巨大台風が来ると盛り上がるわけ

「私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名をきくだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった。」これは、三島由紀夫の自伝的小説『仮面の告白』のなかの、主人公が敗戦の知らせを受け取った時のくだりだ。 超大型台風の19号が迫ってきた時のことを忘れないようにしたい。「地球史上最大かもしれない」という情報まで出て、気象庁が「命を守るための行動をしてほしい」という異例の声明まで出した「関東直撃」の台風だった。前日までに、ガラスを補強するための養生テープとパンがスーパーで売り切れてしまい、空の棚の写真がTwitterに出回って大々的に拡散された。同じくTwitterでは、自発的に備えや「命を守る行動」を呼びかけるツイートが大量にリツイートされた。「盛り上がっている」と感じた。 盛り上がっているという言葉だけで、こうした感情を「不謹慎だ」などと押さえつけてしまっては、大事なものを見逃してしまう。被災者支援の盛り上がりだって、これと地続きの感情によるものだと思う。台風の真っ最中には自分もtwitterで、どの川が氾濫しそうなのかを「〇〇川 氾濫」のワードで検索しつづけていた。これもその盛り上がりなのだ(Twitterばっかりだが)。 「非…

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「不適応者の居場所」@秋の公園の報告

10月の「不適応者の居場所」には、午前中までの雨のせいもあってか、やや少なめの20数人の参加。ただ、大阪や名古屋、そして愛媛から来てくれた方もいた。高円寺の会場の前まで来たのに勇気が出ずに入れなかったけれども、今回はついに参加できたという方も。 公園でやる時にはいつも、場所を取って腰をおろし、まわりを眺めた時に「ああ、これだけで成功だな」と思う。この居場所の参加者には自然鑑賞が好きな人が多く(もちろん自分も)、鳥や草木、虫の人気が高い。この日の公園では至る所で金木犀が満開。そして日が暮れると同時に飛び交っていた鳥がいなくなって、入れ替わるように秋の虫の声が突然響きだしたのには驚いた。夕方頃には虹も出た。そんな話が散々できたのは、公園でやったせいでもあるだろう。 さらに昔の人がこんなふうに自然のなかに座って短歌や俳句を詠みあった話、かつては大事なものとされた俗世を捨てる文化のこと、老荘思想の話なんかもできてよかった。 また地方から来られた方に、地方のオルタナティブなスペースや一日店長バーの話など詳しく聞けたのもためになった。他の集まりや居場所の話は、よく出る話題のひとつだ。 こういう場所で、日が暮れるまでこんな話をしていたことは、地味だけれども、意外と一生ものの思い出なのかもしれない。

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『0円で生きる』の韓国語版発売

韓国で『0円で生きる』が発売になった。韓国語のタイトルは、奇しくもマーク・ボイルの日本語版のタイトルと同じ『無銭経済宣言』になってしまった。表紙の字が読めず、Google翻訳アプリのカメラ入力機能で見てみると、「無経済宣言」と惜しい精度。それにしても、このカメラ読み取り翻訳はすごい。

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10月の「不適応者の居場所」は代々木公園で

10月の「不適応者の居場所」は、またまた代々木公園でやります。この集まりは、日頃つながりをなくしがちな人どうしがつながって面白がろうという趣旨で、こういうものがこの社会に必要だと思ってやってます。対象は「ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、メンヘラ、社内ぼっち、など様々な理由でつながりをなくしがちな人」としてますが、厳密ではないです。 日時:10月19日(土)13~1812~17時(雨の場合は翌週か翌日に延期) 場所:代々木公園中央広場、渋谷門から噴水池に向かって、噴水池の向こう側のどこか。詳しい場所は当日の1211時半くらいにtwitterで告知しますので、直接お越しください。外でそれが見られない人のために、12:5011:50分に待ち合わせをします(場所は下記)。時間になったらすぐに出発します。 やること:シートを広げて座り、飲食をしながら駄弁るだけ。今回は飲み物を用意できないので、お酒やソフトドリンクなどは各自で持参してください。食べ物は用意します。ちなみに支援活動ではありません。費用:ビーガンの料理とスイーツのケータリング代1万5千円をカンパで賄いたい。注意:ハラスメントはやめてください。勧誘も不可。   途中から参加、途中帰り、座る場所をあちこち移動することなど、もちろんOKです。せっかく来たのだから色々な人と話すのも、特に話さないのもOK。 ※待ち合わせの場所は、渋谷門からまっすぐ噴水池に向かうと、噴水池にせり出した木製のデッキに出ます。その右側のあたり(地図の赤印の…

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ムンクに見る心を病むことの価値

絵のよさがよくわかっていない小学生か中学生の頃、図書館で暇つぶしに色々な有名画家の画集を見ていて、「このムンクという人だけはすごくいい」と思った。あの『叫び』で有名なE・ムンクだ。ただ画集の終わりのほうになると、妙に明るい凡庸な作品が出てきて、何だろうと思ったものだった。 E・ムンクは精神を病み、その強い不安や恐怖を絵に描き出すことから、『叫び』や『不安』といった傑作を生みだしていった作家だった。けれども後年、ムンクは精神病院に入院し、精神病は治ってしまった。その後の彼は、明るい色彩を使って、内面ではなく風景画などを多く描くようになった。もちろん当時も今も評価されているのは、その苦悩のなかから生み出した作品だ。 “生命”を前向きにとらえるようになったムンクは自分の感情を描くのではなく、身の回りの見たものを描くようになります。彼のパレットには明るい色が並び、作品を覆っていた陰鬱とした頽廃感が薄れていきます。【生と死を見つめた画家】エドヴァルド・ムンクの生涯を詳しく解説します! 今は、たとえ彼が後世に残る作品を生み出さなくなったとしても、病気なんか治ったほうがよかったと思う。けれども初めてこれを知った時は、ムンクは治らないほうがよかった、などと思ったものだ。こういうケースは音楽ならザラにある。 自分はもちろん、心の病に限らず、人生の苦労など少なければ少ないほどいいという主義だ。けれどもこれまでに触れた本(自分のではなく)、音楽、映画、芝居、絵、など、どれを取っても、自分の人生において最…

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