4月の「不適応者の居場所」は再び代々木公園で

再び季節がよくなった4月の居場所は、例年どおり代々木公園でやりたいと思います。噴水見ながら座っているだけでも、この季節は気分がいいと思う。 日時:4月24日(土)13時~17時? (雨天延期)場所:代々木公園噴水池の向こう側(図の赤印のところ)目的:つながりをなくしがちな人がつながる。 必要なもの:食べ物飲み物(酒OK)は基本、各自持参で。良質な食べ物を、カンパ制である程度提供できると思います。シートはこちらで用意します。最寄りのコンビニは原宿駅前。 対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。(とは言っても実質的には、誰でもOKの交流会オフ会だが、、、。毎回4分の1くらいは初めての人。) 注意:一方的な支援活動ではないので、各自が相手の気持ちを思いやらないと成り立ちません。ハラスメントはやめてください。抑えられない方の参加はできません。途中から参加、途中帰りももちろん可。 ※使わない物を無料放出するコーナー「0円ショップ」を作ります。何かある人は使ってください。 先日、9年くらい毎月友人とやっている「くにたち0円ショップ」に参加して、路上でたくさんの人に会って、特に鬱々としていた気分が改善したのを感じた。この居場所も「今の日本社会に必要なのは絶対にこれだー」という思いで始めたものなのに、今やこういうものこそ「やめろやめろ」と言われるようになってしまい、世の中には相当の鬱憤がたまってるぞとヒヤヒヤする。

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自分はこうしたいと言う人/みんなにこうしろと言う人

みんなや他の人にこうしろと訴えている人と、自分がこうしたいと訴えている人がいるのに、ちゃんと区別されてないという話を。 夫婦別姓について反対の人と賛成の人が、同じように扱われているのに不満がある。そこそこ指摘されることだが、夫婦別姓に反対の人は、全員に別姓を選ばせないぞと主張している。そして別姓を選ぶ人がいても、おそらくその人には何の害もない。一方賛成の人は、全員別姓にしろとは言っていない。個人の選択について言っている(ここには個人の選択を尊重するかしないかという、第二のテーマが隠されている)。後者は前者に比べて、はるかにひかえめな訴えをしているのだ。そこのところは、はっきりと意識されるべきだろう。 こういう不公平というか不利な扱い、人生のなかでずいぶんたくさん接してきてしまった。 90年代の若手論壇?に、「大人になれ派/子どものままで何が悪い派」という分類みたいなものがあった。これは一時期、どこかで勝手に名づけられたものなので、大体のイメージみたいなものでしかない。自分はこの両陣営のなかで、もちろん「子どものままで~派」に括られていた。「大人になれ派」の代表は、小林よしのり氏だった。これはこれで、今あらためて検討してみるのも面白いのだが、ここにも不公平がある。こちらは個人の勝手な選択を訴えているのに対して、「大人になれ」とは随分命令的だ。この自分にすら、生き方を指図してきていることになる。 大麻論争にもこうした側面がある。反対と言う場合は、大麻を全員吸うなということ。賛成と言って…

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川原でやった居場所の報告

今年初めてリアルでできた居場所は、多摩川の河川敷だった。予定の二子玉川・兵庫島公園に行ってみれば、すでにピクニックの集まりがそこここに見られる。川が目の前にある場所にシートを広げた時に、またしても爽快感があって、この場所でできるだけで成功だと思った。 参加者は入れ代わりながら計27人(かな? 初めての人は6人?)。巨大シート4枚分の広さで、互いの距離も十分。昼は暑いくらいだったので、川の風が気持ちよかったものの、夕方にはそれが寒くなってしまい、まだ暗くはない17時に終わりにすることになった。 人が集まること。オンラインをしばらく強いられたあとだったので、その価値について考える。 政治家が突然「花見は禁止です」と声明を発表して、公園が立ち入り禁止の柵で覆われる。盆、暮れ、正月の慣行行事、忘年会、新年会、祭もできず、初詣も満足にできない。こうして見ると、人間が大きな楽しみとして育んできた催しは、だいたい人が集まることなのだ。その価値もよく考えずに、ずいぶんあっさりと「禁止にします」ばっかり言ってないか。本当はもっと価値のあることなのだ。尊重が足りないと思っている。 写真はその多摩川河川敷。多摩川は多摩地域民の心のオアシス。毎年台風で増水して河川敷が水没するため、使えない土地が広がっている。都市部にはありえない「NO MAN'S LAND(誰のものでもない場所)」が残っている。それが素晴らしい。自分も子供の頃から、その恩恵にあずかっている。この川からの風の気持ちよさはよく知っている。

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3月の「不適応者の居場所」は川でどうか

3月の不適応者の居場所、川はどうでしょう。ちょっと遠いけど。 今回は東京都の花見禁止のせいで、大変な難航を余儀なくされてしまった。何しろ、どこか外で駄弁る集まりをやりたいだけなのに、花見は禁止。調べると、ピクニックができる公園や緑地には、必ず桜が咲いている。つまりピクニックをするだけで花見になってしまうし、そもそもシートを広げて飲食することを都や区(の多く)が禁止している。 そこで河原に行き着いたわけだ。まったくいつも、「花見のように座って駄弁る」と書いているのに、花見のシーズンにわざわざ桜のない場所探しでへとへとになるとは、まったく馬鹿馬鹿しい。しかしながら、川辺で駄弁る会というのも滅多に開かないし、気持ちよさそうなので、それはそれでよかったのかなと。川辺に行ったりしながら、春を満喫しましょう。 日時:3月27日(土) 12時50分、二子玉川駅改札を出たところ集合。多摩川河川敷の兵庫島公園(?)に移動。公園までは徒歩5分。(場所が決まったらTwitterで発表するので、集合時間に間に合わなくても合流はできます。が、兵庫島公園の込み具合など状況が予想がつかず、ピクニック広場のほうまで行く可能性もあり。場所が定まらないので、合流が確実にできるとは言い切れません。)雨の場合は翌日に延期。 兵庫島公園の様子 開催時間 13時~17時頃。 持ち物:食べ物、飲み物は各自持参してください(食べ物はカンパ制で多少ありそう)。シートはこちらで持っていきます。桜はないので花見はダメ云々とは関係なく、…

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自分の不幸を第一に考えることが大事

これもずっと前から気になっていたこと。「人が幸せになれる世の中にするにはどうすればいいか?」と、たくさんの人が考えるだろう。その時の発想のしかたに疑問がある。 今なら普通は、「じゃあ医療どうするんだ」「教育どうする?」「税制どうする?」(以下無限に続く)というふうに発想するだろう。もちろんそれは大事なのだが、「幸せになれる世の中にする」というワクワクするテーマの割には、ずいぶん義務的・勉強的でやる気の湧かない話だ。 もっと普通の発想のしかたってないのだろうか?まず自分の人生を振り返ってみて、何が一番不幸だったか考える。その不幸を感じた人が他にもたくさんいそうなら、それをなくすことで世の中を幸せにする。むしろ、そっちのほうが順番として普通じゃないだろうか。 前者は「社会全体からはじめる考え方」、後者は「自分からはじめる考え方」と言える。19世紀後半から20世紀前半くらいの世界では、まず社会全体をどう作るか、いちから考える必要があった。王様が支配していた国を壊して、新しい国を作らなければいけなかった。第三世界では、20世紀後半がその時だった。まさに「医療どうする、教育どうする」だ。「社会全体からはじめる考え方」は、そういうところから続いている発想のしかたに引きずられているように思う。もちろんそればかりではなく、政治家的な発想のしかたが下りてきているとも言えるが。けれども今ならもう、「自分からはじめる考え方」をしてもいい。いや、いつだってそうしてよかった。 (発想のしかたを以前からのものに縛…

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なんかムカつく相手を攻撃するために、後から正義や理屈をくっつけるやり方

「なんかムカつくから攻撃したい」、だから攻撃する。いじめはこういうものでもあり、これがだめなことは明らかだ。そして「なんかムカつく」はいじめの原動力であるというのは、専門家の意見だ。 それでは、まず「なんかムカつく」相手がいて、攻撃するために、あとから理屈や正義をくっつけるケースはどうか。よくあると思うが、それも同じくだめなはずである。けれどもそっちは、見過ごされているのではないか。 子供のいじめでも、正義を口実にして行われている場合が多いというのも、専門家の意見だ。確かに「〇〇君は悪いことをした」といった理由でいじめが行われるケースは多いと感じる。人はまったく理由もない攻撃など、滅多にできないのかもしれない。自分の理不尽な攻撃を正当化するためにも、自分のなかでも後づけの理屈・正義が必要なのだろう。 正しさの立場から何か悪いものを攻撃するのは、本来悪いことではない。こうした後づけの正義や理屈は、その形だけを悪用していることになる。 では、攻撃の理屈や正義が後づけである時の目印は何かあるだろうか?後づけだけあって、「よく考えてみればそれほど悪くない」というケースが多いのではないか。それに比べて、ムカつきはもともと大きいだけに、攻撃が不釣り合いに大きくなることも目印になるのではないか。 そして、悪のレッテル貼りが行われることも多いと思う。例えば「ヒトラー」といった悪者・敵のイメージに、攻撃したい相手を寄せていく。そうして、「攻撃している自分=正義、ムカつく相手=悪」の構図を捏造し…

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僕たちは壁のなかの一個のレンガだ

ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』というアルバムを先日の不適応者の居場所でいち推ししたのだが、言葉が足りなかったので、あらためてここに書いておきたくなった。自分の人生において、とてつもなく大きな作品だ。 このアルバムは79年に出た、ピンクフロイドの歴史のなかでは、現役時代の最後のほうの代表作になる。アルバムが2枚組なのに全米1位になったのはまあ驚いたが、シングルの『アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール』も、全米1位を4週間も続ける大ヒットになった。この曲は日本のラジオでもよくかかっており、ラジオ中毒だった10代の自分の耳にも入ってきた。「結局僕たちは、壁のなかの一個のレンガじゃないか!」と歌っているのだ。しかも子供に合唱させている。この言葉は『完全自殺マニュアル』の前書きのなかにも書いた。そこの見出しには、この曲のタイトルをわざわざ載せた。当時、こんな歌詞の曲が全米1位になるなんてありえなかった。ヒット曲はもとより、ロックの歌詞もまずは恋愛。あの娘がかわいい、ふられた、そんなくだらないものばかりだった。恋愛以外の悩みを歌っているだけでも価値があったが、この曲やアルバムに込められた怒りの対象は、結局親でもなく、教師でもなかった(親や教師は出てくるのだが)。何かと言うと、「システム」だった。自分が欲しかったのは、そういうものだった。ロックの歌詞なんて、本当に共感できるものは少なかったのに、この曲には本当の自分の「悩み」と呼べるものが歌われていたのだ。こんなテーマを曲にして、しかも全米1位に送り込ん…

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「不適応者の居場所@ゆる読書会」の報告

つながりづくりのための「不適応者の居場所」、2月は「ゆる読書会」をやってみた。各自が推薦の本を紹介する方式で、それに映像作品や音楽もOKにして、ゆるくした。参加者は11人で、軽く自己紹介してから紹介を1巡させたところで、もう1時間15分経過。急いで2巡目をやったらもう時間だった。どんなものが挙がったか軽く紹介すると、 「The Wall」「無頭の鷹」「A(森達也)」「うさぎ!」「贅沢貧乏」「アリの巣の生きもの図鑑」「ブードゥーラウンジ」「今を生きるしあわせ」「老子」「他人の足」「マッドマックス 怒りのデスロード」、遠藤周作の本、華倫変の漫画、ダニー・ハサウェイのライヴ、ロリー・ギャラガー、「ぐるりのこと」「鬼滅の刃」、、、、 ただでさえバラエティに富んでいるのに、それに加えて各々の思いの入った解説が次々と出てくるのは、まったく飽きず、贅沢だなと思ったりした。興味ある方は作者などチェックしてみてほしい。半端なものは挙がってないはずだ。話を聞いていると、少なくともいくつかはチェックしたくなる。 けれども人数の多い紹介型の読書会では普通そうだが、ひとつひとつについてじっくり話している時間はない。となると、コメントはなしで次々と回すしかなくなるが、それだと交流した感じは薄らいでしまう。そこが難しいところだ。 ※今回の図版には、自分が挙げたピンク・フロイド『The Wall』のジャケットを使わせてもらった。自分ばかり申し訳ない。本来は字がなく、雑誌などにジャケ写を載せると真っ白になってしまう、過激な…

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「『死にたい』は『生きたい』だ」という間違い

先日あるテレビ番組でも耳にしたのだが、「『死にたい』は『生きたい』だ」という言葉がよく使われる。「死にたいと言う人は、同時に生きたいと思っている」という意味だ。これは「『嫌い』は『好き』だ」と同じで、意味をなさない文だ。なぜそんなものが通ってしまうのか。これについては一度言っておこうと思っていた。 自分はこう考えている。「死にたい」と言う人は大きな苦痛に直面している。苦痛から逃れるにはまず、①生きて苦痛を克服する方向がある。 そして苦痛が大きすぎると、②死んで苦痛から逃れる方向も頭に浮かんでしまう。 つまり「苦痛から逃れたい」は、同時にこの二つの方向を持っている。そこから、「死にたい」と「生きたい」は同じだ、などと勘違いするのだろう。「死にたい」「生きたい」なんてこと以前に「苦痛から逃れたい」がある。これこそどんな人間でも日々、心の底から願っていることなのだ。「死にたい」はその一形態なのだ。何かとんでもなく特殊なものと考えるべきではない。 「生きたい」っていうのも、実はよくわからない。「病気で死んでしまう運命」といった状況でもないなら、わざわざ大変な気合を入れて自殺でもしなければ生きてしまうというのに、「生きたい」なんて強く思うだろうか? 自分は「生きたい」とは思ったことがないのではないか。強く思っているのは、あくまでも「苦痛から逃れたい」であって。 「死にたい」周辺には、そこらへんの気持ちがよくわかっていない人が作った言説というものが結構流通していて、それが惰性で使われていたりするので…

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2月の「不適応者の居場所」はゆる読書会でどうか?

2月の「不適応者の居場所」はオンラインで、ゆるく読書会をしてみるのはどうでしょう?読書会と言っても、課題図書を出す形式は参加者が絞られてしまうので、各々がお薦めの本を紹介していくスタイルで。しかも、お薦めは映画・アニメ(映像作品)やCD(音楽作品)もありというのはどうでしょう?元々本好きが集まっている会ではないので、できる限りゆるく参加しやすくしたい。 日時:2月21日(日)16時~ 2時間 ツール:Zoom やること:ゆる読書会。自己紹介後、一人一冊、あるいは一枚ずつ、いくつでもお薦めの本や映画、CDを紹介してください。時間がくるまでそれを回していきましょう。一回数分くらい?で、その作品がどんなにいいか、うんちく、まつわる思い出など、何でも聞かせていただければ(ネタバレ禁止!)。聞くだけ、1作品だけなど、参加形態は自由で。また、メイン会場が苦手な人にはブレイクアウトルームを、今回こそちゃんと準備します。チャットもOK。 参加資格:これまでに居場所に参加していただいた方。オンライン初めての方は、Twitterで鶴見まで参加された時期やその時の名前や特徴を教えていただければ、URLをお知らせします。本当はどんどん新しい人に来てほしいのに残念です。 ここで仕入れたお薦め情報で、コロナ籠り期間を充実させましょう。

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