1周年目の「不適応者の居場所」報告

1周年目、11月の居場所は、20時くらいには会場が定員オーバーになってしまい、そのあたりに来てくれた方には、少し遅れて来てもらうことになった。こういうことは2度目。男女比は2対1くらいで、初めての人がとても多かった気がする。 自分が最近ツイートなどしていることもあってか、男女一対一でのつき合いの話もあった。男女混合では問題なくつき合いはできても、男女一対一となるといきなり敷居が高くなり、双方警戒心も強まって、とても難しくなる、といった悩みも。またすでにパートナーがいると、別の異性とは極端に交流しづらくなると話す方もいて、これもまた多くの人の悩みの種だと思う。こういう話が、いきなりできるのはいい。 吃音に悩んできた方の体験談も、思いもよらない苦労が多くてためになるが、大いに共感できる面もあったりする。認知療法の体験談も興味深く聞けたし、話せた。これもまた、そうそうできない話だ。こういう話ばかりではないが。ちなみに、なぜこんなに認知療法に対する不満が世に多くなったのか、自分にはよくわからない。 その他、シェアハウスでの相部屋の難しさや、Twitterでのつながりすぎ疲れの話など、つながりの苦労についても考えさせられた。 (写真はピークを過ぎたあたりのもの)。

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巨大台風が来ると盛り上がるわけ (みんな一緒編2)

巨大台風が来ると盛り上がる話の三回目。前々回になぜ盛り上がるのかを、「非日常的なものにみんなで飲み込まれる」からだと書いたが、ここでは「みんな一緒に」の部分について。前々回も書いたが、巨大台風が来る時に盛り上がる心性は、不謹慎と切り捨てられるようなことでもなく、考えるべき大事な問題だ。 まず言えるのは、巨大な台風が東京を襲う場合、こんなにみんなで同じ経験をする機会はめったにないということだ。台風が通過している最中、東京にいるおそらく全員が暴風雨のことを心配しただろう。自分もネットでどの川が氾濫しそうなのか、飽きることなく検索していた。 「みんな思いが一緒」だと感じた時、何であれ涙が出るような熱い気持ちにならないだろうか? そこに、みんな動きが一緒、格好が一緒が加われば、熱さはさらに増す。これは社会的動物である人間に元から備わっている性質なのだと思う。だから、悪いものとして切り捨てることなどできない。 我々は日々、「みんな一緒」になれるチャンスを求めている。ライブ会場やスポーツの会場などは、以前よりも「みんな一緒」になっているように見える。ライブで全員が手を上げて左右に振る習慣や、スポーツ観戦でのウェーブなんかは以前にはなかった。ひとりのリーダーを壇上に上げて、大勢でワーッと歓声をあげると、何であれ、胸が自動的に熱くなるだろう。 人間は「みんな一緒」を肯定しているのか否定しているのか、まだよくわからない。それを決めていない。ただ今の日本について言えば、個々バラバラよりはみんな一緒のほ…

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巨大台風が来ると盛り上がるわけ(みんな一緒編1)

「この特殊なメカニズムは、現代社会において、大部分の正常なひとびとのとっている解決方法である。簡単にいえば、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、かれは文化的な鋳型によってあたえられるパースナリティを、完全に受けいれる。そして他のすべてのひとびととまったく同じような、また他のひとびとが彼に期待するような状態になりきってしまう。「私」と外界の矛盾は消失し、それと同時に、孤独や無力を恐れる意識も消える。」 「個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一になった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である。」 これは、社会心理学者E・フロム『自由からの逃走』(1941年)の一節。彼は大衆社会やファシズムに熱狂する人々の心理を研究して、この歴史的名著を書いた。彼はナチスによってドイツを追われ、この頃はまだナチスの全盛期だった。ただし、ナチスのことを中心に語っている本ではない。この本の趣旨は、自由を追求すると人は孤独で不安になるというもの。ここは、人がどのようにそこから逃れようとするかの三つのメカニズムのうち、どの社会でも人々が最も普通に取っているやり方を述べているところだ。つまり大衆の心理について語っている。ここは自分がこの本のなかでも一番気に入った部分で、大学のレポートなどに何度引用したかわからない。 さて、すでにここまでで長くなってしまった。巨大台風が来ると盛り上がる話の続きを書こうと…

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1周年の「不適応者の居場所」11月

つながりをなくしがちな人がつながる「不適応者の居場所」、11月は高円寺の会場でやります。最初に居場所を始めたのが1年前のこの会場で、ちょうど1年たったことになる。一番最初はうまくいくのかどうか不安だったが、それ以降は特に問題もなく続いてきた。自分はただ飲んで駄弁っているだけなので、参加してくれた方々のお陰だ。 日時:11月16日(土)18時~(5時間くらい? ずっといる必要はありません)場所:東京高円寺、素人の乱12号店やること:イベント会場に花見のように座って、飲食(酒を含む)をしながら駄弁る(何も話さなくてもOK)。費用:会場代、ビーガンの料理とスイーツのケータリング代、飲み物(酒、ソフトドリンク)代の2万5千~3万円をカンパで賄いたいです。注意:ハラスメントはやめてください。勧誘も不可。   途中から来たり途中で帰ったり、座る場所を移動したりも可。   一方的な支援活動ではなく、シェアの会みたいなものだと思ってます(そこにいるだけでもシェア)。※会場奥に0円ショップを設けます。放出してもいい物がある方、放出品が欲しい方は利用してください。 対象は「ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人」と言ってますが、厳密な決まりはなし。社会不適応者でなくてもいいくらい。 ちなみに、11月も紅葉が見られるので公園でできないか検討したところ、気温が花見シーズンより低い、日も短い、などがあって難しそうだった。結局1年のうち、外でできるのは…

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巨大台風が来ると盛り上がるわけ

「私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名をきくだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった。」これは、三島由紀夫の自伝的小説『仮面の告白』のなかの、主人公が敗戦の知らせを受け取った時のくだりだ。 超大型台風の19号が迫ってきた時のことを忘れないようにしたい。「地球史上最大かもしれない」という情報まで出て、気象庁が「命を守るための行動をしてほしい」という異例の声明まで出した「関東直撃」の台風だった。前日までに、ガラスを補強するための養生テープとパンがスーパーで売り切れてしまい、空の棚の写真がTwitterに出回って大々的に拡散された。同じくTwitterでは、自発的に備えや「命を守る行動」を呼びかけるツイートが大量にリツイートされた。「盛り上がっている」と感じた。 盛り上がっているという言葉だけで、こうした感情を「不謹慎だ」などと押さえつけてしまっては、大事なものを見逃してしまう。被災者支援の盛り上がりだって、これと地続きの感情によるものだと思う。台風の真っ最中には自分もtwitterで、どの川が氾濫しそうなのかを「〇〇川 氾濫」のワードで検索しつづけていた。これもその盛り上がりなのだ(Twitterばっかりだが)。 「非…

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「不適応者の居場所」@秋の公園の報告

10月の「不適応者の居場所」には、午前中までの雨のせいもあってか、やや少なめの20数人の参加。ただ、大阪や名古屋、そして愛媛から来てくれた方もいた。高円寺の会場の前まで来たのに勇気が出ずに入れなかったけれども、今回はついに参加できたという方も。 公園でやる時にはいつも、場所を取って腰をおろし、まわりを眺めた時に「ああ、これだけで成功だな」と思う。この居場所の参加者には自然鑑賞が好きな人が多く(もちろん自分も)、鳥や草木、虫の人気が高い。この日の公園では至る所で金木犀が満開。そして日が暮れると同時に飛び交っていた鳥がいなくなって、入れ替わるように秋の虫の声が突然響きだしたのには驚いた。夕方頃には虹も出た。そんな話が散々できたのは、公園でやったせいでもあるだろう。 さらに昔の人がこんなふうに自然のなかに座って短歌や俳句を詠みあった話、かつては大事なものとされた俗世を捨てる文化のこと、老荘思想の話なんかもできてよかった。 また地方から来られた方に、地方のオルタナティブなスペースや一日店長バーの話など詳しく聞けたのもためになった。他の集まりや居場所の話は、よく出る話題のひとつだ。 こういう場所で、日が暮れるまでこんな話をしていたことは、地味だけれども、意外と一生ものの思い出なのかもしれない。

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『0円で生きる』の韓国語版発売

韓国で『0円で生きる』が発売になった。韓国語のタイトルは、奇しくもマーク・ボイルの日本語版のタイトルと同じ『無銭経済宣言』になってしまった。表紙の字が読めず、Google翻訳アプリのカメラ入力機能で見てみると、「無経済宣言」と惜しい精度。それにしても、このカメラ読み取り翻訳はすごい。

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10月の「不適応者の居場所」は代々木公園で

10月の「不適応者の居場所」は、またまた代々木公園でやります。この集まりは、日頃つながりをなくしがちな人どうしがつながって面白がろうという趣旨で、こういうものがこの社会に必要だと思ってやってます。対象は「ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっち、など様々な理由でつながりをなくしがちな人」としてますが、厳密ではないです。 日時:10月19日(土)13~1812~17時(雨の場合は翌週か翌日に延期) 場所:代々木公園中央広場、渋谷門から噴水池に向かって、噴水池の向こう側のどこか。詳しい場所は当日の1211時半くらいにtwitterで告知しますので、直接お越しください。外でそれが見られない人のために、12:5011:50分に待ち合わせをします(場所は下記)。時間になったらすぐに出発します。 やること:シートを広げて座り、飲食をしながら駄弁るだけ。今回は飲み物を用意できないので、お酒やソフトドリンクなどは各自で持参してください。食べ物は用意します。ちなみに支援活動ではありません。費用:ビーガンの料理とスイーツのケータリング代1万5千円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントはやめてください。勧誘も不可。   途中から参加、途中帰り、座る場所をあちこち移動することなど、もちろんOKです。せっかく来たのだから色々な人と話すのも、特に話さないのもOK。 ※待ち合わせの場所は、渋谷門からまっすぐ噴水池に向かうと、噴水池にせり出した木製のデッキに出ます。その右側のあたり(地図の赤印の…

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ムンクに見る心を病むことの価値

絵のよさがよくわかっていない小学生か中学生の頃、図書館で暇つぶしに色々な有名画家の画集を見ていて、「このムンクという人だけはすごくいい」と思った。あの『叫び』で有名なE・ムンクだ。ただ画集の終わりのほうになると、妙に明るい凡庸な作品が出てきて、何だろうと思ったものだった。 E・ムンクは精神を病み、その強い不安や恐怖を絵に描き出すことから、『叫び』や『不安』といった傑作を生みだしていった作家だった。けれども後年、ムンクは精神病院に入院し、精神病は治ってしまった。その後の彼は、明るい色彩を使って、内面ではなく風景画などを多く描くようになった。もちろん当時も今も評価されているのは、その苦悩のなかから生み出した作品だ。 “生命”を前向きにとらえるようになったムンクは自分の感情を描くのではなく、身の回りの見たものを描くようになります。彼のパレットには明るい色が並び、作品を覆っていた陰鬱とした頽廃感が薄れていきます。【生と死を見つめた画家】エドヴァルド・ムンクの生涯を詳しく解説します! 今は、たとえ彼が後世に残る作品を生み出さなくなったとしても、病気なんか治ったほうがよかったと思う。けれども初めてこれを知った時は、ムンクは治らないほうがよかった、などと思ったものだ。こういうケースは音楽ならザラにある。 自分はもちろん、心の病に限らず、人生の苦労など少なければ少ないほどいいという主義だ。けれどもこれまでに触れた本(自分のではなく)、音楽、映画、芝居、絵、など、どれを取っても、自分の人生において最…

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サルトルの『壁』と「生の不安」への向き合いかた

サルトルの『壁』という短編小説は、おそらく自分の人生における最も重要な小説だ。けれどもこれまでトークや原稿などでは、この小説の性質上ネタバレになってしまうので、まともに語ることができなかった。それでもブログなら、ネタバレしてしまっても書けることに、前々回のブログを書いて気づいたのだった。 ちなみにサルトルという思想家については、それほど多くを知らない。むしろ同期のカミュのほうが好きだ。第二次大戦の前後に世界中に大変な影響力を持ったようであるフランスの実存主義の思想家・作家で、『壁』は彼の代表作だ。 【ネタバレ】主人公ら3人は、スペイン内乱でファシズム勢力に実力抵抗していたが、捕まって同じ部屋に閉じ込められた。そして、明日の朝には銃殺されることを告げられた。銃殺は確実である。そこから3人の極限の恐怖の一夜が始まる。3人は殺される瞬間の苦しみや、この自分が死ぬという恐怖に取り憑かれ、ひとりの少年は精神の限界を超えて、錯乱から、気絶したような放心状態に至る。夜が明けると二人は連れ去られ、処刑されたのだろう。主人公も極限状態にいるが、彼だけは別の部屋に連れていかれ、反乱軍のリーダーの居場所を尋問される。このあたりから彼に変化が起きる。なぜか、少しずつ笑いがこみ上げてくるようになったのだ。彼はリーダーの居場所など言う気はない。尋問が続くうちにますます笑いがこみ上げる。彼はこう思う。「何もかもくだらなくなってしまった」。(直訳すると「もはや何も重要ではなくなった」)彼はでたらめな居場所を教えることにした。…

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