2014年05月14日

宮台真司による捏造記事を訂正する

宮台真司が今年出した『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』という本のなかで、自分(鶴見済)の著作活動を概説するかのような記事を書いているが、それがとんでもない中傷的な捏造ばかりなのを発見した。ここにそれを指摘し、一刻も早い訂正を要求する(引用は同書p109から)。
その捏造を一言で言えば、こちらを「まるでオウム真理教のように」見せようと躍起になっている、と言えるが、問題はなぜ彼がそうするのか、だ。それについても後述している。
また、なぜ自分が90年代を通して「同じことの繰り返しの日常」論を展開していたのかも最後に書いている。
ではやや長くなるが、まずこの文から見てみよう。

●「1980年代後半から始まる鶴見済の著作活動は、現実リセットのツールとして、最初はハルマゲドンを称揚し…」

ここまで醜い捏造が訂正されずに掲載されているのだから、他の記述の信憑性も推して知るべしだ。
自分が著作活動を始めたのは90年代からだ。辞書によれば「称揚:ほめたたえること」だ。かつてハルマゲドンを褒め称えたのなら、誰もが「怪しいオウムのような人物」と思うだろう。ただし93年の第一作のなかで「ハルマゲドンなどない」とわざわざ書いているのだから、褒め称えるはずがない。

●「(鶴見は)「現実」は本当にリセット不可能なのか、と問います。鶴見は1996年に『人格改造マニュアル』において、僕の<終わりなき日常>という概念を「ハルマゲドンなき世界」と言い換えた上で、「ハルマゲドンがなくてもドラッグがあればOK!」と宣言しました。」

まず驚かねばならないのは、『人格改造マニュアル』には「ハルマゲドン」に言及している箇所などないということだ。つまり、こんなことはまったく書かれていない。これほど間違ったことを書かれたのは、これまでにも経験がない。
「〜と問います」だって??? 「現実はリセット不可能なのか」などという問いは立てたこともないし、散々出てくる「現実のリセット」などという言葉は使ったこともない。現実リセットどころか、日常を楽に生きるために心の持ちようを変えてみようと提唱していたのだ。

「僕の<終わりなき日常>という概念を「ハルマゲドンなき世界」と言い換えた」などという馬鹿げた解釈はどこから来るのだろう。「ハルマゲドンなどない」「延々と同じ日常が続く」と書いたのは93年、この男がサリン事件以降に「終わりなき日常」云々と言い出す前だ。
「終わりなき日常」についてまた後に述べる。

『人格改造マニュアル』はドラッグについて書かれているのはごく一部(二種類のみ)で、精神医療に用いられる方法を中心に紹介し、心のセルフ・コントロールを勧めている。自分の内面を変えて、現実に適応しようと提唱した本だ。「現実のリセット」などとは正反対の趣旨だ。
前書きの一行目にはこう明記している。
本書は、自殺もせずになんとか楽に生きていくための実用書である。

●「「オウムの失敗」を踏まえた上で、鶴見済は、以下のように言います。昔は戦争や災害による「現実のリセット」の可能性を夢見ることができました。ところが戦争や災害による「現実のリセット」が不可能になったので、自分で「ハルマゲドン」をもたらすというオウム真理教の「ハルマゲドン幻想」が出現しました。ところが「オウムの失敗」で「ハルマゲドンなき世界」が自明になったので、「ハルマゲドン」と等価な現実リセットのツールとして、自殺とドラッグが浮上するのだ、と」。

「〜出現しました」などとも分析していないのだが、いちいち細かいところまでは言っていられない。
『自殺マニュアル』はもちろんオウム事件のはるか前に出たもので、『人格改造〜』は93年の段階で出版企画が決まっている。どちらもオウムの失敗を踏まえたものなどではない。
それにしても、この短い文のなかだけでも「ハルマゲドン」という言葉が4度も、「現実リセット」が3度も出てくるのは、一体何なのか? ここにこの男の意図を読み取ることができる。『完全自殺マニュアル』前書きに90年代初頭の東西冷戦終了後の社会状況を書いたのだが、そこにたまたま一言「ハルマゲドンなどない」と書いたがために、「鶴見=ハルマゲドン」という捏造を生むスキを与えてしまったようだ。

●「1980年代後半から始まる鶴見済の著作活動は、現実リセットのツールとして、最初はハルマゲドンを称揚し、次に「自殺」を称揚し、その次に「ドラッグ」を称揚し、そして最後に「ダンス(レイヴ)」を称揚しました」。

すでに書いたとおり、このくだりには呆れ返る。
『完全自殺マニュアル』の前書きの最後には、ある強烈な薬物を金属のカプセルのネックレスに入れて持ち歩いているという知人の例え話から、次のように書いている。
「(その彼は)『イザとなったらこれ飲んで死んじゃえばいいんだから』って言って、定職になんか就かないでブラブラ気楽に暮らしている。この本がその金属のカプセルみたいなものになればいい。

そして後書きには、「本当の狙い」としてこう明記している。
こういう本を書こうと思ったもともとの理由は、…自殺する人は心の弱い人なんてことが平然と言われていることにイヤ気がさしたからってだけの話だ。『強く生きろ』なんてことが平然と言われている世の中は、閉塞してて息苦しい。息苦しくて生き苦しい。だからこういう本を流通させて、『イザとなったら死んじゃえばいい』っていう選択肢を作って、閉塞してどん詰まりの世の中に風穴を開けて、ちょっとは生きやすくしよう、ってのが本当の狙いだ。別に『みんな自殺しろ!』なんてつまらないことを言ってるわけじゃない。

「世の中を生きやすくしたい」という主張は、「現実リセット」「ハルマゲドン」などとは正反対のものだ。
要するにすべては「生きづらさを和らげるため」なのだ。彼が「現実リセット」「ハルマゲドン」と書くところを、「生きづらさの緩和」と書けば済むことだ。すでに述べたとおり、『自殺マニュアル』も『人格改造〜』も、日常を楽に生きるために心の持ちようを変えることを訴えていた。
そもそも自殺を褒め称えた本がベストセラーになれば、自殺者が増えてもよさそうなものだが、逆に減ったのはなぜなのか?(註1)

「その次にドラッグを称揚し」については、「人格改造を称揚し」と言うのが当たり前だろう。自分が『自殺マニュアル』に続いて書き下ろしたのは人格改造の本であり(元のタイトルは「性格改造マニュアル」だった)、ドラッグを扱っているのはそのごく一部だ。
誰であれ、本人がこういう主旨だと言っている部分をあえて無視し、小さな部分を大きく取上げ、それが真の意図であるかのように書くのは、立派な捏造だと言える。
また、「主旨」には触れずに、「ハルマゲドン」について言った部分ばかり取り上げるという彼の手口にも以前から呆れていた。
宮台真司の過去の言動なら自分も色々と知っているが、それらのいくつかを拾い上げて、まるでオウムのような「宮台の概説」を作り上げることも可能だろう。そもそも彼自身がドラッグに肯定的だったではないか。

そして今も自分は著作活動をしているが、「最後に」か。こんな失礼な事実誤認を山ほどやらかして抗議を受けたら、ライターならおしまいか、相当の謝罪を重ねねばらないだろう。


●さて問題は、なぜ彼がここまでこちらの言論活動を、「まるでオウム真理教のように」見せようと躍起になっているのか、だ。

まず何よりも、90年代の彼がブルセラ、援助交際、デートクラブ等々の性風俗を全肯定し推進していた頃、彼の独自の分析によれば、日本はなんと「ハルマゲドンの時代」にあったそうなのだ。従って、ハルマゲドン、現実リセットなどという「オウム的なもの」にかすめ取られた同時代人がたくさん出たことにしなければならない。
ではなぜ「ハルマゲドンの時代」でなければならないのか? それは、自らのブルセラ・援助交際など性風俗の推進はそのなかにあって、「それに比べればマシだった」と強調したいがためだと思われる。実際にこの本のなかで、そのような言い訳と自己の位置づけが打ち出されている(しかしそもそも性風俗化することのどこが「日常を生きる知恵」なのか?)。
そのためには鶴見の言っていたことを、その代表例として徹底して「オウム的」に仕立て上げる必要があったのだろう。そう思えば、「鶴見は80年代後半にはハルマゲドンを称揚していた」というでっち上げを行わねばならなかった理由もわかるというものだ。

また「終わりなき日常」についても言わねばならない。彼が95年に言いだした「終わりなき日常」云々といったことは、自分はそれ以前の『自殺マニュアル』の前書きに、「身ぶるいするほど恐ろしい日常生活」(三島由紀夫『仮面の告白』より)や、「延々と続く同じことのくり返し」といった表現で書いている。
また翌94年の『無気力製造工場』という本に収録したエッセー、書評、対談等々のなかでも、「延々と続く同じことの繰り返しの日常」について散々言及している。つまりこれが『自殺マニュアル』刊行後の自分の基本主張だったのだ。彼が『終わりなき日常を生きろ』という本を出した時、自分の本を読んでいる人なら、それは元々誰が主張していることなのか明らかだったはずだ。けれどもそういうことを言うのは趣味ではないので、あえて言わずにここまで放っておいた(彼が後に言い出した「意味から強度へ」についても似た感覚を持っている)。
自分の90年代の諸著作の基本姿勢は、「延々と続く同じことの繰り返し」の「身ぶるいするほど恐ろしい」日常生活をどうやって楽に生きるか、というテーマで書いていたものだ。それは著作の主旨を普通に受け止めていればわかる。ドラッグでさえ微量を摂取して日常生活を乗り切るために使おうと提唱したほどだ。安全のために「微量」の量まで示した(註2)。
しかしそれを認めてしまえば、彼が言い出した日常論は、すでにある鶴見の日常論と区別がつかない。そのためこれもまた鶴見の日常論を「オウム的なもの」とすることで、自説はそれとは違う独自のものだと強調したかったからではないか。

●さて、このような無意味な議論にも意味を持たせるために、最後に、自分がなぜその頃「延々と続く同じことの繰り返しの日常」という考えを強調していたのかも書いておこう。
ひとつにはもちろん、当時の米ソの冷戦が終わり、「全面核戦争の危機」が去ったという時代状況がある。今からでは想像が難しいだろうが、それ以前にはボタンひとつ押し間違えれば、世界が大惨事に巻き込まれるという感覚があったのだ。
けれどもそれより大きな理由は、自分が学生時代から歴史学者・木村尚三郎らが提唱していた「(脱成長ではなく)低成長時代論」に親しんでいたからだ。自分は木村のゼミにまで出ていた。
日本の高度成長に翳りが見えたことを受けて、70年代から木村らは低成長時代論を掲げ、「ヨーロッパも日本も、農業革命期と産業革命から戦後のオイルショック頃までの二度の高度成長期以外は、毎日変わりばえのしない日常を生きる低成長の時代が普通だった」(大意)と論じていた。また「そうした時期には大きな社会の劇的変化よりも、日常の細部や内面に目が行く」(大意)とも語っていた(註3)。
今にして思えば、現在の脱成長論の先取りだった言える。自分は学生時代に木村の講義を受け、その理論に共感し、各著書の前書きなど至るところでその説を応用して書いている。
そしてこの低成長時代論から得たものは、「生きづらさから逃れて楽になる」という趣旨と密接に関連しながら、現在の自分の主張のなかにまで脈々と生きている。

あまりこういうことは言いたくないのだが、彼のような輩が出てくるのではっきり書いておかねばならない。
「イザとなったら自殺という手もあると思って」も「心のコントロール」も、10代後半から20代にかけて、心の病に苦しみつつ日常を少しでも楽に生きるために、自分が取ってきた手段だ。そういう経験のない人には、残念ながらそれは理解できないのかもしれない。
それにも関わらず彼の「鶴見の概説」には「生きづらさ」などということは一切書かれず、山ほどの「ハルマゲドン」と「現実リセット」が出てくる。これが事実を捻じ曲げていないと言えるだろうか。

最後に言っておきたいが、宮台さん、こちらにも色々言いたいことはあるのだが、少なくとも90年代にごく近いところにいたことは確かだ。その相手をことさらひどいものとすることで、自らを正当化するなんてことはやめようじゃないか。それは必ず自らに返ってくる。そして早速訂正してほしい。


(註1)自殺者数の推移(警察庁「自殺統計」より内閣府作成)。本が出た年とその翌年、自殺者が連続して減ったのだから、自殺防止に貢献したと言われてもいいくらいだ。
(註2)当時は、出回りだしたドラッグを、分量をはじめ、やり方もわからないまま摂取してしまう人が続出したという際どい問題があったため、誤用を防ぐためにという意図もあった。もちろん副作用についても詳細に書いている。
(註3)『家族の時代─ヨーロッパと日本─』(木村尚三郎、1985)など。
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2014年05月02日

都市コモンズを取り戻すために 『反乱する都市』書評

1310_harvey.jpg都市全体をコモンズと捉える視点が新鮮だった。そして私有化され奪われたコモンズは、取り返さねばならない、と。
それにしても、産業革命期のイギリスから、現代の中国をはじめとする「新興国」にいたるまで、なぜこうも同じように人は農村から都市へ流出して工業発展の下地作りをするのか? この流れは絶対なのか? ローカル化など起きないのか? その当然の結果としての世界的なスラムの拡大をどうすればいいか? 色々考えさせられる。分厚くて難しいが、面白い。

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人類は現在、急激な都市化の真っ只中にある。国連の予測では、二〇三〇年には全人類の六割が都市に住んでいることになる。都市化は特にアジアをはじめとする「南」の国々において顕著で、人口一〇〇〇万人以上のメガシティが続々と生まれている。ローカル化が叫ばれてはいるものの、これが現状だ。

本書では都市が作られていくこと自体を、資本の発展過程と見なして、その観点から世界の都市における反乱を概観している。著者は、マルクス主義を下敷きにした都市論や新自由主義批判の論客であるデヴィッド・ハーヴェイである。
そもそも金融から建設業に資金が流れることによって都市空間は拡大し、それが資本主義のさらなる発展の基礎となる。それゆえに都市には階級が、つまり少数の「占有する者」と「される者」が生まれる。日本でも都市の再開発は、野宿者の排除や古い商店街の立ち退き問題と不可分であることを思い起こさせる。世界の巨大都市におけるスラムも爆発的に拡大していて、人類の格差の象徴となっているのだ。
また著者は、一般的には自然環境に対して用いられる「コモンズ」という概念を都市にも当てはめる。確かに都市は、誰もが自由にアクセスできる共有物であるべきだが、ゲーテッドコミュニティに代表されるように、占有化の悲劇に苛まれている。こうして「都市への権利」を求める闘争が起きる。著者はその最新型を、カイロのタハリール広場、マドリッドのソル広場、ニューヨークのズコッティ公園などでの反乱に見る。これらは都市における平等を求める、反資本主義的な闘争でもある。著者はこうした都市革命の重要性を強調する。

まったくその通りだ、しかし、と思う。都市における平等は必要不可欠だが、仮にそれが達成されたとしても、やはり人類は都市への流入をやめないのだろうか? それでは根本的な解決にはならないのではないか? どこかの時点で人類が地方に分散しはじめることこそ、真に革命的な出来事であるように思える。
(『オルタ』2013年7月)
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2014年04月07日

実は不正貿易批判の本『フェアトレードのおかしな真実』書評

1106322257.jpgあたかも環境にいいかのように装うこと、例えばほんの少しだけ環境にいいことをすることで、自社の環境破壊をごまかそうとすることを「グリーン・ウォッシュ」と呼ぶ。同様に、フェアトレードに配慮しているかのように装うことを「フェア・ウォッシュ」と呼んだりする。
この本を読むと、欧米ではそうしたグリーン・ウォッシュ、フェア・ウォッシュが溢れていて、そのせいでフェアトレードや倫理的ビジネスに文句を言いたくなるのだろうなと思わせる。頻繁に目にするフェアトレード認証ラベルの問題点も気になるところだろう。『コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語』もそんな批判を展開していた。
けれども、企業がフェア・ウォッシュすらしようとしない、認証ラベルですらめったにお目にかかれない日本で、その批判だけを輸入して声高に論じても意味がない。トレードそのものへの批判が広まって、「ウォッシュ」程度でもいいから企業が不正貿易を気にかけるようになるまでに持っていくことが当面の目標だ。
この本の原題は『Unfair Trade』であり、倫理的ビジネス批判も含んではいるものの、主要部分は不正貿易批判と言える。

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タイトルにあるようなフェアトレード批判だけの書ではない。英国のテレビキャスター、ジャーナリストである著者が、「北」の市場に食料や製品を供給する「南」の生産現場を訪ねた秀逸なルポルタージュだ。その現場から、貧困や環境破壊に配慮しているとされるフェアトレードなどの「倫理的」ビジネス全般の有効性を検証している。
 米国向けのロブスター漁が行われるニカラグア、電子機器の製造を支えるコンゴのスズ鉱山と中国の工場、麻薬の原料となるケシからサフランへと作物転換を試みるアフガニスタン。ラオスのゴム、タンザニアのコーヒー、コートジボワールの綿…。貧しい村々や紛争地に赴き、ブラックマーケットにも果敢に乗り込む取材力は見事だ。

ただしそこから著者が導くのは、グローバル資本主義が貧者を搾取している、という結論ではない。むしろ「資本主義は人々を貧困から救うもっとも有効な手段」と主張し、既存の承認に頼らずに独自の「倫理的」なビジネスを開拓する起業家たちに希望を見出す。
なぜならこれらの現場では、「倫理的」ビジネスが必ずしも貧者の役に立っているとは言えないからだ。危険に身をさらしても、武装集団の資金源になろうとも、より実入りのいい仕事を選ぶほかない人々がいる。こうした事実は「倫理的」ビジネスの支持者も真摯に受け止めねばならない。   
また「倫理的」という承認ラベルを利用した大企業のイメージ戦略や、それを取り扱うフェアトレード財団などへの批判も手厳しい。

ただこうした批判が、今の日本にそのまま適用できるかどうかは別の問題だ。フェアトレードも認証ラベルもそれほど普及していない日本では、まずは「非倫理的」ビジネスが「南」で行っている搾取の実態が知られるべきだろう。本書はそのためのテキストとしても絶好だ。われわれの社会は、まだその段階に止まっている。
(2013年10月共同通信配信)
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2014年04月02日

新しい形のつながり、共有、贈与『ニートの歩き方』書評

51SWyFzNj8L__SL500_AA300_.jpgキッパリとした「だるさの肯定」がいい。面倒臭いものは面倒臭いのだ。そして脱成長、つながり、贈与等々は、環境系の人たちの専売特許ではない。こうした方面からも働きたくないという脱成長、ネットを通した新しい「つながり」、新しい形の贈与や共有が追求され実践されている。自分好みの価値観と言える。

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日本人ほど頑張ることが好きな国民が他にいるだろうか? 日本が工業製品の輸出に特化できた理由は「勤勉な労働力が豊富にあったから」というのが定説であり、電車は日夜分刻みの比類のない正確さで運行している。「頑張ります」「頑張ってください」という言葉抜きには、日常会話さえ難しい。
けれども我々はいつまで頑張らなくてはいけないのか? 頑張って技術を進歩させ生産効率を上げたのに、働くのが楽にならないのはおかしいではないか。

ニートの生き方について書かれた本書は、この社会を支配する“努力教”に対して、「そんなに働かなくていい、もっといい加減でいい」と反旗を翻す。現在三三歳の著者は通学や通勤が苦手で、就職しても社内での仕事がほとんどなく、こんな人生は嫌だと三年ほどで退社。その後は住居など生活上のインフラを最少限にとどめ、共有や贈与や小さなコミュニティを大切にしながら暮らしている。生活の中心にあるのはインターネットで、必要なお金はネットでの広告収入などで賄っている。
こうした生き方を選んでいる人は、最早少数ではない。そして社会の表舞台にこそ登場しない彼らのなかでも著者が異彩を放つのは、ネガティブに見られがちな働かない生き方を肯定的に捉えかえし、その正しさを堂々と主張しているところだ。

さらに著者は、オープンソースのプログラムの方法論を取り入れて、独自のシェアハウスの運営の仕方をネット上に公開し、勝手に広めてくれる人を増やしている。こうして現実の社会を生きやすく改造(ハック)することが、著者なりの社会変革なのだ。
 高度成長期に全員に押しつけられた生き方が、今でも最善であるはずがない。むしろその頑張る空気こそが、この社会の生きづらさの原因なのではないか。著者に限らず、ますます多くの人がそう感じているはずだ。
(『東京新聞』2012年9月23日)
posted by 鶴見済 at 17:50| レヴュー | 更新情報をチェックする

できることがあると教えてくれる本『コンバ』書評

51+Hiul7aFL__SL500_AA300_.jpgこれまでに書いた書評などのなかから、ここでも紹介しておくべきものはアップしていこうと思う。やや遅きに失した感があるけれども。
まずはマティルド・セレル著、鈴木孝弥訳の『コンバ』から。反抗のために誰にでもできることが書かれている本。
ちなみにseesaaブログの機能が劣化してしまい、文字の大きさを細かく調整できなくなったため、見苦しくて申し訳ない。劣化反対。

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間接民主制の社会なのだから、社会をよくするためには政治を変えねばならず、我々は政治家を怒鳴り続けていなければならない──。もちろんその通りだ。けれどもそのことだけにとらわれていると、自分では何もできないような気がしてくる。そんな時に、本当はできることなどいくらでもあると気づけば、途端に世界は一変して見えるだろう。直接行動を知ることの大きなメリットはそれだ。

本書は、そんな普通の人にもできる直接行動の方法を網羅した実践のためのテキストだ。著者はフランスのジャーナリスト/ラジオ・パーソナリティのマティルド・セレル。パリのFM局“ラジオ・ノヴァ”で彼女が毎日放送していた人気コーナーの内容がまとめられている。
ゴミ箱に捨てられた食べ物を回収しよう。シャワー中におしっこをしてトイレの水を節約しよう。いいことをしている店に大勢で詰めかけて、大繁盛を演出しよう。さらには、強制国外退去になる移民を飛行機から降ろしてしまおう、などという大それたものまで。環境破壊や人権侵害や経済的搾取に反対しながらも、まったく優等生的ではない88ものアイデアは、読むだけでも解放的な気分になる。けれどもそれらは著者の奇抜な思いつきではなく、すでに広く行われていたり、綿密な計算のもとに提唱されたものだ。こうした直接行動は、2000年代に入って欧米で盛んに行われるようになっており、その方法も広く共有されている。

そして是非この本の膨大な註釈に圧倒されてほしい。異議申し立てが根づいていない日本とはまるで違う、フランスという国の空気を感じ取ることができる。同時に、デモや抗議に足しげく通いつめ、ドラムを叩く訳者・鈴木孝弥氏の抵抗の戦い(コンバ)への誘いが行間から溢れてくる。その熱意がなければこんな註釈は書けない。こういう力作は、無力感に苛まれている多くの人に読んでほしい。

(『ミュージックマガジン』2013年5月号)
posted by 鶴見済 at 12:05| レヴュー | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

五輪による無駄な再開発激増時代に捧げる『脱資本主義宣言』関連記事

tumblr_mhznu0C9H01s5zl1co1_r1_500.jpg我々が今目にしているこれこそが、”ショック・ドクトリン”(どさくさ紛れの資本主義)に他ならない。

東京五輪を口実にした無駄な再開発と排除のすべてに反対する。
五輪をやるというなら、無用な施設の新設や改築、無用な道路や鉄道の整備、無用な海の埋め立て、野宿者の排除、無用な監視カメラの増設、過剰警備等々は一切なしでやってもらう。
こんなにモノが溢れているのに、さらにもっと作ることを喜んでいるなんて、頭がおかしいんじゃないのか?(下線筆者)。
何度でも言うが、いらないものを作って大企業を儲けさせ、カネを稼いで生きていくのはもうやめて、もっとエネルギーの無駄の少ない楽な生き方をするべきなのだ。「経済成長=大企業の儲け=幸せ」などというのは、もともと高度成長期だったら何とか通じたかもしれないまやかしだ。

なぜ経済成長主義では幸せになれないのかについては、最新刊『脱資本主義宣言』に詳しく書いているので、ぜひ読んでみてほしい。

さてその『脱資本主義宣言』に関して、これまで新聞やネット等に掲載され、今も読むことができる書評などを掲載しておく。かなり時間が経ってしまったので、今読めるものだけを。

antiolympicposter.JPG「経済成長以外の解決策を」『脱資本主義宣言』著者インタビュー (北海道新聞)
⇒「日本のGDPは世界3位。これで幸せになれないなら、GDPが低い国は一体どうすればいいんですか。富の配分が大企業に偏って、中小に回っていないだけです。パイを大きくするのではなく配分を変えればいいだけの話なんです」(鶴見)。

「ぼくらは経済の奴隷じゃない」鶴見済『脱資本主義宣言』刊行記念インタビュー (新潮社サイト)
⇒「『経済のため』と言っているけれど、本当は「大企業のため」であり「カネ儲けのため」だと思います。我々は戦後それ一筋でやってきたけれども、これからは経済の奴隷であることをやめて、カネではない価値観を作っていかねばならない。それが「脱資本主義で行こう」というこの本の主張です」(鶴見)。ここが重要。

マックの「60秒サービス」に見た 「速さ」と「安さ」が絶対か 究極の効率追求に悲鳴も
(毎日新聞)
⇒マクドナルドや銀座の服屋に行って記者氏と話した記事。「物はあふれているのに、経済が成り立たないから、もっと速く、もっとたくさん作らなきゃいけない、なんて、素の感覚で考えればおかしいでしょう」(鶴見)。

「書物の森」『脱資本主義宣言』書評 (東京新聞
⇒「抵抗するには買わされず食わされず、少しでも自分たちの手で生産し加工し流通させること。そうしてこそ人生は生きるに値するものに戻る」。

tumblr_m73go6JWnV1qb4vddo1_1280.jpg●「俺たちダマされているんだぜというのが分かる本」(久保憲司さんの書評/Riquid Room
⇒「だから、鶴見さん、農業とか言っていたらダメですよ。革命しないと、みんなで立ち上がりましょう」。

●「やりたいことしかもうやらない──「直線」の時間は成り立たない。借金なんて返さない。わたしはビールが好きだ」(栗原康さんの書評/『図書新聞』)
⇒「はじめから答えはあきらかだ。資本主義がわるい、カネ儲けしか考えていない大企業や国家がわるいのである」。

●「脱資本主義宣言/鶴見済」(加藤梅造さんの書評/『Rooftop』)
⇒「ロフトプラスワンがオープンした1995年当時、来ていたお客さんの必携書の1つが鶴見済の『完全自殺マニュアル』だった」。

脱資本主義宣言書評 (夕刊フジ)
⇒「著者は言う。永遠の経済成長なんてあり得ない、みんな本当はわかっているはずだろう、と」。


olympicspolicebw25pc.gifおまけ
「ダンスは身体の解放運動」 /鶴見済さんに聞くThe Asahi Simbun Globe June 9, 2013

⇒『檻のなかのダンス』という本の骨子となる部分を話した。「体育」を通した身体への規律・訓練は、自分の学校時代よりもむしろひどくなっているかもしれない。

七尾旅人氏のイベント(2010年)での鶴見済ポエトリーリーディング・レポ(bounce)
⇒このリーディングは、七尾さんと勝井祐二さん協力を得て、とても満足できるものになった。終わった後にステージの上から聞こえた拍手と歓声は、これまで聞いたことがなかったもので、忘れられない。お二方に感謝したい。

図は東京とロンドン五輪を批判したカルチャージャム作品。一番上は反東京五輪。
posted by 鶴見済 at 12:16| 日記 | 更新情報をチェックする

2013年08月16日

トークイベント・ブームと音声サイト「tsurmi's talk」の開始

IMG_0021.jpg90年代に比べると、00年代以降のトークイベントの多さには驚かされる。
トークに限らず、映像の上映や音楽の演奏があり、そこにちょっとした食べ物がついているといった手作りイベントは全盛期を迎えていると言っても過言ではない。自分もこんなに人前で話すことになるとは思わなかった。
その分だけ「自律した経済空間」は広がっているわけなので、とてもいい傾向だ。あとはその料金やドネーションである程度生活できれば、それに越したことはないのだが…。
というわけで、そんなトーク仕事をフォローするために音声専用のサイトを立ち上げた。

turumi's talk 鶴見済公式音声サイト

反転地トーク.jpg第一弾は去年8月に行われた、桑原茂一さんのスペース、渋谷・ディクショナリー倶楽部での「脱資本主義講座」。1部、2部を通じて、今の経済の仕組みの批判と、別の経済の仕組みの模索を行っている。
以後続々とトークやスピーチの音源や映像等を紹介していく予定。
こういうものが増えることこそ、「もう一つの世界」が近づいている証だ。

(註)写真上は、今年5月の鶴見済×二木信「砂漠の思考」@新宿bookunion。下は昨年の福岡・反転地でのトークイベント(photo by Kenichiro Egami)
 
posted by 鶴見済 at 12:57| 日記 | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

フィリピン報告会やります!

フィリピン 103.JPG2〜3月にフィリピンに行き、街や村を見て、現地アナキストが主催するエコ・キャンプに参加してきたので、その報告会をします。

自分が回ったのは、首都マニラ、セブ島・ネグロス島・ボホール島、そしてエコ・キャンプが行われたマニラ近郊のタナイ、同じくマニラ近郊の汚染された川と湖など。
フィリピンの街や村を見て印象に残ったのは、野宿者・物乞いの多さもさることながら、小さい商店や屋台が道の両脇にずらりと並んで、活況を呈していること(売れているかどうかは別として)。あらゆる食べ物と衣料品が売られ、電気製品の修理や刃物研ぎまでが路上の屋台で行われている。有象無象としか言いようのない老若男女がそこにたむろし、コミュニティを形成している。町の商店街を失うというのは、同時に何を失うことなのか痛感した。

フィリピン 282.JPG
こには大きなスーパーやショッピングモールやファストフードも進出していて、入口には警備員が自動小銃を持って立ち、入店者全員のバッグの中をチェックする。ショッピングモールやマクドナルドにはもちろん小ぎれいな小金持ちがたむろし(自分だってその一人だった)、大人しくバッグのなかを見せ、大人しくアーバンな行動をしている。声のでかい、服の汚れた、荒っぽい路上の人々はそこに入って来(られ)ない。
大商店はいずれ路上屋台を駆逐するかもしれないが、それが駆逐されつくし、モール内部が社会全体に行き渡ったのが日本なのだろうな、と思わざるを得なかった。ここではもう、いい歳をした大人が平日にそこらへんをブラブラすることはできないし、ビジネスマナーを身につけなければ大人になることも難しい。
まず自分からは、そんな話を写真を見ながら。

そして我々日本人にも深い関係があるフィリピンのモノカルチャー経済のこと(ネグロス島全体がサトウキビ畑になっていた)、川がゴミ溜め同然になっている都市の環境汚染の話なども。

現地のアナキストたちが主催するエコ・キャンプも素晴らしかった。郊外の村で、自律生活をしながら、ワークショップや討論会をやった。樋口氏がアナキストのフォーラムとエコ・キャンプの報告をしてくれます。
そしてフィリピン料理はまずいなどと言われるが、本当にそうなのか!? サパ子さんがメヌードなどのフィリピン料理を作ってくれます。

onsite flood.jpgまたこのイベントからは、今回つながりを持ったフィリピンのマニラ近郊にある二つのインフォショップ「Etnikobandido」 と「OnSite Infoshop」へのカンパを集めて送りたいと思います。
特にOnsiteという場所では、雨季には日本の我々には信じられないような洪水の被害にあっていて、広く支援を求めています。何しろ、雨季になると腰くらいまで床上浸水しっぱなしで、水は滞留し、そこには大小便も垂れ流され、蚊が大量発生し、特にその時期に医療品をはじめとする生活物資が不足するという大変なことにーー。

OnSiteからの支援の呼びかけ(日本語訳、英語)


ぜひ、デモ後、花見後にお立ち寄りください!

フィリピン 027.JPGフィリピン紀行報告会
「アンチ・キャピタリズム・カフェ#4 フィリピンー日本連帯編」
日時:4月7日(日)19:00〜
会場:IRREGULAR RHYTHM ASYLUM(新宿)

参加費:カンパ制(フィリピンのインフォショップへの支援に使います)
内容:
鶴見済「フィリピンの街とプランテーションを見てきた!」
樋口拓朗「群島のアナキスト達:フォーラムとエコ・キャンプ報告」
サパ子のフィリピンフードと解説

Etnikobandido

OnSite Infoshop
(洪水被害の報告あり)

ブラック&グリーンフォーラム
エコ・キャンプ(去年のレポート)

写真は上から、屋台の携帯電話修理屋の人々。エコ・キャンプの様子。OnSite の洪水被害。夜のマニラ湾沿岸に何百メートルにもわたって寝ている野宿者。

posted by 鶴見済 at 13:06| 日記 | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

鶴見済『脱資本主義宣言』 自律スペースツアー開始!

social center.jpg●9月1日から、下記のような新刊『脱資本主義宣言』関連ツアー(?)を敢行します! どれも個性の違うイベントなので、話す内容も変わります。
これらのイベントが行われる場所、運営のされ方、などにも注目してほしい。こういう場所での集まり自体が、資本主義後を生きようとする我々にとって必要不可欠なものです(長崎での予定を追加しました)。

9月1日(土) 19:00〜 野方・こたか商店 
幸せだ大学 第2部トーク 500円
宗教がテーマらしいので、我々の死や再生、我々自身の物質循環、そして自然界から切り離された不幸、ヒトの世界・カネと経済しか見えなくなった不幸、等々について話す予定。

9月4日(火) 19:30〜 新宿の特殊書店・模索舎 
ブックフェア「脱資本主義読書宣言」関連トーク・交流会 投げ銭制
ブックフェアで選んだ30冊について選者・鶴見が解説しながら交流を。鶴見の宣言文と各選書への一言コメントがついた無料小冊子はマスト・アイテム。

9月10日(月) 19:30〜 下北沢・気流舎 ワンドリンクオーダーと投げ銭制
『脱資本主義宣言』読書会(夜明け前の社会学カフェ)
テキストにじっくり向き合いながら、じっくり話し、じっくり質問などを受ける会。自分としては、これが一番言いたいことが言えるスタイル。気流舎のシリーズイベント、夜明け前の社会学カフェの一環です。カフェの主催者のお話もあります。
本を持っている人は、持って参加しよう。

9月22日(土) 19:00〜 福岡市のインフォショップ・反転地 4F
『鶴見済と話す・脱資本主義宣言』 参加費スライディングスケール(\500〜2000)/飲食持ち込み大歓迎
1部 『脱資本主義宣言』深い読書会 2部 フリートーク

9月24日(月) 20:00〜 長崎市のShare空間&BookBar "原田" 500円目安のカンパ制
鶴見済の脱資本主義宣言トークとRadio Freedom長崎編 


●ロフトプラスワンでのイベントで言ったことの一部
ヒトが「自分がどう思われているか」を気にしながら他人の内面ばかり読んでいる様は、「合わせ鏡」の中を熱心に覗いているかのようだ。合わせ鏡の間に広がる無限の世界は、物凄く奥深いように見えるが、実は見入っても大した意味がない。「合わせ鏡」の向こうにある木や鳥は見えていない。

●ディクショナリー倶楽部でのイベント(満員御礼)で言ったことの一部
1.今4%の服の自給率は、90年にはまだ50%以上あった。その間、我々は何も気づかなかった。
参考:衣類の輸入量と輸入浸透率経産省、6ページ)
2.50年代のアメリカでは、重複して買わせる戦略として、「家庭に一人一つのトイレ」をとまで宣伝された!

●こんな新刊の書評が「martingale & Brownian motion」というブログに。
同感。何か新しい「いい傾向」であるかのような「グローバリゼーション」という言葉に隠されているのは、相も変わらない植民地主義主義だ。

他にこんな評も。
ブログ「ニューテンの部屋
吉田司氏の『中日新聞』での書評(アップしてくれた方、ありがとうございます)

写真は、本にも載っているベルリンにあるKarmanoiaソーシャルセンター。本のなかではこのペイントをカラーで見せられなかったのが残念。自分の一連のイベントが行われるスペースもまた、日本でのソーシャルセンターの役割を果たしている。
posted by 鶴見済 at 11:27| 日記 | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

鶴見済「脱資本主義講座」が渋谷・ディクショナリー倶楽部で開催!

283541832_934b72135e_z.jpg●桑原茂一さんによるスペース、渋谷・ディクショナリー倶楽部で、トークイベントをやります。
第1部は鶴見が新刊『脱資本主義宣言』に即して、このクソな経済の仕組みが、我々の人生をどれだけ貧しくしているか、そしてその解決策を、本に書けなかったことを盛り込みながら話します。例えば、今も社会を牛耳る経済界のこと、「経済のため」主義による洗脳、消費と輸入漬けにされる我々とアジアの貧困・環境破壊の関係、誰にでもできる対抗手段、自然界とのつながり直し方、等々。編集者の大久保さんに、聞き手役をやってもらう予定。

そして第2部は、小川てつオさん、いちむらみさこさんと鶴見のトーク。
小川さんといちむらさんは、もう10年も都内の公園で暮らしています。そのカネに依存しない暮らしとはどういうものか、食べ物はどうしているのか、いいところと大変なところなど、あれこれ聞こうと思います。他にも、公園の生活からこっちの世界はどう見えるのか、カネに頼りきった我々は何を失っているのか、等々、聞きたいことばかり。
入場料は無料! このイベントは同会場で行われている「ART PICNIC#6 ROCKN ARROW」の一環として行われるもので、会場も展示など見所が満載。これに来ない理由がよくわからない。

脱資本主義講座 出演:鶴見済、小川てつオいちむらみさこ

/19(日) 1部18:00〜 2部19:30〜(予定)、入場無料
詳細 ⇒ 鶴見済 脱資本主義講座 (ディクショナリー倶楽部HP

5625978303_7212fc4ba5_z.jpg●『脱資本主義宣言』は残念なことに、ほとんどの書店で経済・ビジネス書のコーナーに入ってしまっています。「書店で見つからない」「経済の棚でやっと見つけた」という声が多く聞かれますが、見つからない方は、経済・ビジネス書の棚を探してみてください。
書店の方々には、ぜひこの本を「格差・貧困」や「社会問題」などのコーナーに置いていただくようお願いします。この本は確かに経済の仕組みを扱っていますが、いわゆる経済書とはまったく異なり、我々の生活や生き方について書かれたものです。対象としているのも、サラリーマン層よりは、“オルタナティブ系”の読者層です。

●現在本書のメッセージ入りサイン本を置いてもらっているお店は、下北沢・気流舎、新宿・IRA、新宿・模索舎、三軒茶屋・ふろむあーすカフェオハナです。すべて自分の一押しの店ばかり。この機会に、まだ行ったことのないお店を覗いてみよう。IRAなど、通販で買えるお店もあり。

●新潮社の『脱資本主義宣言』のページは使えます。「書評/対談」をクリックすると、鶴見済インタビューが読め、「感想を送る」の欄から感想を送ってもらえれば、著者・鶴見が見ることができます。
立ち読み」では前書きも読めます。
『脱資本主義宣言』 (新潮社HP)

●現在発売中の雑誌『atプラス』で、「経済至上主義と原発――脱資本主義を迫られる日本」という記事を書いてます。この国の原発がいかに産業界のものであるか、この国がどういう経緯で「エコノミック・アニマルの国」になったか、経済学には何が欠けていたのか、などを解き明かしています。

写真上は、本の表紙に載っているインド北西部のスラムの少年。下は同じく表紙にある、世界最悪といわれるタイ・バンコクの交通渋滞。
posted by 鶴見済 at 23:08| 日記 | 更新情報をチェックする