2007年10月23日

毎日のエコロジー=反<灰色>

kodomotomukasibanasi.bmpカネを使わず、モノを買わない生活を目指していたことがある。
全然大したことをしてたわけじゃないので偉そうに言えたものでもないが、例えばどんなことをしてたのか書いてみると……

●極力外食をせず、簡単な弁当を作っていく。●自分で作れる程度の野菜は作る。●買う肉は全部、魚の粗(あら)●電車に乗らないで済むところは、自転車や徒歩で行く(電車代は結構高い)。●CDや本や雑誌、ビデオやDVDも、図書館で借りて済ませる。●旅行に行くより地元をよく見る。●近所の人と物々交換する。●イベントや講演などは地域で無料でやっているものに行く。●細々とした生活用品は作る(例えば、タオル掛をそこらの木の棒と紐で作ったりする)。●生ゴミは肥料にする。●タダの自然物を見て楽しむ。●冷暖房は最小限に止める。等々。

実によくある「地球のためにあなたができること」集みたいだけれども、なぜかモノを買わないようにするとそういうことになっていくのだ。
あまり無理をしすぎると苦しくなり、長続きしないんだが、何事も今あるもので間に合わせる工夫をしたり、自分のいる地域や自然に目が向くようになってはきた。


小沢健二の『うさぎ!』の連載が始まったのは、そんなことを始めた頃だったかと思う。
この話に出てくる最大の悪者(と言っても人ではない)<灰色>は、「すべてのひとのするすべてのことを、急いで『大きなお金の塊』につなげてしまおうと」する。確かにこうしてあらためて見てみると、我々は自分でできることまでカネで人にやってもらったり、買わなくてもいいようなモノを買ったりしてしまっていた。
自分の子供の頃に比べても、<灰色>の「もう古いの計画」は着々と進行していて、我々は『うさぎ!』に書かれているように、まんまとイメージで心をあやつられて、次々と「買い捨て」をさせられていたのだった。


買うことに興味を失うと、いわゆる「最新商品の情報」(特に音楽の)にはすっかり疎くなったけれども、そんなことで騒いでいる世間を傍観者的に眺め、疑問を持てるようにもなった。
それらの商品は、どんな資源からどこでどうやって作られ、運ばれ、買われ、捨てられ、どこに行くのか? そういうネットワークは、今どこまで広がっているのか? こんな無駄なことをやっていたら、どこかにその「しわ寄せ」が行ってるんじゃないか?


確かに「しわ寄せ」はあった。自分たちがやっているこの「カネを払って済ませる生活」は、ある意味で世界で生じている「不平等」や「環境破壊」の上に成り立っていた。資源はもちろんどんどんなくなっていて、こんなことはまるっきり「持続可能」じゃなかったのだ。
一方で、いわゆる「豊かな国」に生きている我々だって、本当に豊かなのかというと決してそんなことはなく、「時はカネなり」と急かされたうえに格差まで拡大してきて、常にうかうかしていられないという生き苦しさなのだ。
特に「絵本の国」(日本のことだと思う)の不幸については、『うさぎ!』に詳しく書かれていて、身につまされる。


そもそも単純な事実として、我々ヒトは生物の一種であって、自然界の一部分にすぎない。人間の世界で「勝ち組」になろうが、ゴールドマン・サックスの社員になろうが、そういう「つながり」なり「全体性」なりを奪われているのなら、それだけでも十分に不幸なはずなのだ。
それはこの「<灰色>がつくり出す世界」の仕組みのなかにいる誰にでもあてはまることなんじゃないか?


『うさぎ!』で扱われている問題は人間社会全般に及んでいて、自分としても意見が異なる部分はある。が、本気でこの仕組みをなんとかしようと思っているであろう小沢健二に反対であるはずがない。


注:これは『毎月の環境学会々報』という同人誌の第4号に依頼されて書いた原稿を、多少直したもの。『うさぎ!』は『子どもと昔話』(小澤昔話研究所刊)という雑誌に連載されている童話形式の物語で、原稿はすでにこれを読んでいる読者を想定した書いた。
この雑誌は図書館の児童書コーナーに置いてあることもある。
ちなみに小沢健二の現時点での最新アルバムのタイトルは、『毎日の環境学 Ecology of Everyday Life』である。
posted by 鶴見済 at 15:59| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする

2007年10月12日

人間関係だけが「関係」ではない

ningenkankei.jpg自然界とのつながりや他の生き物との関係を実感することは、精神衛生面から見てもいいと思う。「人間関係」というものを絶対的なものでなく、相対的に見ることができるからだ。

そもそも、”human relations”という言葉は20世紀に入ってアメリカでできた言葉で、それを直訳した「人間関係」という日本語も、第2次大戦後に広まったものだ。今では、親子、兄弟、結婚相手、隣近所に、学校、職場、さらにはインターネット等々での人間関係までが加わって我々を圧倒している。
我々は人類史上でも特に「人間関係」的な時代に生きていると言える。生きる苦しさのほとんどが、人間関係から来ているという人も多いのではないか?

しかも今のような都市に生きるヒトには、自然界との関係がわかりにくい。
食べものは自分で獲らなくてもにカネで買えるし、他の生き物に襲われる心配もなく、排泄物もどこへ行くのかわからない。水は蛇口をひねれば出るし、電灯やエアコンで明るさや温度の調節もできる。
けれども我々は相変わらず様々な他の生き物を食べることで生きているし、排泄物は菌類・微生物によって分解還元されて、自然界に還っている。植物とは呼吸と光合成を通しても、酸素と二酸化炭素をやり取りしている。水や塩といった無機物も日々体のなかを通過しているし、地球の外からやってくる太陽光とは関係しないでいることなどできない。

こうしてヒトを単なる生物種の一種と見なし、自然界との関係を見なおそうという主張は、地球環境保護のために盛んにされてきてはいる。
けれども、人間関係が苦手な人にとっても、こういう見方は有効だと思う。

確かに自分がヒトである以上、人間関係は数ある「関係」のなかでも一番重要だし、ある程度苦手でもやらざるを得ない。
それでも人間関係だけが「関係」のすべてではない。人間どうしの関係や他人の内面にばかり目が向いているのも、それはそれでよくないのだ。“コミュニケーション能力”なんてものが低かったとしても、対人恐怖症であっても、一巻の終わりというわけではない。
そう思えば少しは気も楽になるというものだ。
自分はそういう意味でも、広く「関係全般」に目を向けることを提唱している。

参考:加藤秀俊著 『人間関係─理解と誤解』(中公新書)

posted by 鶴見済 at 00:05| 自然界 | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

経済のせいで自殺が増える時代

最近、自殺の原因を、その人の「心の弱さ」のせいにしなくなってきたのはいいことだ。

少なくとも自分が10〜20代だった頃は、自殺をした人やしたい人(特に若者)に対して、「自殺は心の弱い者のすることだ」「もっと強く生きろ!」「尊い命を粗末にするな」「生きていることは素晴らしいんだ」「死ぬ気になれば何でもできる」「死ぬな!」……、といった説教が、世間一般からも教育・精神医学方面からも浴びせかけられていた(最近のいじめ自殺に対してこんなことが言えるだろうか?)。
自殺をはなから「いけないこと」と決めつけて、道徳的に自殺者を叱るようなことも普通に行われていた。
要するに自殺した/したい人の苦しさなんか、世間はわかっちゃいなかったんだと思う。

そんななかで「自殺は悪くない」「なんで自殺しちゃいけないんだ」と言うことは、そういう見方に反対することであり、「死にたいほど苦しいことがある」と訴えることでもあった(そういえば、そもそもそれを言い出すことですら、とんでもないタブーだったんだった)。

その甲斐あってかどうかは知らないが、今では自殺についても「生きづらさの問題」なんてことが頻繁に言われるようになった。2006年にできた自殺対策基本法でも、冒頭で「自殺を個人的問題としてのみとらえるべきものではなく、その背景に様々な社会的要因があると位置づけ」ている。
どうやら、一応の理解は得られたらしい。



けれども「生きやすい社会を作れ!」という掛け声どおりの努力がなされているかというと、決してそんなことはない。
この国の自殺者の数は、それまで2万から2万6千人の間を上下していたのに、98年に突然3万人の大台に乗って、以後8年間元の水準に戻っていない。そして、その原因は「経済・生活問題」による自殺が増えたことなのだ。
98年に自殺者急増の中心になった中高年層(特に50代)の自殺率は、ここ数年低下してきていて、それにつれて総数もやや減ってきてはいる。ただ20〜40代の自殺者が減らないので、今でも3万人台という高水準が続いているようだ。

参考:「自殺の動向に関する一考察」 参議院常任委員会調査室・特別調査室 http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/kounyu/20070907/20070907079.pdf


この時期に登場した小泉政権やら安倍政権は、経済・生活苦による自殺をなんとかするどころか、「弱者切捨て」で「痛みを伴う」新自由主義的な改革を断行してきたし、今の首相もやはりそれを続けようとしている。
我々の生き苦しさは、認識されたのかもしれないが、実は相変わらず放っておかれたままなのだ。

こういう時には、ちょっとは生きやい世の中にするために、というより自分が生きやすくなるために、経済や政治についてもっと文句を言ったほうがいいと思っている。

posted by 鶴見済 at 21:47| 人間界の経済 | 更新情報をチェックする