2007年05月27日

エリートがB層(大衆)をだましている

B層のポジション.pngごく一部のエリート(と自負している人たち)が、大勢の人たちを犠牲にして、自分たちばかりが利益を得るような社会を作っていきたかったら、どうするだろうか?

普通の民主主義社会では、まともにやっていたのでは多数決で負けてしまう。そんな時にやるのが世論操作や大衆操作、つまりその大勢の人たちをある意味で、聞こえは悪いが、「だます」ことだ。自分で判断ためのする材料を提供するのではなく、都合のいいほうに誘導するのだ。
民主主義社会というのは初めから、こういうダーティな側面を持っている。

この国でそれが行われている証拠として一番わかりやすかったのが、前回の総選挙の半年ほど前に国の依頼を受けてあるPR会社が税金で作った、かの有名な『郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略』の企画資料(↓)だろう。

http://tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdf

この資料は、隅々までいちいち興味深いんだが、それはこの国が陰でやってる重大なことの氷山の一角が、ここに見えてしまってるからなんじゃないか?

ここで“B層“というのは、主婦や子供やシルバー層、「具体的なことはわからないが、小泉首相のキャラクターを指示する層、内閣閣僚を指示する層」とされていて、「最も重要な点は、郵政の現状サービスへの満足度が極めて高いこと」(!)だそうだ。そして「B層にフォーカスした、(郵政民営化合意のための)徹底したラーニングプロモーションが必要と考える。」らしく、そのプロモーション戦略もあれこれ考えられている。

そもそも「民営化」というのは、公営だったものを資本主義経済のフィールドに放り出して、国の負担を減らし、自由競争にさらすという、新自由主義(ネオリベラリズム)の基本中の基本政策で、結果的に損をするのは大勢の一般の人たちのほうだ。しかもその人たちが現状に極めて満足してるっていうのに、こういうことを考えるとは……。

このB層を「IQが低い」と位置づけたことがことさら話題になったけれども、それはまるで悪徳商法に長けた人が、「引っかかるほうがバカなんだ」と言ってるようなもんだ(悪徳商法でも大衆操作でも、だまされた側じゃなくて、だました側を責めるべきだろう)。
こういうことを言う人たちは、エリート意識の塊みたいなものだろうから、エリートに都合のいい政策はどんどん広めたいだろうと思う。

そしてPR(広報)会社なんて言っても、実態は広告代理店とほとんど変わらない。ここで使われているマーケティングとかセールス・プロモーションといったテクニックは、当然のことながら広告代理店が練り上げていったものだ。

広告業界は普段は商品の広告を扱っているが、戦争になったら政治だって扱ってきたし、最近は普通に政党のCMなんかも作っている(やらせとサクラが話題になった小泉前首相のタウン・ミーティングにも電通の社員がかかわっていた)。
こうした広告業界が絡んだ政治的な戦略には、最大限の注意を要すると言っても過言じゃないだろう。
(「エリート気取りの人たち」にも、政界人、財界人、官僚、学者……と色々いると思うが、この広告業界の人というのは、特に見えにくくてタチが悪い存在と言えるかもしれない。)


で、今気になるのは、前回の総選挙で勝手に争点と決め付けられた「郵政民営化」について使われ、大成功をおさめたこういう“合意形成の戦略”が、今度の夏の参議院選挙で首相がまたしても一方的に争点だと主張してる「憲法“改正”」についても、すでに使われていないか?ということなんだが。

全然ないってことはないと思う。

posted by 鶴見済 at 18:18| 人間界の政治 | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

競争で幸せになれるか?

「個人であろうが、企業であろうが、あるいは国家であろうが、この世界で生き延びるために重要なことは、競争相手に勝つことである」
   多国籍企業ネスレの経営者の世界経済フォーラム(ダボス会議)での発言*)


今この国は、学校でも会社でも「競争」を激化させる方向で動いているけれども、こういうことで我々は幸せになれるのか?

もともと社会的な競争というのは、結果として一部のエリートを選び出すことを目指している。
国が今、わざわざ学校どうしを競争させてまでそれを激化させようとしているのも、そうやってエリート層を養成して、その他大勢の競争に参加しなかったり、頑張って競争しなかった人なんか、彼らがいいように使えばいいと思ってるからだろう。
企業は企業で合併に合併を繰り返して、業界何位とかの大資本を目指して競い合ってるが、そういう一部のエリート企業が残れば、それ以下の中小企業なんかどうなったっていいと思ってるわけだ。
こういうエリート主義というのは、そもそも民主主義に反していてダメなんだが、それもまた例の新自由主義(ネオリベラリズム)の一部だったりする。
結局、競争もエリート主義も格差も、同じひとつの現象なのだ。

しかし、だ。社会的競争なんて、誰もが相対的な順位を競ってるだけなんだから、どこまで行けば勝ちというものでもない。全員が常に追い抜かれないように追い抜く努力をするという、無限の頑張りを強いられるだけなのだ(ただでさえこの国ではもう十分に「頑張り」は強調されてきているというのに)。
それに、「他の人と比べてどうであるか」なんてことが価値基準になって、「自分がいいと思うか」が蔑ろにされてる世の中も、実に居心地が悪い。


ヒトという生き物が生きるペースは、今よりももっとゆっくりであるはずだ。だからこそ、競争に勝っていったところで、頭で「優越感」なんかにひたってるだけで、その身体は苦しいままなのだ。エリートになんかなったとしても、一個の生き物として、決して幸せになってるわけじゃない。

こういう「競争主義」や「エリート主義」にも、そんなものに煽られたくない人は、反対していかないとマズイ。


*) 『グローバリゼーション・新自由主義批判事典』イグナシオ・ラモネ他著、杉村昌昭他訳、作品社、より

posted by 鶴見済 at 18:21| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2007年05月15日

宇宙のことを考えてしまえば

ginga.jpg宇宙や星のことを考えてしまえば、人間界で起きるたいていのことは、どうでもいいことのように思えてくる。
最近の東京では、自分の子供の頃に比べたら星なんか見えないに等しいが、ではその夜空に通っているはずの「天の川」とは何だろうか? 実は、我々がいる「銀河系」という円盤渦巻状の星の集まりを、その内部から見た姿なのだ。つまり「天の川」は「銀河系」そのものである、と。

45億年前に、この大きなうずの周辺よりのあたりで太陽という恒星が生まれて、いくつかの惑星がその周りを回りだした。それらのなかで内側から3番目にある惑星が、この「地球」なのだ。
当たり前だが、地球が1回公転する時間が1年なので、その後地球が10億回公転した35億年前に、この地球上にひとつの細胞ができた。それが最初の生物だ。
それ以降、細胞は分裂と結合を繰り返して、少しずつ大きくバラエティに富んだ組織を形作っていく。その過程で、植物が大繁殖したり、「魚類の時代」を迎えたり、恐竜が絶滅したりと、生物界も色々劇的な事件に見舞われたが、200万年前にはついにヒトが誕生するに至った。

そして今では概数すらつかめないほど多くの、ヒトが名前を付けることができただけでも200万種にものぼる生物種が、この地球上に散らばっている。
ヒトはそんな生物種の一種なのだから、「人間界」というのも、その生物種の数だけある「○○界」のなかのひとつにすぎないのだ、基本的には。

そして太陽が燃え尽きるまであと50億年という説に従えば、地球もその寿命の半分くらいまでは来ていることになる。が、太陽が燃え尽きたところで、銀河系は相変わらず2・5億年に1回というスローペースで公転を続けていることだろう。


こんなふうに人間界を相対化して見ることは、地球生態系というものを理解するうえでも、あるいは精神衛生の面から見ても、特に細かい人間関係の悩みなんかに圧倒されてしまわないためにも大事だ。
だからといって、人間界のことがどうでもいいなんてことにはならないが、国民投票法がなにげに成立してしまった今、こんなことでも考えてないとやってられない。

図は増進堂・受験研究社HP http://www.zoshindo.co.jp/Rjiten.htm より

posted by 鶴見済 at 00:00| 自然界 | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

第2次世界大戦という愚行

大空襲後の東京.jpgヒトという生物種が文明の歴史を持ってから6千年くらいの間で、やらかしてまった数々の愚行のうち、最大の愚行とはなんだろうか?
欧米列強国がやった植民地支配と、それに伴う奴隷貿易や先住民の虐殺だろうか? 2千回以上もやった核実験だろうか? どっちも大失敗ではあった。が、もしアンケートを取ったら1位になりそうなのは、やっぱり「第2次世界大戦」なんじゃないか?

そもそも「戦争」というのがヒトの愚行の筆頭に挙がるというのに、そのスケールの大きさでも第2次大戦はダントツなのだ。範囲はヨーロッパ、アフリカ、アジア、太平洋に及んでいるし、1939年からたった6年間の間に死んだ人の数は、3千万とも5千万とも6千万とも言われている。
決して多く見積もってるわけではなく、死者5千万人としても、その頃の世界の人口が25億人にも満たなかったことを考えれば(それはそれで驚くが)、全人口の2%以上にあたってしまう。

もちろんヒトだけでなく、同時に他の生物も殺してるわけだが、他の生物が同種間で殺し合うことは例外的だとも言われる。だとすると、こういう数字を出してしまったことは、やっぱり何百年たってもヒトの歴史に残るんだろうと思う。

ちなみに、なぜこんなに殺してしまったのかというと、爆弾やそれを運ぶ飛行機などの兵器が飛躍的に発達してしまったため、民間人も攻撃しやすくなったこと、などが挙げられている(昔の戦争は、兵器が大したことなかったので被害も高が知れていたとも言える。だから兵器なんかわざわざ作らなくていいのだ)。


さて、そこでまた日本国憲法の話なんだが。
第2次大戦をやらかしてしまった国は、基本的にドイツ、イタリア、日本の3つだけだが、そのうちアジア・太平洋方面で戦争を仕掛けたのは日本だった。
で、この国の憲法は、その人類史上最悪とも言える失敗の反省というやつからできている。
だから、単に「60年たって古くなったから、そろそろ変えたほうがいい」なんていう意見は、ちょっとどうかと思う。世界遺産にしたほうが全然いい。


写真は大空襲を受けて廃墟になった東京。

関連推薦映像:『映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た』(NHKエンタープライズ)

posted by 鶴見済 at 19:46| 人間界の政治 | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

社会に文句を言おう

今のこの国にいる人が感じる「生活苦」は、かなりの部分が「社会のせい」だと思う。決して「自己責任」ばかりじゃないはずだ。 

「社会のせい」というのは、ある意味で「新自由主義(ネオリベラリズム)」の経済政策と、それを世界規模にした「グローバル経済(グローバリズム)」のせい、と言えるかもしれない。
新自由主義というのは、できるかぎり国の介入を減らして、市場の自由競争にゆだねようとする経済政策で、80年代あたりからアメリカを初めとする世界各国で取られるようになって、日本では小泉内閣がそれを本格化させたとも言われる。

こうなってくると、企業は国内はもちろん国際的にも勝ち残らなくちゃいけないので、コストを徹底的に切り詰めようとする。そのために働く人の賃金を下げてこき使い、正社員を減らして、安く使い捨てられる派遣やアルバイトに切り替える。職場は戦場と化す。
国は社会福祉を切り捨てて、国営だったものを民営化して、モノやカネや労働力の国際的な「自由化」をはかる(ただしこの国では、大企業を優遇する「介入」は行われてるし、国民への規制や管理は強まってるんだから、別に一貫した「不介入」や「自由化」をやってるわけじゃないんだが)。

こうして国民の大多数、特に競争になんか興味がない人々は、カネと福祉をなくし、働く環境も悪くなり、生活が苦しく不安定になる。いわゆる格差社会が誕生する。
そこで、こういうすでにわかっていた結果を正当化して、社会への文句を言わせないために、アメリカの真似をして国が使ってるのが、「自己責任」という言葉だ。
この「自己責任論」は、我々のいい意味での「自立志向」にまでつけこんでくるので、気をつけなくちゃいけない。すべての障害者(自分もその一人だ)に医療費を自分で支払わせるようにした「障害者“自立支援”法」なんかは、そのいい例だ。

一方的に安く働かされて、福祉を切り捨てられたために生活が苦しくなることが、「自分のせい」であるわけがない。誰もが大なり小なり、社会の被害者なのだ。
メーデーでデモをやってる人に「そんな暇があったら働け!」なんて文句を言ったりするのは、自分で自分の首を絞めてるようなもんだ。
(と言うか、こういう問題に苦しんでる人はみんな、右翼だろうが左翼だろうが、同じ”敵”を相手にしてるはずなんだが)。

posted by 鶴見済 at 22:03| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする