース:石神井池の南側を歩いて、三宝寺池に向かい、さくら広場のあたり?で休憩。さらに三宝寺池を反時計回りに回って石神井池に戻り、くつろぎ広場?のあたりで再び休憩。持ち物:自分が座るくらいのシートは持ってきてください。飲み物食べ物も必要なら。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど様々な理由でつながりをなくしがちな人。注意:支援活動ではなく助け合いの会なので、互いを思いやる気持ちがないと成り立ちません。ハラスメントはなしで。   体調がすぐれない人は無理をしないでください。感染や暑さ対策をお忘れなく。雨の多い時期でもあるので、日にちも流動的だと思ってください。途中から帰るのも参加するのも自由です。参加費:無料 これまでの様子 ※居場所に来られる方で、国配給のマスクがいらない人が…

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「自殺する人はなんて弱いんだろう」という言葉

90年代からよくしていた話に、こんなのがある。中学生の頃の給食の時間に、ある生徒の作文が給食時の校内放送で作者によって読み上げられたことがある。その作文の確か冒頭はこんなだった。「自殺する人はなんて弱いんだろう。親からもらった大切な命をどう思っているのだろう」。それは、校内作文コンクールか何かの最優秀作品だったと思う。 それを聞いていた自分は、無性に腹が立った。「お前に何がわかるんだ」と。その頃、自殺のことは頭にあった。すぐにでも死にたいというわけではなかったが、太宰治や芥川龍之介など、自殺した作家の死に際の小説を読んで、なんとか乗り切っていた。そうした人のギリギリの作品には、他の人には書けない本物の苦悩や絶望が書かれている。 自殺については、しないですむならそれに越したことはないと思っている、といつも言っている。けれどもこの作文には、そういうことでは済まされない大きな問題がある。 これをTwitterに書いたら、自分の学校にも全校生徒の前でそういう作文を読み上げた人がいた、というリプライがあった。また、自分は昔のこととして書いたのだが、今でも変わらないという意見もあった。もちろんそれはあるだろう。wtsurumi / 鶴見済 『0円で生きる』発売中中学校の給食の時間に校内放送で、「自殺する人はなんて弱いんだろう。親からもらった大事な命をどう思っているんだろう」という作文を、書いた生徒が読み上げたことがあった。作文コンクール優勝とかで。悲惨な時代だった。 at 08/02 23:46 …

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なぜ不安を感じすぎるのか?

今回は、「なぜ人間はここまで余計とも思える不安を感じるようにできているのか」の話を。 心配事や悩み事で頭が一杯で、眠れないことが誰にでもあるだろう。なぜあんな厄介な機能が体に備わっているのだろう?これは推測なのだが、考えてみれば、部族社会、狩猟採集時代のような身のまわりに生命の危険が迫るような環境で、不安があるのにぐっすり眠ってしまっては、その生き物は生き残れなかったかもしれない。今は眠る環境だけはまったく安全になったのに、体がそれについていっていないのではないか。 また人間は、悪いことばかり思い悩む病気は多いのに、いいことばかり考えてしまう病気はあまり聞かないのはなぜなのだろうと気になっていた。どうせならその病気にかかりたいものだと。これも考えてみれば、そういう性質の生きものがいたとしたら、命の危険にあふれている太古の時代には生き延びられないかもしれない。 狩猟採集時代の人間が、獲物を獲りに森に入ったとする。まず、自らを襲う外敵や、植物の毒や、地形や天気にも細心の注意を払い、それ以上の繊細な注意をもって獲物を探すことだろう。目に見える、耳に聞こえるありとあらゆるものが、心配や注意の対象だ。 そういう命を危険にさらすような不安材料を人間は今に至るまでに、ひとつひとつ取り除いてきた。もちろん細かく色々あるけれども、はっきり言って今はそこまで不安が必要な環境ではない。例えば人の目のこと、ばい菌など生活環境のこと(コロナウイルスや放射性物質なんかは別として)、健康のこと、不審者等々、材料は色々あ…

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雨の中だった居場所@明治神宮の森

7月の不適応者の居場所は、明治神宮の森を歩いて隣の代々木公園で休憩するコースだった。木が高く奥行きが見えないほど深い森だった。静かななかに早くもセミの声が聞こえる。このすぐ向こうに表参道や竹下通りがあるのが信じられない。ちょっとした川が原宿駅方面に流れているのだが(写真撮るの忘れた)、この川、この後どこに消えるんだろうと不思議な気分になる。 けれどもこの日印象に残ったのは、天気予報が完全に外れて途中から本降りになった雨だった。明治神宮の後半から代々木公園にかけて、激しい降りになった。しかたなく公園の東屋で他のグループと一緒に雨宿りをしつつ休んだ。せっかく延期までしてこの日に決行したのに、こんなコンディションでは、日を選ばないのと一緒だよというくらい悪条件だった。 そんなことがあったら、「ああ台無しだ」とがっくり来そうなものだけど、そうではなかったのが印象に残ったのだった。晴れの日ほど満喫はできなかったものの、全然台無しとは思えなかった。 いや、面白かった。雨が降った後、晴れあがって日が出る時もいいし、降っている最中に「参ったなー」となっていることさえ、もしかしたら楽しんだかもしれない。あくまでも自分は、だが。 遠回りをすることや手間がかかることは、するべきでないこととされているが、実は時間に余裕のある者にとっては、特に問題ではない。それは時間がない人の価値観でしかない。そんなことを、ウォーキングをするようになったここ10年ほどよく考える。ウォーキングはそのものが遠回りであって、グーグル…

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就職氷河期の原因は「大卒者が増えたから」

これは言っておいたほうがいいと思っていたことがある。就職氷河期世代とかロストジェネレーションに関する「あること」だ。 去年7月に出版された小熊英二氏の『日本社会のしくみ』という本で、こんなことが強調されている。 1)正社員の数は、バブル崩壊前も後も、今に至るまでほぼ一定である。2)90年代から正社員に就職できない大卒者が増えたのは、大卒者の数が増えたからだ。3)90年代から非正規雇用の数が増えていったのは、自営業者が非正規に転じたからだ(雇用される人が増え、それらの人が非正規雇用になった)。 これが詳細なデータとともに示されていて、十分な説得力がある。このことは第一章の主旨となっていて、本のなかでも特に強調されていることと言える。(1については、業種によっては正社員を減らし、非正規を増やした部門も一部にあると書かれている。2については単に人口が多かっただけでなく、大学数の増加も大きい)。これらのことは、個別にはしばしば取り上げられていた。けれどもこうして、まとめて体系的に説明されたことはなかったように思う。 これを知って仰天する人は多いのではないか。 もちろん、前後の時代より「正社員になりたかったのになれなかった人」がたくさん出て、大変だったことに変わりはない。だから文句を言っていいし、賃金を上げるよう要求していい。余力があるなら正社員化も必要。同一労働同一賃金は当たり前だ。これが非正規雇用の問題そのものだ。 では何が違ったのか?そこから広がっていった面白い尾ひれの部分、時代論・世代論…

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