2018年12月30日

新年1月の「不適応者の居場所」

つながりをなくしがちな人が駄弁る会「不適応者の居場所」、新年1月は11日(金)にやることにしました。
詳細はこれまでと同じなので、こちらを参照してください。
ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ等々、様々な理由でつながりをなくしがちで、かつ、それもあまり面白くない人が、時々飲み食いしながら話して、「みんなと同じ」でない人生を堂々と生きていこうという趣旨です(もちろん一般的なライフコースを歩んでいる人も参加可)。

新年会だと思って、お一人でもぶらっと来てください。

ちなみに、会場が人数のわりに狭めなのですが、他に適した場所が簡単には見つからないため、場所を譲り合って利用してください。
また本当は土日にやりたいのですが、これまた会場の都合で、金曜になっています。会場は探しています。
人付き合いが苦手な人が多いので、そこのところは色々気をつけてください〜。


日時:1月11日(金)18時30分〜4時間くらい(?)
場所:高円寺・素人の乱12号店
費用:カンパ制。場所代、食事(ビーガン)代、酒とソフトドリンク代、2千500円〜3万円をカンパで賄いたいです。
※会場には0円ショップ(不要品放出コーナーを作ります。使わなくなった物がある人は、放出歓迎(ただし残ったら持ち帰り)。
posted by 鶴見済 at 23:48| Comment(0) | 不適応者の居場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

「集まりたい」という人間の巨大な欲求

「本当のところを言う」のが10代のころから、大事なことだと思っていた。弱い面、うまくいっていない面があれば、そう言う。誰もがそうしていれば、無駄な憧れ、嫉妬、劣等感、やっかみ、反感なんかも相当減るだろうと思う。

先日、無料放出アクションの0円ショップで、通りかかった男性がこう聞いてきた。

「いや、なんで、なんでね、こんな寒い中で、こういうことやってるんですか?」

その質問には、挨拶ではない真剣味が感じられたので、こう答えておいた。

「こうやって集まったり人と会ったりしてるのが楽しいんですよ」

これはあくまでも数人のメンバーのなかの自分の意見にすぎないし、他にも答えようはいくつかある。捨てるしかないと思っていた物を、他の人が喜んで貰っていくのは、本当にスカッとする。おすそわけ経済の推進のためでもある。けれどもそれは、「本当のところ」2番目以下だ。
もしこの時に、「地球環境のため」等の高邁な理念を言ってしまったら(もちろんそれもあるが)、あの人はどう思っただろう。

「宗教みたい」

こう思うのではないか。これはまったく謎の感覚で人が動いている時に浮かぶ、代表的な考えだ。自分たちの0円ショップが、そう思われていた面もあるとも聞いた。

世の中には無数の、高邁な理念を持つ無償の活動がある。支援のボランティア活動とか。それらも「集まるのが楽しい」、そして「何かやりたい」「何もせずにいるのもつまらない」、さらに「どうせやるならいいことをやりたい」といった動機から行われている側面が大きいと自分は見る。そういう世界に接してきて、そう思うにいたった(それ以前には、自分にも「宗教みたい」と見えていた)。

宗教団体の活動でさえ、「集まるのが楽しい」から来ているのではないかと今では思う。高邁な理念に比べて、こうした動機が何割何割になるかはその人次第と言えるし、活動の種類や緊急性によっても違うだろう。けれども、少なくともそんなに小さくはないと思うし、半分以上である場合が多いのではないか。こういう本音はアンケートを取っても出るとは限らないので、勝手な推測だが。

主義主張が違うあれやこれやの無償の活動も、表看板ではなく、こうした本音の部分から見てみるとどうだろう。もしもその動機の大きな部分が同じ「集まりたい」から来ているのなら、この人間の「集まりたい」という欲求の巨大さに圧倒される思いだ。
社会的な活動でなくても、ママ友のランチでも、高齢者の趣味サークルでも、チームでやるスポーツのグループでもいい。それらを「集まりたい」の視点で見渡すと、人間はどれだけそこにエネルギーを注いでいることか。
こっちのほうを真剣に考えてみてもいい。

※「集まること」だって、楽しいばかりじゃないという「本当のところ」も書き添えておく。話が複雑になるけれども、誤解のないように。「集まって楽しー」的な情報が溢れすぎていることも問題なので。

posted by 鶴見済 at 11:19| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月15日

「不適応者の居場所」12月の報告

20181214 (1).JPG12月の「不適応者の居場所」、また会場いっぱいの方々に集まっていただいた。
前回来ていただいた方もかなりいたのに、皆さん大体初対面という雰囲気は変わらず、そこがいい。
ひきこもりの会、無職の人の会、DV被害者の会、お金のない人の合コン、趣味の音楽の会、もくもく会など、様々な集まりを開かれている方々から話を聞くことができて、なんだか元気が出る。
家を持たずに世界中で仕事をしている方の話もためになった。

0円ショップ(写真)でもわりと交換が盛んで、自分もマンガ、だしの素、箸などをもらってしまった。

それから、相当酔って、相手に暴言にも近い滅茶苦茶なことを言いまくってるような人には、次回からはもっときちんと対応したい。人づきあいが苦手な人の多い会で、それはやめてほしい。これは支援活動でも飲み屋でもなく、最もシンプルな助け合いの場なので(『0円で生きる』参照。単に会うだけでギブ・アンド・テイクが成立するということ)。

また個人的課題としては、今後はもっと移動して、色々な会話の輪に加わっていこうかなと。

次回は1月の半ばにやりたい。
まったく同じような、もう少し広い、そして土日にもできるスペースが見つかればいいのだが、なかなか難しい。
posted by 鶴見済 at 12:56| Comment(0) | 不適応者の居場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月12日

人生は「偶然」で決まっている

201812 佐渡の土産.JPG大阪から新潟の佐渡島の田舎に移住した友人家族が遊びに来てくれて、佐渡暮らしの話を聞かせてくれた。近隣の農家の作業をローテーションで手伝いながら収入を得ている話など、どれもとてもためになる
特にはっとしたのは、次の話だ。

彼の地では仕事も暮らしも、自然環境に大きく左右されるので、住んでいる人はあきらめがいいそうだ。台風で果樹の実がみんな落ちてしまって致命的な大損害のはずなのに、「まあしょうがねえか」とあきらめが早い。
自分にはどうしようもない力のせいなのだから、それも当然だ。そんな空気が、もともと心を病んで移住を決意した友人の精神面にもいい影響を与えているという。
それを聞いて思い出した。

よくない結果が起きた時、我々はその原因を、自分か他の誰かかの二択で考える。「あの時ああしていれば」と際限なく後悔し、「あいつのせいで」と他人を恨み、過去にとらわれる。そして、もっと慎重に先々の計画を詰める。

けれども、自然に包まれた暮らしでなくても、我々の人生は、どうにもならない「偶然」や「運」の力に左右されていたんじゃなかったか。
そもそも、生まれる土地や家族が選べない。そして、たまたま同じクラスになった友人、偶然知り合ったパートナー、たまたま採用された会社、偶然見つけた住まい、などの影響力がどれほど大きいことか。病気になって死ぬのも偶然の要素が大きい。こうした大きな偶然の力に比べれば、自分が決められる部分などごく一部とさえ思える。

あの人の人生も、この人の人生も、たまたまそうなっているだけだ。現代人はものごとの原因と結果をコントロールできているような顔をしているが、実際は昔の人と同じように運に翻弄されている。自分の力でできることなど、高が知れている。過去を悔やむのは、必要な分だけで十分だ。

「偶然」や「運」というものの大きな力。「まあしょうがねえか」という感覚。心の健康のために、これは忘れないでおきたい。

※写真はもらった佐渡のお土産の一部。ただで人を泊めたら損だ、なんてことはない。
※また佐渡では民泊をやっていたうちが何軒かあったが、民泊新法ができて条件が厳しくなったので、彼らが知っていることろは皆やめてしまったという話も書き添えておこう。全国的にも民泊利用者はむしろ減ったようで、まったく空しい。
posted by 鶴見済 at 12:33| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする