2009年06月12日

明日は反ナイキ化デモに行こうと思う

just doiteうなぎ.bmp新聞でも大きく報じられたが、今月内にも宮下公園をナイキ化する契約が結ばれてしまいそうだ。
宮下公園は、あの自由と生存のメーデーのアフターパーティをやった場所でもある。
ということで、明日は渋谷のナイキ化反対デモに行こうと思う。
公共のものをこれ以上企業に売るな、と思う人も、普通の公園がいきなり「ナイキ公園」になるだなんて、そりゃおかしいと思う人も、あるいは単に暇な人も、ぜひ(サウンドカーは出ないが)。

しかし、この国のCO2削減対策を見ても思うが、行政と大企業が癒着して進めてることには反対していかないと、我々の生活がどんどん締め上げられていくだけだ。


「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」HPにおけるデモの告知

http://minnanokouenn.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

渋谷・宮下公園 ナイキ公園に 『市民活動に制約』反発も(東京)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009061002000229.html

ナイキ化に反対する理由(計画の内容には若干の変化あり)

http://tsurumitext.seesaa.net/article/105179756.html
posted by 鶴見済 at 22:40| 日記 | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

反自動車産業、反経済成長、反買い替え

オルタ 09年3・4月号.jpg「自動車産業がいかに浪費の上に成り立ってきたか」について、今出ている『オルタ』3・4月号に書いている。
今世界で最も注目されている企業と言える「GM」(ゼネラル・モーターズ)は1920年代から、「毎年のモデル・チェンジ」という販売戦略により、従来の商品を次々と「時代遅れ」と感じさせることで買い替えを促し(註1)、業界トップのフォードを追い抜いたこと。

さらにGMは、全米で鉄道会社の株を買い取って鉄道を次々と廃止させ、自動車がなければ生活しづらい環境まで作って、生産台数を伸ばしたこと。
そして、日本では自動車作りが経済成長のための戦略産業に位置づけられ、今では自動車密度や道路密度が世界最高レベルの、平均車齢はアメリカより若い、自動車浪費大国となったこと。

──等々を通して、これ以上いらないものを作って生きる人生は虚しいので嫌だ、みたいな主張をしている。


(註1)この「計画的陳腐化」というマーケティング戦略は、服、家電、菓子や飲料、家庭用品、パソコン用ソフトなど様々なジャンルで、今でも我々を巻き込んでいるので、絶対に知っておいたほうがいい。なぜ我々は、一度買ったものを次々と買い替えさせられているのかがよくわかる。
『浪費を作りだす人々 パッカード著作集3』(V・パッカード、ダイヤモンド社、1967年)という本に詳しい。

「計画的陳腐化」の(企てる側からの)説明 http://www.mapscom.co.jp/wordplannedobsolecence.html

『オルタ』09年3・4月号 http://www.parc-jp.org/alter/2009/alter_2009_03-04.html



こういう「北」の国々で行なわれている(つまり我々の)浪費生活は、大雑把に言えば、「南」の国々と「自然界」からの搾取で成り立っている。どこかに負担をかけていなければ、こんなことが成り立つわけがないのだ。
「南北問題」(南北格差)は、実は「南」の人々ではなく、我々「北」の人間が自立できていないために生じている。

例えば、今地球上では65億人全員が食べていくために十分な食糧が作られている。しかし「南」は栄養不足で苦しみ、「北」は逆に栄養過多で苦しんでいる(註2)。単に配分の仕方が間違っているのだ。「北」が「南」から多くを奪いすぎている。これは食糧だけに限らず、「富」全体のこととして言える。

この格差はどうすれば解決できるのか?パイとピース.jpg
飢えた「南」の人々を救うためにも、経済成長の必要性が説かれている。パイの一片(ピース)を大きくするためには、円グラフのように丸いパイ全体を大きくすればいい、というのが19世紀から今に至るまで、アメリカが主導してきた経済成長主義の理屈だ(註3)。
これがおかしいのだ。ピースを大きくするためには、全体のなかでの配分を変えるだけでいいはずだ。万が一全体を大きくすることで、ピースが十分に大きくなったとしても、もう一方の搾取先である自然界がもたないのだから。
配分をまともにして、ごく一部の人間が富を独占するのをやめれば、経済規模などむしろ小さくなっても、世界は十分に成り立つに違いない。

けれども記事のなかでは、あえて第三世界や自然界といった“被害者”を立てていない。すでに溢れかえっている自動車を作らされ、買い替えさせられ続ける我々自身が、まるで過食症患者のように(と言っても他人事ではないが)十分に不幸な被害者だからだ。
よく見れば、今国がやっている自動車や家電の買い替え奨励も、グリーン・ニューディールどころか、雇用を生み出すためのニューディール政策ですらなく、単にトヨタやソニーといった国を代表する大企業の救済策になっている(註4)。

「もうたくさんだ」と言う以外にない。


(註2)参考:『食糧の世界地図』 エリック・ミルストーン他、大賀圭治監訳、丸善

食糧が満遍なく行き渡らない原因として特に挙げられるのは、穀物を牛や豚などの家畜の飼料にしてしまうこと、先進国における食品の廃棄、最近では穀物をバイオ燃料にして自動車を走らせるのに使ってしまうこと、など。

また最近では、「北」の国々のなかでも格差・貧困が拡大していて、コンビニ弁当が大量に捨てられる傍らで、食べていくのに困っている人々が出ている。

(註3)参考:『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』 C.ダグラス・ラミス 平凡社
(註4)もしかしたら最悪の”軍事的ニューディール”に向かうかもしれないが。

追加:GM破綻「喜びでいっぱい」=国民はもっとうまく経営−ムーア監督(時事)
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%a5%de%a5%a4%a5%b1%a5%eb%a1%a6%a5%e0%a1%bc%a5%a2&k=200906/2009060200629

posted by 鶴見済 at 22:01| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

再び雨宮処凛さんと対談した

COMMUNIO COFFIN.jpg『COMMUNIO COFFIN』というゴス系の同人誌で、雨宮処凛さんと対談した。

90年代から今に至るまでの互いが見てきたシーンについて、なぜ以前はそういう若者文化状況であり、なぜ今こうなっているのか、そしてなぜ今社会に文句を言ったほうがしっくりくるのか、等々を考えながら話している。

自分はゴスについては門外漢だが、そういった方面に引き寄せて話してはいる。

かなり入手しずらい媒体だけれども(5月10日の「文学フリマ」というところで売るらしい)、90年代サブカルチャーやかつてのロフト・プラスワンなんかが好きだった人にとっては、ある程度貴重な対談になってるかもしれない。


COMMUNIO 
http://d.hatena.ne.jp/communio2005/20090503/1241319104

追記:新宿・模索舎(http://www.mosakusha.com/と中野・タコシェ(http://www.tacoche.com/でも売ってます。


posivision#33.jpgまた今出ている(と思う)『POSIVISION』というダンス・ミュージック系フリーマガジンの33号で、以前に出した『レイヴ力』という本の共著者のひとりである木村重樹氏のインタビューを受けている。

ここでは、デモに行くことや自分で野菜を作ること、反グローバリゼーションとローカリゼーション、あるいは『TOKYOなんとか』というフリーペーパー等々のよさについて語りつつ、木村氏のページのテーマである「サード・サマー・オブ・ラヴ」の可能性をそういうシーンに見る、的な内容になっている。

こちらは全国のレコード店で入手できる。


POSIVISION 
http://www.posivision.com/news/

新宿のインフォショップ“IRREGULAR RHYTHEM ASYLUM”のブログにおける『TOKYOなんとか』最新号の紹介(ダウンロードも可能)

http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/2009/04/tokyo.html

「“サード・サマー・オブ・ラヴ”って、今のこれがそうなんじゃないか?」などと、デモに行ったり海外の動きを見たりしていて思うことがある。
例えば、今年のメーデーの後とか。

posted by 鶴見済 at 01:35| 日記 | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

東京のメーデー・デモ情報

自由と生存のメーデー08.jpg東京でも、大きな労働組合などによって組織されていない“インディーズ系”のメーデー・デモ(それもサウンドカーからDJが音楽を爆音で鳴らす路上パーティーのような“サウンド・デモ”)が行なわれる。無料。
自分はもちろん両方行く。

阿佐ヶ谷メーデー[A‐MayDay] (5月1日・阿佐ヶ谷)

http://asagayamayday.blog37.fc2.com/


自由と生存のメーデー2009 (デモは5月3日・渋谷)

http://mayday2009.alt-server.org/



参考までに、阿佐ヶ谷メーデーに書いた自分の賛同文をここにも載せておく。

『去年の9月下旬以降、毎日のように新聞の経済面を見ながら、一人で興奮していた。
「スゲエことが起きた」と。
この「スゲエこと」は、今のところ「スゲエ悪いこと」へと向かいながらも、落ち着くところもなくフラフラとさまよっている。
2009年の5月1日(メーデー)は、世界のはみ出し者たちが、それを「スゲエいいこと」へとひっくり返す最大のチャンスだ。
その歴史的な日に、我々を街へと駆り出してくれるこのデモに、全面的に賛同する。』

写真は08年の自由と生存のメーデー

追記:
フリーターら「生存メーデー」 「まともな仕事を」とデモ (東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009050301000665.html
非正規労働者:「使い捨てするな」東京でメーデー (毎日)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090504k0000m040056000c.html
自由と生存のメーデー・六十億のプレカリアート サウンドデモ 渋谷・映像(TV JAN)
http://www.tv.janjan.jp/0905/0905040698/1.php
(サウンド・デモはもちろん盛り上がったが、宮下公園で行なわれたアフターDJパーティーの盛り上がりも常軌を逸していて、よかった)

「踊っているときは、消費しないし、何も買わないし、資源を使い果たさないし、汚染しないし、誰も搾取しない。踊っているときは、経済からも、経済的な生活スタイルからも離れている。踊るのに余暇は必要だが、富はいらない。踊ることは、他人が貧乏であることに依存したり地球を壊したりせずに、人びとに喜びと満足を与える数多くの活動のシンボルになれる。」
(C.ダグラス・ラミス、「経済発展の時代は終わった 踊りましょう!」<『世界がもし100人の村だったら2』所収>より)

posted by 鶴見済 at 00:37| 日記 | 更新情報をチェックする

2009年04月01日

雨宮処凛さんと対談した

「生きる」ために反撃するぞ!.gif先日筑摩書房から発売された『「生きる」ために反撃するぞ!──労働&生存で困った時のバイブル』という本のなかで、著者の雨宮処凛さんと対談している。
90年代以前の生きづらさと今の生きづらさ、自殺、内なる新自由主義、いじめ的な人間関係とユニオン的な人間関係、等々について、あれこれ話している。とは言っても、普通にグローバリゼーションの話なんかもしてしまっているので、他のページと違ってあまりタイトルどおりの内容にはなっていないが。

自分の対談も含めて、中身の多くの部分は金融危機以前にできていたと思うのに、むしろそれ以降に緊急企画された本のようであるところがいい。

本の紹介ページ(紀伊国屋書店)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480863923.html


阿佐ヶ谷ロフトで出版記念トークイベントも行なわれ、自分も出ることになっている。

「生きる」ために反撃するぞ! 出版記念イベントhttp://www.chikumashobo.co.jp/blog/news/entry/151
posted by 鶴見済 at 01:22| 日記 | 更新情報をチェックする

2009年03月30日

もうたくさんだ!がネットで読めるようになった

水菜.jpgこの話ばかりだが、『オルタ』での連載「もうたくさんだ!」の1回目の記事がネットで読めるようになった。

http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_07-08_yabasta.html



ここでも書いているとおり、この「経済の仕組み」に依存しないで生きることは、いよいよ世界中で差し迫った問題になってきた。

ならば、別のどういう仕組みに向かっていったらいいのか?

 

ちなみに自分はもう何年も、出した生ゴミ(髪の毛や爪も含む)などを肥料にして、土を作り、種をまき、野菜や果物を育てて食べている。
とは言っても大々的にやっているわけではなく、まったく些細なことなんだけれども、これだけのことのなかに、大げさに言えば我々の「生」や「死」の問題まで含めた「本来の仕組み」とでも言うべきものが凝縮されているように思えるのだ。


こういうことは、企業のイメージアップだけのための「偽善エコ」が世の中に溢れかえった今、言い方が非常に難しいが、まだまだ右肩上がりのグラフを描こうとしているバカげた人間界の経済の仕組みにいつまでも付き合っていないで、その外側にあるグルグルと循環しているこの当たり前の仕組みのほうへ、半歩でもいいからとっとと踏み出したほうがいいんじゃないかと思う。


写真は生ゴミを肥しにして育っている水菜

posted by 鶴見済 at 22:47| 自然界 | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

スポーツと不況問題

オルタ 09年1・2月号.jpg『オルタ』09年1‐2月号に、「スポーツ」とグローバル経済について書いた。
今世界中で人気の、サッカーなどの近代スポーツは、一体いつごろからどうやって世界に広まり、こんなに我々の生活に浸透したのか? その裏で、アディダスの社長ホルスト・ダスラーや電通がいかに暗躍したか? そのスポーツの国際大会を支えるカネの出どころ、例えば、世界で使われる手縫いのサッカーボールの7〜8割を作らされているパキスタン・シアルコットでの搾取のこと、等々。
我々ヒトがどうしても面白がってしまう「スポーツ」というものが、今どんなふうにグローバルなカネ儲けの道具になってしまったかを考える、的な内容になっている。フランス・トゥールーズでのデモ.jpg

参考サイト:Play Fair 2008 Japan
http://www.playfair.jp/index.php?option=com_content&view=section&layout=blog&id=6&Itemid=55


それにしても、今号でも特集に組まれた「金融危機」は、世界中で失業者を増やしながら、より由々しさを増している。フランスでは1月末にゼネストと全土での250万人(パリだけでも30万人)のデモが行なわれた1)が、こうした大きなデモや騒動はイタリア、ロシア、ギリシア、ブルガリア、中国、メキシコ……等々、世界各地で起きている。
日本でも、
金融危機以降の成長率の落ち込みが、本国アメリカやEU圏よりも大きかったわけだから、そういうことが起きてもおかしくない状況であるはずだ2)。

一方で危機による不況は、余計なものを買ったり作ったりする傾向にブレーキをかけ、自動車の数を減らし、貿易に依存したグローバルな経済にまで疑問を投げかけている。ある意味では、少なくとも地球環境的に見れば、この大不況はいい流れも生んでいるのだ。

もちろんまずは失業の問題をなんとかしなきゃいけないわけだが、雇用は元に戻しつつ、無駄な消費や生産や貿易はこのままやめてしまうことができるんだろうか?
こういう時こそ、エコロジーと社会(労働)運動が一緒になって、ちゃんとした「グリーン・ニューディール政策」を要求すればいいと思う(が、両者はなかなか結びつかない)。


)フランスのデモ拡大、参加者250万人に(読売)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081209-206556/news/20090130-OYT1T00493.htm

2GDP:日本の落ち込み突出、輸出主導経済で傷口広げる (毎日)

http://mainichi.jp/life/today/news/20090216k0000e020074000c.html

 

『オルタ』 2009年1・2月号

http://www.parc-jp.org/alter/2009/alter_2009_01-02.html

(特集記事はもちろん、グローバリゼーションに対するローカリゼーションを提唱する世界的な論客であるヘレナ・ノーバーグ=ホッジへのインタビューも面白いので、今号は買いだと思う)


写真は10万人が参加したフランス南部・トゥールーズでのデモ

追加:12万人抗議デモ アイルランド、失業増受け(東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009022302000063.html
追加2:仏デモ、全土で120万人 1月上回る、政権に圧力
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009032001000172.html
(主催者発表は300万人とのこと)
追加3:欧州:各地でG20抗議デモ ロンドンでは3万5千人
http://mainichi.jp/select/world/news/20090330k0000m030075000c.html
追加4:G20 1万人抗議デモ ロンドン金融街 英中銀取り囲む
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009040202000062.html

posted by 鶴見済 at 14:52| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2008年12月30日

「金融」に翻弄されないために

ウォール街救済に反対する人々.jpg今、日本だけでなく、世界中が失業問題で大騒ぎになっている原因は一体なんだったのか、よく思い出してみるべきだ。
9月の半ばにアメリカの投資銀行・証券会社が破綻し、買収され、まず「アメリカ金融危機」が起きた。それはヨーロッパから世界中に広がって、「世界金融危機」になった。その後、危機は世界の実体経済に及んで、今は「世界同時不況」などと呼ばれている。この間、大企業を救済するために夥しい我々の公のカネが湯水のように使われて、夥しい数の人々が失業し、その数は来年以降、ますます膨れ上がる(註1)。

これだけの被害を及ぼした当のアメリカの投資銀行・証券会社、あるいはそれらと取引していた金融機関、さらにはそれらを通じてマネーの投機に興じていた連中に、なぜ世界中の怒りが向かわないのか、不思議だ。
それを反省しておかないと、この事態が世界中のより弱い立場の人々の犠牲のうえで回復した後、また奴らは同じことを始めるんじゃないか?


金融危機の背景にあるのは、「新自由主義」(市場原理主義)がグローバルに推し進めた“金融の自由化”と規制緩和による無秩序な“マネー投機”や資本の移動だ(註2)。

数ヶ月前まで世界中で猛威を振るっていた新自由主義は、これまでにも書いてきたように、国家は経済への介入を極力小さくして、カネの供給量の調整だけを行ない、市場の自由競争の原理にすべてを委ねれば上手くいくと主張していた。こうして経済は政治よりも優位に立ち、「小さな政府」が目指され、国はカネのかかる余計な手出しをしないことがよしとされた。そのせいで社会保障は削られ、民営化が進められ、あらゆる規制が緩和され、非正規雇用が増え、世界中で格差が拡大した。

1929年の世界恐慌の結果を研究した経済学者ケインズは30年代に国家の介入による完全雇用や不況の克服を目指した“ケインズ革命”を起こして、従来の経済自由放任主義を否定した。それに先駆けてアメリカのF.ルーズベルトが取ったニューディール政策は、ケインズの理論を応用した代表例だった。
しかし、そのケインズ主義が国の出費を増やして財政赤字という問題を募らせてきた70年代に、ハイエク、フリードマンといったノーベル賞経済学者が再びケインズを批判して極端な自由放任主義を唱えた(註3)。これが新自由主義で、80年代からサッチャーやレーガンが応用して、IMFや世界銀行がそれを負債を背負った国々に強制し、世界中に広めたのだった。
確かに金融自由化政策は、すでにアジアやラテンアメリカでも金融危機を招いてきた。ところが今回は、その中心となっている国が金融機関どころか自動車会社まで救済しないと世界が成り立たないという前代未聞の事態になっている。
それだけを見てもわかるとおり、この危機はしかたない景気変動の一局面なんかではなく、ひとつの経済に関する理論の破綻なのだ。


じゃあケインズ経済学に戻ればいいのか? というと、事態はそんなに単純ではないらしい。
もちろん国の赤字の問題もあるが、国が公共事業を起こして雇用を生み出すと言っても、今となってはそのために環境破壊的な道路工事やダム作りをするのはマズイ。雇用の問題さえ解決できれば、自動車産業が減産することだって、本来望ましいことだったはずなのだ。
この国の場合なら、自給率の低い食糧やエネルギー(註4)を自分たちで作る方面で、あるいはますます人手が足りなくなる介護などで人を雇わなくちゃいけないはずだ。
そもそも自然環境的に見れば、ヒトはもう経済成長自体をやめなきゃいけないんだが、そんな自然界のことまで視野に入れた、しかも雇用の問題もクリアできる、ケインズでも新自由主義でも、もちろんマルクスでもない経済の理論なんてあるのか!?(註5)


もう経済学には頼れそうもない。
もし世界恐慌になって世界中の銀行が潰れても、他の生き物は一体何が変わったのか気づきもせずに生きているだろう。けれどもヒトだけが生きていけないというのは、マズくないか?
とりあえず今は、怒るべき奴らに怒り、この先はカネや経済により依存しない、他の生き物に近い生き方を目指さなきゃダメなんじゃないかと思う。そうしないと、今後もカネを操ってる奴らに翻弄され続けるばかりだ。


(註1)「世界の失業者、2010年までに最大2500万人増 OECD事務総長」
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081222AT2M2202K22122008.html

(註2)石油や食糧の価格が高騰した最大の原因も、同じく投機マネーだった。
(註3)フリードマンが唱えたマネタリズムでは、完全雇用すら市場の力で実現できるとされた。
(註4)日本のエネルギー自給率は、食糧自給率よりさらに低く、わずか4%程度にすぎない。エネルギー消費量はアメリカ、中国、ロシアに次いで世界第4位(2005年)。
(註5)「私が読んだあらゆる経済理論も、原料はそれが作業過程に入って初めて経済的要因と見なされます。換言すると、地中に眠る原油はまだ経済的要因とみなされないわけです。熱帯雨林は、それだけではまだ経済的要因ではありません。伐採され、製材されて始めて経済的要因となります。(略)私たちは世界の自然資源が、資源の段階ですでに経済的要因であり、養い育てられなくてはならないことを学ばなくてはなりません。」(ミヒャエル・エンデ)
(『エンデの遺言─根源からお金を問うこと』 河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、より)
(同じく註5)「マルクスに言わせると下部構造、生産の手段と諸関係が一番下(部)にあって、一番の基礎だった。(略)二十世紀になって分かったのは、マルクスが言っている下部構造は、やっぱりタイタニックの一番下の部屋、機関室にすぎなかったということです。それよりも深い下部構造がある。それは自然環境そのものです。(略)マルクスが言っている下部構造は経済制度ですが、経済制度の外にはやはり自然環境があるわけです。」
(C.ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社、より)

参考:

今こそ金融カジノを閉鎖しよう──金融危機と民主的オルタナティブに関する欧州ATTACの声明http://attaction.seesaa.net/article/110333919.html#more
提案されている国際金融システム改革のための「グローバル・サミット」に関する声明

http://attaction.seesaa.net/article/109093283.html
(ちなみにATTACとは、今とは別のグローバリゼーションを求める運動を10年にわたって推進してきた団体)

写真は、ウォール街で金融機関の救済に反対する人々(08年9月。ただしなぜ星条旗を持っているのかは謎。彼らにとって新自由主義を進めたアメリカ政府には重大な責任があるし、我々にとっての日本政府も同じ)

posted by 鶴見済 at 22:22| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2008年12月03日

『オルタ』と金融危機

オルタ 2008年11-12月号.jpg『オルタ』08年11・12月号が発売になった。
今回の連載では、中国のジーンズ搾取工場のドキュメンタリー映画『女工哀歌(エレジー)』の公開にちなんで、「ジーンズとグローバル化」について書いた。
戦前には日本はもちろんヨーロッパでもほとんど穿かれていなかったアメリカの作業着が、なぜ世界に広まり、そしてそれは今、どれほどひどい労働環境で作られているのか? そして文化のグローバリゼーションをどう考えたらいいのか、等々について考えている。


『オルタ』 08年11−12月号

http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_11-12.html

『女工哀歌』HP(もう渋谷、横浜での上映は終わってしまったが)

http://www.espace-sarou.co.jp/jokou/index2.html



ただ、自分で書いておいてこう言うのもなんだが、もちろんこれはこれで十分に由々しい問題だけれども、今の「金融危機」ほど由々しくはない(大抵の問題はこの「金融危機」ほど由々しくないと思っている)。
この出来事を、何が悪かったのか、誰のせいなのかをうやむやにしたまま、「景気の後退から不況」というまるで自然災害みたいなものに見舞われたかのような形で、このまま終らせていいわけがない。
そのしわ寄せは、世界中のより弱い立場の、より不安定な人々、例えばリストラされた(る)人々に行くのだ。そうやって長い時間をかけて、そのツケを皆で支払うのだ。
バブル崩壊のツケを、日本の“ロスト・ジェネレーション”が支払わされたように、だ。*)
こんなことを今後も繰り返すつもりなのか!?
それどころかこれは「新自由主義の破綻」なのだ、などと書いていると長くなるので、これについてはまた項目を改めることにする。

*) ちなみに、97年の日本の金融危機後はリストラの嵐が吹き荒れ、翌年から50代を中心に経済苦の自殺者が増大して、自殺者3万人の時代に入った。

参考:『東京新聞』12月2日社説 雇用不安拡大 非正規から対策を急げ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008120202000092.html

posted by 鶴見済 at 02:13| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

警察がまた無理矢理逮捕者を出した

stop the violence.bmp反G8デモに北海道に行った時も目の当たりにしたが、また同じような警察による無茶苦茶な逮捕が渋谷で起きてしまった。

なんだか、社会に対して文句を言おうと声を上げ始めた人を押さえ込もうとしてるように見える。

すでにテレビや新聞で報じられているように、今回渋谷で逮捕された3人は、麻生太郎首相の豪邸を見てこの格差社会をリアルに実感しようという「リアリティー・ツアー」の参加者だった。
このツアー、というか見学会は渋谷駅前で集合した後、50人ほどで首相の豪邸に向かおうとしていた。
記者会見で流された逮捕時の映像を見る限りでは、まずは出発した直後の普通に歩いていただけの一行の誘導をしていた人を、突然警察が大勢で襲いかかって力づくで取り押さえた。別の逮捕者など、何度見ても一体何をしたのかわからないのに(体が触れたのかもしれない)、突然「公妨!公妨!(公務執行妨害)」と怒鳴られて、路上に倒され、手足を抱えられて運ばれているのだ。
札幌のデモでの悪夢の逮捕を思い出した(当然のことながらその時の4人の逮捕者は、とっくに不起訴で無罪放免となっている)。

話はより細かくなるが、テレビや新聞で「無届のデモ」による公安条例違反なんて報じられてるのも全然違う。ツアーの一行は駅前で集合した段階で、行く途中どころか、首相邸付近での行動についてまで警察から「5人ずつなら通す」との了解を得ている。しかも、プラカードや風船は警察との話し合いに応じて下げていたし、マイクで何かを訴えていたわけでもない。要するにデモンストレーション(示威行為)は行なっていなかった。そもそも警察側でもこれを「デモ行進だ」と言ってはいなかったのだ。
報道されているような警察からの「再三の警告」もなかったし、ましてや一方的に押さえ込まれたわけだから、「警察に暴力を振るう」余地すらない。何も問題が起きていないところに無理矢理暴力沙汰を起こしているのは、またしても警察のほうだ。さすがに呆れる。

留置場生活なら自分にも経験があるが、ここまで何もしていない人があんなに苦しい思いを十数日あるいは数十日にもわたって強いられるのは、あまりにも理不尽だ。
我々はいい加減に、この国の「逮捕」と「代用監獄制度」についても文句を言ったほうがいい。
相手が政治家であれ金融業者であれ、我々が普通に街中で社会に文句を言う声を上げられなくなっているのは、ひとつにはこの警察の手口のせいでもある。



フジニュースネットワーク(による誤報)

「麻生首相の自宅を見に行こう」と無届けでデモ行進、警察官に暴力振るった男3人逮捕
http://fnn.fujitv.co.jp/news/headlines/articles/CONN00143019.html
産経ニュース(による誤報)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081026/crm0810262011022-n1.htm

逮捕者救援のためのブログ「麻生でてこい救援ブログ」
(逮捕の瞬間や駅前での警察とのやり取りの動画もあり)
http://asoudetekoiq.blog8.fc2.com/

posted by 鶴見済 at 19:01| 人間界の政治 | 更新情報をチェックする