2019年07月20日

初夏の「不適応者の居場所」の報告

7月の不適応者の居場所、初めて来られた方や、会社勤めの方が多かった印象。以前のように超満員ではなく、ほどよい混み具合だった
一日店長をやられている方や、一日店長のバーに行っている方、あるいは居酒屋を交流の場にされている方など、色々なつながり作りがあることを知る。
自分も最近、偶然見つけたあるパンク・バーに入って盛り上がった話などしたが、やはりそういう場に行くのには敷居の高さを感じる方もいる。この居場所は人付き合いの苦手な人が多いのだから、敷居を低くしたいものだ。


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もちろん人間関係や生きづらさの話など、どんな話題も出るのだけど、この日は趣味の話もよく出た。
音楽や好きな音、マンガ、本、映画、アニメ、ゲーム、スポーツ、Twitterでよく見ている人、街歩き、海外、野鳥、自然、等々等々。そんな話がよく飛び交う。

ある人から「私は〇〇が大好きなんですよ」と聞いた時が、一番その人がわかった気がするし、続いて「えっ! 俺もそれ大好きなんですよ」となった時の、一気に距離が近づく感じは何なのだろうといつも思う。もちろん自分が趣味に入れ込んだ人間だから、そう思うだけかもしれないが。

もちろん、話がさっぱりわからない人がいるかもしれないので、十分気をつけなければならない。自戒を込めて。
けれども、通常「社会議論」などに比べて「他愛もない」と低くみられがちな「趣味の話」、価値がないなんてとんでもない。楽しむことが人生の最終目標なのだから、まったく侮れない。
(趣味がない人も楽しめる集まりです。念のため)


※おまけ
今回の居場所で薦めたドストエフスキー『地下室の手記』から。
「あまりにも意識しすぎるのは病気である。正真正銘の完全な病気である。人間、日常の生活のためには、世人一般のありふれた意識だけでも、十分すぎるくらいなのだ。」
「単に意識の過剰ばかりでなく、およそいっさいの意識は病気なのである。」
「絶望のなかにこそじんと灼けつくようなような快楽がひそんでいることだって多いのだ。」

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2019年07月17日

川崎殺傷事件報道があおる「自殺したい人」への偏見

「自殺をする人は他人を殺しかねない」。
川崎の殺傷事件を「拡大自殺」などという自殺の一形態と見なす報道によって、こういうイメージがまき散らされた。
拡大自殺とは、自殺したい人が他の誰かや社会に恨みを持っている場合、まずその相手や見知らぬ人を殺してから自殺することを言うらしい。

その拡大自殺の提唱者である片田珠美氏が、その説の元にしているのが、「自殺とは他人を殺したい願望が自分に向かった形である」という「自殺と他殺は表裏一体」説なのだ。その説は彼女の著書『拡大自殺』のなかでも説かれている。
こういうおかしな仮説は「死にたい人」に対して、人殺しをしかねないという偏見を生んできた。

こういうことは、傾向としてあると言えるのだろうか? 
実際に、数え切れないほどの自殺者の事例に当たり、まわりの死にたかった/死にたい人の話を聞き、何よりも自分が死にたいと思っていた時の経験から言うと、自殺したい人が他人を殺して恨みを晴らしてから死のうとするケースは滅多に見られないと言うほうが正しい。

自殺しようとする人も、「どうせ死ぬのだから何でもできる」などと思っているわけではない。もちろん例外はあるものの、死体の見栄えや迷惑をはじめ、自分の死後のイメージを強く意識するものだ。そもそも、自分の今の苦しみと死と格闘することで精いっぱいで、その前に復讐のために人を殺すという一大事を持ってくるエネルギーなどない場合が多い。

もし日本の自殺者のわずか1%にでも、こうした復讐の殺人を犯す傾向があるとしたら、毎年200〜300件の「復讐の殺人→自殺」事件が起きることになる。

無理心中は本来は、ここに含めることはできない。心中というのはあくまでも一緒に死ぬということで、恨みからの殺人では決してない。残された家族などを思いやってすることだ。障害を持った子供と親が心中するケースが多いとも言われる。自殺は殺意が反転したものなどという仮説では、まるで説明できないものだ。
けれども、その無理心中を含めたとしても、こんな数字にはならない。
無差別殺人後の自殺ともなると、戦後は川崎殺傷事件の一件だけなのではないか? 

「自殺は他人への殺意が自分に向いたものである」とは、もともと精神分析学のフロイトが提唱したものだ。実証的な根拠はない。それが戦後の日本でも受け継がれ、そのような言い方は、少なくなりながらも今も残っているというわけだ。似たような言い方に「自殺と他殺は表裏一体」という言い方もあり、片田氏も使っている。
『完全自殺マニュアル』に対しても、「これは世界を破壊したいという願望が反転した形」などというろくでもない評がいくつも出た。

自殺をするのは、苦しみが生きていくうえで耐えられないほどに高まったからであって、決して殺意が反転したからではない(そもそも反転って何なんだ。反転なんてするのか?)。日本の自殺の原因のトップは「健康問題」なのだ。他人への悪口や暴力のほうが、自殺よりもはるかに他殺に近いものなのではないか。

本来、川崎の殺傷事件のような稀なケースを、無理やり「自殺の一形態」と位置づける必要はない。けれどもこのフロイトの仮説を継承している学者にとっては、今では支持されなくなったその説を堂々と主張できる、絶好のチャンスなのだ。

川崎の殺傷事件のおかげで、自分が自殺をめぐる言説について不快に思ってきたことの原因が見えてきた。
自殺したい人は、苦しい目にあったけれども、自分が消えることで解決したいという、本来極めて控えめな、非難などされようもない存在であるはずだ。
「自殺は殺人願望が自分に向いただけのもの」などと言えば、殺人犯・凶悪犯と同類となってしまう。「ひきこもりを無差別殺人と結び付けるな」と言われたけれども、「自殺」にも同じことが言える。そんなケースは稀なのだから。

いや、まだまだ言い足りないのだが、それは追い追い書いていこう。
もっと楽にやらないと、全然書かなくなってしまう。



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2019年07月06日

7月の「不適応者の居場所」は19日

日頃つながりをなくしがちな人が駄弁ってつながる会「不適応者の居場所」、7月は19日(金)です。
ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしている人が対象ですが、そんなに厳密な参加条件はありません。

トークや上映などがなくても、駄弁ってつながることはそれ自体で、十分会を開く目的になる。それどころか、こうやって会話して楽しむことは、生きることの目的にもなり得る
生活の保障、収入、医療、安全といったことは、生きていくうえで欠かせない大事なものだけれども、あくまでも手段や必要条件。
ではそれらは何のために?と考えると、人によるけれども、意外とこうして人と駄弁って感心しあったり、自然を見たり音楽を聴いていいなと思ったり、好きなものを食べてああうまいと思ったりといった、意外にすごくシンプルなことだったりするのではないか。
そう思ってます。

日時:7月19日(金)18時〜5時間くらい?
場所:高円寺・素人の乱12号店
料金:会場代、食べ物(ビーガンのケータリング)代、酒・ソフトドリンク代の2万5000〜3万円をカンパで賄ってます。
注意:ハラスメントや勧誘はやめてください。行政からお金が出ているような支援活動ではなく、相互扶助・シェアの会なので、スタッフのような誰かの面倒をみる係の人はいません。お互いに相手を思いやる気持ちがないと成り立ちません。

※毎回会場内に0円ショップを作っています。物が欲しい人や放出したい人は利用してください(出した物が残ったら本人が持ち帰りです)。
※途中から参加、途中帰りもOKで、帰る時に挨拶もいらないです。座る場所を変えるのは、こうした会では普通。初参加の方も毎回多いです。
気軽に来てください。

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2019年06月16日

「不適応者の居場所」6月の報告

DSC_2096 ぼかし.JPG6月は告知を控えめにしたせいか、雨が降ったせいか、常時20〜30人くらいだった。スペースにもゆとりがあって、本来はこのくらいがこの会場には適正な人数なのだろう。

野外のライブ会場の音漏れを聴く集まりを呼びかけた話を聞くと、色々な集まり方があるのだなと感心する。この会から刺激を受けて、自身で集まりを始めたと話していた方もいた。またこの日、居場所の参加者がすぐ近くの駅前で同時進行で0円ショップもやっていた。広がってくれていて嬉しい。

精神的にいいという理由で自然にはまる人も結構いることに気づく。川べりに座って、水面を見たり音を聞いたりするのが落ち着くという話には共感した。
趣味の話というか、その人が好きなものの話は、何であれ面白い。



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2019年06月03日

6月の「不適応者の居場所」

6月の「不適応者の居場所」、また屋内でやります。
川崎の殺傷事件、そして元農水次官の殺人事件によって、社会不適応者受難の季節が始まっています(褒められることがないので、受難か何もないかのどちらかしかない)。「死にたい者は無差別殺人をしかねない」といった論調もまかり通っていて、うんざりさせられます。
ただ、こんな不適応者の危険視は、かねてから激しく行われており、今は多少マシになったほうです。
気楽に外出していきましょう。

日時:15日(土)、17:00〜5、6時間?
場所:高円寺・素人の乱12号店
料金:場所+食べ物(ビーガンのケータリング)+酒・ソフトドリンク代の2万5千〜3万円をカンパで賄いたい。
注意:相互扶助の集まりなので、ハラスメントや勧誘はやめてください。
※ 0円ショップのコーナーも作ります。使わない物がある方はご利用ください(残った場合は持ち帰りです)。

ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人が、集まって飲み食いしながら駄弁る会です。
会話を気持ちの切り替えやストレスの発散に役立てましょう。楽になるために。

今回もまた土曜日が取れたので、人数が多くなることも見込んで、早めに始めます。早めの時間は空き気味だと思いますが、どうなるかわかりません。終わりのほうはおそらく空いています。
万一入りきれなくなった場合は、少したってから再度来ていただくことになるかもしれません。
途中から参加も、途中帰りもOK。帰る際は黙って帰ってもらっても大丈夫。
ほとんどの方がお一人での参加で、毎回、初めての方は多いです。

もっと広めの場所はいつでも探しています。貸してもいいよという方がいらしたら、床に座れるなど条件が色々あるのですが、お声を。

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2019年05月28日

エジプトの駄弁り文化はすさまじい

DSC_19562.JPGエジプトに少し長めの旅行に行ってきた。
自分は旅行中、そこに住んでいる人の暮らしに触れるのが好きなので、地域の屋台や小さな飲食店にばかり行っている。地元の人が乗りこなす小さなバスにもよく乗る(料金は15円くらい)。自転車や徒歩で、住宅地みたいなところを見て回るのも好きだ。

今回そんなふうに見ていて驚いたのが、都会でも地方でも盛んな駄弁り文化・カフェ文化だ。
カフェは夕方から夜にかけて、駄弁る人々で一杯になる。カイロのカフェが集中している地帯では、ざわざわと話声が響いている。地方ではサッカーの中継を大画面で見る人も多い。街頭テレビといったところか。
平日昼でも、水タバコを吸いながらのんびり話していたり、独特のボードゲームをしていたり。
カフェに限らず、街頭や公園のそこかしこに腰かけて、あるいは連れ立って歩きながら、延々と会話をしている。
大通りでない路地にも、子供も大人も人が溢れていて、彼らがまた立ち話をしている。

インドネシアをはじめ東南アジアでもよく感じたのだが、平日でも人々が夜に連れ立って外に出て、延々駄弁るという文化がある。学校や職場しか行くところがないような社会とはまるで違う。
エジプトは物質的には豊かな国とは言えない。失業率も高い。そんな場所で何か楽しめることと言えば、やはり会話ということになるだろう。何しろ無料だし、昔から親しまれてきた娯楽だ。
もしこの会話を毎日数時間でも心から楽しんでいるなら、他に何もいらないかもな、と思える。

もちろん、旅行者にはわからない仲間外れ、いじめ、敵対はあるに決まっている。第三世界はおおむね日本より荒っぽさを感じるので、こうしたものも日本より多い気がする。イスラム教が強いので、個人の自由という概念が強いとも思えない。と言うよりイスラム教圏は、日本も含め自分が行ったことがある地域のなかでも、同調圧力はMAXであると感じる。
それでも、駄弁る大勢の人々のなか路上に座っていると、浮いているくせに「ああいい感じだ」とどうしようもなく思ってしまう。
こうしたカルチャーのいい部分だけ、日本にも取り戻したい。あくまでも、いい部分だけ。
(※)写真は大都会カイロのものだが、地方のカフェでは女性は見たことがなかった。

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2019年05月19日

「不適応者の居場所@公園」の報告

5月の不適応者の居場所は、代々木公園で昼の時間にやった。
昼頃に場所を取りに行くと、天気がいいので花見でもないのにたくさんの人がピクニックしていて、なんとなく嬉しくなる。一人でシートを広げて座ると、池の噴水が見えて、風が吹いて来た。これだけでもう成功だよなあ、などと思った。
いつもより2時間も長くやってしまったのだが、いるだけでも気持ちがいいので、それほど疲れは感じなかった。

今回は自分で集まりを開いていた人、始めた人に多く会えた。バーの一日店長としてのつながり作りや、公園でごろ寝する集まりを始めた人、つながり作りとして0円ショップを始める人もいた。複数のシェアハウスでゲームなどをやる集まりを開いていた人とも話せたし、人が集まれるスペースをやっていた人は、今度路上鍋会をやるそうだ。
色々なやり方があって勉強になる。

よく言うことだが、「社会に適応できない(しない)人=何もできない人」、などということはない。人がやる無数のことのなかの、テキパキと動く、ハキハキ答える、職場集団に溶け込む、じっと動かず続ける、といったことが苦手というだけだ。けれども、こうした仕事でしか金を稼ぐ手立てがないこの社会では、それをもって社会不適応者と見なされる。
こうしたことは、200年前だったら誰もできなかっただろうし、今でも全員ができるはずのないことだ。

もちろん、何かの集まりを主宰することも、人がやる無数のことのごく一部であって、それができるできないで何かが大きく違うわけでもないが。
何かをしている人は偉くて、何もしていない人は偉くない、という空気が生まれるのは避けたい。そういう世界も知っているが、特に何もしていなかった自分は、とても居心地が悪かったので。
人が幸せであるためには、必ずしも何事かをなす必要はない。

次回は6月半ばの予定。雨が多いので外は無理。

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2019年05月10日

5月の不適応者の居場所は公園で

5月の不適応者の居場所は、前回の花見に続き、また代々木公園でやりたいと思います。
前回来た人に、公園と中とどちらがいいか聞いてみたところ、圧倒的に公園という答えだったので。また、公園などの無料の公共スペースを有効に使うことは、これからもっとたくさんの人がやっていったほうがいいと思うので。

日時:5月18日(土)13時〜18時くらいまで。雨天延期。
場所:代々木公園中央広場の噴水池寄り。正確な位置は、当日の開始1時間前くらいにtwitterで発表。
(外でTwitterを見られない人にはすみません。前回は花見のため、人が多くて場所がわかりづらかったのですが、今度はそれほどたくさんはいないのでわかると思います。目印も考えます)
費用:ビーガンのケータリング代15000円のみをカンパで賄いたいです。酒などの飲み物は各自持参+持ち寄りにさせてください。どれだけ人が来てどれだけ必要なのかわからず、前回は大量に余らせてしまったため。自分からは箱ワイン持っていきます。一応エジプトの土産(つまらない物)もあります。
注意:ハラスメントはなしで。勧誘目的の参加もご遠慮を。

ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラなど様々な理由でつながりをなくしがちな人が、駄弁りながらつながる集まりです。今、日本の社会に必要なのは、こういうものだと思ってます。
集団の一部になって安心する方向ではなく、個人が個人として普通に社会に在るために。










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2019年04月07日

「不適応者の居場所」花見の報告

20190406 (1) ぼかし.JPG4月の「不適応者の居場所」の花見、外でのんびりできてよかった。
フリーライターの方が、世界中を移動しながら仕事されてる話を羨ましく聞いたり。ヒップホップや最近の邦楽ロックなど、自分がよく知らないジャンルの話もまた、いいのを見つけたいが自分で掘るのは面倒なので、とてもためになる。
また初参加の女性が多かったのは、外でやったからなのだろうか。
19時に終了後、ずるずると23時まで残って飲み続けてしまった。

自分は酒が好きなので、こんなふうに安心して飲みながら、ああだね、こうだねと感心したり笑ったりしている時間というのは、自分の「いい時間」のなかでも相当上位に来る。これ自体が何かの手段ではなく、生きる目的の部類に入る(これは人それぞれだと思うし、自分も緊張しながら飲んでいる時などは、まったく別なのだが)。
場所取りを始めてから12時間も外のさっぱりした空気を吸ったせいか、今日は気分が軽い。

ただ、場所がなかなか見つからなかった人が多かったのは申し訳なかった。
当初は周りに人がいないようなゆるい花見を考えていたのだが、行ってみれば花見2週目なのに、そんな手頃な場所はなかった。その結果、グーグルマップで位置はわかっても、近づくと人だらけで、どれが我々のシートなのかわからなくなってしまった。
迷われた方、そして、スマホを持っていないので来られなかった方がいたらすみません。
次回は5月半ばの予定です。

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2019年03月25日

4月の「不適応者の居場所」はゆる花見

いつも「花見のように座って駄弁る」などと言って屋内で開催している「不適応者の居場所」、本物の花見の季節にも屋内でやるのはもったいないので、4月は公園で花見をします。ただし、混んでいる場所を避けた、単なるピクニックのような「ゆる花見」にしたい。こういうものを日頃から、皆やるべきでもあるし。居場所もピクニック形式でできないかなと、かねてから思ってました。
対象は例によって、ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラなど、様々な理由で日頃つながりをなくしがちな人。フルタイム勤務でも、学校に通っていても、つながりをなくしがちならどなたでも可。
つながりがないと、実は花見にも参加できないものなので、この機会にどうぞ。

日時:4月6日(土)15:00 13:00 〜6時間くらい?
場所:代々木公園(中央広場? 詳しい場所は当日11時半過ぎにtwitterで告知)
費用:ビーガン料理のケータリングと、酒・ソフトドリンクの費用2万5千円程度をカンパで賄いたいです。
注意:ハラスメントはなしで。ビジネスなどへの勧誘目的の参加もお断りします。
日没後は真っ暗になり、とても寒くなるので、開始を早めました。それを知ってか、みんな13時頃にはもう全開で、日が暮れるとあっさり帰っていた。その分終了も早まります。>


飲み物はいつもの量くらいは用意しますが、余るほどは買いません。そして、いつものような買い足しができません。コンビニなどは近くになく、最寄り店では売り切れているかも。終わりのほうは飲み物がなくなるかもしれないので、たくさん飲まれる方、後のほうに来られる方は、自分の分の予備を持ってきてもらえるとありがたいです。持参分は、カンパ少なめでいいです。
シートも座りきれなくなるかもしれないので、ある人は念のために持ってきてもらえると助かります(花見客が帰る頃には、シートや飲み物など、ゴミ箱に資源が溢れています)。

ちなみに、この日は花見ピークの翌週です。桜よりも、断然空いているほうを選びました。
ただ、代々木公園の花見の場所取りはやったことがなく、人数もつかめないため、主催者にもどうなるかわかりません。
正確な場所は当日午後にtwitterで告知することになりますが、中央広場の噴水池の向こう側あたりを狙ってます。
0円ショップは今回はありません。

「孤独感に苛まれて誰かと会話をしたい人が二人いたとする。その二人が出会うだけで、どちらが相手のために尽くすわけでもなく、一挙にギブ・アンド・テイクの関係が成立し、双方の欲求は満たされる。これが最も単純な助け合いの例だ。」(『0円で生きる』より)

それにしても、ブログが居場所の話だけになっているのはまずい。
posted by 鶴見済 at 12:29| Comment(0) | 不適応者の居場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする