プロ奢ラレヤーとの対談記事

プロ奢ラレヤーと対談した記事がアップされた。鶴見済×プロ奢ラレヤーが語る、“贈与経済の今後” 「レンタルなんもしない人」によって一気に有名になったこうした活動、自分はかねてから、お金を貰っていなくても相手に何かを与えてその見返りを受け取っているものだと思っていた。レンタル氏は今は有料だが、仮にお金を受け取ったとしても、こうした活動はやはり支持する。 お金をまったく使わなかったことで知られるドイツのハイデマリーは、晩年の20年を、泊めてくれる人の家を渡り歩いて暮らしていた。かつて教師やカウンセラーだった彼女は、何もしなかったのではなく、よき相談相手、よき同居人だったのだ。いわゆる労働でないことでも、人は価値を生み出している。 金銭を持たない生活を実践 ドイツ人女性 (ハイデマリーの紹介記事)

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兄弟姉妹間のDVが問題にならない件。 自分も被害を受けていた

兄弟姉妹間での嫌がらせや暴力について、あまり話題になることがない。親子や夫婦間の暴力や虐待は頻繁にニュースになり、取り締まる法律もある。けれども兄弟姉妹間についての法律はない。むしろ、親子や夫婦間よりも頻繁で、根深くなるのではないかと思えるが。互いに子供、あるいは若者なのだから。 兄弟姉妹の喧嘩について少し調べただけでも、「仲がいい証拠」「親が介入しなくていい」といったアドバイスばかり出てくるのだ。「取っ組み合いの喧嘩をしていても放っておけ」とまで言われている。喧嘩は仲が悪い証拠だと思うが、その逆とは恐れ入る。 そしてそのプラスの面として、「手加減を学べる大切なもの」という説がよく付いてくる。それは何か実証的な根拠のある説なのだろうか? 学ぶどころか、体格がよくなるにつれて暴力がエスカレートする傾向もあると思うのだが。暴力は親が使おうが、子供どうしだろうが、よくないものじゃないのか?「親がジャッジしてはいけない」もよく出てくる。「喧嘩両成敗」という悪しき慣習はこのへんから来るのだろう。 兄弟喧嘩が子供を成長させるって本当!? (これはその一例) すべてがおかしい。と言うより、正直言って腹立たしい。兄弟姉妹は年の差もあるし、まったく対等であるはずがない。体格の違う者どうしが、ハンデもなくボクシングをやっているようなものではないか。反論など無限に出てきてしまう。 子供がいないので、自分の体験や、知り合いなどから聞いた話しか参考にできない。ただ「喧嘩」などと、まるで対等な何かであるように言われ…

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「不適応者の公園散歩」の報告、コロナ騒動と人が集まること

3月の「不適応者の居場所」は、感染対策として井の頭公園を散歩する集まりにしてみた。駄弁る会ではなかったのは初めてのことだ。参加してくれた人は30人くらいと、予想外に多かった。確かに自分が人づきあいが苦しい時だったら、会話の会より、こちらのほうが楽だと感じたかもしれない。ジブリ美術館を見ればジブリアニメの話になるし、バードサンクチュアリを通れば野鳥の話ができる。玉川上水や、もちろん公園の池やもうすぐ満開になる桜など、話題には事欠かない。13時から歩き始めて、途中2回広場に各自敷物を敷いての駄弁り休憩も入れつつ、結局17時半頃まで歩いてしまった。 春になって花が咲いている公園は、それだけでも気持ちがいい。そこに人が集まるとなるとさらに気持ちよさが増す。 コロナ騒動が起きて、人が集まることについて誰もが考えさせられたことだろう。ライブ、スポーツ観戦、宗教の集会などはどれにも共通したイメージがあると感じていたが、やはり今回はどれも問題視されて話題になった。人は単に必要な栄養を摂り、危険から身を守り、衣食住が足りていれば十分生きられるのに、なぜ古来からわざわざ集まって生きてきたのだろうか。衣食住は「生物学的に生きている」状態を保つために欠かせないことだが、それだけでも人は十分には生きられない。「生きたいと思う」レベルには少し足りない。そのためには面白味や興味や気持ちよさを味わうことも必要で、そのなかでも簡単で大きいものが「集まる」だったのだろう。もちろん肯定される関係のなかで。大集会には、同じ趣味趣…

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3月21日「不適応者の公園散歩」のお知らせ

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」、3月は井の頭公園の散歩をしたいです。こうした理由は、もちろんコロナ感染対策。政府や都の自粛要請があったからではなく、万が一(以下?)の感染リスクを避けるための自衛策です。それに自分を含め、参加する人がもやもやした気持ちになるのも避けたいので。13日に会場を予約していたのですが、こちらは取りやめました。去年のような花見ピクニックもやめておいて、公園を桜を見ながらだらだらと散歩したいです。暇な方はぜひ。 日時:3月21日(土)13時~4時間くらい?場所:吉祥寺・井の頭公園集合場所:野外ステージ(吉祥寺駅側にある)の前に13時コース:大体、ジョギングの「よくばりコース」の、終わりのほうを端折ったコース(3キロくらい?)。http://running.ciao.jp/ig-yokubari-1.html野外ステージから池を反時計回りに回ってジブリ美術館のほうまで歩き、再び池に戻って、池のまわりを一周する。何カ所か(文化交流広場のあたりとか)で座って休む時間を作りたい。後半休むところがなければ、井の頭公園駅のほうまで行くかも。注意:各自飲食物(必要なら)や座って休む時の自分用の敷物などは持ってきてください。感染対策も各自で。今回はカンパは集めません。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。 井の頭公園は、都内の広い公園のなかでは一番気に入っているところ。広い池に桜…

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コロナ渦中にお薦めの落ち着く場所は「墓地」

コロナウイルスに関するあれこれで気が滅入っている人にお薦めの、心が落ち着く場所がある。広い墓地だ。墓地は実は公園のようにも利用されている。自分も先日、ある市がやっている公園に行こうとして、感染対策で閉まっていたため(なぜガラガラの公園が?)、墓地に行ったのだった。 いつもそこをブラブラしながら、なぜこんなに落ち着くのか考える。一番の理由は「死ぬことを思うから」なのだが、大きなテーマすぎて、それについてはまた別の機会に。建物がないので空が開けていて、しかも動きや生命感がないので、異様に静かだという理由もある。そんな場所は他にはない。 そして大きいのは、どうしても過去の長い時間に思いを馳せるからだ。 過去の、時には未来の、長い長い時間に思いを馳せると心が落ち着く。古い建物や遺跡を見ている時の独特の静かな気持ちも、そのせいなのではないかと思う。むしろそれが目的で、人は名所旧跡を訪れるのかもしれない。以前にエジプトのピラミッドに行って、ピラミッド、空、砂漠ばかりの風景を目にした。これらはどれも、4千年前から変わるものではない。4千年前の人もこの同じ風景のなかにいたのかと思うと、興奮するのではなく、気持ちがシーンと落ち着いたのを覚えている。 日々生きていると、どうしても近い過去や近い未来のことばかり考える。近い時間は動きが速いので、とてもせわしない気持ちになる。まるで凸レンズを覗くように、近くばかりが大きく、遠くは小さく見えてしまう。けれども遠い過去も、やはり今と同じように、それぞれ濃密な時間が…

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