新年の「不適応者の居場所」報告

1月の「不適応者の居場所」は初の金曜17時からのスタート。最初の2時間くらいはゆとりの人数だったものの、20時くらいにはやはり上限(35人くらい)になり、21時くらいになるとまた空きはじめた。来る時の参考にしてください。さて、1月は遠方からの参加者が多かった。地方で0円ショップをされている方と初めて直接話せて、場所のことなど、知らなかった苦労話を聞けた。長野からの方が長野のりんごを差し入れてくれて、みんなで分けて食べられたのもなかなかよかった。 会社に勤めている方が、昼休みにも誰とも話さず、つながりがないと嘆いていた。以前には、毎日昼休み中、気の合わないグループのなかで自分だけ黙っているのが辛いと言っていた方もいた。もちろん、会社に勤めていないからつながりがないと言う人は、この居場所にはさらに多い。「単純な問題ではないな」と思う。 家族もそうだ。複数人で同居していても、ひきこもりの人もいるし、家庭内の喧嘩が絶えない人もいるし、一人暮らしでも活発につながりを作って活動している人もいる。家でテレビばかり見ている老夫婦は、一人ではなくても、社会的孤立の問題の対象であるなと思う。人数の問題ではない。 まあ色々思う。そして画像挿入がうまくいかないとも思う。写真を中央に大きく置きたいのだが、そういう機能はこのブログにはないようだ。

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『月刊むすび』の連載継続中

相変わらず『月刊むすび』の、つながりづくりの連載は続いている。最新2月号は、つながりをなくすことと心の病、そして弱さを共有することのよさなどについて、「不適応者の居場所」を題材に書いた。 『むすび』は、マクロビオティックを提唱する正食協会が出している雑誌。そしてマクロビとは、日本の伝統食を元にした食事法と考え方、みたいなものだと解釈している。実践しているわけではないが、その土地のものを食べようという考え方なんかは、なかなかいいと思っている。自分でもできていないが、どうせほとんどの人にとって完全にできるはずもなく、「なるべくやる」とか「考え方に賛成」くらいでもいい。

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映画『わたしに会うまでの1600キロ』と不安をあおる社会

正月には何か一本、放浪ものの映画(ロードムービー)を観ることにしている。今年観たのは『わたしに会うまでの1600キロ』だった。 【ここからネタバレ】主人公が母の死から自暴自棄になり、性依存症や薬物依存に陥ってしまい、経験もないのに無謀にもパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)の踏破、つまり数か月に及ぶ過酷な長距離の山歩きに乗り出す話。道中の宿泊はほぼ、人気のない場所でのテント暮らしで、水や食料の不足、雪や野生生物に悩まされる。あまりにも過酷すぎて、死んでしまってもおかしくないなと思うほどだ。【ネタバレここまで】 これはアメリカ女性作家の伝記の映画化で、正直に言えば、実話ゆえに話の出来はそれほどでもない。それでも見ているだけで爽快な気持ちになるから、放浪もの映画は素晴らしい。我々の日々の暮らしには、こうしたものが必要なのだ。 今の日本の社会は、不安をあおる情報ではちきれそうだ。病気や事故の不安、老後、生活、災害、等々。もちろんもともとはどれも必要な情報であり、善意で流されていたはずだ。そのくらい警告するのが適当というものも、なかにはあるだろう。ただ全体的に見れば、適量を超えても止まらなくなっているのが今の状態と言える。 「公園での禁止を増やす自治体の心理」的なものの作用はある。あれもこれも危険だ、やめておけと言っておけば、社会全体が窮屈になったとしても、自分は責任追及を免れる。それは別の形の無責任でもあるのだ。 また、「不安情報は人の目を引くことを知っているマスコミの心理」的なものの作…

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新年の「不適応者の居場所」

2020年の最初の「不適応者の居場所」は、17日にやります。年末や正月はどうやって過ごすのがいいのかなど、色々聞いてみたい。新年会のつもりでどうぞ。 ちなみに自分は、年末はほぼ大掃除と正月の準備だけに明け暮れて、そして正月には日常的なことは一切やらないことを心掛けている。毎朝風呂に入って、毎日朝から酒を飲み、初詣など正月らしく賑わっているところに出かける。SNSはやらず、正月らしいお笑いの番組や映画を観る。何となくいつもどおりに過ごすことなどない。そのくらい真剣に(?)お正月(非日常)をやらずにはいられないほど、「日常生活」は嫌なのだ。 日時:1月17日(金)17時~6時間くらい?場所:高円寺・素人の乱12号店やること:飲食をしながら話す。話さなくても可(話すのが苦手な人も多いです)。費用:会場代、ビーガンの料理とスイーツのケータリング代、飲み物代(アルコールを含む)の費用約3万円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントや勧誘など、「お互い様」の原則に反する行為はしないでください。お互い様で成り立つ相互扶助の会であって、支援活動ではありません。目的:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっち等々、様々な理由でつながりをなくしがちな人がつながりを作る。 ※会場奥に毎回0円ショップを作っているので、放出品がある人や欲しい人は利用してください。 前回、前々回と人が多かったので、開始時間を早めた。平日17時台はさすがに空くと思うけれども、そう書くと以前にはむしろ混んでしまった…

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ベタベタした人間関係がいいわけではない

自分は親とは仲が悪くはないが、そんなに頻繁には会わないことにしている。あくまでも時々会うだけだ。なぜか。それは、近づきすぎると必ず、ああしろ、こうするなという特有の嫌な面が出てくるからだ。これまでにもそれで、何度も決裂して、そのまま絶交しそうになったこともあった。そうした経験をふまえての、互いの知恵なのだ。(もちろん今後どうなるかはわからないが)。 これは人間関係を考えるうえで、とても重要なことだ。人は、あまりに近づいていると、好感だけでなく「嫌だ」という感情も湧くものだ。人間は誰でも聖人君子ではないのだから。いつも口では聖人君子のようなことを言っている人間でも、近づいてよく見れば普通に醜い面を持っているのがわかる。 では、学校の人間関係はどうだろう。細々とした班、係、掃除、給食、学級会、朝礼、体育祭、文化祭、合唱祭、そして部活動。考えてみれば教科以外にたくさんの活動があることに気づく。うちは勉強だけ教えますという大学にはまったくないものだ。「特別活動」という日本独特の教育法である。あれらは道徳教育でもあり、「みんな仲良く」の教育とも言える。いじめへの対策として、特別活動をもっと活発にすることも提唱されている。 けれどもこういう対策には、人間の悪い面が見えていない。こんなに朝から夕までベタベタさせていたら、誰でも「嫌い」の感情が出てくる。それがいじめにもつながる。いじめの温床を自分たちで作っておいて、いじめをゼロにしようとしているのだ。もちろんうまくやれる相手となら、どこまでも親密になればい…

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今年最後の「不適応者の居場所」の報告

12月の「不適応者の居場所」は、またしても一杯の人に訪れていただいて、一時は30人半ばになってしまい、また時間をずらしてまた来てもらう方が出てしまった。中で窮屈な思いをした人にも、申し訳ない。なぜ人が大きく増減するのかはよくわからないのだが、Twitterとブログでしか告知していないので、ちょっとわかる面がある。今回は、前のブログ記事「異性とつきあったことがなかった話」へのアクセスがとても多かったので、その影響である気がする。その記事を読んで、ハードルが下がったので初めてきたという方もいて嬉しい。もっと広い会場をご存知の方、あるいは貸しますという方、いらしたら声をかけてほしい。まあ、条件が色々あるのだが。 今回も遠方から来られた方、初めての方が多かった。こういうつながり作りは、SNSがなかった時代はどうしていたのかの話は面白かった。00年代にはトークや上映のイベントが増えたので、それが役割を果たしていたことはある。90年代ならパソコン通信のBBSのオフ会もあったが、利用していた人は少なかった。基本的には「店」だったのではないか。自分が知っているのは音楽をかけたりライブをやったりする店くらいか。 現時点の世の中では攻撃してくる人間が多いのだが、居場所のようなところで攻撃も反撃もない世界を作ることはできる、などという話もした。内輪の攻撃にさらされないコミュニティで生きられたら、幸福かどうか知らないが、大きな不幸は免れる。 クリスマスが近いので、ケーキとシードル(りんごの発泡酒)を出すという、初の…

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異性とつきあったことがなかった話

男女一対一のつきあいをこの社会が褒めたたえすぎていることについても、見直すべきだとかねがね思っていた。 自分は30歳くらいになるまで、異性とつきあったことは一度もなかった。最大の理由は、高校から大学という普通なら一番異性とつきあいそうな時期に、心の病の関係で対人関係が非常にやりづらかったから。症状の重い期間は、そもそも異性とつきあいたいという気持ちがない(病んでいる人が皆そうだとは限らないが)。別に異性が嫌いではないし、話もする。けれども、そんなに重くない時期でも、男女一対一でつきあうのは対人不安を押してまではしなくていいかと思いつつ、結局引いてしまうというところだった。 30歳くらいになってつきあうようになったのはなぜかと言うと、書いた本が売れて雑誌などで散々持ち上げられたため、異性同性を問わずそれまでは知り合えなかった、気が合う人、話が合う人と格段に知り合えるようになったからだった。 ただしこれは、心の病とかそういう特別な話にしたくない。自分としてもそれだけではない。無理につきあわなくてもいいか、くらいに思っている人は、今の世の空気のなかでは言えないだけで、実はたくさんいるのではないか。そもそも、そんなに皆が皆、一対一で異性とつきあいたいと思うかどうかが怪しい。またあの、異性の目を気にして、自分をよく見せようと努力すること(カッコつけたり、かわい子ぶったり)をよしとする文化が嫌な人も多いだろう。自分にもそれはあった。 そもそもこの社会では、「若者=男女一対一の恋愛」というイメージが強す…

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年末の不適応者の居場所

今年最後の「不適応者の居場所」を下記のとおりやります。これは、日頃つながりをなくしがちな人がつながるための集まり。対象は、ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人としています。ただし、それほど厳密なものではありません。少し早いクリスマス会か忘年会だと思って来てください。 日頃から日本の人間関係のよくない面を指摘しているけれども、人づきあいなどなくせばいいとは思っていない。自分の経験からしても、心を病んでいて「人づきあい=疲労」という時でも、やはり話の合う相手は欲しかった。まあ、そうでない時もあったし、そうではない人もいるとは思うが。 日時:12月13日(金) 18時~。場所:高円寺、素人の乱12号店やること:飲食(アルコール含む)をしながら駄弁る(お酒を飲まない人もとても多いです)。話さなくても可。費用:会場代、食べ物(ビーガンの料理とスイーツ)代、飲み物(酒、ソフトドリンク)代の約3万円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントや勧誘はやめてください。支援活動ではなく相互扶助の会なので、相手を思いやる気持ちがないと成り立ちません。 ※会場奥に0円ショップを作りますので、放出したい人、貰いたい人は使ってください(出す場合は、残ったら持ち帰りで)。 趣旨   過去の様子 土曜が取れず久々に金曜になってしまい、仕事の人すみません。前回は混みまくったけれども(理由も少しわかる)、それほどにはならないはず。多分。関係ないが、今回か…

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0円ショップの新聞記事と我が精神疾患

7年間も参加している「くにたち0円ショップ」を、東京新聞の夕刊1面と2面で紹介してもらった。 0円ショップ価値無限 垣根ゼロ 心つながる 東京・国立の路上 0円ショップの場としての重要性についてもかなり焦点を当ててもらっている。自分が参加し始めた最初の動機は、もちろん「物」に関するもので(もったいないとか、経済とか)、もちろん今もそれはある。けれども長く続けることになった理由は、やはり「場」、居場所としての魅力のほうが大きいかなと思っていて、記事にはならなかったがそう話した。 また自分についての部分に、「高校時代から重い精神疾患があり」と書かれている。「重い」というと幻覚妄想を伴う統合失調症(精神分裂病)を想像してしまうが、それではない。けれども大学の頃、こちらとしては「気になってしかたがないこと」だと思っていた訴えに対して、精神分裂病薬を処方されていた時期があった。「妄想」と判断されたようで、ショックを受けた。少なくとも症状は、軽いというわけではなかったということか。 まあこういう話は90年代後半からしていたし、それが新聞に載ったこともあったと思うが、ますます普通に受け止められる世の中になり、とても好ましい。「パワハラ」も書いてあるが、それも追い追い言っていこう。 何度も足を運んでくれた記者さんが丁寧に取材して書いてくれたいい記事なので、読んでほしい。 ※写真は自分が初めて参加した時のもの。確か「Buy Nothing Day」だったので、そう書いた紙を置いている。

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遠藤ミチロウと大人しくしない中高年像

ザ・スターリンという日本を代表する80年代のパンクバンドをやっていた遠藤ミチロウ氏の本の書評を書いた。 彼の名は”騒動”(ちくまweb) 日本の80年代パンクシーンにはいいバンドが多かったが、やはりザ・スターリンはひとつ飛びぬけていた。本領を知るにはまず、『トラッシュ』『STOP JAP』『虫』の3枚のアルバムを、さらには『フォーネバー』、ソロの『オデッセイ1985SEX』(シリーズ1枚目)あたりを聴いてもらったらいいと思う。そのよさについては、記事に書いた。『ワルシャワの幻想』という代表曲の出だしが「オレノソンザイヲ アタマカラ カガヤカサセテクレ」なのだが、この「オ・レ・ノ・ソ・ン・ザ・イ・ヲ」の8文字が素晴らしく、これだ、などと思いつつ、部屋で毎日ぶつぶつとこの部分を歌っていた。当時の日記を読み返すと、この8文字が何度も出てくる。(元は町田町蔵の歌詞の一部だが、そんなに重要なことではない) そして書評にも書いたが、ミチロウ氏が晩年被災地に行ってまで、ザ・スターリンなどのえげつない歌詞を歌って受けていたのも、もっと評価されていいことだ。中高年像もまた昭和の時代から明らかに変わってきている。ローリング・ストーンズが70代になってもライブで「不満だぜ」と歌って、中高年の客がそれで盛り上がっているのを見てもわかる。親が子供に威圧的でなく、友達みたいになってきたのも、同じ変化の別の側面だと思う。 かつて中高年と言えば、実際には大した境地に達していなくても、子供に道徳臭い説教を垂れて、いかに…

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