「誰がどうした」ばかり考えるのをやめる

SNSがなかった頃のことはよく思い出せないのだが、その頃は「誰が週末にどこに行ったか」「何を食べたか」なんてことを、どうやって知ったのだろうか。当たり前だが、時々近しい人から伝え聞く以外は、会わないような人がどうしたかなんてことは知ることができなかったのだ。それを思うと我々が人間のこと、「誰がどうした」なんてことばかり考えるようになったのに呆れてしまう。 もちろんかつても「誰がどうした」を考えてはいた。けれどもそれは、ごく近い人間やテレビで見る有名人などに限られていて、そこから簡単に離れることもできたはずだ。 人間のことを考えるのでも、人間社会の問題を考えるのと、具体的な個人がどう振る舞ったかを考えるのは別ものと見なしたい。バッドなのは後者だ。具体的な個人について考えると共感も生まれるけれども、劣等感、疑い、違和感、反感なんかもとても生まれやすい。 前々回書いたように、「誰がどうした」で頭を一杯にしている状態でストレス、イライラが高まった場合、そのストレスは気に入らない相手にはけ口を求めるだろう。 殺人の半数以上が親族間で起きているのは、そもそも頻繁に接していないような相手は、殺したいほど憎めないからだ。けれどもSNSでいつもいつも見ていれば、同じように憎しみは高まる。 我々は嫌な情報を見ないわけではない。穴がブツブツ空いた気味悪い画像を凝視してしまう時、そこに何らかの気持ちの高まりがある。その性質を利用している広告もある。嫌な相手が発信する情報をわざわざ見る時にも、それはあるだ…

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「不適応者の居場所@紅葉ピクニック」の報告

11月の「不適応者の居場所@紅葉ピクニック」は、35人ほどの参加、初めての人は5人ほどで盛況だった。この居場所も、今月でちょうど2周年目という区切りだった。心配した気温には恵まれて、昼は暑いくらい。けれども風があったため、終了予定の16時頃にはもう寒くていづらくなってしまった。この寒さがもっと早く来ていたら、危ないところだった。 紅葉はなんだかんだ言っても、自分が一年で一番好きな自然現象で、なんで花見があるのに「紅葉見」がないのかとかねがね思っていた。とうとうこの会で、紅葉を見ながら駄弁ることができたのは感慨がある。視界の色が違う。こういう景色のなかで過ごすだけでも、頭のもやもやが晴れる。外でやった後は毎度こんなことを書いている気がするが、やはり中でやった後とは違うのだ。外、いい眺め、広さなんかは心にいい。集まりでなくても同じだろう。それを痛感できたのはコロナのおかげだ。けれども世に「紅葉見」がない理由もわかったかな。寒くなる危険があるので。 よく行っている真夜中の散歩イベントがなくなってしまったので、自分で開きたいと言っている人もいた。夜の街を大勢で歩くのが人気であることも知らなかったが、こうしたらいいんじゃないかとあれこれ言い合ってみるのも面白い。 さあ、いよいよ冬だなと思う。

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ストレスを人にぶつけて解消しない方法

ストレスがたまらない人はいないし、気に入らない人がいない人もいない。聖人君子なんてどこにもいないのだから(そういう顔をしている人がいるだけ)、それはないことにしても始まらない。そして時には、両者の回路がつながって、ストレスがたまると、気に入らない人に悪意をぶつけることでそれを解消してしまう。些細な失態や犯罪を犯した芸能人や犯罪者を攻撃する心理も、そんなところだろう。 それが常態化している人もいる。ある著名人に10年近くもネットで誹謗中傷を続けた末に、告訴され有罪になった人の話を聞いたことがある。そういう人は、 ストレスがたまる→その著名人を中傷して解消 という回路が、習慣化していたに違いない。そうでなければ、10年も同じ人を中傷し続ける動機があるとは思えない。 インターネット登場前なら、身のまわりにいる「やり返してこなさそうな人間」が、そのストレス発散の対象だっただろう。ムカムカする、カッとした、などと言って、いじめ、DV、ハラスメント等々を行って解消していたのだ。そうした人がまわりにいなければ、そういう解消法は不可能だった。 けれども今はネットがあって「書き込み」ができる。こうして「たまったストレスを人間にぶつけて解消」という不幸な回路が、全盛期を迎えてしまったのだ。 なぜいじめをするのか? ハラスメント、マウンティングは? そんなことをこのブログでは書いてきたが、その仕組みは大体こんなところだろう。 それなら、この両者をつなげないことは、ネットの書き込みによって人が死んで…

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11月の不適応者の居場所は紅葉ピクニックでどうか

つながりをなくしがちな人がつながる「不適応者の居場所」、11月は紅葉ピクニックでどうでしょう。確かに寒さは気になるけれども、例年のこの時期の気温は花見の季節と大体同じくらい。花見のように紅葉を見てもいいじゃないかと。紅葉ピクニックのチャンスなんか、多分一生のうちでこれしかないでしょう。コロナがなかったら、間違いなく屋内でやってます。 日時:11月23日(祝)11時~16時くらい(雨予報の場合はずらします。低温の場合もずらすかも。前にずらす可能性もあるので流動的に考えていてください)場所:代々木公園の噴水池そば(渋谷門から向かって右の池の向こう側。いつもの木の下、図の赤丸印)持ち物:食べ物と酒など飲み物は基本的には各自持参ですが、食べ物はカンパ制でそこそこあります。適度な距離を保てるくらいの巨大シートは用意します。注意:お互い様の精神で、互いの気持ちを考えて、ハラスメントなどなきようにお願いします。支援活動ではありません。気温が低い予報が出ていたら、寒さ対策をお忘れなく。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人(とは言え適当)。 途中参加、途中帰りもあり。参加者の3分の1くらいは初めての人です。紅葉の本番はもう少し後ですが、気温を考えたらこのあたりしかなし。途中で席をはずして周囲の紅葉を見に行くのもいいと思います。(写真下はフリー素材から、紅葉の代々木公園噴水池) 追記:会場に0円ショップ(使わない物の放出・持ち帰り…

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マウンティングしない方法

アンケートを見ると、いじめをしたことがある人のほうが、されたことがある人より多いくらいなのだが、なぜか「いじめをしてしまう」立場に立った言説はない。「いじめを許すな」「いじめをなくそう」「みんな仲よくしよう」といった、いじめを「どこかの悪人がやってしまう悪事」扱いした叫びなら溢れている。もちろんそれは必要なのだが、何かしっくりこないのだ。 前々回の記事で、「暴力に反対」みたいに読めることを書いたのだが、そこにも同じような違和感を感じてしまった。暴力や明確ないじめのように、滅多にないことだけ取り上げたいわけではないのだ。 いじめでなくても、相手に強く出てしまう、ガーッと行ってしまう、偉そうにする、命令するといったことがすでにダメだと思うし、それらはいじめと別物とは考えられない。一方がもう一方をいつも威圧したり指図したりしている関係も、いじめと呼ばれなくても恐ろしいものだ。いじめでなければ、少し違うけれども「マウンティング」くらいの言葉がいいだろうか。「ハラスメント(嫌がらせ)」だともっと違ってしまうし。 そういうことを、どんな時にやってしまうか、どうすればブレーキをかけられるかを考えてみると、はるかにしっくり来る。 まずは、どんな時に人にマウンティングしてしまいそうになるか?自分がその場の古株、仲間が多い、知識が多い、上手い、そして相手がその逆である場合なんかは、やってしまう危険が大きい。しかも、相手が大人しいなど、一言で言えば、嫌な言い方だが、自分が「強い」、相手が「弱い」と感じられた時だ…

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「不適応者の居場所@秋の公園」の報告

10月の「不適応者の居場所@代々木公園」は、参加者30数人。そのうち初めての人が10人以上いた。話しを聞いてみると、やはりこれまでは、気づいていたけれども暑かったりなんなりで、抵抗があり来られなかったという人が結構いた。今日なら外でも気候もよさそうだと。こういう条件が、来られる来られないに大きく関わるのだなと勉強になる。 確かにこの日は、暑くも寒くもない、しばらくぶりの絶好の気候のなかでできた。単に天気がよく、いい場所にいるだけで、幸せな気分になるのだから、人の幸せとはわからないものだ。「〇〇がないからもう幸せになれない」というのも考えものだ。 そしてひどい家庭の話にもなった。こういう話は滅多にするものではないし、本人が言いたいかどうかもわからないのだけれども、ないわけがないのであって、できる場所があるのは大事だ。例えばいじめ被害の体験は多くの人にあるはずだが、話せる場なんかあるだろうか? また普通の場所で、話したいと思うか? ひどい家庭の話もそれに近いものがある。もっとも色々な話をしているので、そうした話の場でもないわけだが(それは特別な支援の場や自助グループになるだろう)。 次回はまた公園になるかもしれないが、紅葉を見てみたいものの、気温が心配。

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暴力に支配されている家庭はかなりあるはずだ

Twitterに家庭のなかの「暴力による支配」の問題を「昭和の頃までの話」として書いていたら、農水次官が息子殺しを正当防衛と主張したというニュースが出た。「殺すか殺されるか」だなんて地獄だなと思うが、そういうことが起こり得ることもわかる(事実関係はよくわからないものの)。こうした事件が現に起きているので、昔のこととして語るのもよくない。そしてこういう話はどこまで開示するべきか悩むが(引かれるのも嫌だし)、現在進行形の問題である以上、語ることに意義はあるだろう。 少なくとも昭和の頃までは、親が子供を厳しくしつけるのはむしろいいことで、父親は威張っている「べき」ものだった。子供に対して怒鳴る、叩く、をしない親がいただろうか。つまりこの頃までの親は、今で言う「毒親」が普通だったと言っていい。 そして親が暴力を後ろだてにして家庭を支配をしているのだから、他のメンバー間で暴力を行使してはいけない理由がない。兄・姉が弟・妹を、同じように暴力で従わせることは珍しくなかったはずだ。当時は2人以上の兄弟が普通だった。こちらのほうが大人が関わらない分、より危険だ。 例えば子供の頃、向かいの家に男の兄弟が住んでいた。よく彼らと遊んでいたので、兄が3歳下の弟にあれこれ命令したり、怒鳴ったりしているのはわかった。そして弟さんは母親が外出して兄と家に二人だけになりそうになると、何をされるかわからないので、用もないのに母親に付いて回っていたそうだ。親がいない状態が極めて危険なのはよくわかる。ただ、暴力による力関係は逆…

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10月の「不適応者の居場所」はまた代々木公園

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」、10月はまた代々木公園でやります。善福寺公園など他の公園も考えてはみたものの、やはり大変なので。 日時:10月24日(土)13時~17時場所:代々木公園噴水池そば(渋谷門から向かって右の池の向こう側。いつもの木の下、図の赤丸印)飲食:飲み物と食べ物は基本は各自持参ですが、食べ物は多少はあります。カンパで。その他は無料。シートは大きいのをこちらで用意します。注意:ハラスメントはなしで。支援活動ではないので、参加する人の互いを思いやる気持ちがないと成り立ちません。   途中から参加、途中帰りももちろんOK。話さなくても可。最近は初めての人は4分の1くらい。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。 9月初めから、このまま下がりきるかと思われた日々の感染者がずっと横ばいで、外出自粛期間ほどではないものの、もやもやした気持ちがいつも頭から離れない。これいつまで続くんだろう。ずっとこのままであってもおかしくないし、その場合はこのままライブや祭りなどはできなくなるのかと気が滅入る。ただでさえ精神が調子悪いのに、この状況ではつらつとするわけがない感じ。せめて駄弁ることで発散して、これ以上の滅入りを防ぎましょう。 ※久々に0円ショップ(使わない物の無料放出コーナー)を作ります。放出したい人はぜひ。ただし残ったら持ち帰りで。自分も出したい物がたまってしまった。 趣旨 これま…

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花は互いに恩恵を与えあう関係のシンボル

コロナ自粛期間がちょうど春だったこともあって、花を飾ったり花の写真をSNSにアップしたりするのが流行ったのはなかなかよかった。自分も花を摘んでは飾っていた。 食べられる植物を育てる前は、90年代終わり頃からずっと主に花を栽培していた。その頃は花が好きだとよく言っていた(今はその頃より、男が花のよさを語りやすくなったのもいい)。そのうち花に限らず、食虫植物など、面白い植物全般に対象が広がっていったのだが、それでも中心は花だった。ありとあらゆる花を栽培した。鉢は常に10以上はあったはずだ。始めたきっかけは、近所の林に咲いていたムラサキノハナナ(通称ダイコンの花)を根ごと持って帰って鉢に植えたら、それだけでもかなりいけるとわかったからだった。それ以降は、花を摘んで花瓶に活けるのもずっとやっている。花を見ながら、なぜ花がこんなにいいのかよく考えた。そもそも、花は何のためにあるのか? もちろん虫をおびき寄せて、受粉を成功させるためだ。甘い蜜も、心地よい匂いも虫への贈り物だ。花は虫に受粉の手伝いをしてもらうために、ここまで手の込んだもてなしをしている。 我々の目に見える範囲にも、花(顕花植物=種子植物)と昆虫はたくさん存在している。 「進化史上最もめざましい成功をおさめた種間関係は、昆虫と『顕花植物』の共進化である」。(真木悠介『自我の起源』) ということなのだ。 互いに恩恵を与えあう「共進化」は、生物が最も得をする関係性だ。花とミツバチの関係では、どちらが得をしているのかよくわからない。寄生のよう…

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不適応者の居場所、久々の公園ピクニック報告

9月の不適応者の居場所は、久しぶりに散策ではなく座って話すスタイルにした。こういう形にすると人も増えて、全体で27人?、初めての人は6人?くらいだった2度目の人も同じくらいいたと思う。巨大シートを何枚も持っていって、距離は十分に取れた。散策には散策のよさがあり、同じく駄弁り会のよさもあるというところだ。 本でも音楽でも観察でも何でもいいのだが、大好きなものの話をするというのは、その人の自己紹介の意味合いも兼ね備えた、特にいい話題だなと感じる。話が合わないかもしれないデメリットはあるのだが。誰かとある程度親しくなるには、「自己開示」という要素がないと難しいが、大好きなものの話はその要素をはじめから持っている。(例えば何かについての評論のような話は、自己開示の要素は少ないと言える)。 結局真っ暗になるまで話して、その頃にはあたり一面に秋の虫の声が響きわたっていた。暗くなった途端に大きくなる虫の声に注目していたので、味わえてよかった。こういうのは、ずっと外に座っていないとわからない。 写真はその場所から見えた噴水。

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