2018年04月24日

健全さへの抵抗感、寄付の世界

『0円で生きる』では、寄付の貰い方、あげ方についても書いていて、寄付サイトなども紹介している。

Japan Giving    Give One

けれどもサイトを見てもらえばわかるとおり、こうした寄付の世界は、「いわゆるいいこと」の独壇場となっていることに抵抗があった。『愛は地球を救う』みたいな感じ、と言えばわかりやすいだろうか。日本の寄付や募金は、ほぼ「健全さ」や「道徳的なもの」に独占されているかのようだ。


けれども自分が知る限りでは、日々のお金に困っている人には、むしろそうした健全さや道徳的なものから縁遠い人、それに抵抗感を持っている人が多い。

ブレイディみかこさんの『花の命はノー・フューチャー』という本に、イギリスの最低所得者層の地域には、タトゥーが入っている人が圧倒的に多いという話が載っている(自分の書評)。

ふさわしい言葉が見つからないのだが、斜に構えた者、不良っぽい者、やさぐれている者などと言えばいいのか。自分が会った野宿している人たちにも、そんなタイプが多い。


そして、こうした健全さに抵抗のある層は、社会の様々な恩恵からはじかれてしまっているのだ。

保守政党は経済的強者を守り、リベラル・左派政党は健全な層を守るかもしれない。けれどもそうした層を誰が相手にしているのか。そうしたタイプの人間が、選挙に立候補するのを見たこともない。

行政に何かを申請するなら、団体名は「いきいき友の会」のような健全な名前を付けるのが無難である。健全そうな身なりをしていれば、職務質問を受ける回数も減るだろう。


こういうことを書くのは、とても難しい。けれども、健全な人たちと健全さに抵抗を持つ人たちの違いは、かねてから重要なテーマだと思っていた。

健全なこと、道徳的なこと、「いわゆるいいこと」を批判するのは難しいし、批判する必要もないかもしれない。社会的に見れば、最も褒められやすい強い論理と言えるだろう。批判を恐れるテレビや新聞などの大きなメディアも、それなら安心して取り上げられる。

けれどもこれまでに自分の胸を打ってきた音楽と言えば、どれもこれも健全でないものばかりだったし、そういう人は多いだろう。そういうものへの抵抗感には、十分な理由がある。


この世の理不尽さや不運を味わった者の多くには、特有の「世界(この世)への不信感・恨み」があると思う。人間は素晴らしい、世界は素晴らしい、清く正しく生きていればいいことがある、そういった言い草は、端的に言って間違っている。本当は人間も世界も運命も健全ではないし、あったかくもない。理不尽で残酷である。それに気づいたのだ。

この多くの人が持っている「世界に対する不信感・恨み」は、ほとんど語られないが、人間の心情や文化を理解するうえでとても大きなものだと思っている。


健全なことを言っている人のなかには、そうした人を、「ひねくれている」「こじらせてしまった」程度にしか見れない人もいるのだが、全く賛同しない。そちらのほうが、世界に対するより深い知見であると思えるからだ。

そしてその観点からは、大方の健全で道徳的なあれこれは、ほぼ抵抗感が湧くものになってしまうのだ。
いわれのないDVに苦しんだ者は、笑顔のファミリーの写真を見て、単純に「ああいいな」と思えなくて当然だ。


健全な人たちと、健全さに抵抗を持つ人たち。

嫌なら無理にそうすることもないのだが、両者がつながったほうが、利益が大きいことは想像に難くない。けれども、健全さに抵抗のある人たちが、健全な世界におもねったり、自らの考えを変えねばならないのはおかしい。そうすることなく、つながらねばならない。そのためには、いずれの側も懐を深く持ったり、共通する面を見ていったりする必要があるのだろう。


自分が0円ショップや畑をやっても、贈与や共有を提唱しても、「なんか健全なことやってるね、俺には無理だな」という反応を受けることは多い。確かにそうしたことは、日本では健全な世界の専売特許のようで、それをやるなら心や態度を入れ替えねばならないように思えてくる。が、欧米や東南アジアではそうではない。タトゥーだらけのパンクスや依存症の者が、そんなことをやっている。

健全さに抵抗のある人々の世界にも、今は健全な世界にある様々なメリットを開放したいものだ。

posted by 鶴見済 at 11:20| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2018年04月11日

世界の0円サービスと新しい「共助」の時代

世界の、とは言ってもヨーロッパがほとんどだ。以前から感じていたが、ヨーロッパに比べれば、日本の0円活動はまだまだ盛んではないと言えるだろう。

それらを紹介する前に、「共助」という助け合いについて少し。


ここであげたものは、大体「共助」と呼ばれる助け合いに相当する。

「助ける」という行為には三種類あって、

@自助=個人が自分を助ける

A公助=公(行政)が人を助ける(社会保障など)

そして、

B共助=人(民間人)が人(民間人)を助ける

の三つとされる。


前近代(日本なら江戸時代以前)では、特に村のなかで共助の役割はとても大きかった。けれども近代以降(日本なら明治以降)は、まずお金のやり取りが盛んになったので「お金による自助」が増えた。そして、国や行政の力が大きくなったので、公助も大きくなった。こうして共助は廃れた。日本では特に、高度成長期以降に廃れたと言われる。


0円活動が活発なヨーロッパには、共助の伝統が多少は残っていたのだろうし、インターネットの普及が新たな「共助の時代」を進めていることは間違いない。


『0円で生きる』には、これらの三つはどれも含まれているが、多いのはやはり「共助」の原理にもとづくものだ。これらはどれも大切であり、あまりにも自助や、家族による介護などの共助ばかり強調するのはよくない。けれどもこの社会では、共助はもっと見直されるべきだ。自助と公助のなかで、人々は孤立しがちになった。


共助が廃れて、代わりに日本には「他人は危ない」という考えが行きわたった。もちろん「他人」など、いい奴ばかりではない。「人はみないい人」みたいなことを言っている人は、悪い面を知っていて黙っているか、そのくらいの人生経験しかなかったのだろう。

けれどもその危険を取り除いた一人の安全な生活で、我々が幸せかと言ったら、そうとは限らない。


*********************
●家を交換する「ホーム・エクスチェンジ」

一定の期間、自分の家やアパートの一室を、海外の他の家・部屋の持ち主と交換して住む。世界的なネットワーク。双方の都合を合わせるのが大変そうだが、長期海外滞在したい時には特に有利。

Home exchange

Stay 4 Free


5669023215_3cc0d46cca_o2.jpg●イギリスの「ストリートパーティー」

イギリスでは、申請して地域の通りを通行止めにし、そこに椅子を持ち出して盛大に路上パーティーを開ける。そのやり方を解説するサイトまである。ブリストルという街では年100回以上(!)も開かれるという。『無銭経済宣言』(マーク・ボイル著)でも紹介されていた。

The Street Party Site 


●自転車旅行している人を無料で泊めてあげる「ウォーム・シャワー

自転車旅行をする人を無料で泊めてあげる、自転車愛好家による世界的ネットワーク。体験談を聞けるので、愛好家なら泊めるだけでもメリットがある。これも『無銭経済宣言』で知った。


●近所で物をシェアする「Peerby」(ピアビー)

オランダからヨーロッパに広まった、近所で物を貸し借りするネットのサービス。無料で貸し借りするのが特徴。大工用品、キャンプ用品、パーティグッズが人気だそうだ。

Peerbyの解説


●フランスでの拾いを紹介する映画『落穂拾い』

フランス各地を巡って、様々な「拾う」行為を取材した映画。ゴミだけではなく、畑でも果樹園でも、養殖所近辺でも、拾えるものはいくらでもある。難しくなってはいても、日本よりも拾うことに寛容な社会であることがわかる。この映画は必見。

予告編


●ヨーロッパの相乗り仲介サイト「BlaBlaCar

フランスからヨーロッパ12カ国に広がる車の相乗りサービス。毎月100万人以上が利用していて、相手も簡単に見つかるようだ。お金は払うが、ガソリン代・高速代などを割り勘にするので、営利目的ではなく、許可云々の問題はない。日本にも類似のサービスに「notteco」があるが、規模が違う。

BlaBlaCar解説


●店の廃棄予定食品を教える「resQ club

ドイツからヨーロッパへ広まった。店が廃棄になりそうな食べ物と料金をアップし、それをネットで申し込んで買うサービス。半額以下の料金で買える。日本でも類似のReduce Goというサービスがはじまったが、こちらは月々定額を支払う仕組みなのでやや使いづらい。

resQ Club解説


『0円で生きる』に詳しく書いた、無料宿泊できる『カウチサーフィン』、作業と宿泊を交換する『Workaway』については、日本のサイトの登場を願う


写真は2011年のストリートパーティ。バーベキューをやっているらしいが、卓球台まである。ccライセンス by Adam Burt

しかし、長くなってしまった。もう少しブログを軽くしないと、なかなか更新できなくなるな。

posted by 鶴見済 at 14:52| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

無料でつながる方法と、縛りのきつい関係を拒否する時代

複数の人があえて集まってやることは、ほとんど助け合いである。

そんなことを『0円に生きる』に書いたが、よく考えればそうなのだ。誰かが誰かを支援などしなくても、例えば孤独感に苛まれている人同士が集まって問題が解消したなら、それはお金も苦労もいらない有意義な助け合いだ。本で紹介した「自助グループ」は、そんな助け合いのひとつの形だ。


ネット上には、〈つなげーと〉、
〈ジモティー〉のメンバー募集版といった同好会のメンバー募集サイトがある。英語で外国人が多いが世界で一番有名なサイトに〈Meetup〉がある。こうやって集まることも、やはり助け合いなのだ。

欲を言えばもっと、日頃からつながりがなくて困っている人向けの集まりが増えてほしいところだが。



今の日本では、こうした
新しいつながりを作ることが極めて重要だ。それには深い理由がある。

以前から、昭和の時代には珍しかった、あるいは少なかった新しい生き方として、次のようなものがあるなと思っていた。

労働週4以下、フリーランス、ニート、不登校、ひきこもり、生涯独身、未婚同棲男女、子なし夫婦、シングルマザー、養子縁組親子、そして同性愛。まだ行きわたっているとは言えないが、アメリカなどでは広まっているポリアモリー(公認複数恋愛)も。


これらはすべて、戦後ほとんどの人が押し込められていた「学校」「会社(職場)」「家庭」という三つの領域から、あるいは「男女が結婚して子供を作り、男は終身雇用」という縛りのきつい人生から外れていることに気づく。晩婚化や離婚の増加も同じ傾向の一部だろう。


021z4.jpgこうした新しい生き方に向かった人は、まだまだ社会から「真っ当」と見なされるには至っておらず、昭和の典型的な生き方よりははるかに低く見られる。

親子連れやスーツを着た人、高齢者は警察の職務質問を受けそうになく、そうでない人は受けやすい。


夫婦のみの世帯数は今や夫婦+子供の世帯数に迫る勢いで、独身世帯を含めれば、子供のいない世帯数は
平成に入って、夫婦+子供世帯数を追い越し、今でははるかに上回っている

「一人暮らし世帯」は「夫婦と子供から成る世帯」を追い越越すか?(統計局)

それでも、まだまだ子供のいない世帯が、それほどに社会から認められているとは言いがたい。


こうした縛りのゆるい新しい生き方は、これからどんどん増えていくはずだ。なぜなら、学校・会社・家庭の三領域に長い間閉じ込められていたことが異常だったのだから。それは世界的に見ても特異な現象だったのだ。今では、よく全員がこんなものを我慢していたなと思えるほどだ。

現在の人間関係は、数百年という長いスパンで見ても、地縁、親子、男女関係など、どれをとっても縛りを緩くする方向に向かう途上にある。


だからこそ、つながりをなくした状態に不本意に落ち込まないように(本意ならばそのままでいいが)、新しいつながり方、つまり助け合い方の道筋をつけておくべきだ。

オルタナティブな者たちが、早く社会から「真っ当」と認められるためにも。

※グラフは統計局HPのものだが、ピンボケしてしまうのでクリックして見て
ください。

posted by 鶴見済 at 11:15| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2018年02月28日

自然が無料でくれる大きなもの

201504151609000.jpg『0円で生きる』では、自然界から無料で貰う方法もあれこれ書いている。

鶴見は最近すっかり変わって、自然がいいと言っている、などと言われることもあるが、そういうことは90年代から言っている。


本には、野菜栽培、野草採取、茶葉作りなど色々な技を書いているが、平凡な雑木林でも、眺め方しだいで十分楽しめる(その眺め方まで書いた)。

ひとつの林でも、季節はもちろん、雪・霧などの天気、夕方・曇りなどの光の加減、鳥・虫などの他の生き物の有無によってもまるで違ってくる。こうしたタイミングに、和歌や俳句を詠んできた人々は、最も神経を研ぎ澄ませてきたのだなと思うと、その無料で自然を楽しむ「技」に恐れ入るばかりだ。


こうしていると、自然物との関係というものに思いを馳せるようになる。

「野菜を作って食べる」という行為ひとつを取ってみても、このなかに光、水、空気、土といった、あらゆるものとの関係が含まれている。

「食べていく」とは本来これだけ単純なことで、面接を受けて就職をして月々何万円稼ぎ、そのお金をあれとこれの支払いにあてて、という途方もなく複雑なものではなかった。

また「関係」とは「人間関係」のことではなく、他の生き物や生きていない物(無機物)全般との関わりのことであって、それが見えなくなっているのだな、と気づく。


すべての人間関係に失敗してしまったとしても、それで一巻の終わりではない。けれども、そう思えてしまうような世界に、我々は生きるようになったのだ。


もう少し書こう。

我々はどれだけわめいても全員が死ぬわけだが、死んだらどこに行くのだろうか。

あの世などというものは存在しない。死んだ人たちは、この地球上の「そのあたり」に有機物や無機物として散らばったのだ。

それらの物質は、他の植物や動物に吸収され、それをさらに他の動物が食べている。もちろん我々人間もそれを食べる。この自分もそのように他の生き物を食べて育ち、死ねば「このあたり」に散らばる。

これを思った時に、自然界というものに(そして「このあたり」に)、愛着のようなものが湧いてきた。


人が自殺するうえでは、この世界に興味を失う(愛想が尽きる)という要因が大きいと思う。確かに、人間だけが生きる世界には愛想も尽きやすい。
けれども、世界とはこういうところなのだと思えば、まさかの「世界への興味」が湧いてくるのではないか?


こうした気づきや癒し全般が、自然界から貰えるものならば、自然界がくれるものは確かに安すぎると言える。何しろ0円なので。

これは新刊だけでなく、色々なところに書いてきたことだが、多くの人に読んでもらいたいことなので、また書いた。


※写真は近所の雑木林で、この色は素晴らしいと思い、撮った新緑なのだが、こうしたものは見たとおりに撮れることがない。そのうえこのブログ上ではピンボケするので、クリックしてみてほしい。Seesaaブログ、色々勘弁してほしいことが多い。

posted by 鶴見済 at 11:49| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

0円で生きるために役立つ無料サービス一覧

新刊『0円で生きる』で紹介した、無料で貰ったり共有したりするためのサイト等々の一部を掲載する。

お金が稼ぐのが苦手な人も軽んじられない世のなかにするために。

また、労働と消費だけの人生から脱却するために。


●不要品を無料で放出するサイト

ジモティー(不要品無料・有料放出、その他募集全般。近くで無料品が出るとメールを受け取るように設定するのがいい)

mixiあげます&くださいコミュニティ (mixiでもまだ使われているコミュ)


●不要品放出+募集

くにたち0円ショップ(路上、東京)

くるくるひろば(常設店、東京)

ほげ0円ショップ(河原、京都)

かなやまFreeshop(路上、名古屋)

くるくるひろばinつくば (公園、つくば)


●住まい、交換労働

カウチサーフィン(無料宿泊者募集、英語)

WWOOF(有機農場無料滞在+手伝い)

Workaway (宿泊・食事と手伝い、英語)
HelpX (同)


●無料相談

精神保健福祉センター(心の悩み無料相談)

弁護士による無料法律相談(東京都の区役所)

総合労働相談コーナー  (厚生労働省)

法務局人権相談 (人権侵害全般の相談)

●無料での作品などの共有

青空文庫(著作権切れ作品無料公開)

Flickr(共有写真検索が便利)

ナイン・インチ・ネイルズ『ゴースト』(無料アルバムダウンロード)

マーク・ボイル『無銭経済宣言』全文掲載サイト(英語)


●公の無料施設など

海と陸からの見学会(東京湾無料見学。大推薦)

Tokyo霊園さんぽ (公園として使える公共の墓地紹介)

農林水産省食堂 (いい食材で安く多めに食べられる)

東京大学総合研究博物館 (構内散策と併せて)


●車の相乗り 

notteco(相乗り募集。お金は運賃ではなく、かかる実費の割り勘なので法的な問題はない)


●小商いなど

フリマガイド(フリマ出店募集)

軒先新聞(空きスペースの有料貸し借り)

軒先ビジネス(同)


●寄付・合宿型ボランティア

チャリボン(古本による寄付)

GiveOne(寄付サイト)

ジャパンギビング(同)

NICE(海外ボランティア募集)

posted by 鶴見済 at 12:42| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

私はなぜ『0円で生きる』を書こうと思ったのか

IMG_7814.JPG例えば一方に、ただでもいいから自分の演奏を聴いてほしい人がいて、もう一方には、誰かの演奏を聴きたい人がいるとする。マイクを一本置いて両者を集めれば、基本的には無料で双方の望みが叶うことになる。これが「オープンマイク」だ。


こんな組み合わせは、誰かに泊まってほしい人と泊まりたい人、ある物がいらない人と欲しい人、ヒマをつぶしたい人と人手が足りない人、空きスペースのある人とスペースが欲しい人など、無限に考えられる。


こうした組み合わせが成功した場合、そこには単にお金を使わわずに済ませた以上のことが起きている。こうしたほうが、お金を払って事を済ませるよりも豊かだと感じられる。個人的には「美しい」とさえ感じてしまう。


こんな「お金は使わないけれどもより豊かなやり方」は、お金を使いたくない人の間で、もちろん自分の身のまわりでも、錬金術のように練りに練られているのを近年感じてきた。気がつけば、自分でも色々とやるようになっていた。ネットの普及がそれを広めてもいるし、国内よりも欧米のほうがもっと練られ、実践されているとも感じた。

考えてみれば、お金をそれほど使わず、物や人手が足りなかったかつての社会では、毎日がこんな工夫の連続だっただろう。

こういう発想は、物をもっと売ったり(ひとりにひとつ!)、お金を使わせるための商業戦略のせいで抑えられてきたのだ。


こうした流れをもっと推し進めて、お金を稼ぐのが苦手な人でも、つながりを持って豊かに生きることができる社会にしたいものだ。もっと、お金を稼ぐことが重要でない社会になればいい。

『0円で生きる』のような本を書こうと思った動機はいくつかあるのだが、そのひとつは、こんなところにある。


本の意図については、こんな記事も参照してほしい。

不適応者でも生きやすい領域を作る(鶴見済)

版元・新潮社のこの本のサイトでは、この記事の他に、目次と前書きが読める

『0円で生きる小さくても豊かな経済の作り方

写真は、ベトナムでただで寝かせてもらったカフェの閉店後の空きスペース。ここのオーナーはカウチサーフィンを使い、毎日のように旅行客をただでこのスペースに泊めている。

posted by 鶴見済 at 18:33| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2017年12月14日

新刊『0円で生きる』の目次

0円で生きる 表紙正.jpg新刊『0円で生きる──小さくても豊かな経済の作り方』が発売になった。
日常的な様々なことを無料でやる方法と、なぜ無料が必要なのかの解説が書いてある。詳しい出版の意図などはまたあらためて書くとして、まずは目次を紹介したい。じっくり書いただけに、他の本に比べて内容が詰まっているところが売りなので。


まえがき

1.貰う──無料のやり取りの輪を作る
贈り物を貰おう/「不要品放出サイト」で貰う!/不要品放出市〈0円ショップ〉」/不要品を回す「店」/世界に広がる不要品市/カンパを貰う方法/クラウドファンディングで集める/「寄付」もいつかは返ってくる
<この章のレクチャー>贈与経済とは何か?
普遍的な経済の形は「贈与」/増える日本人の贈り物/なぜ寄付をするのか?/贈与はいいことばかりではない

2.共有する──余っているものを分け合う
当たり前だった「貸し借り」/自宅パーティー、道具、服、DVD/人の家に泊まる・泊める/スイスの青年を六週間泊めてみた!/無料で泊まれる〈カウチサーフィン〉/ベトナムでのカウチサーフィン体験/有料で部屋を借りる・貸し出す/車を相乗りしよう/「ヒッチハイク」も空席のシェア/ネットの無料共有物を使う/庭を解放する「オープンガーデン」
<この章のレクチャー>なぜ私有が行き渡ったのか?
農耕社会が土地の私有を生んだ/日本の共有財産「入会地」/共産主義は共有財産社会を目指した/新しい共有の時代

3.拾う──ゴミは宝の山
近所のゴミ、店のゴミ/おから、野菜、新聞、食器……/職場から売れ残りを貰う/ゴミを拾う時の注意/自治体との問題/都心のゴミ観察レポート
<この章のレクチャー>捨てる問題と拾う人々
食べ物はどの段階で捨てられるか?/管理が厳しすぎる日本/ゴミを救出する人々/拾って貧しい人に回す/廃棄に立ち向かう欧米/すべてのゴミに目を向ける

4.稼ぐ──元手0円で誰にでもできる
もうひとつの経済を作る/フリマで売ってみる/フリマの主催は楽じゃない/やりやすい「イベント出店」/ケータリングも元手いらず/「移動屋台」は出店場所が決め手/公道から屋台が消えた/日替わり店長になる/自宅を店にする
<この章のレクチャー>市とお金と資本主義
お金を使うのが悪いのか?/市の始まり/お金は物々交換から生まれたのか?/資本主義の前と後/市としての「コミケ」

5.助け合う──一緒にやれば負担が減る
二人以上でやることはすべて「助け合い」/相互マッサージ、料理持ち寄り、英会話サークル/「輪番制」を使う/手伝う代わりに寝場所と食事を/合宿型ボランティア「ワークキャンプ」/海外ボランティア体験談/一般のボランティア活動/悩みを分かち合う「自助グループ」
<この章のレクチャー>日本の「助け合い」とそのマイナス面
力を合わせる「ユイ」「モヤイ」/一方的な支援「テツダイ」/お金を積み立ててまとめる「頼母子」/ヨーロッパの助け合いも同じ/村八分=助け合いのマイナス面/「ムラ社会」を越えて

6.行政から貰う──もっと使える公共サービス
再分配を貰おう/図書館は大切な「居場所」/公園・霊園でくつろぐ/国公立大学のキャンパスで憩う/ライヴも開ける公民館/生活保護は権利/職業訓練でお金を貰う/やりがいのある「地域おこし協力隊」/スポーツ施設で鬱屈の解消を/驚くほど多い「無料相談」/市民農園、博物館、見学会……
<この章のレクチャー>再分配は富の偏りを正す
太古からの政治の中心的役割/一パーセントが半分以上の富を持つ

7.自然界から貰う──無償の世界
育てる(薬味・調味料、香味野菜/ハーブ/サラダ・葉物野菜/大きめの作物/難しい作物/栽培上の注意)/採取する(野草/茶/その他)/鑑賞する(木や花を見る/野鳥を寄せる/魚を見る/環境全般を楽しむ)
<この章のレクチャー>自然界と「無償の贈与」
自然界は贈与で成り立っているのか?/人類は「無償の贈与」を尊重する/今も残る「神への贈与」

あとがき

『0円で生きる』
posted by 鶴見済 at 11:24| Comment(0) | 0円で生きる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

「死にたい」に対する謎の上から目線

座間の事件をきっかけに、自殺に関する連続ツイートをしたので、その記録を残したい。
ここからあれこれ文章化しようとすると、面倒になって残すことすらやめてしまうので、そのまま転載する。

ひとつだけ。
「#自殺募集」というツイッターのタグがニュースなどで話題になった直後、ここに自殺をやめさせようとするツイートが多く寄せられた。自分がこのタグを見た時、何百もリツイートされて上位に来ていた話題のツイートはどれも、そんななかの薄っぺらい説教に対する怒りだった。

この怒り。自分にもあったどころか、自殺についてものを言う原動力のひとつだった。
死にたくなっている人は、他の誰よりも生きづらさの真っただ中にいるのに、こと自殺となると、なぜか上から目線でたしなめるような、あるいは叱るような態度を取る人が多い。自分が若かった頃は、もっともっと多かった。
そこに出てくるのが、「弱い」「命の大切さがわかっていない」「前向きになれない」「もっと大変な人もいるのに」といった、まったく心に響かない言葉の群れだ。
死にたい人より自分のほうが、よくものをわかっていると思うのも間違いだ。
そんなことはわかっていても、死にたい気持ちは強くなってしまう。死にたいというか、こんな人生にはこれ以上興味が湧かない、もう愛想が尽きたという気持ち。

うまく言葉にならない、あるいは100万語でも言いたいことがあるこの怒りを、他の人のツイートでありありと思い出した。
ちなみに自分も、自殺を回避できるならそれに越したことはないと思っていることは書き添えておこう。余計な誤解を生まないように。

*************************
話題の「自殺募集」タグで上位に来るのは、意外にも薄っぺらい説教への怒りのツイート。死にたい人から見たら、その気持ちがわからない人は人生経験が浅いと見えているはず(ある意味そのとおり)。「親から貰った大切な命云々」といった薄っぺらい言葉・倫理観など、ギリギリの人に通じるはずがない。
https://twitter.com/wtsurumi/status/926083377555374081

「障害があっても前向きに生きている人」「流産で生まれることもできなかった赤ちゃん」もいるのに、などと、死にたい人の苦痛を相対的に軽いものと見なして自殺を止めにかかるツイートも、嫌な気分になる。個人が感じる生きづらさの軽重は、そんなふうに比べられるものではない。
https://twitter.com/wtsurumi/status/926089811785482240

死にたい人は一時的にまともな判断力をなくしているのだという、よくある解釈もあまり好きじゃない。正常な人なら誰もが生きたいと思うほど、この社会で生きることは素晴らしいことじゃない。あるいは、生きることはそんなに言うほど素晴らしくない。素晴らしい素晴らしい言いすぎ。
https://twitter.com/wtsurumi/status/927173060850937857

死んでほしくない人が自殺したいと言ってきたらどうするか? 自分なら、普通にきついと言ってる人とするような話をするだろう。楽になるあんなやり方や、こんな音楽もよかったよなどと。そのうえで、今やらなくても、様子見てればよくなるかもよ、くらいは言うかもしれない。(続く)
https://twitter.com/wtsurumi/status/926447631588458496

自殺だけやめさせようとしていると思われないように気をつける。自分が死にたいほうの立場だったら、誰のために言ってんだろうと思うから。
https://twitter.com/wtsurumi/status/926451532299509761

自殺したい気持ちを抱える人について、「自爆テロにもなりかねない」とか「方向が変わればオウム真理教になる」などと言う輩がいるが(「自殺マニュアル」についてそう言う阿呆もいた)、人一倍苦しんでいる人間に対して、とんでもない侮辱だ。自殺を犯罪のように見なして忌避する風潮はなくしたい。
https://twitter.com/wtsurumi/status/925709032970584064

死んでほしくない人が死にたいと言ってきたら、紹介してみたいもののひとつに「認知の歪みの10か条」がある。認知療法で使われるものだが、読むだけでも楽になる。実際にひどい状況である場合もあるが。かつて本にも書いた。
http://www.nakaoclinic.ne.jp/mentalhealth/mh_02_01.html
https://twitter.com/wtsurumi/status/926800214874210305
(死にたい人は認知が歪んでいると見なしているということではまったくない。念のために)

認知療法、認知行動療法は、保険診療で受けられる。自分も以前に認知療法と行動改善を合わせた認知行動療法を受けていた。効くとは限らないが、薬物療法に煮詰まっている時にいいかもしれない。
https://twitter.com/wtsurumi/status/927536454724546562

最終的には、律儀に悩み心配してばかりいるのがいいかげん馬鹿馬鹿しくなり、すべてどうでもよくなって、可笑しさがこみあげてきたりするのが、自分なりの理想的脱出法。こういう時、人は強い。
https://twitter.com/wtsurumi/status/927888206820814850

あまりにも悩み苦しんだ結果、すべてが馬鹿馬鹿しくどうでもよくなる開き直りの境地に至る最良のBGMはクレイジーキャッツ。そのうちなんとかなるだろう。
https://twitter.com/wtsurumi/status/928627508647309312

先日某紙の自殺に関する取材で、「死にたい人に何か言うとしたら?」と聞かれて「もっといい加減でいい、もっと不真面目でいいと思う」みたいなことを答えたのだが、真面目に思いつめる人より、ちゃらんぽらんな人のほうが生きやすいのだから、人生とは理不尽なものだ。ずっとそう思っている。
https://twitter.com/wtsurumi/status/932970533481672704

この世界はそれ自体としては人間の理性を超えている。−−この世界について言えるのはこれだけだ。(カミュ『シーシュポスの神話』)
人間の理性では割り切れない不条理なことはいくらでも起きると。
https://twitter.com/wtsurumi/status/932979015131963392

真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。それ以外のこと(…)は、それ以後の問題だ。(カミュ『シーシュポスの神話』)
https://twitter.com/wtsurumi/status/933347398474014722

自殺の問題に始まる『シーシュポスの神話』で、人生が生きるに値するか否かを考え抜いたカミュは、不条理に抗って反抗的に生きることは幸福であるという結論に達している。
https://twitter.com/wtsurumi/status/934064560444600320


鶴見済ツイートまとめ読み(twilog)
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2017年11月04日

『負債論』──物々交換はなく「貸し借り」があった

負債論.JPG負債論2.JPGお金と人類の歴史を、利益第一主義批判の立場からまとめるという壮大なテーマの本。
以下はこの本の内容と、ところどころ自分の考え。著者はアナキストのデヴィッド・グレーバーで、本の厚さは辞書並み。

負債があるというのは、それほど罪深いことなのだろうか。
かつての社会では「貸し借り」や「つけ払い」が当たり前で、誰でも誰かに「借り」(負債)がある状態が普通だった。それが歴史的に見ても、罪悪と見なされたり、あるいは人を奴隷のように支配するための道具となることがある。
お金での売り買いとは、その場で決済するシステムだが、お金が登場したあとも、貸し借りやつけ払いは普通に行われた。
しかし資本主義の社会になってからは、負債の罪悪化は決定的となった(例えば債務国の惨状を見ればわかる)。というのが、この本のメインの主張と言える。

真っ先に否定されるのは、お金がない頃、人々は物々交換をしていたとする有名な説。過去にも現在にも、物々交換の社会というものは存在しない。これは等価交換・即時決済という今の常識を過去にまで投影したかった、アダム・スミスの誤った説から来た。
では物々交換でないなら何なのかというと、「貸し借り」だった。後でその借りを返すことを前提として、人々は物を受け取っていた。
これは時間差のある物々交換とも言えるが、このほうがはるかに「ありそう」に思える。

贈り物をもらえば「お返しをすべき借りがある」と思えるし、物でなくても、助けたり手伝ったりしてもらえば同じように「借り」の気持ちが生まれる。
文化人類学の言うように、人間関係はすべて何かを「交換」するためにあるなら、そこには常に「借り」(負債)が生まれている。
こう考えれば、別のものと思われている贈与返礼・相互扶助も(資本主義以前の)交換も、ほとんど同じものと見なせてスッキリする。
ただし著者は、「人間関係はすべて交換」なんてことはないと強く主張しているのだが。

また著者の考えは、「人間らしいモラル」対「利益主義・計算主義」、「対等な人間関係」対「ヒエラルキー」、「名誉・信用」対「名誉のはく奪・奴隷」といったテーマを延々とめぐっていく。
どうである、というはっきりした結論に収束していくことなく、それはまさにめぐっているのだが、これらを最重要なテーマと考えていることは伝わってくる。

資本主義のはじまりを、ヨーロッパの大航海時代からと見ているところも興味深い。
またお金の始まりはというと、国家が軍人に渡す俸給を硬貨で払ったのが始まりと見ている。が、貸し借りの記録や証・印から貨幣が生まれたと言っているように受け取れる部分もある。

ただ、貸し借りは相手の信用という部分に大きく依存したやり取りであるため、信用があるのかないのかがことさら重要になる。確かに返しそうもない人には、あまり貸したくはならない。その人の信用や名誉が最も大事な社会というのは、あまり魅力的ではない。
それを考えれば、お金を使う社会にもメリットはある。

この本は意外にも読みやすいし、無数の実例が非常に面白い。
こんなとんでもないテーマに手を付けてもいいのだ、何でもやっていい、問題意識をちまちまと限定しなくていいと思わせてくれるところが、最もアナキストの著書らしいところかもしれない。
posted by 鶴見済 at 18:06| Comment(0) | 書評など | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

「家庭のない定年前男女」は平日昼の住宅地に居づらい

201504191553001.jpg知人の50代男性が、仲間と平日昼間に近所の町中を散歩するイベントを企画している。それがやりづらいのはおかしいという意識からだそうだ。それを聞いて、必要なのはまさにそういう企画だなと思った。

「平日昼の住宅地にいる男は不審者扱いされる時代」などと言われるが、本当に許しがたいことだ。引きこもりの原因の一端もここにある。そんな空気のなかを出歩きたくないのは当然だ。
自分の地元には野宿者もいるのだが、彼らの居づらさは、我々の想像も及ばないほどだろう。
地域に居づらく、居場所がない人間は多い。

平日の昼の住宅地では、公園には母親と幼児、学校には子供たち、公民館には高齢者たちがいる。市が企画するイベントのチラシを見れば、それら「存在を認められた」層向けのものばかりだ。
お父さん、お母さん、子ども、おじいちゃん、おばあちゃん。昭和の時代であれば、それらの人たちが社会の構成員のほとんどだったと言っていいかもしれない。けれども今はそうではない。
今では大きな比重を占めている「家庭のない定年前の男女」の公の居場所はほぼない。行政にはそういう人間が見えていないのだ。

親子・高齢者層を自分たちと対立するものと思っているわけではないことは、十分強調しなければならない。自分にも家庭を持っている友人は多い。批判したいのは行政だ。

子育て支援、教育支援、高齢者支援等々、行政も各党も色々輝かしい政策を打ち出すが、「家庭のない定年前の男女」の生きづらさ問題など考えられていない。そうした相手にされてる層とされてない層の落差は感じざるを得ない。
こっちを見てもいない政治家を応援するのも、本当は空しい。残念ながら、左派政治家であってもそう感じる。

自分が参加している「0円ショップ」のいいところはひとつには絞り切れないが、自治体や国に目を向けてもらえない、あるいは住宅地で市民権を得ていない、地域に居場所が少ない有象無象の人たちの居場所になっているところもいい。以前にやっていた畑も、結局はそういうものになっていた。
そうした活動にはやりがいがある。

そして平日昼の住宅地を出歩こう。心ない連中にどう思われるかなど、気にしてやるだけ無駄だ。そんな連中に気に入られるために生きているわけではない。
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これはツイッターに連続的に書いた投稿を大幅に手直ししたもの。ツイッターへの投稿はすぐに消えてしまうので、本来長めに書いた方がいいこうした文章は、ブログに再掲載していきたい。と、以前から思っているのだが、なかなかできていない。
写真は、居場所のない人々の交流の場ともなっている0円ショップ。
posted by 鶴見済 at 12:05| Comment(0) | 生きづらさ | 更新情報をチェックする