健全さへの抵抗感、寄付の世界

『0円で生きる』では、寄付の貰い方、あげ方についても書いていて、寄付サイトなども紹介している。Japan Giving    Give Oneけれどもサイトを見てもらえばわかるとおり、こうした寄付の世界は、「いわゆるいいこと」の独壇場となっているのが気になっていた。『愛は地球を救う』みたいな感じ、と言えばわかりやすいだろうか。日本の寄付や募金は、ほぼ「健全さ」や「道徳的なもの」に独占されているかのようだ。けれども自分が知る限りでは、日々のお金に困っている人には、むしろそうした健全さや道徳的なものから縁遠い人、それに抵抗感を持っている人が多い。ふさわしい言葉が見つからないのだが、斜に構えた者、不良っぽい者、やさぐれている者などと言えばいいのか。ブレイディみかこさんの『花の命はノー・フューチャー』という本に、イギリスの最低所得者層の地域には、タトゥーが入っている人が圧倒的に多いという話が載っている(自分の書評)。自分が会った野宿している人たちにも、そんなタイプが多い。もちろん、ここで言っているのは「内面的にやさぐれている者」全般のことだ。お金のあるなし、不良っぽさ、そんな外面的なことに関係なく、そのような人はたくさんいる。むしろ生きづらい系の人のほうに多いのかもしれない。 そして、こうした健全さに抵抗のある層は、社会の様々な恩恵からはじかれてしまっているのだ。保守政党は経済的強者を守り、リベラル・左派政党は健全な層を守るかもしれない。けれどもそうした層を誰が相手にしているのか。そうしたタイプの人間が…

続きを読む

世界の0円サービスと新しい「共助」の時代

世界の、とは言ってもヨーロッパがほとんどだ。以前から感じていたが、ヨーロッパに比べれば、日本の0円活動はまだまだ盛んではないと言えるだろう。それらを紹介する前に、「共助」という助け合いについて少し。 ここであげたものは、大体「共助」と呼ばれる助け合いに相当する。「助ける」という行為には三種類あって、①自助=個人が自分を助ける②公助=公(行政)が人を助ける(社会保障など)そして、③共助=人(民間人)が人(民間人)を助けるの三つとされる。 前近代(日本なら江戸時代以前)では、特に村のなかで共助の役割はとても大きかった。けれども近代以降(日本なら明治以降)は、まずお金のやり取りが盛んになったので「お金による自助」が増えた。そして、国や行政の力が大きくなったので、公助も大きくなった。こうして共助は廃れた。日本では特に、高度成長期以降に廃れたと言われる。 0円活動が活発なヨーロッパには、共助の伝統が多少は残っていたのだろうし、インターネットの普及が新たな「共助の時代」を進めていることは間違いない。 『0円で生きる』には、これらの三つはどれも含まれているが、多いのはやはり「共助」の原理にもとづくものだ。これらはどれも大切であり、あまりにも自助や、家族による介護などの共助ばかり強調するのはよくない。けれどもこの社会では、共助はもっと見直されるべきだ。自助と公助のなかで、人々は孤立しがちになった。 共助が廃れて、代わりに日本には「他人は危ない」という考えが行きわたった。もちろん「他人」など、いい奴ばかり…

続きを読む