カネが稼げない人間には価値がないのか?

この社会では、働いてカネが稼げない人(特に男)はダメであるという価値観がまかり通ってるが、そんなことでいいのか? 資本主義経済のダメなところは、直接生産やカネに結びつかないことを、時間の無駄とか価値の低いことと見なすことだ。例えば、掃除・洗濯なんかの家事、育児、家族の介護、家の修理……といった「再生産労働」と呼ばれるもの。 これらは昔から今に至るまで不可欠な仕事なのに、「経済活動」に換算されないというだけで、その仕事だけでなくそれをやっている人まで軽んじられている。 (これらも専門の職業にしてカネを取るようになると、地味ながらも「ちゃんとした仕事をしている」と見なされるところがまたやっかいで、なんでもかんでもカネで専門の人に任せる「分業化」みたいな傾向を生んでしまう。) こうして、生産やカネのやり取りといった経済活動に偏った社会ができあがる。 こうした価値観は、実は我々のなかにも深く根ざしてしまっているはずで、「片づけ」がこんなに面倒臭いのも、ある程度はそれが「無駄なこと」のように思えてるからかもしれない。 しかし、当然のことながら、我々の身体も自然界も、半分はこうした「元に戻す作業」があるからこそ、うまく循環しながらやっていけているのだ。生物界における菌類の「分解・還元」という役割がまさにそれだ(そして菌類もまた、生物学において”日陰者”扱いされてきた)。 自然界がそうであるなら、その一部分でしかない人間界だって、ましてやモノなどあり余っている今の時代には、「再生産労働…

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資本主義の「精神」が嫌だ

 「時は貨幣であるということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリングもうけられる者が散歩のためだとか室内で懶惰にすごすために半日費やすとすれば、たとい娯楽のためには6ペンスしか支払わなかったとしても、それだけを勘定に入れるべきではなく、そのほかにもなお5シリングの貨幣を支出、というよりは放棄したのだということを考えなければならない。」 これが大社会学者マックス・ウェーバーが“資本主義の精神”と呼んだベンジャミン・フランクリンの人生訓だ。他にも、 「信用は貨幣であることを忘れてはいけない。」 「貨幣は生来繁殖力と結実力とをもつものであることを忘れてはいけない。」 「勤勉と質素とを別にすれば、すべての仕事で時間の正確と公平を守ることほど、青年が世の中で成功するために必要なものはない。」 等々、色々ある。それにしても、なんと嫌な精神であることか。 フランクリンはアメリカ独立宣言の起草者の一人で、「代表的アメリカ人」とまで呼ばれる人物だが、これを見ればある意味でそれもうなずける。 ウェーバーによれば、資本主義は近代以前にも世界のいたるところにあった。が、近代(つまり今の)資本主義は、こういう生活上の倫理観と結びついているところが特別なのだ。 近代資本主義は、フランクリン以降も今に至るまで拡大を続けてきたが、ならばこの「精神」だって同じように拡大していてもおかしくない。それどころかこのマネーゲームの時代には、より切実な人生訓になってるんじゃないか? 特にビジネスマンみた…

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