2018年09月08日

「大人になれない若者」批判が流行っていた

DSC_0099.JPG80年代に「モラトリアム人間」という言葉が流行っていた。

モラトリアムというのは「猶予期間」のことで、大学生などで「大人になれない青年」を非難する意味合いで広まった。大人になれないというのは、まずはサラリーマンになるのを嫌がることだ。けれどもそれだけではない。

ハキハキ話す大人の態度が取れないことや、割り切れずに内面の自我にこだわる人まで、広く外向的・社交的になれない青年がモラトリアム人間とひと括りにされていたと言える。

もっと詳しく言えば、大人(=社会に適応した人間)になることこそが人間として“アイデンティティ”を確立することで、それができずにぐずぐずしていることが「モラトリアム」というネガティブな意味合いで語られていた。


精神科医が提唱して、精神医学界から広まった言葉で、他にも「ピーターパンシンドローム」「青い鳥症候群」「成熟拒否」など、似たような概念が精神医学界から色々提唱されていた。
自分も精神科医から、そうした非難を毎度のように浴びていた。「君は大人になれない」「未熟だ」と。

もちろんそんなことを言われながらも就職活動は嫌というほどやったが、「やってられるか」という気持ちでやった(そのせいか結果は悲惨だった)。その気持ちはゆずらない、というのは大事なところだ。もちろん会社で働きはじめた後も、その気持ちはゆずらなかった。
念のために言うと、社会人として仕事をこなせるような人間ならこうは呼ばれないので、正社員か非正規かなどという問題は、ここでは関係ない。

DSC_0100.JPG90年代の論壇的な世界で「大人になれ」という言説が広まったことがあったが、それもこの流れを汲むものだ。もちろん自分は、反「大人になれ派」だった。


さて今の時代には、社会に適応しない人は随分増えた。当時の精神科医が今いたら、叱るべき相手が多すぎて身がもたないだろう。

もちろんほとんどの人にとって、社会に適応する必要などまったくない、なんてことはない。けれどもそのハードルが高すぎたのだ。「社会人になること」は、自分らしさも含め、あまりにも多くのものを捨て、諦めねばならなかった。

もともとそこに問題があるのに、各個人の資質も考えず、十把ひとからげにして、モラトリアムだ、大人になれないと批判していたのがおかしかった(「じゅっぱひとからげ」でなく「じっぱひとからげ」だったことを今知った)。


これは過去形で語るべきなんだろうか? 社会人になることの難しさはそんなに変わらないかもしれない。働く時間が短くなった、などいくつかの要素が多少はマシになった程度かもしれない。

働かない者など、社会に適応しない者がたくさんいて困ったと言うなら、その難しさという問題が背後にあることを疑ってみなければいけない。

しかしもっと軽く書かないと、なかなかブログを更新できなくて辛いな。

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2018年08月07日

会話における嘘と対人場面での苦痛の話

ひきこもりになる人は、コミュニケーションを求めていないのではなくて、「純度100%」のコミュニケーションを求めているという説がある(斎藤環氏による)。その言葉が気になっていた。


自分は、10代から20代にかけて、うわべだけの言葉、相手や周りに合わているだけの言葉、心にもない言葉、社交辞令、愛想笑い、心にもない相槌、、、などなどがまったく苦手だった。

それらは一言で言えば「嘘」なのだ。大なり小なり、自分の心に嘘をついている。その嘘が嫌だった。

そうやってみんなが心を偽っているから世の中が悪くなってるんだ、とさえ思っていた。思っていたというか、今もある程度そう思っている。

苦しいのに楽しいふりなんかしていたら、いつまでも問題は解決しない。

人の胸を打つ歌や文学作品は、正直に自分の心を表現したものだ。

程度の差こそあれ、多くの人が思うことだろう。


ただしそこにこだわっていると、「会話」というものがとても難しくなる。自分の場合は挨拶で「よう、元気?」などと聞かれても、「元気じゃない」(時には「死にてえよ」)などと、答えていた。

その場を取り繕うための、心にもない話題というのも苦手なので、人に会ってもおざなりの会話というものが切り出せない。結局気まずい時間になってしまい、そのせいでまた落ち込む。

大勢で話している時でも、なあなあの相槌を打たないので、ぎくしゃくする。

そんなことばかりなので、会話や人づきあいはやりたくなくなってしまう。

自分の場合は、そこに対人場面における心の問題までが加わっていたため、人づきあいは避けたいものになっていた。


今はどうしているかというと、かつてに比べればはるかにたくさんの、うわべだけの言葉や社交辞令を使っている。もしかしたら、普通よりも少し社交的な人間と見えているかもしれない。少しずつそうなっていった。対人場面で苦労が少ないことのほうを優先したわけだ。

自分だけくそ真面目に筋を通して、その代わりにへとへとになるようなことは、これ以上やってられるかという気持ちもあった(どんな問題についても、真面目になりすぎて苦しくなったら、「バカバカしい、これ以上やってられるか」を出すことにしている)。

たいていの会話において大事なのは、その深い内容などではなく、「はずんだ会話をしている」という状態なので、天気の話でも何でもいいのだ。深い会話は、その後で考えればいい。そう思うようになった。


その分、ある大事なものは失った。けれども、対人場面でのきつさは激減し、人とつながる世界が開けた。対人場面における心の問題のほうも、その結果なのか原因なのかわからないが、少しずつ消えていき、気づいたらなくなっていた。


どちらがいいとも言い難い。これを書いたのはどちらかと言えば、かつての気持ちを忘れないためだ。同時に、対人場面を楽に乗り切るための、何かしらの参考になればとも思う。


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2018年07月14日

路上の会話は心を癒す

Sidewalk Talk(歩道の会話)というアメリカの団体の活動している映像がとても面白くて、何度も見てしまう。



彼らは、路上に椅子を並べて、通行人に何でもいいから話してもらい、それを聞く、一風変わった傾聴ボランティアと言える。
2014年に構想され、全世界40の都市に1700人のボランティアがいるという。創始者は心理療法士で、孤独を克服するには、路上での見知らぬ人との会話が特に有効だと考えている。これは、心の問題に取り組む活動なのだ(注)。

Sidewalk Talk
https://www.sidewalktalksf.com

本当にきつい時には、「会話」は有効だ。きつい状態で一人でいると、その悩みや不安にずっと集中してしまいがちなので、そこから離れらるだけでもいい。
その悩みを打ち明けられれば一番いいのだが、本当の悩みというのは、よほど親しい人でなければなかなか言えないものだ。中途半端な知り合いよりは、まったく見ず知らずの人相手のほうが言いやすい。

Sidewalk Talkは路上の占い師に見た目がよく似ているのだが、あの占い師たちもそのためにいるのだろう。
職場や家庭がない人が増えるにつれて、会話をどこで確保するかはますます大きなテーマになってくるはずだ


こうした路上の会話は、昔ならわざわざこんな活動をしなくても、普通に起こりえた。立ち話や井戸端会議というのは、日常茶飯事だった。
路上に屋台や露店、あるいは演奏など何かがあれば、そこに足を止める人の間で、路上の会話が芽生えるチャンスがある。
屋台や有人マーケットが盛んな東南アジアでは、当たり前のようにそんな光景がある。店の人なのか友達なのかわからない人たちが、店の周りでペチャクチャと話しては去っていく。

20180616 (2).JPG我々の社会は路上の様々なごちゃごちゃを、「面倒だから」と禁止したがために、大事な心を癒すチャンスまで失っているらしい。
漠然と意識してはいたが、路上の空白化は心の空白化ともつながっていたのだ。

0円ショップの大きな楽しみの一つは、この「路上の会話」が出品者と通行人、出品者どうしの間で起きること、そして終わった後には何かしら自分の心が癒されていると感じられることだ。

ただ、こういう話には注釈が必要だ。
映像の冒頭で「孤独は人の寿命を縮める」と言われているが、自分は学校・職場・家庭の人間関係がなければ、人生においてあんなに死にたくなることはなかった。単純に孤独が悪で、人間関係が善などという説はおめでた過ぎる。
人間関係をめぐる話にはもっと丁寧な説明が必要で、自分にもまとまった考えがあるのだが、また追々言うことにする。

注)Sidewalk Talkは、申し出てやり方を学べば、どこでも開催できる。マレーシアでも行われているようだ。
ちなみに0円ショップは、あくまでも自分としてはだが、ボランティア活動などという意識はない。写真は0円ショップ。

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2018年06月11日

DIYシュノーケルと他者評価でない歓び

無題3.jpg『0円で生きる』にもやり方を詳細に書いたDIYシュノーケルとは、自分の好きな場所から海に入り、好きなだけ海中を眺めるというもの。ボートでいい場所に連れて行ってもらって(主にサンゴがあるところ)、決まった時間だけ海中を見るシュノーケリング・ツアーと区別している。獲物を求めて狩りをしているような、独特の面白さがある。

けれどもサンゴ礁について言うなら、歩いて行ける海岸の沖に素晴らしい状態のサンゴがある場所は、そう簡単には見つからない。つい先日行ってきたインドネシアの片田舎ブナケン島は、まさにそんなところだった。

ブナケン島海岸でのシュノーケリングで見られるもの 


IMG_8930.JPG「サンゴと熱帯魚を見る」という行為が、自分が生きるうえで何の役に立っているのか、まったくわからない。

けれども、自分が生きてやっていることのなかで、これを上回る歓びを感じられるものは、残念ながら他にない。熱帯魚を見ながらプカプカと海に浮ている時間はもちろんいいのだが、岸に戻って海を眺めながらイヤホンで好きな音楽を聴いていると、何かこみ上げてくるものがあり、この世界はそんなに悪くないと思えてくる。

こういう単純な歓びがなければ、人生は悩ましいことで埋め尽くされてしまい、この世界への興味も失せてしまいそうだ。大げさだが、生きる歓びと言ってもいい。
これに似た体験というと、レイヴパーティーで踊りながら朝日を見たことが思い浮かぶくらいだ。
いずれも、人間関係的な世界のなかでの悪戦苦闘とは、まるで関係ないことに驚く。こういうものが最大の歓びであるなら、あの悪戦苦闘は何なのか。そちらの世界は、注ぎ込んだ努力に見合う、生きたいと思う何かを返してくれるのだろうか。

IMG_8944.JPGこういう経験をすると、「他者評価」というものについて考えてしまう。
誰でも他人によく思われれば嬉しいものだ。けれどもそれは、よく思われなくなったり、悪く思われて苦しむことと表裏一体で、よく思われる方だけ選ぶことはできない。
こうした他者評価を、自分の幸不幸の絶対の基準としているときつい。自然を見ることでも、音楽を聴くことでも、本を読むことでも何でもいいので、他者評価のような不確かなものではない、自分なりの歓びを持っていると強い。これまでそう思ってきた。
他者評価がすべてなら、ちょっとしたことですべては失われてしまうかもしれない。それなのに、そこに労力を注ぎ込みすぎる社会になっているんじゃないか。

貼った動画は岸からリーフの端(ドロップオフ)までが、実際に見た時のように再現されている。
こういうものを時々見ては、見た時の気持ちを思い出すようにしている。そうしていると、これが生涯の財産であるような気がしてくる。
ブナケン島に行くには飛行機を少なくとも一度は載り継がなければならないので、行くまでの行程は正直言って面倒くさいし、金もある程度かかる。民宿は1泊1500円からある。島には他の呼び物はなく、ダイビングとシュノーケリングに来た客がそこそこいる程度だった。
これまで行ったなかでここまでの場所というと、フィリピン・セブ島のモアルボアルくらいだったが、伊豆でもかなりいける。

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2018年05月15日

『0円で生きる』インタビュー・書評のまとめと書き足し

『0円で生きる』について受けたインタビューや、書いていただいた書評の一覧をまとめておく。
どれでも主に主張しているのは、無料でのやり取りを増やして、この社会のメインストリームに適応したくない人間の領域を拡大しようということ。

●記事

不適応者でも生きやすい領域を作る 鶴見済

『波』という雑誌に書いた記事。ここに書いた、泊めてくれたカフェのオーナーとは、今も連絡を取りあっている。
「これは、単なるお金の節約だけの問題ではないのだ。この社会に適応したくない人間のための、もうひとつの世界を作るための試みだと思っている」。

●インタビュー

「0円生活」で居場所見つける 脱・お金依存の先にあるもの(Yahoo!ニュース)

90年代から『脱資本主義宣言』のあたりの経緯まで含め、今言いたいことを上手くまとめてくれているインタビュー。
出だしの部分では、「戦後の若者文化は一貫して抑圧に抵抗して自由になろうとしていて、『道徳的なもの』もその抑圧のなかに含まれていた」という話もしていて、ここの内容はそれとも関連している。


ゼロ円で生きることを提唱するライター 鶴見済さん (中外日報)

『中外日報』は歴史ある仏教系の専門紙。
生や死、そして無料の経済について話している。メインは無料経済の話なのだが、「自分としては人生をもっと軽く考えたい」「個人が集団の犠牲になる」といった部分が自分としては心に残ったりする。

ここでは載らなかったが、「色即是空、空即是色」の話もしていた。
一切の価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。仏教のいちばんいい部分には、万象を空しいと観じた時に、逆にふわっと浮かび上がってくる万象への価値の感覚があるように思う」(真木悠介『気流の鳴る音』)。
これは自分が、
生涯で最も大切にしてきた感覚と言えるかもしれない。特に仏教とは関係なく、楽になるので、いつの間にか身についていたものだが。90年代に書いた本には、大体この感覚が入っている。


生きにくい現代人の心のゆるめ方「0円で生きる」こととは? 私たちがお金で買っているものの正体(Money Plus 前半)

老後の不安を減らす、貯金「以外」の方法は? 「0円で生きる」著者のお金に頼りすぎない生活(Money Plus 後半)

お返しについて強調しているが、考えてみればあまりこれを言いすぎると、自分が何かあげる時に相手に警戒されてしまう。なので、「自分に対しては、お返しは気にしなくていいですよ」と付け加えておきたい。誰でもそんなものだと思う。けれども、世の中全体について言うなら、やはりあげたりお返ししたりで何かを作っていくのがいいですねと言わざるを得ない。
これも最後の最後に人間関係について言っていて、そこが割と印象深い。





●書評やブログでの紹介

Book Reviews 0円で生きる――小さくても豊かな経済の作り方  鈴木孝弥(ele-king)

鶴見済「0円で生きる」 〜貫かれた倫理〜  佐々木典士(Minimal&ism)

がんじがらめの資本主義からの脱出 大西赤人 (レイバーネット)

皆さんよく読みこんでいただけて、とても光栄。


●関連インタビュー

「生きづらい」社会をどうするか (NewStory)

座間の事件に関連して受けた自殺に関するインタビュー。
「『みんながやっているからやらないといけない』としがみつくのを辞めることでしょうか。学校の部活動についてもそう思います。誰もが孤立することを恐れて辞めることができないことがあるなら、みんなで降りてしまえばいいと思います」。


種子を巡る冒険B鶴見済さん達が自主耕作している放棄されていた国有地に種子をまきに出かける(8bit News)

種子法廃止に関連して受けた、畑に関する動画インタビュー。


●本の感想を書いてもらったブログ

A1理論はミニマリスト
グッバイ社畜
なうひあdiary
カレジョの七転八起ライフ
神田神保町でのまなびニート気質な僕の生きる道
徒手空拳日記
エンログ
俺、まちがってねぇよな?
スズイチのブログ
あさよるネット

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2018年04月24日

健全さへの抵抗感、寄付の世界

『0円で生きる』では、寄付の貰い方、あげ方についても書いていて、寄付サイトなども紹介している。

Japan Giving    Give One

けれどもサイトを見てもらえばわかるとおり、こうした寄付の世界は、「いわゆるいいこと」の独壇場となっているのが気になっていた。『愛は地球を救う』みたいな感じ、と言えばわかりやすいだろうか。日本の寄付や募金は、ほぼ「健全さ」や「道徳的なもの」に独占されているかのようだ。


けれども自分が知る限りでは、日々のお金に困っている人には、むしろそうした健全さや道徳的なものから縁遠い人、それに抵抗感を持っている人が多い。

ふさわしい言葉が見つからないのだが、斜に構えた者、不良っぽい者、やさぐれている者などと言えばいいのか。

ブレイディみかこさんの『花の命はノー・フューチャー』という本に、イギリスの最低所得者層の地域には、タトゥーが入っている人が圧倒的に多いという話が載っている(自分の書評)。自分が会った野宿している人たちにも、そんなタイプが多い。

もちろん、ここで言っているのは「内面的にやさぐれている者」全般のことだ。お金のあるなし、不良っぽさ、そんな外面的なことに関係なく、そのような人はたくさんいる。むしろ生きづらい系の人のほうに多いのかもしれない。


そして、こうした健全さに抵抗のある層は、社会の様々な恩恵からはじかれてしまっているのだ。

保守政党は経済的強者を守り、リベラル・左派政党は健全な層を守るかもしれない。けれどもそうした層を誰が相手にしているのか。そうしたタイプの人間が、選挙に立候補するのを見たこともない。

行政に何かを申請するなら、団体名は「いきいき友の会」のような健全な名前を付けるのが無難である。健全そうな身なりをしていれば、職務質問を受ける回数も減るだろう。


こういうことを書くのは、とても難しい。けれども、健全な人たちと健全さに抵抗を持つ人たちの食い違いは、かねてから重要なテーマだと思っていた。

健全なこと、道徳的なこと、「いわゆるいいこと」を批判するのは難しいし、批判する必要もないかもしれない。社会的に見れば、最も褒められやすい強い論理と言えるだろう。批判を恐れるテレビや新聞などの大きなメディアも、それなら安心して取り上げられる。

けれども、これまでに自分の胸を打ってきた音楽と言えば、どれもこれも健全でないものばかりだったし、そういう人は多いだろう。そういうものへの抵抗感には、十分な理由がある。


この世の理不尽さや不運を味わった者の多くには、特有の「世界(この世)への不信感・恨み」があると思う。人間は素晴らしい、世界は素晴らしい、清く正しく生きていればいいことがある、そういった言い草は、端的に言って間違っている。本当は人間も世界も運命も、健全ではないし、清廉潔白でもあったかくもない。理不尽で残酷な面がたくさんある。それに気づいたのだ。

この多くの人が持っている「世界に対する不信感・恨み」は、ほとんど語られないが、人間の心情や文化を理解するうえでとても大きなものだと思っている。


健全なことを言っている人のなかには、そうした人を、「ひねくれている」「こじらせてしまった」程度にしか見れない人もいるのだが、全く賛同しない。そちらのほうが、世界に対するより深い知見であると思えるからだ。

そしてその観点からは、大方の健全で道徳的なあれこれは、ほぼ抵抗感が湧くものになってしまうのだ。
いわれのないDVに苦しんだ者は、笑顔のファミリーの写真を見て、単純に「ああいいな」と思えなくて当然だ。


健全な人たちと、健全さに抵抗を持つ人たち。

嫌なら無理にそうすることもないのだが、両者がつながったほうが、利益が大きいことは想像に難くない。けれども、健全さに抵抗のある人たちが、健全な世界におもねったり、自らの考えを変えねばならないのはおかしい。そうすることなく、つながらねばならない。そのためには、いずれの側も懐を深く持ったり、共通する面を見ていったりする必要があるのだろう。


自分が0円ショップや畑をやっても、贈与や共有を提唱しても、「なんか健全なことやってるね、俺には無理だな」という反応を受けることは多い。確かにそうしたことは、日本では健全な世界の専売特許のようで、それをやるなら心や態度を入れ替えねばならないように思えてくる。が、欧米や東南アジアではそうではない。タトゥーだらけのパンクスや依存症の者が、そんなことをやっている。

健全さに抵抗のある人々の世界にも、今は健全な世界にある様々なメリットを開放したいものだ。


※念のために、自分はつながることに抵抗があるどころか、大歓迎だ、と言い添えておこう。

posted by 鶴見済 at 11:20| Comment(0) | 0円で生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

世界の0円サービスと新しい「共助」の時代

世界の、とは言ってもヨーロッパがほとんどだ。以前から感じていたが、ヨーロッパに比べれば、日本の0円活動はまだまだ盛んではないと言えるだろう。

それらを紹介する前に、「共助」という助け合いについて少し。


ここであげたものは、大体「共助」と呼ばれる助け合いに相当する。

「助ける」という行為には三種類あって、

@自助=個人が自分を助ける

A公助=公(行政)が人を助ける(社会保障など)

そして、

B共助=人(民間人)が人(民間人)を助ける

の三つとされる。


前近代(日本なら江戸時代以前)では、特に村のなかで共助の役割はとても大きかった。けれども近代以降(日本なら明治以降)は、まずお金のやり取りが盛んになったので「お金による自助」が増えた。そして、国や行政の力が大きくなったので、公助も大きくなった。こうして共助は廃れた。日本では特に、高度成長期以降に廃れたと言われる。


0円活動が活発なヨーロッパには、共助の伝統が多少は残っていたのだろうし、インターネットの普及が新たな「共助の時代」を進めていることは間違いない。


『0円で生きる』には、これらの三つはどれも含まれているが、多いのはやはり「共助」の原理にもとづくものだ。これらはどれも大切であり、あまりにも自助や、家族による介護などの共助ばかり強調するのはよくない。けれどもこの社会では、共助はもっと見直されるべきだ。自助と公助のなかで、人々は孤立しがちになった。


共助が廃れて、代わりに日本には「他人は危ない」という考えが行きわたった。もちろん「他人」など、いい奴ばかりではない。「人はみないい人」みたいなことを言っている人は、悪い面を知っていて黙っているか、そのくらいの人生経験しかなかったのだろう。

けれどもその危険を取り除いた一人の安全な生活で、我々が幸せかと言ったら、そうとは限らない。


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●家を交換する「ホーム・エクスチェンジ」

一定の期間、自分の家やアパートの一室を、海外の他の家・部屋の持ち主と交換して住む。世界的なネットワーク。双方の都合を合わせるのが大変そうだが、長期海外滞在したい時には特に有利。

Home exchange

Stay 4 Free


5669023215_3cc0d46cca_o2.jpg●イギリスの「ストリートパーティー」

イギリスでは、申請して地域の通りを通行止めにし、そこに椅子を持ち出して盛大に路上パーティーを開ける。そのやり方を解説するサイトまである。ブリストルという街では年100回以上(!)も開かれるという。『無銭経済宣言』(マーク・ボイル著)でも紹介されていた。

The Street Party Site 


●自転車旅行している人を無料で泊めてあげる「ウォーム・シャワー

自転車旅行をする人を無料で泊めてあげる、自転車愛好家による世界的ネットワーク。体験談を聞けるので、愛好家なら泊めるだけでもメリットがある。これも『無銭経済宣言』で知った。


●近所で物をシェアする「Peerby」(ピアビー)

オランダからヨーロッパに広まった、近所で物を貸し借りするネットのサービス。無料で貸し借りするのが特徴。大工用品、キャンプ用品、パーティグッズが人気だそうだ。

Peerbyの解説


●フランスでの拾いを紹介する映画『落穂拾い』

フランス各地を巡って、様々な「拾う」行為を取材した映画。ゴミだけではなく、畑でも果樹園でも、養殖所近辺でも、拾えるものはいくらでもある。難しくなってはいても、日本よりも拾うことに寛容な社会であることがわかる。この映画は必見。

予告編


●ヨーロッパの相乗り仲介サイト「BlaBlaCar

フランスからヨーロッパ12カ国に広がる車の相乗りサービス。毎月100万人以上が利用していて、相手も簡単に見つかるようだ。お金は払うが、ガソリン代・高速代などを割り勘にするので、営利目的ではなく、許可云々の問題はない。日本にも類似のサービスに「notteco」があるが、規模が違う。

BlaBlaCar解説


●店の廃棄予定食品を教える「resQ club

ドイツからヨーロッパへ広まった。店が廃棄になりそうな食べ物と料金をアップし、それをネットで申し込んで買うサービス。半額以下の料金で買える。日本でも類似のReduce Goというサービスがはじまったが、こちらは月々定額を支払う仕組みなのでやや使いづらい。

resQ Club解説


『0円で生きる』に詳しく書いた、無料宿泊できる『カウチサーフィン』、作業と宿泊を交換する『Workaway』については、日本のサイトの登場を願う


写真は2011年のストリートパーティ。バーベキューをやっているらしいが、卓球台まである。ccライセンス by Adam Burt

しかし、長くなってしまった。もう少しブログを軽くしないと、なかなか更新できなくなるな。

posted by 鶴見済 at 14:52| Comment(0) | 0円で生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

無料でつながる方法と、縛りのきつい関係を拒否する時代

複数の人があえて集まってやることは、ほとんど助け合いである。

そんなことを『0円に生きる』に書いたが、よく考えればそうなのだ。誰かが誰かを支援などしなくても、例えば孤独感に苛まれている人同士が集まって問題が解消したなら、それはお金も苦労もいらない有意義な助け合いだ。本で紹介した「自助グループ」は、そんな助け合いのひとつの形だ。


ネット上には、〈つなげーと〉、
〈ジモティー〉のメンバー募集版といった同好会のメンバー募集サイトがある。英語で外国人が多いが世界で一番有名なサイトに〈Meetup〉がある。こうやって集まることも、やはり助け合いなのだ。

欲を言えばもっと、日頃からつながりがなくて困っている人向けの集まりが増えてほしいところだが。



今の日本では、こうした
新しいつながりを作ることが極めて重要だ。それには深い理由がある。

以前から、昭和の時代には珍しかった、あるいは少なかった新しい生き方として、次のようなものがあるなと思っていた。

労働週4以下、フリーランス、ニート、不登校、ひきこもり、生涯独身、未婚同棲男女、子なし夫婦、シングルマザー、養子縁組親子、そして同性愛。まだ行きわたっているとは言えないが、アメリカなどでは広まっているポリアモリー(公認複数恋愛)も。


これらはすべて、戦後ほとんどの人が押し込められていた「学校」「会社(職場)」「家庭」という三つの領域から、あるいは「男女が結婚して子供を作り、男は終身雇用」という縛りのきつい人生から外れていることに気づく。晩婚化や離婚の増加も同じ傾向の一部だろう。


021z4.jpgこうした新しい生き方に向かった人は、まだまだ社会から「真っ当」と見なされるには至っておらず、昭和の典型的な生き方よりははるかに低く見られる。

親子連れやスーツを着た人、高齢者は警察の職務質問を受けそうになく、そうでない人は受けやすい。


夫婦のみの世帯数は今や夫婦+子供の世帯数に迫る勢いで、独身世帯を含めれば、子供のいない世帯数は
平成に入って、夫婦+子供世帯数を追い越し、今でははるかに上回っている

「一人暮らし世帯」は「夫婦と子供から成る世帯」を追い越越すか?(統計局)

それでも、まだまだ子供のいない世帯が、それほどに社会から認められているとは言いがたい。


こうした縛りのゆるい新しい生き方は、これからどんどん増えていくはずだ。なぜなら、学校・会社・家庭の三領域に長い間閉じ込められていたことが異常だったのだから。それは世界的に見ても特異な現象だったのだ。今では、よく全員がこんなものを我慢していたなと思えるほどだ。

現在の人間関係は、数百年という長いスパンで見ても、地縁、親子、男女関係など、どれをとっても縛りを緩くする方向に向かう途上にある。


だからこそ、つながりをなくした状態に不本意に落ち込まないように(本意ならばそのままでいいが)、新しいつながり方、つまり助け合い方の道筋をつけておくべきだ。

オルタナティブな者たちが、早く社会から「真っ当」と認められるためにも。

※グラフは統計局HPのものだが、ピンボケしてしまうのでクリックして見て
ください。

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2018年02月28日

自然が無料でくれる大きなもの

201504151609000.jpg『0円で生きる』では、自然界から無料で貰う方法もあれこれ書いている。

鶴見は最近すっかり変わって、自然がいいと言っている、などと言われることもあるが、そういうことは90年代から言っている。


本には、野菜栽培、野草採取、茶葉作りなど色々な技を書いているが、平凡な雑木林でも、眺め方しだいで十分楽しめる(その眺め方まで書いた)。

ひとつの林でも、季節はもちろん、雪・霧などの天気、夕方・曇りなどの光の加減、鳥・虫などの他の生き物の有無によってもまるで違ってくる。こうしたタイミングに、和歌や俳句を詠んできた人々は、最も神経を研ぎ澄ませてきたのだなと思うと、その無料で自然を楽しむ「技」に恐れ入るばかりだ。


こうしていると、自然物との関係というものに思いを馳せるようになる。

「野菜を作って食べる」という行為ひとつを取ってみても、このなかに光、水、空気、土といった、あらゆるものとの関係が含まれている。

「食べていく」とは本来これだけ単純なことで、面接を受けて就職をして月々何万円稼ぎ、そのお金をあれとこれの支払いにあてて、という途方もなく複雑なものではなかった。

また「関係」とは「人間関係」のことではなく、他の生き物や生きていない物(無機物)全般との関わりのことであって、それが見えなくなっているのだな、と気づく。


すべての人間関係に失敗してしまったとしても、それで一巻の終わりではない。けれども、そう思えてしまうような世界に、我々は生きるようになったのだ。


もう少し書こう。

我々はどれだけわめいても全員が死ぬわけだが、死んだらどこに行くのだろうか。

あの世などというものは存在しない。死んだ人たちは、この地球上の「そのあたり」に有機物や無機物として散らばったのだ。

それらの物質は、他の植物や動物に吸収され、それをさらに他の動物が食べている。もちろん我々人間もそれを食べる。この自分もそのように他の生き物を食べて育ち、死ねば「このあたり」に散らばる。

これを思った時に、自然界というものに(そして「このあたり」に)、愛着のようなものが湧いてきた。


人が自殺するうえでは、この世界に興味を失う(愛想が尽きる)という要因が大きいと思う。確かに、人間だけが生きる世界には愛想も尽きやすい。
けれども、世界とはこういうところなのだと思えば、まさかの「世界への興味」が湧いてくるのではないか?


こうした気づきや癒し全般が、自然界から貰えるものならば、自然界がくれるものは確かに安すぎると言える。何しろ0円なので。

これは新刊だけでなく、色々なところに書いてきたことだが、多くの人に読んでもらいたいことなので、また書いた。


※写真は近所の雑木林で、この色は素晴らしいと思い、撮った新緑なのだが、こうしたものは見たとおりに撮れることがない。そのうえこのブログ上ではピンボケするので、クリックしてみてほしい。Seesaaブログ、色々勘弁してほしいことが多い。

posted by 鶴見済 at 11:49| Comment(0) | 0円で生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

0円で生きるために役立つ無料サービス一覧

新刊『0円で生きる』で紹介した、無料で貰ったり共有したりするためのサイト等々の一部を掲載する。

お金が稼ぐのが苦手な人も軽んじられない世のなかにするために。

また、労働と消費だけの人生から脱却するために。


●不要品を無料で放出するサイト

ジモティー(不要品無料・有料放出、その他募集全般。近くで無料品が出るとメールを受け取るように設定するのがいい)

mixiあげます&くださいコミュニティ (mixiでもまだ使われているコミュ)


●不要品放出+募集

くにたち0円ショップ(路上、東京)

くるくるひろば(常設店、東京)

ほげ0円ショップ(河原、京都)

かなやまFreeshop(路上、名古屋)

くるくるひろばinつくば (公園、つくば)


●住まい、交換労働

カウチサーフィン(無料宿泊者募集、英語)

WWOOF(有機農場無料滞在+手伝い)

Workaway (宿泊・食事と手伝い、英語)
HelpX (同)


●無料相談

精神保健福祉センター(心の悩み無料相談)

弁護士による無料法律相談(東京都の区役所)

総合労働相談コーナー  (厚生労働省)

法務局人権相談 (人権侵害全般の相談)

●無料での作品などの共有

青空文庫(著作権切れ作品無料公開)

Flickr(共有写真検索が便利)

ナイン・インチ・ネイルズ『ゴースト』(無料アルバムダウンロード)

マーク・ボイル『無銭経済宣言』全文掲載サイト(英語)


●公の無料施設など

海と陸からの見学会(東京湾無料見学。大推薦)

Tokyo霊園さんぽ (公園として使える公共の墓地紹介)

農林水産省食堂 (いい食材で安く多めに食べられる)

東京大学総合研究博物館 (構内散策と併せて)


●車の相乗り 

notteco(相乗り募集。お金は運賃ではなく、かかる実費の割り勘なので法的な問題はない)


●小商いなど

フリマガイド(フリマ出店募集)

軒先新聞(空きスペースの有料貸し借り)

軒先ビジネス(同)


●寄付・合宿型ボランティア

チャリボン(古本による寄付)

GiveOne(寄付サイト)

ジャパンギビング(同)

NICE(海外ボランティア募集)

posted by 鶴見済 at 12:42| Comment(1) | 0円で生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする