2018年12月12日

人生は「偶然」で決まっている

201812 佐渡の土産.JPG大阪から新潟の佐渡島の田舎に移住した友人家族が遊びに来てくれて、佐渡暮らしの話を聞かせてくれた。近隣の農家の作業をローテーションで手伝いながら収入を得ている話など、どれもとてもためになる
特にはっとしたのは、次の話だ。

彼の地では仕事も暮らしも、自然環境に大きく左右されるので、住んでいる人はあきらめがいいそうだ。台風で果樹の実がみんな落ちてしまって致命的な大損害のはずなのに、「まあしょうがねえか」とあきらめが早い。
自分にはどうしようもない力のせいなのだから、それも当然だ。そんな空気が、もともと心を病んで移住を決意した友人の精神面にもいい影響を与えているという。
それを聞いて思い出した。

よくない結果が起きた時、我々はその原因を、自分か他の誰かかの二択で考える。「あの時ああしていれば」と際限なく後悔し、「あいつのせいで」と他人を恨み、過去にとらわれる。そして、もっと慎重に先々の計画を詰める。

けれども、自然に包まれた暮らしでなくても、我々の人生は、どうにもならない「偶然」や「運」の力に左右されていたんじゃなかったか。
そもそも、生まれる土地や家族が選べない。そして、たまたま同じクラスになった友人、偶然知り合ったパートナー、たまたま採用された会社、偶然見つけた住まい、などの影響力がどれほど大きいことか。病気になって死ぬのも偶然の要素が大きい。こうした大きな偶然の力に比べれば、自分が決められる部分などごく一部とさえ思える。

あの人の人生も、この人の人生も、たまたまそうなっているだけだ。現代人はものごとの原因と結果をコントロールできているような顔をしているが、実際は昔の人と同じように運に翻弄されている。自分の力でできることなど、高が知れている。過去を悔やむのは、必要な分だけで十分だ。

「偶然」や「運」というものの大きな力。「まあしょうがねえか」という感覚。心の健康のために、これは忘れないでおきたい。

※写真はもらった佐渡のお土産の一部。ただで人を泊めたら損だ、なんてことはない。
※また佐渡では民泊をやっていたうちが何軒かあったが、民泊新法ができて条件が厳しくなったので、彼らが知っていることろは皆やめてしまったという話も書き添えておこう。全国的にも民泊利用者はむしろ減ったようで、まったく空しい。
posted by 鶴見済 at 12:33| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月30日

「不適応者の居場所」12月もやります

11月に1回目をやった、つながりをなくしがちな人の会「不適応者の居場所」の第2回をやります。

この集まりは、ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ等々、様々な理由で日頃から人とのつながりをなくしがちで、その状態もあまり心地よくないと思っている人が、単に駄弁るという会合です。


その他の詳細は1回目と同じなので、ここを参照。

そして1回目の報告はこちら



12月14日(金) 18:30〜 4時間くらい?

場所:高円寺 素人の乱12号店

費用: 会場代、食べ物(ビーガン)・飲み物代を合わせて25000円くらいなので、それをカンパで賄いたいです。酒も十分飲めるので、カンパよろしく。


さらに付け加えることと言えば、まず、イベントは途中で帰るのもOK。こういう集まりでは、きつくなったと思っても、帰り際に挨拶をしなければと思っているとタイミングがつかめず、ずるずると居続けてしまいがちですが、もちろん黙って帰ってもかまいません。念のため。


また、会場の床にはマットとその上に布が敷いてありますが、座布団などはなし。クッションなどを持って来られれば、長時間床に座った状態でも居心地が悪くならないかも。自分は特に問題ありませんでしたが、正座されている場合などは。

そして前回も書きましたが、これは支援活動ではなく、会って話すだけでギブ・アンド・テイクが成立する、最もシンプルな相互扶助、贈与経済だと思ってます。

自分の側にだけメリットがあるような行為、相手を攻撃したり、勧誘したり等々をするのはやめてください。


<追記>

ちなみに1回目の前回は、「ほとんどの人にとってほとんどの人が初対面」という状態だったと思います。もちろん自分も初対面の人だらけ。ぶらっと来てください。
・この会は、Twitterとこのブログ以外では告知していません。
・0円ショップも作ります。いらなくなった本、CDなど、なんでもいいので放出できます。ただし残った物は持ち帰りで。なんか書体が変わっちゃって、だめだなこのブログは。

posted by 鶴見済 at 23:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月12日

「不適応者の居場所」の報告

つながりをなくしがちな人が単に駄弁る集まり「不適応者の居場所」を、9日に初めてやってみたので、どんな感じだったのか報告を。

会場にやってきてくれた人は30人以上。20人くらいで一杯かと予想していたスペースだったけれども、広めに座れるようにしておいたので、狭いながらもなんとかなった。

「ほとんどの人にとって、ほとんどの人が初対面」という状態だったと思う。大体は一人でぶらっと来た人だった(⇐ここ重要)。

年齢はまちまちで、男女比も半々くらい。


DSC_0961 ぼかし80.JPG話の輪ができていたり、それでも常に輪の外にいる人がいたりで、結局5時間くらい続いてしまった。

もちろん途中から来る人、早めに抜ける人もいた。

途中で一度、本当に簡単な自己紹介をしたけれども、パスした人もいたし、全般的にゆるくてよかった。

(「みんな一緒」の圧力があるようでは、学校や職場の暑苦しい集団と変わらなくなってしまう)。


自分は、他のこうした集まりやスペースの話、日々の過ごし方の話、日常的な悩みの話、趣味の音楽の話等々、色々話せてすっとした。


集まったカンパは、ちょうど経費と同じくらいの額で、お酒の差し入れ、いただきもののサツマイモや柿も出回った。


正直に言うと、こういう集まりはすごくいいな、と思ったのだった。


この集まりは、イベントというよりも、会話でもしたいなという人が気安くいられる場所を目指しているので、できれば毎月やっていこうと思っている。


ついでに書くと、SNSは広く知り合うのにとても有効だけれども、どの程度深く知り合えるかに関しては、だんだん限界が見えてきたと思う。

そろそろ「直接会う」という第二段階を、もっとたくさん作っていってもいいんじゃないだろうか。
そういえば、そんな話もしたのだった。


posted by 鶴見済 at 17:51| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

つながりをなくしがちな人の会やります

「日頃つながりをなくしがちで、つまらない思いをしている人」が、駄弁ることで楽になろうという会を開くことにしました。

仮に名付けて「不適応者の居場所」。

ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ等々、様々な理由で、つながりがなくなりがちであり、かつ、それもつまらないなと思っている人、飲んで食べて、ゆるく話しましょう。

一人でつまらない思いをしている人が、各々出会わずにいるだけというのは、あまりにももったいない。


イベント会場内に花見のように敷物を敷いて座り、飲み食いしながら駄弁るだけです。

支援活動ではないので、仕切りや討論もなし。自己紹介くらいはしたいと思います(パスも可)。

会場内に本、CDDVD、ゲームソフトなどの0円ショップも作るので、放出できる物があったら、持ってきてください(残ったら持ち帰りで)。それが会話のいいネタになればいいなと。

お薦めの音楽などあれば、会場でかけられます。


『0円で生きる』に「あえて二人以上の人が集まってやることは助け合い」と書いたとおり、この集まりも、単に会うことでギブアンドテイクが成立して各々が生きやすくなる、という助け合いだと思ってます(もちろん全然話さなくてもOK。聞いてくれているだけでも、相手に何かを与えてます)。
*相互扶助なので、相手を攻撃したり勧誘したりといった、一方だけが得をすることはしないでください。



別に一人はよくない、集団はいいなどという考えではありません。学校や会社から降りたら何のつながりもなくなってしまう現状をなんとかして、降りても楽な社会にしていきたい。むしろ集団主義でない、個人が個人のままいられる社会を目指してます。


参加は年齢不問。もちろん鶴見の知り合いであるなしも無関係(会ったことない人大歓迎)。

途中から参加、途中抜け、途中帰り、すべて可。

会場代と食べ物(ビーガン料理)、飲み物(酒含む)は、カンパ制になるので、出費は多少あると思ってください。

自分でもどうなるかわかりません。うまくいきそうだったら、定期開催したいです。

ぶらっとお越しを!



不適応者の居場所

日時:11月9日(金) 18:30〜4時間くらい?

場所:高円寺:素人の乱12号店 (20人くらい入れば一杯の会場です)

費用:会場代(安い)はカンパで。食べ物、飲み物は用意するので、そちらもカンパお願いします。


posted by 鶴見済 at 16:39| Comment(2) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

80年代の日本のパンクは何に怒っていたか?

オッサンの昔語り的なテーマが続くが、『爆裂都市』や『ちょっとの雨ならがまん』というパンク系映画を久々に観たこともあって、80年代の日本のパンクについて書いてみたい。

このブログやTwitterは、浮かんだ考えを自分のなかにしっかり定着させるために書いている面もあるので。



80年代半ばまでの日本のパンクが好きだった。こう言うのもなんだが、自分はパンクスだなどと思っていた。

好きだったのは、バンド名で言えば、スターリン、ラフィンノーズ、スタークラブ、GISM、あぶらだこといったところで(もちろんその他のバンドも。なかでもスターリンは断トツだった)、当時としては、ごく一般的な好みと言える。

ライヴにもよく客が入っていたし、レコードもメジャーから出せるほど売れたし、シーンは盛り上がっていた。


そのシーンで吐き出されていたのは、もちろん怒りであり、「くそったれ」という感情だった。では、何に対しての「くそったれ」だったのか。


反戦の曲はあった。ハードコア系のバンドに多かった。しかしそれは、お手本と言えるUKハードコアパンクがそうだったから、という面があるように思う。

また米ソ全面核戦争が起きるかもしれないというバッドな感覚は、すでに日常的なものだったので、そのイメージが曲のなかに出てくるのは、特に社会派・政治的でなくても十分あり得た。


DSCPDC_0001_BURST20181009133817240_COVER.JPGではそれ以外に、政治的・(狭い意味での)社会的なテーマが歌われていたかというと、極めて少なかったと思う。

社会派とは見なされないセックス・ピストルズでさえ、女王やキリスト教を敵視したし、日本のバンドに比べたらかなり社会派と言える。

政治的なバンドのシーンがあったことも知っているが、全体の特徴としてはやはり、政治的・(狭義の)社会派ではなかったと言うべきだろう。


けれども、単にわめいているだけ、単に滅茶苦茶だったかというと、そういうわけではまったくなく、極めて真面目だった。セックス・ピストルズのほうが、よほどいい加減だ。


では何に怒っていたのか。やはりそれは、押しつけられる人生や生き方、日常的な窮屈さ、閉塞感に対する「くそったれ」だったと思う

当時はなかなか気づけなかったのだが、ある程度引いて眺められる今ならハッキリとわかる。やはり世界のなかでも当時の日本は、特別に窮屈な「硬い」社会だった(例えば終身雇用も、学校も家庭も)。それは多少崩れながら、今もある。

その人生の閉塞感に対して「ふざけんな」と言うことは、まったく当然のことだった。それなりに十分「(広い意味での)社会派」だったのだ。


自分たちには自分たちなりの社会の問題と不満がある。それは新聞が取り上げてくれるような大問題でなかったり、自分でもいわく言い難いものかもしれない。それでもそれは、とても大事なものなのだ。

(狭義の)社会問題・政治問題にそんなに怒りが湧かないのであれば、無理に怒って叫ぶことのほうがはるかに誠実さに欠ける。

そもそも人が強く思い悩んでいることの大半は、新聞に載らないような個人的な問題ではないのか。



今回はこのへんで。

これに対して、「当時は生きやすい社会だったからだ、それにひきかえバブル崩壊後は──」などというあれを言ってくるのは、違うのでやめてもらいたい。

posted by 鶴見済 at 17:19| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月08日

「大人になれない若者」批判が流行っていた

DSC_0099.JPG80年代に「モラトリアム人間」という言葉が流行っていた。

モラトリアムというのは「猶予期間」のことで、大学生などで「大人になれない青年」を非難する意味合いで広まった。大人になれないというのは、まずはサラリーマンになるのを嫌がることだ。けれどもそれだけではない。

ハキハキ話す大人の態度が取れないことや、割り切れずに内面の自我にこだわる人まで、広く外向的・社交的になれない青年がモラトリアム人間とひと括りにされていたと言える。

もっと詳しく言えば、大人(=社会に適応した人間)になることこそが人間として“アイデンティティ”を確立することで、それができずにぐずぐずしていることが「モラトリアム」というネガティブな意味合いで語られていた。


精神科医が提唱して、精神医学界から広まった言葉で、他にも「ピーターパンシンドローム」「青い鳥症候群」「成熟拒否」など、似たような概念が精神医学界から色々提唱されていた。
自分も精神科医から、そうした非難を毎度のように浴びていた。「君は大人になれない」「未熟だ」と。

もちろんそんなことを言われながらも就職活動は嫌というほどやったが、「やってられるか」という気持ちでやった(そのせいか結果は悲惨だった)。その気持ちはゆずらない、というのは大事なところだ。もちろん会社で働きはじめた後も、その気持ちはゆずらなかった。
念のために言うと、社会人として仕事をこなせるような人間ならこうは呼ばれないので、正社員か非正規かなどという問題は、ここでは関係ない。

DSC_0100.JPG90年代の論壇的な世界で「大人になれ」という言説が広まったことがあったが、それもこの流れを汲むものだ。もちろん自分は、反「大人になれ派」だった。


さて今の時代には、社会に適応しない人は随分増えた。当時の精神科医が今いたら、叱るべき相手が多すぎて身がもたないだろう。

もちろんほとんどの人にとって、社会に適応する必要などまったくない、なんてことはない。けれどもそのハードルが高すぎたのだ。「社会人になること」は、自分らしさも含め、あまりにも多くのものを捨て、諦めねばならなかった。

もともとそこに問題があるのに、各個人の資質も考えず、十把ひとからげにして、モラトリアムだ、大人になれないと批判していたのがおかしかった(「じゅっぱひとからげ」でなく「じっぱひとからげ」だったことを今知った)。


これは過去形で語るべきなんだろうか? 社会人になることの難しさはそんなに変わらないかもしれない。働く時間が短くなった、などいくつかの要素が多少はマシになった程度かもしれない。

働かない者など、社会に適応しない者がたくさんいて困ったと言うなら、その難しさという問題が背後にあることを疑ってみなければいけない。

しかしもっと軽く書かないと、なかなかブログを更新できなくて辛いな。

posted by 鶴見済 at 14:26| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月07日

会話における嘘と対人場面での苦痛の話

ひきこもりになる人は、コミュニケーションを求めていないのではなくて、「純度100%」のコミュニケーションを求めているという説がある(斎藤環氏による)。その言葉が気になっていた。


自分は、10代から20代にかけて、うわべだけの言葉、相手や周りに合わているだけの言葉、心にもない言葉、社交辞令、愛想笑い、心にもない相槌、、、などなどがまったく苦手だった。

それらは一言で言えば「嘘」なのだ。大なり小なり、自分の心に嘘をついている。その嘘が嫌だった。

そうやってみんなが心を偽っているから世の中が悪くなってるんだ、とさえ思っていた。思っていたというか、今もある程度そう思っている。

苦しいのに楽しいふりなんかしていたら、いつまでも問題は解決しない。

人の胸を打つ歌や文学作品は、正直に自分の心を表現したものだ。

程度の差こそあれ、多くの人が思うことだろう。


ただしそこにこだわっていると、「会話」というものがとても難しくなる。自分の場合は挨拶で「よう、元気?」などと聞かれても、「元気じゃない」(時には「死にてえよ」)などと、答えていた。

その場を取り繕うための、心にもない話題というのも苦手なので、人に会ってもおざなりの会話というものが切り出せない。結局気まずい時間になってしまい、そのせいでまた落ち込む。

大勢で話している時でも、なあなあの相槌を打たないので、ぎくしゃくする。

そんなことばかりなので、会話や人づきあいはやりたくなくなってしまう。

自分の場合は、そこに対人場面における心の問題までが加わっていたため、人づきあいは避けたいものになっていた。


今はどうしているかというと、かつてに比べればはるかにたくさんの、うわべだけの言葉や社交辞令を使っている。もしかしたら、普通よりも少し社交的な人間と見えているかもしれない。少しずつそうなっていった。対人場面で苦労が少ないことのほうを優先したわけだ。

自分だけくそ真面目に筋を通して、その代わりにへとへとになるようなことは、これ以上やってられるかという気持ちもあった(どんな問題についても、真面目になりすぎて苦しくなったら、「バカバカしい、これ以上やってられるか」を出すことにしている)。

たいていの会話において大事なのは、その深い内容などではなく、「はずんだ会話をしている」という状態なので、天気の話でも何でもいいのだ。深い会話は、その後で考えればいい。そう思うようになった。


その分、ある大事なものは失った。けれども、対人場面でのきつさは激減し、人とつながる世界が開けた。対人場面における心の問題のほうも、その結果なのか原因なのかわからないが、少しずつ消えていき、気づいたらなくなっていた。


どちらがいいとも言い難い。これを書いたのはどちらかと言えば、かつての気持ちを忘れないためだ。同時に、対人場面を楽に乗り切るための、何かしらの参考になればとも思う。


posted by 鶴見済 at 11:30| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

路上の会話は心を癒す

Sidewalk Talk(歩道の会話)というアメリカの団体の活動している映像がとても面白くて、何度も見てしまう。



彼らは、路上に椅子を並べて、通行人に何でもいいから話してもらい、それを聞く、一風変わった傾聴ボランティアと言える。
2014年に構想され、全世界40の都市に1700人のボランティアがいるという。創始者は心理療法士で、孤独を克服するには、路上での見知らぬ人との会話が特に有効だと考えている。これは、心の問題に取り組む活動なのだ(注)。

Sidewalk Talk
https://www.sidewalktalksf.com

本当にきつい時には、「会話」は有効だ。きつい状態で一人でいると、その悩みや不安にずっと集中してしまいがちなので、そこから離れらるだけでもいい。
その悩みを打ち明けられれば一番いいのだが、本当の悩みというのは、よほど親しい人でなければなかなか言えないものだ。中途半端な知り合いよりは、まったく見ず知らずの人相手のほうが言いやすい。

Sidewalk Talkは路上の占い師に見た目がよく似ているのだが、あの占い師たちもそのためにいるのだろう。
職場や家庭がない人が増えるにつれて、会話をどこで確保するかはますます大きなテーマになってくるはずだ


こうした路上の会話は、昔ならわざわざこんな活動をしなくても、普通に起こりえた。立ち話や井戸端会議というのは、日常茶飯事だった。
路上に屋台や露店、あるいは演奏など何かがあれば、そこに足を止める人の間で、路上の会話が芽生えるチャンスがある。
屋台や有人マーケットが盛んな東南アジアでは、当たり前のようにそんな光景がある。店の人なのか友達なのかわからない人たちが、店の周りでペチャクチャと話しては去っていく。

20180616 (2).JPG我々の社会は路上の様々なごちゃごちゃを、「面倒だから」と禁止したがために、大事な心を癒すチャンスまで失っているらしい。
漠然と意識してはいたが、路上の空白化は心の空白化ともつながっていたのだ。

0円ショップの大きな楽しみの一つは、この「路上の会話」が出品者と通行人、出品者どうしの間で起きること、そして終わった後には何かしら自分の心が癒されていると感じられることだ。

ただ、こういう話には注釈が必要だ。
映像の冒頭で「孤独は人の寿命を縮める」と言われているが、自分は学校・職場・家庭の人間関係がなければ、人生においてあんなに死にたくなることはなかった。単純に孤独が悪で、人間関係が善などという説はおめでた過ぎる。
人間関係をめぐる話にはもっと丁寧な説明が必要で、自分にもまとまった考えがあるのだが、また追々言うことにする。

注)Sidewalk Talkは、申し出てやり方を学べば、どこでも開催できる。マレーシアでも行われているようだ。
ちなみに0円ショップは、あくまでも自分としてはだが、ボランティア活動などという意識はない。写真は0円ショップ。

posted by 鶴見済 at 12:24| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

DIYシュノーケルと他者評価でない歓び

無題3.jpg『0円で生きる』にもやり方を詳細に書いたDIYシュノーケルとは、自分の好きな場所から海に入り、好きなだけ海中を眺めるというもの。ボートでいい場所に連れて行ってもらって(主にサンゴがあるところ)、決まった時間だけ海中を見るシュノーケリング・ツアーと区別している。獲物を求めて狩りをしているような、独特の面白さがある。

けれどもサンゴ礁について言うなら、歩いて行ける海岸の沖に素晴らしい状態のサンゴがある場所は、そう簡単には見つからない。つい先日行ってきたインドネシアの片田舎ブナケン島は、まさにそんなところだった。

ブナケン島海岸でのシュノーケリングで見られるもの 


IMG_8930.JPG「サンゴと熱帯魚を見る」という行為が、自分が生きるうえで何の役に立っているのか、まったくわからない。

けれども、自分が生きてやっていることのなかで、これを上回る歓びを感じられるものは、残念ながら他にない。熱帯魚を見ながらプカプカと海に浮ている時間はもちろんいいのだが、岸に戻って海を眺めながらイヤホンで好きな音楽を聴いていると、何かこみ上げてくるものがあり、この世界はそんなに悪くないと思えてくる。

こういう単純な歓びがなければ、人生は悩ましいことで埋め尽くされてしまい、この世界への興味も失せてしまいそうだ。大げさだが、生きる歓びと言ってもいい。
これに似た体験というと、レイヴパーティーで踊りながら朝日を見たことが思い浮かぶくらいだ。
いずれも、人間関係的な世界のなかでの悪戦苦闘とは、まるで関係ないことに驚く。こういうものが最大の歓びであるなら、あの悪戦苦闘は何なのか。そちらの世界は、注ぎ込んだ努力に見合う、生きたいと思う何かを返してくれるのだろうか。

IMG_8944.JPGこういう経験をすると、「他者評価」というものについて考えてしまう。
誰でも他人によく思われれば嬉しいものだ。けれどもそれは、よく思われなくなったり、悪く思われて苦しむことと表裏一体で、よく思われる方だけ選ぶことはできない。
こうした他者評価を、自分の幸不幸の絶対の基準としているときつい。自然を見ることでも、音楽を聴くことでも、本を読むことでも何でもいいので、他者評価のような不確かなものではない、自分なりの歓びを持っていると強い。これまでそう思ってきた。
他者評価がすべてなら、ちょっとしたことですべては失われてしまうかもしれない。それなのに、そこに労力を注ぎ込みすぎる社会になっているんじゃないか。

貼った動画は岸からリーフの端(ドロップオフ)までが、実際に見た時のように再現されている。
こういうものを時々見ては、見た時の気持ちを思い出すようにしている。そうしていると、これが生涯の財産であるような気がしてくる。
ブナケン島に行くには飛行機を少なくとも一度は載り継がなければならないので、行くまでの行程は正直言って面倒くさいし、金もある程度かかる。民宿は1泊1500円からある。島には他の呼び物はなく、ダイビングとシュノーケリングに来た客がそこそこいる程度だった。
これまで行ったなかでここまでの場所というと、フィリピン・セブ島のモアルボアルくらいだったが、伊豆でもかなりいける。

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posted by 鶴見済 at 16:38| Comment(0) | 0円で生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

『0円で生きる』インタビュー・書評のまとめと書き足し

『0円で生きる』について受けたインタビューや、書いていただいた書評の一覧をまとめておく。
どれでも主に主張しているのは、無料でのやり取りを増やして、この社会のメインストリームに適応したくない人間の領域を拡大しようということ。

●記事

不適応者でも生きやすい領域を作る 鶴見済

『波』という雑誌に書いた記事。ここに書いた、泊めてくれたカフェのオーナーとは、今も連絡を取りあっている。
「これは、単なるお金の節約だけの問題ではないのだ。この社会に適応したくない人間のための、もうひとつの世界を作るための試みだと思っている」。

●インタビュー

「0円生活」で居場所見つける 脱・お金依存の先にあるもの(Yahoo!ニュース)

90年代から『脱資本主義宣言』のあたりの経緯まで含め、今言いたいことを上手くまとめてくれているインタビュー。
出だしの部分では、「戦後の若者文化は一貫して抑圧に抵抗して自由になろうとしていて、『道徳的なもの』もその抑圧のなかに含まれていた」という話もしていて、ここの内容はそれとも関連している。


ゼロ円で生きることを提唱するライター 鶴見済さん (中外日報)

『中外日報』は歴史ある仏教系の専門紙。
生や死、そして無料の経済について話している。メインは無料経済の話なのだが、「自分としては人生をもっと軽く考えたい」「個人が集団の犠牲になる」といった部分が自分としては心に残ったりする。

ここでは載らなかったが、「色即是空、空即是色」の話もしていた。
一切の価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。仏教のいちばんいい部分には、万象を空しいと観じた時に、逆にふわっと浮かび上がってくる万象への価値の感覚があるように思う」(真木悠介『気流の鳴る音』)。
これは自分が、
生涯で最も大切にしてきた感覚と言えるかもしれない。特に仏教とは関係なく、楽になるので、いつの間にか身についていたものだが。90年代に書いた本には、大体この感覚が入っている。


生きにくい現代人の心のゆるめ方「0円で生きる」こととは? 私たちがお金で買っているものの正体(Money Plus 前半)

老後の不安を減らす、貯金「以外」の方法は? 「0円で生きる」著者のお金に頼りすぎない生活(Money Plus 後半)

お返しについて強調しているが、考えてみればあまりこれを言いすぎると、自分が何かあげる時に相手に警戒されてしまう。なので、「自分に対しては、お返しは気にしなくていいですよ」と付け加えておきたい。誰でもそんなものだと思う。けれども、世の中全体について言うなら、やはりあげたりお返ししたりで何かを作っていくのがいいですねと言わざるを得ない。
これも最後の最後に人間関係について言っていて、そこが割と印象深い。





●書評やブログでの紹介

Book Reviews 0円で生きる――小さくても豊かな経済の作り方  鈴木孝弥(ele-king)

鶴見済「0円で生きる」 〜貫かれた倫理〜  佐々木典士(Minimal&ism)

がんじがらめの資本主義からの脱出 大西赤人 (レイバーネット)

皆さんよく読みこんでいただけて、とても光栄。


●関連インタビュー

「生きづらい」社会をどうするか (NewStory)

座間の事件に関連して受けた自殺に関するインタビュー。
「『みんながやっているからやらないといけない』としがみつくのを辞めることでしょうか。学校の部活動についてもそう思います。誰もが孤立することを恐れて辞めることができないことがあるなら、みんなで降りてしまえばいいと思います」。


種子を巡る冒険B鶴見済さん達が自主耕作している放棄されていた国有地に種子をまきに出かける(8bit News)

種子法廃止に関連して受けた、畑に関する動画インタビュー。


●本の感想を書いてもらったブログ

A1理論はミニマリスト
グッバイ社畜
なうひあdiary
カレジョの七転八起ライフ
神田神保町でのまなびニート気質な僕の生きる道
徒手空拳日記
エンログ
俺、まちがってねぇよな?
スズイチのブログ
あさよるネット

posted by 鶴見済 at 17:25| Comment(0) | 0円で生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする