サルトルの『壁』と「生の不安」への向き合いかた

サルトルの『壁』という短編小説は、おそらく自分の人生における最も重要な小説だ。けれどもこれまでトークや原稿などでは、この小説の性質上ネタバレになってしまうので、まともに語ることができなかった。それでもブログなら、ネタバレしてしまっても書けることに、前々回のブログを書いて気づいたのだった。 ちなみにサルトルという思想家については、それほど多くを知らない。むしろ同期のカミュのほうが好きだ。第二次大戦の前後に世界中に大変な影響力を持ったようであるフランスの実存主義の思想家・作家で、『壁』は彼の代表作だ。 【ネタバレ】主人公ら3人は、スペイン内乱でファシズム勢力に実力抵抗していたが、捕まって同じ部屋に閉じ込められた。そして、明日の朝には銃殺されることを告げられた。銃殺は確実である。そこから3人の極限の恐怖の一夜が始まる。3人は殺される瞬間の苦しみや、この自分が死ぬという恐怖に取り憑かれ、ひとりの少年は精神の限界を超えて、錯乱から、気絶したような放心状態に至る。夜が明けると二人は連れ去られ、処刑されたのだろう。主人公も極限状態にいるが、彼だけは別の部屋に連れていかれ、反乱軍のリーダーの居場所を尋問される。このあたりから彼に変化が起きる。なぜか、少しずつ笑いがこみ上げてくるようになったのだ。彼はリーダーの居場所など言う気はない。尋問が続くうちにますます笑いがこみ上げる。彼はこう思う。「何もかもくだらなくなってしまった」。(直訳すると「もはや何も重要ではなくなった」)彼はでたらめな居場所を教えることにした。…

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月刊『むすび』で連載が始まっている

正統マクロビオティックの雑誌、月刊『むすび』で連載を始めた。テーマは、つながり作りについて。マクロビオティックというのは、日本の伝統食に則った菜食メインの食事法と思想。アメリカなどで流行って逆輸入でブームになったのを覚えている。それを考えたのが正食協会で、そこが出している雑誌がこれ。食についての記事が多い。 『月刊むすび』  目次

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映画『英国王のスピーチ』に見る対人不安の解決法

『英国王のスピーチ』というアカデミー賞作品賞まで取った映画が、社交不安障害や吃音症をテーマにした実話で、とても考えさせられる。ちょっとネタバレしてしまうので、見ると決めている人はここから先は、見た後で読んだ方がいい。 【ネタバレ】スピーチの場だけでなく、日常的に対人場面で緊張してしまって、言葉が出なくなったり、どもってしまったりする英国王子(後に国王)が、それを克服しようと悪戦苦闘する映画だ。そして、”I have a voice!”という自分が発した言葉を転機に変わる。その日本語訳がおそらく訳者の意図を超えて、偶然核心を付いているのだ。「私には伝えるべきことがある!」。これが字幕に出る訳である。”I have a voice!”は直訳すれば、「私には話す権限がある」だが、訳はこうなっている。このことが、偶然なのかもしかしたら意図的なのか、吃音症の治療の主眼としてよく語られることなのだ。声が震えるかどうか、つかえてしまうのではないかということよりも、相手に何かを伝えるために話すのであって、そこがすべてだと思ってしまってはかえってうまくいかなくなる。英国王のスピーチと吃音臨床について書かれた、吃音専門のブログ【ネタバレここまで】 吃音に限った話ではなく、日常におけることすべてにおいてこれは言える。例えば、動きがぎこちなくなってしまうとか、どぎまぎしているのを見破られて変に思われるのではないかとか、対人場面に限らず、何か取り返しのつかない事態に至ってしまうのではないかとか。こんな不安は、大なり小な…

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9月の「不適応者の居場所」報告

9月の居場所は、夏休み明けということで、世の中のキャンペーンに倣って「小中高生大歓迎」と告知していたところ、高校1年生がひとり来てくれた。10代の参加は3人だったのだが、高1生にはまわりが大人ばかりで、つまらない思いをさせてしまったかもしれない。 あれこれと彼との共通の話題を探っていて思ったのは、こうするのは、何かの情報を知りたいというよりも、会話することで仲良くなりたいのだなということ。会話にはそういう側面がある。というより、そっちの側面のほうが強いのかもしれない。もちろん会話の苦痛のほうがメリットを上回る場合は、しなくてもいいのだし、あまりしない人はこの居場所にもいる。 また、ある「オザケン」好きな人と話が合って、「オザケンの話を今まで人としたことなかった」と喜んでくれた時、とてもグッと来る。こういう感覚は、あまり大したこととして語られることはないが、こういうことに出くわすたびに、いや、大したことだと思う。強く思ったことは、ある程度人と話し合いたいことなのだ。 イベントバーでの一日店長の体験談や、シェアハウスでうまく行かなかった話、幻聴と共存しながら暮らされている方の話など、その内容が大いに勉強になったものもある。 それから今回も、仙台、大阪、長野など遠方から来てもらえるたのも、とても嬉しい。今回も入れ代わりも含めて30~40人くらいで人数的には上限。次回は珍しく公園でもできる月なので、代々木公園を検討中だ。もう少し広くて適した場所を、引き続き探している。

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80年代のネクラ嘲笑文化、陰口文化

80年代に大人気だったビートたけしのオールナイトニッポンは、メインがきよしや軍団をはじめ身近な人間の嘲笑や陰口だった。大島渚や村田英雄など、有名人をしつこくバカにすることも多かった。それに大なり小なり影響されて、教室でも口調まで真似して、他人の観察と嘲笑に明け暮れていた。誰があの時変なことを言った、誰は笑っちゃうなどとたけし気取りでしきりに言っている本人自身も、それによってますます危険になるのだから、実にご苦労なことだった。こういうのは、高校にも大学にも、そして職場にもいた。 たけしほどではないものの、80年代に人気のあったタモリのオールナイトニッポンでも、ネクラ嘲笑を芸としていて、極めてよくなかった。よしとされたのはネアカな性格である。考えとか思いやりとか、そんなことよりも、とりあえず人当たりが明るいか暗いかで、その人の集団内での評価が決まってしまった。ネクラ嘲笑/ネアカ賛美は、もともとタモリが言い出したなんてことは気づかれないほど、広く社会全般に広まった。今は「陰キャ」という言葉がある。それもあまりよくないと思うのだが、クラスなどの集団のなかのポジションを指す言葉なので(「俺は中学では陰キャだった」など)、嘲笑の言葉である「ネクラ」とはちょっと違うように思う。 滅多に振り返られることもないが、こういうものは、個人の生きやすい/生きづらいを決定的に左右する。ああいう放送は今は無理だと思うので、いい時代になったものだと思う。 「バブルの時代はよかった」「80年代は幸福だった」。一面的…

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9/14の「不適応者の居場所」、小中高生もどうぞ

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」、9月は14日(土)にやります。今話題沸騰中の「休み明けに学校に行きたくない小中高生」の参加も歓迎します。 子供の自殺数が減らないことが問題視される   ⇓夏休み明けに子供の自殺が多い   ⇓「夏休み明けに学校行かなくていい」の大キャンペーン という流れなのだろう。新聞を見ても、この手の記事の多さには驚くほどだ。こういう「統計的な姿勢」には、まあ疑問もある。自殺をしなければ何でもいいわけでなく、「苦しまずに生きること」が一番大事だと思うので。とは言え、方向としてはいいし、呼びかけそのものも、昔のような「負けるな」的なものでもないので、特に文句を言う気もないが。 日時:9月14日(土)18時~5時間?場所:高円寺 素人の乱12号店やること:飲食(酒含む)をしながら好きなように駄弁る(何も話さなくても可)。飲食はカフェテリア方式で。費用:会場代、食べ物(ビーガンの料理とスイーツのケータリング)代、酒・ソフトドリンク代の2万5千から3万円をカンパで賄いたい。カンパ箱は入口付近の台上に。酒を飲まない人は少なめでいいですが、会場代もあるので、飲食しない人もカンパはしてほしいです。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内・校内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。厳密ではなく。注意:ハラスメントはなしで。勧誘も不可。参加者の相互扶助で成り立っている会なので。一方的な支援活動ではありません。 ※会場奥に0…

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