異性とつきあったことがなかった話

男女一対一のつきあいをこの社会が褒めたたえすぎていることについても、見直すべきだとかねがね思っていた。 自分は30歳くらいになるまで、異性とつきあったことは一度もなかった。最大の理由は、高校から大学という普通なら一番異性とつきあいそうな時期に、心の病の関係で対人関係が非常にやりづらかったから。症状の重い期間は、そもそも異性とつきあいたいという気持ちがない(病んでいる人が皆そうだとは限らないが)。別に異性が嫌いではないし、話もする。けれども、そんなに重くない時期でも、男女一対一でつきあうのは対人不安を押してまではしなくていいかと思いつつ、結局引いてしまうというところだった。 30歳くらいになってつきあうようになったのはなぜかと言うと、書いた本が売れて雑誌などで散々持ち上げられたため、異性同性を問わずそれまでは知り合えなかった、気が合う人、話が合う人と格段に知り合えるようになったからだった。 ただしこれは、心の病とかそういう特別な話にしたくない。自分としてもそれだけではない。無理につきあわなくてもいいか、くらいに思っている人は、今の世の空気のなかでは言えないだけで、実はたくさんいるのではないか。そもそも、そんなに皆が皆、一対一で異性とつきあいたいと思うかどうかが怪しい。またあの、異性の目を気にして、自分をよく見せようと努力すること(カッコつけたり、かわい子ぶったり)をよしとする文化が嫌な人も多いだろう。自分にもそれはあった。 そもそもこの社会では、「若者=男女一対一の恋愛」というイメージが強す…

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年末の不適応者の居場所

今年最後の「不適応者の居場所」を下記のとおりやります。これは、日頃つながりをなくしがちな人がつながるための集まり。対象は、ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人としています。ただし、それほど厳密なものではありません。少し早いクリスマス会か忘年会だと思って来てください。 日頃から日本の人間関係のよくない面を指摘しているけれども、人づきあいなどなくせばいいとは思っていない。自分の経験からしても、心を病んでいて「人づきあい=疲労」という時でも、やはり話の合う相手は欲しかった。まあ、そうでない時もあったし、そうではない人もいるとは思うが。 日時:12月13日(金) 18時~。場所:高円寺、素人の乱12号店やること:飲食(アルコール含む)をしながら駄弁る(お酒を飲まない人もとても多いです)。話さなくても可。費用:会場代、食べ物(ビーガンの料理とスイーツ)代、飲み物(酒、ソフトドリンク)代の約3万円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントや勧誘はやめてください。支援活動ではなく相互扶助の会なので、相手を思いやる気持ちがないと成り立ちません。 ※会場奥に0円ショップを作りますので、放出したい人、貰いたい人は使ってください(出す場合は、残ったら持ち帰りで)。 趣旨   過去の様子 土曜が取れず久々に金曜になってしまい、仕事の人すみません。前回は混みまくったけれども(理由も少しわかる)、それほどにはならないはず。多分。関係ないが、今回か…

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0円ショップの新聞記事と我が精神疾患

7年間も参加している「くにたち0円ショップ」を、東京新聞の夕刊1面と2面で紹介してもらった。 0円ショップ価値無限 垣根ゼロ 心つながる 東京・国立の路上 0円ショップの場としての重要性についてもかなり焦点を当ててもらっている。自分が参加し始めた最初の動機は、もちろん「物」に関するもので(もったいないとか、経済とか)、もちろん今もそれはある。けれども長く続けることになった理由は、やはり「場」、居場所としての魅力のほうが大きいかなと思っていて、記事にはならなかったがそう話した。 また自分についての部分に、「高校時代から重い精神疾患があり」と書かれている。「重い」というと幻覚妄想を伴う統合失調症(精神分裂病)を想像してしまうが、それではない。けれども大学の頃、こちらとしては「気になってしかたがないこと」だと思っていた訴えに対して、精神分裂病薬を処方されていた時期があった。「妄想」と判断されたようで、ショックを受けた。少なくとも症状は、軽いというわけではなかったということか。 まあこういう話は90年代後半からしていたし、それが新聞に載ったこともあったと思うが、ますます普通に受け止められる世の中になり、とても好ましい。「パワハラ」も書いてあるが、それも追い追い言っていこう。 何度も足を運んでくれた記者さんが丁寧に取材して書いてくれたいい記事なので、読んでほしい。 ※写真は自分が初めて参加した時のもの。確か「Buy Nothing Day」だったので、そう書いた紙を置いている。

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遠藤ミチロウと大人しくしない中高年像

ザ・スターリンという日本を代表する80年代のパンクバンドをやっていた遠藤ミチロウ氏の本の書評を書いた。 彼の名は”騒動”(ちくまweb) 日本の80年代パンクシーンにはいいバンドが多かったが、やはりザ・スターリンはひとつ飛びぬけていた。本領を知るにはまず、『トラッシュ』『STOP JAP』『虫』の3枚のアルバムを、さらには『フォーネバー』、ソロの『オデッセイ1985SEX』(シリーズ1枚目)あたりを聴いてもらったらいいと思う。そのよさについては、記事に書いた。『ワルシャワの幻想』という代表曲の出だしが「オレノソンザイヲ アタマカラ カガヤカサセテクレ」なのだが、この「オ・レ・ノ・ソ・ン・ザ・イ・ヲ」の8文字が素晴らしく、これだ、などと思いつつ、部屋で毎日ぶつぶつとこの部分を歌っていた。当時の日記を読み返すと、この8文字が何度も出てくる。(元は町田町蔵の歌詞の一部だが、そんなに重要なことではない) そして書評にも書いたが、ミチロウ氏が晩年被災地に行ってまで、ザ・スターリンなどのえげつない歌詞を歌って受けていたのも、もっと評価されていいことだ。中高年像もまた昭和の時代から明らかに変わってきている。ローリング・ストーンズが70代になってもライブで「不満だぜ」と歌って、中高年の客がそれで盛り上がっているのを見てもわかる。親が子供に威圧的でなく、友達みたいになってきたのも、同じ変化の別の側面だと思う。 かつて中高年と言えば、実際には大した境地に達していなくても、子供に道徳臭い説教を垂れて、いかに…

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1周年目の「不適応者の居場所」報告

1周年目、11月の居場所は、20時くらいには会場が定員オーバーになってしまい、そのあたりに来てくれた方には、少し遅れて来てもらうことになった。こういうことは2度目で、滅多にないことだけど、狭い思いをさせてしまって申し訳なかった。男女比は2対1くらいで、初めての人がとても多かった気がする。 自分が最近ツイートなどしていることもあってか、男女一対一でのつき合いの話もあった。男女混合では問題なくつき合いはできても、男女一対一となるといきなり敷居が高くなり、双方警戒心も強まって、とても難しくなる、といった悩みも。またすでにパートナーがいると、別の異性とは極端に交流しづらくなると話す方もいて、これもまた多くの人の悩みの種だと思う。こういう話が、いきなりできるのはいい。 吃音に悩んできた方の体験談も、思いもよらない苦労が多くてためになるが、大いに共感できる面もあったりする。認知療法の体験談も興味深く聞けたし、話せた。これもまた、そうそうできない話だ。こういう話ばかりではないが。ちなみに、なぜこんなに認知療法や認知の歪みに対する不満が世に多くなったのか、自分にはよくわからない。 その他、シェアハウスでの相部屋の難しさや、Twitterでのつながりすぎ疲れの話など、つながりの苦労についても考えさせられた。 (写真はピークを過ぎたあたりのもの)。

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巨大台風が来ると盛り上がるわけ (みんな一緒編2)

巨大台風が来ると盛り上がる話の三回目。前々回になぜ盛り上がるのかを、「非日常的なものにみんなで飲み込まれる」からだと書いたが、ここでは「みんな一緒に」の部分について。前々回も書いたが、巨大台風が来る時に盛り上がる心性は、不謹慎と切り捨てられるようなことでもなく、考えるべき大事な問題だ。 まず言えるのは、巨大な台風が東京を襲う場合、こんなにみんなで同じ経験をする機会はめったにないということだ。台風が通過している最中、東京にいるおそらく全員が暴風雨のことを心配しただろう。自分もネットでどの川が氾濫しそうなのか、飽きることなく検索していた。 「みんな思いが一緒」だと感じた時、何であれ涙が出るような熱い気持ちにならないだろうか? そこに、みんな動きが一緒、格好が一緒が加われば、熱さはさらに増す。これは社会的動物である人間に元から備わっている性質なのだと思う。だから、悪いものとして切り捨てることなどできない。 我々は日々、「みんな一緒」になれるチャンスを求めている。ライブ会場やスポーツの会場などは、以前よりも「みんな一緒」になっているように見える。ライブで全員が手を上げて左右に振る習慣や、スポーツ観戦でのウェーブなんかは以前にはなかった。ひとりのリーダーを壇上に上げて、大勢でワーッと歓声をあげると、何であれ、胸が自動的に熱くなるだろう。 人間は「みんな一緒」を肯定しているのか否定しているのか、まだよくわからない。それを決めていない。ただ今の日本について言えば、個々バラバラよりはみんな一緒のほ…

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巨大台風が来ると盛り上がるわけ(みんな一緒編1)

「この特殊なメカニズムは、現代社会において、大部分の正常なひとびとのとっている解決方法である。簡単にいえば、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、かれは文化的な鋳型によってあたえられるパースナリティを、完全に受けいれる。そして他のすべてのひとびととまったく同じような、また他のひとびとが彼に期待するような状態になりきってしまう。「私」と外界の矛盾は消失し、それと同時に、孤独や無力を恐れる意識も消える。」 「個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一になった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である。」 これは、社会心理学者E・フロム『自由からの逃走』(1941年)の一節。彼は大衆社会やファシズムに熱狂する人々の心理を研究して、この歴史的名著を書いた。彼はナチスによってドイツを追われ、この頃はまだナチスの全盛期だった。ただし、ナチスのことを中心に語っている本ではない。この本の趣旨は、自由を追求すると人は孤独で不安になるというもの。ここは、人がどのようにそこから逃れようとするかの三つのメカニズムのうち、どの社会でも人々が最も普通に取っているやり方を述べているところだ。つまり大衆の心理について語っている。ここは自分がこの本のなかでも一番気に入った部分で、大学のレポートなどに何度引用したかわからない。 さて、すでにここまでで長くなってしまった。巨大台風が来ると盛り上がる話の続きを書こうと…

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1周年の「不適応者の居場所」11月

つながりをなくしがちな人がつながる「不適応者の居場所」、11月は高円寺の会場でやります。最初に居場所を始めたのが1年前のこの会場で、ちょうど1年たったことになる。一番最初はうまくいくのかどうか不安だったが、それ以降は特に問題もなく続いてきた。自分はただ飲んで駄弁っているだけなので、参加してくれた方々のお陰だ。 日時:11月16日(土)18時~(5時間くらい? ずっといる必要はありません)場所:東京高円寺、素人の乱12号店やること:イベント会場に花見のように座って、飲食(酒を含む)をしながら駄弁る(何も話さなくてもOK)。費用:会場代、ビーガンの料理とスイーツのケータリング代、飲み物(酒、ソフトドリンク)代の2万5千~3万円をカンパで賄いたいです。注意:ハラスメントはやめてください。勧誘も不可。   途中から来たり途中で帰ったり、座る場所を移動したりも可。   一方的な支援活動ではなく、シェアの会みたいなものだと思ってます(そこにいるだけでもシェア)。※会場奥に0円ショップを設けます。放出してもいい物がある方、放出品が欲しい方は利用してください。 対象は「ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人」と言ってますが、厳密な決まりはなし。社会不適応者でなくてもいいくらい。 ちなみに、11月も紅葉が見られるので公園でできないか検討したところ、気温が花見シーズンより低い、日も短い、などがあって難しそうだった。結局1年のうち、外でできるのは…

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巨大台風が来ると盛り上がるわけ

「私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名をきくだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった。」これは、三島由紀夫の自伝的小説『仮面の告白』のなかの、主人公が敗戦の知らせを受け取った時のくだりだ。 超大型台風の19号が迫ってきた時のことを忘れないようにしたい。「地球史上最大かもしれない」という情報まで出て、気象庁が「命を守るための行動をしてほしい」という異例の声明まで出した「関東直撃」の台風だった。前日までに、ガラスを補強するための養生テープとパンがスーパーで売り切れてしまい、空の棚の写真がTwitterに出回って大々的に拡散された。同じくTwitterでは、自発的に備えや「命を守る行動」を呼びかけるツイートが大量にリツイートされた。「盛り上がっている」と感じた。 盛り上がっているという言葉だけで、こうした感情を「不謹慎だ」などと押さえつけてしまっては、大事なものを見逃してしまう。被災者支援の盛り上がりだって、これと地続きの感情によるものだと思う。台風の真っ最中には自分もtwitterで、どの川が氾濫しそうなのかを「〇〇川 氾濫」のワードで検索しつづけていた。これもその盛り上がりなのだ(Twitterばっかりだが)。 「非…

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「不適応者の居場所」@秋の公園の報告

10月の「不適応者の居場所」には、午前中までの雨のせいもあってか、やや少なめの20数人の参加。ただ、大阪や名古屋、そして愛媛から来てくれた方もいた。高円寺の会場の前まで来たのに勇気が出ずに入れなかったけれども、今回はついに参加できたという方も。 公園でやる時にはいつも、場所を取って腰をおろし、まわりを眺めた時に「ああ、これだけで成功だな」と思う。この居場所の参加者には自然鑑賞が好きな人が多く(もちろん自分も)、鳥や草木、虫の人気が高い。この日の公園では至る所で金木犀が満開。そして日が暮れると同時に飛び交っていた鳥がいなくなって、入れ替わるように秋の虫の声が突然響きだしたのには驚いた。夕方頃には虹も出た。そんな話が散々できたのは、公園でやったせいでもあるだろう。 さらに昔の人がこんなふうに自然のなかに座って短歌や俳句を詠みあった話、かつては大事なものとされた俗世を捨てる文化のこと、老荘思想の話なんかもできてよかった。 また地方から来られた方に、地方のオルタナティブなスペースや一日店長バーの話など詳しく聞けたのもためになった。他の集まりや居場所の話は、よく出る話題のひとつだ。 こういう場所で、日が暮れるまでこんな話をしていたことは、地味だけれども、意外と一生ものの思い出なのかもしれない。

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