2007年04月29日

テレビのアナログ放送終了に反対する

tv.gif2011年7月24日までに、テレビ地上波のアナログ放送が終了することにも文句を言いたい。

これによって、国内に1億台あるとも言われるアナログテレビも、ビデオも、テレビ用チューナーがついてるものはすべて、そのままでは使えなくなる。総務省はデジタルチューナーを買い足せばいいと言うが、地上デジタル放送になると、嫌なことに画面のサイズまで16:9の横長に変わる。サイズが合わないんだったら、最終的にはほとんどの人がデジタル用の横長画面テレビに買い替えざるを得ないんじゃないか?
家電メーカーにとって、こんなうまい儲け話があるだろうか?

家電販売の基本は「買い替えさせる」ことだ(自動車でも服でも同じだが)。

本来のメーカーの良心的な態度とは、一生使えるような丈夫でいい製品を作って、あとは修理などのアフターサービスを充実させることだったはずだ。が、そんないい製品が全員に行き渡ってしまったらどうなるか? もう新製品はひとつも売れなくなってしまう。
そこでメーカーは、「一家に1台から2台の時代へ」などと宣伝したり、モデルチェンジやバージョンアップで以前のものを「古い、ダサい」と思わせたり、従来の“規格”を一方的に変えて使いづらくしたりして、我々に新規購入を迫る。
音楽関係の商品を見ても、カセットテープ、CD、DAT、MD……などと、新しいモデルを次々と繰り出しては、まだまだ使えるハードやソフトを隅に追いやって、新製品を買わせてきのだ。
こうすれば、たとえ本来の限界が1億台であっても、2億でも3億でも売れるわけだ(ちなみに「修理するくらいなら買っちゃったほうがいい」と思わせるように修理代を設定するのも、あるいはPSE法だって、そんな手口のひとつなんだろう)。

そんななかでも今回の「アナログ放送終了」のタチの悪さは、ユーザーへの配慮のなさや、使えなくなる製品の数からしても破格だ。
大体家電メーカーの人も、「特需」なんて騒いでるようだが、いくら会社が儲かっても、自分たちが一生懸命作った製品が捨てられてしまって、わざわざまた全部作り直すだなんて、嫌じゃないのか?

しかし「経済成長する」というのは、大体こういうことなのだ。
経済成長の指針であるGDPとは「国内総“生産”」のことなのだから、大まかに言って、“生産”が増えれば成長率は上がり、景気がよくなったとされる(もともと要らないダムの工事をひとつ起こすだけでも、経済は成長するのだ)。
その分、余計な出費がかさみ、仕事は忙しくなり、資源は無駄になり、ゴミが増える。企業にとってはそれがベストだが、そこに生きてる我々は単に大変になるだけじゃないのか?

そんなものには付き合いきれない。

デジタル放送なんてやりたきゃやればいいが、これまでのテレビやビデオもそのまま使えるように、アナログ放送も残せと言いたい。
「地上デジタル」化はもともと国の政策なんだから、税金を払ってる以上、文句を言う資格がある。

posted by 鶴見済 at 23:39| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

それでも自然界は回っている

人間界でいかによからぬ事態が進行していても、自然界全体は相変わらずグルグルと回っている。
その自然界の一部分である生物界を大まかに三つに分けるのが、その回り方を説明するのに都合がいい。それが、動物と植物に菌類を加えた生物三界説だ(他にも分類法は色々あってややこしいんだが、ここでは微生物も含めた広義の三界説に従っておく)。

菌類(微生物)とは、例えばカビや酵母やきのこなど、ものを腐らせたり発酵させるなどして栄養を取る、植物のように光合成もしないし、動物のように動いて食べ物を取りもしない、言わば日陰者の一大生物群だ。
今の地球生態系においては、植物、動物、菌類(微生物)は各々、太陽の光で無機物から有機物を合成する「生産者」、それを食べて分解しエネルギーにする「消費者」、そして落ち葉や動物の糞尿も含めた有機物全般を無機物に戻す「分解還元者」とも言われる。
この第三の「分解還元者」がいて初めて、植物は根から無機物を吸い上げて枝葉を伸ばし、また光合成ができるわけだ。

こうして見ると、自分も含めた地球上のモノが、グルグルと循環していることがよくわかる。これが「有限なものを無限に使い回すシステム」などと言うものだが、自然界は大体こういう動き方をしている。

ヒトは古くから植物と動物の生物二界説を取ってきたが、物事は決して「生産→消費」なんていうふうに一方向に向かってないのだ。
人間界で言われている「リサイクル」も、こういう循環的な感覚にも根ざしてるのかもしれない。
一度使ったものは再利用していかないと、なんと言うか、「辻褄が合わなくなる」はずだから。

posted by 鶴見済 at 17:55| 自然界 | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

テレビは中立のメディアではない

テレビの民放(地上波放送)を見ている人はこんなにたくさんいるのに、それにカネを払ってる人はいない。
では、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京……、といった会社の経営は、どうやって成り立ってるんだろうか?
当然、ほとんど全部、9割以上は企業からの広告収入(CMとスポンサー料)で成り立っている。
番組制作費や出演者のギャラだけでなく、会社員の給料も、社屋の維持費も、下請け会社に支払うカネも、そこから出ているのだ、信じがたいことに。

だからテレビは、基本的に広告主の企業を批判できないだけでなく、全体的に企業活動の応援をしているに決まっている(その鬱憤がたまって、時々特定企業の大バッシングになるのかもしれない)。彼らは、「番組」という商品を作って、我々視聴者ではなく、企業に売っていると考えているのだ。

基本的に情報の受け手からカネを取っているメディアは、新聞でも雑誌でも、受け手のために情報を流す建前を取っている。
けれども、雑誌なんかを見てると、広告収入に比重が移っていくにしたがって、「読者のため」よりも「企業のため」のページが増えてきて、広告と本文の区別がつかなくなってくる。そして民放テレビの場合は、初めから「視聴者のため」という建前すら取っていないわけだ。

企業は企業で広告費を使いすぎていて呆れるが、テレビには最も多くの広告費を割いている(そしてその広告費は、商品の価格に上乗せされていて、結局我々消費者がそれを払っている)。
テレビとは、企業にとっても最大の宣伝の場であって、この世にテレビさえなければ、こんな消費社会は成り立たないんじゃないかと思える。

つまり、テレビを見ていれば必ず、何かしらの点で企業のメリットになるように煽られている。テレビをなるべく見ないことは、それだけでも十分、反資本主義的な行為なのだ。


参考:有力企業の広告宣伝費 2006年版 日経広告研究所

http://www.nikkei-koken.gr.jp/study/01.html

(広告宣伝費上位10社のランキングが面白い。1位のトヨタ自動車の広告費は、年間1000億円を超えている)

posted by 鶴見済 at 13:58| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

軍拡が批判されない不思議

fBAERg[.jpgある国が軍隊を海外に送ったり、そのための軍備を拡大したい時に、国民に対して何をするか?
反グローバリズム知識人の代表であるノーム・チョムスキーの『メディア・コントロール』という本には、こんなことが書かれている。

国民は普通平和主義に傾いてしまうものなので、そういう時には、国が敵国の脅威をマスメディアを通じて大々的に宣伝・広告し、国民を怯えさせ、世論を好戦的な方向へ操作して、その政策を後押しさせるのだ。
この方法は、アメリカが第一次大戦に参戦しようとした時に初めて使われたもので、敵国・ドイツの恐ろしさを宣伝することによって、平和主義一色だった世論をわずか半年足らずで、ヒステリックな戦争賛成論に変えたそうだ。
その後この方法は、ユダヤ人を仮想敵としたナチス・ドイツをはじめ、多くの国で採用されて、今に至っているという。
確かにそういう例は、戦時中の日本でも、911以降のアメリカでも、いくらでも思いあたる。もはや常套手段と言ってもいい。

今の我々も、ある程度そういう国策のなかにいるんじゃないだろうか?
この国では、軍備拡大の(あるいは軍隊を持ち、海外へ送る)ために、北朝鮮や中国への敵国感情をあおるような、メディアを通した宣伝が行われていないだろうか?
国がNHKに対して、北朝鮮拉致問題の放送命令を出したことも、その一例とも見れるし。

憲法“改正”の最大の目的は、言うまでもなく、戦力(軍隊)の保持だ(それ以外にも見落とせない点はたくさんあるが)。憲法が“改正”されたら、この国が軍拡に向かうことは間違いない。
なのに、国民投票法が勝手に作られたりして、“改正“は着々と進んでいても、国民の多くがただその経過を眺めているのはなぜなんだろうか。それによって増大する軍事費を、自分たちが負担させられるっていうのに、なぜか世論が普通に平和主義の方向ではなくて、好戦的なほうに傾いてしまう。
もしかしたらその国策は、すでにある程度成功してしまっているのかもしれない。


しかし、都知事選に続いて国民投票法案の強行採決と、まったくもって政治的に最悪の状況が続いていることだ。

posted by 鶴見済 at 14:24| 人間界の政治 | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

人柄で政治家を選んではいけない

今回の都知事選のNHKの出口調査によると、候補者を選ぶ際に何を重視したかの質問で、一番多かった答が「人柄」だった。
その結果にも驚くが、それが大して問題にもされてないことに、より驚く。

当たり前のことだが、政治家の良し悪しと「人柄」とは何の関係もない。
芸能人なら、「人柄」はある程度本業とも言えるので、それを重視してもいいだろう。が、政治家の本業は政治なのであって、人柄が最高だろうが最低だろうが、単に「いい政治をやった(やる)人がいい政治家である」だけなのだ。
だから、人柄なんか関係ないどころか、むしろ政治家を人柄で選んではならないのだ(人柄が最高にいい、危険な政治家が出てきたらどうするんだ?)。

さらに当たり前のことを確認しておくと、選挙は芸能人の人気投票とは違う。
選挙とは、いちいち全員の意見を聞いて政治を行うわけにはいかないので、各自が自分の意見や利害を、自分に代わって政治に反映してくれる代理人・代表者を投票で決める制度なのだ。

──まあ、何と言ったらいいのかわからないが、芸能人も政治家も、テレビに出てるから同じようなものだと思って、「人柄」だの「キャラ」だので選んだり騒いだりしてると、結局自分自身が損をすることになると思う。その政治家が、自分の意見や利害を代表してくれるとは限らないんだから。

石原慎太郎とか小泉純一郎といった政治家について、特にそう思う。

posted by 鶴見済 at 11:41| 人間界の政治 | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

健全な青少年の育成と愛国心の教育

99年頃から、この国で有害図書(情報)の規制が強まったが、この時に”口実”にされた「青少年の健全な育成」というのは、今にして思えば、「愛国心の教育」と同じものだったんじゃないか?

99年と言えば、国旗国歌法が制定された年でもあるのだ。

そのわかりやすい例が、同じく99年に都知事になった石原慎太郎の教育活動だ。

 

石原は都知事就任以降、”有害”情報の規制と、都の青少年健全育成条例の書き変えに熱心で、2000年には自著『完全自殺マニュアル』まで、不健全(有害)図書に指定すると発表した。この本が売れることによって、自殺者が増えたなんて事実がそもそもなかったのにもかかわらず、だ。指定だけは、辛うじて瀬戸際で食い止めることができたんだけれども(この時に協力してくれた人たちには、本当に感謝している)。

 

その後、東京都をはじめ、全国でも“有害”情報全般の規制は強まっていき、出版に限らず、若者文化自体が致命的な大打撃を受けて今に至ってると思う。

 

そして、去年はついに教育基本法に「国を愛する態度」が組み込まれて、君が代と日の丸の学校での強制は、石原の都立学校への無理強いを筆頭に、全国的に激しくなっている。由々しい。


さらには、石原慎太郎総指揮による『俺は、君のためにこそ死ににいく』っていう特攻隊を扱った映画まで、来月公開予定で、石原は特攻隊について肯定的なコメントをしている(まだ観れないので、単純に愛国的な内容かどうかはわからないけれども)。

 

参考:『俺は、君のためにこそ死ににいく』公式サイト

http://www.chiran1945.jp/

 

今後も、この傾向を野放しにしておくと、もしかしたら、反愛国的な情報は青少年にとって“有害”“不健全”とされて、規制されるようにまでならないとも限らない。
極めて由々しい。


(関係ないが都知事選に関しては、自分は社会福祉が専門の浅野史郎氏を支持してる。少なくとも、石原慎太郎のような人物が都知事をやっているというのは、それだけでも十分異常なことなのだ)。
posted by 鶴見済 at 13:17| 人間界の政治 | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

男は家庭科を知らなくていいのか?

家庭科なんて小学校の時以来、男にはまったく関係ないものになってるが、ずっとこれを知らないままでいいんだろうか。

例えば、家庭科の教材として使われる、その世界では大変有名な『食品成分表』という本がある。穀類、菓子類、魚介類、野菜類、果実類……などに分けて、ありとあらゆる食品について、たんぱく質、脂肪、炭水化物、ミネラル、ビタミン‥‥等々がどれだけ含まれているのかが事細かに記されてるんだが(そして自分にはそれらが、一日どれだけ必要なのか、も)、これが面白い。

こういったことは、自分の体のためには不可欠な情報だし、何よりも普段食べているものに俄然興味がわいてくる(と言うよりも、これまであまりにも知らなさすぎた)。
さらにそれらが自分の体のなかでどのように血肉化されるかまで調べていくと、これはもう単なる栄養学にとどまらず、人体に関する生化学ですらある。
こうなってくると、食材の選び方も変わってくるし、栄養価に乏しい外食なんかするのが空しくなり、売られている食品についても、それらが獲られ作られ、加工され、流通されて、自分の体に入るまでの過程まで意識せざるをえなくなるので、人間社会の問題まで考えざるを得なくなってくる。

こういった家庭科的な知識や視点が、この国の男からはごっそりと抜け落ちているはずだ。そういう「大人の男」の価値観だけで動いている経済や政治は、「家父長的」に偏っていてよくない。

posted by 鶴見済 at 20:04| 自然界 | 更新情報をチェックする