個人を不幸にするのは別の個人による加害である

人生の不幸を減らすために一番重要だと思っていることがある。 1~2年以上といった長期にわたって、自分のことを狙い撃ちして攻撃してくる人間がいるだろう。家族、同じ学校、同じ職場、同じ地域にいることが多いが、ストーカーやネット上の加害者に出くわすこともあるだろう。そういう人間は、一生のうちに10人も現れないだろうが、5人以上は出るかもしれない(はっきりと姓名を憶えているはずだ)。人の不幸の最大の原因になるのは、そういう人間であり、そこから来る攻撃(暴力や嫌がらせ)なのだ。そしてそういう人間が現れた時に、なるべく早く有効な対処をすることが何よりも大事だ。そう思っている。 人の不幸の原因として、政治や社会制度のことばかり語られるけれども、この日本の場合それでいいのかと疑問に思う。もちろん国政を変えねばどうにもならない問題はあるのだから、そちらも大事だ。けれども、別格と言える不幸を招くのは身近な人間からの執拗な攻撃ではないか。経験からはそうとしか思えない。個人を不幸にするのはまずは、「鈴木」とか「田中」といった具体的な名前を持っている別の個人だ。 身も蓋もない話だ。けれども世の中は、唱えられている社会論のとおりではない。本気で自分の苦しみを減らしたいと願う人には、社会論など勉強するよりもまず、とにかく身近な人間から来る加害に目を向けてほしいと思う。そして加害者からはもちろんのこと、そういう加害が容認されている世界からも、迷わずに離れる(近づかない)ことだ(もちろん、そうできない場合もあるし、反撃し…

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猛暑のなかの居場所@石神井公園の報告

石神井公園での居場所は猛暑のなかになってしまった。電車に乗って公園までの道のりは、直射日光を散々浴びたので、こりゃ数人しか来ないかな、と思えた。けれども参加者は16人。もちろん暑いのだが、石神井公園は木陰ばかりなので、そこそこ涼しく過ごせる。そこらじゅうに木陰がある環境だったなら、猛暑でもこんなに困らないことがわかる。 夏だけあって、池のまわりは様々な昆虫で一杯で、耳に聞こえるのは大音量のセミの声だ。虫に詳しい人が、トンボや蝶の名前を、ぱっと見ただけで次々と言い当てて、「なわばりから追い払っている」などと生態を教えてくれる。(人間以外の生き物を意識するのは、人間関係を絶対化しないためにとてもいいので、こういう集まりにはよく合うと思っている)。そんなふうに池のまわりを歩きつつ2回ほど休憩して飲食をした。日が暮れるとすぐに、セミの声がスズムシの声に変わった。そして突然涼しくなる。これもさっきまでの暑さがあってこそだ。『枕草子』によると「夏は夜」だと誰かが言う。真夏にやる外の居場所もいいものだと思えた。そのまま暗いなかで飲みながら駄弁っていた。 これまでは夏は暑くて、外で居場所などできるわけがないと思っていた。けれどもやってみれば、割と問題なくできるし、夏ならではのよさがたくさんある。暑いなかでやったことさえ、他の季節よりもハッキリした思い出になるのではないか。 最近こんなことばかり言っているが、「できないと思っていたことができる」のはものすごい快感だ。「やった!」というあの爽快感に匹敵するも…

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8月の不適応者の居場所は石神井公園の生物観察会でどうか

つながりをなくしがちな人がつながるための集まり「不適応者の居場所」、8月は以前に行った石神井公園でまたどうでしょうか。「水辺の生物観察会」と銘打って。まず、感染者が収まらないので散策が適していて、さらに暑いので日陰で休める場所が必要。こういう条件なら、石神井公園が一番ふさわしいと思いました。虫や植物に詳しい参加者がいて、生物観察会にもなっていたし。アクセスが悪いのは申し訳ない。 日時:8月29日(土)、13時から日暮れまで場所:練馬区・石神井公園。13時に駅から最寄りの公園入口のボート乗り場ベンチのあたりに集合(図の右上赤丸のところ)。日陰がなければ、どこか屋根のあるところで待ちます。コース:石神井池の南側を歩いて、三宝寺池に向かい、さくら広場のあたり?で休憩。さらに三宝寺池を反時計回りに回って石神井池に戻り、くつろぎ広場?のあたりで再び休憩。持ち物:自分が座るくらいのシートは持ってきてください。飲み物食べ物も必要なら。対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど様々な理由でつながりをなくしがちな人。注意:支援活動ではなく助け合いの会なので、互いを思いやる気持ちがないと成り立ちません。ハラスメントはなしで。   体調がすぐれない人は無理をしないでください。感染や暑さ対策をお忘れなく。雨の多い時期でもあるので、日にちも流動的だと思ってください。途中から帰るのも参加するのも自由です。参加費:無料 これまでの様子 ※居場所に来られる方で、国配給のマスクがいらない人が…

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「自殺する人はなんて弱いんだろう」という言葉

90年代からよくしていた話に、こんなのがある。中学生の頃の給食の時間に、ある生徒の作文が給食時の校内放送で作者によって読み上げられたことがある。その作文の確か冒頭はこんなだった。「自殺する人はなんて弱いんだろう。親からもらった大切な命をどう思っているのだろう」。それは、校内作文コンクールか何かの最優秀作品だったと思う。 それを聞いていた自分は、無性に腹が立った。「お前に何がわかるんだ」と。その頃、自殺のことは頭にあった。すぐにでも死にたいというわけではなかったが、太宰治や芥川龍之介など、自殺した作家の死に際の小説を読んで、なんとか乗り切っていた。そうした人のギリギリの作品には、他の人には書けない本物の苦悩や絶望が書かれている。 自殺については、しないですむならそれに越したことはないと思っている、といつも言っている。けれどもこの作文には、そういうことでは済まされない大きな問題がある。 これをTwitterに書いたら、自分の学校にも全校生徒の前でそういう作文を読み上げた人がいた、というリプライがあった。また、自分は昔のこととして書いたのだが、今でも変わらないという意見もあった。もちろんそれはあるだろう。wtsurumi / 鶴見済 『0円で生きる』発売中中学校の給食の時間に校内放送で、「自殺する人はなんて弱いんだろう。親からもらった大事な命をどう思っているんだろう」という作文を、書いた生徒が読み上げたことがあった。作文コンクール優勝とかで。悲惨な時代だった。 at 08/02 23:46 …

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なぜ不安を感じすぎるのか?

今回は、「なぜ人間はここまで余計とも思える不安を感じるようにできているのか」の話を。 心配事や悩み事で頭が一杯で、眠れないことが誰にでもあるだろう。なぜあんな厄介な機能が体に備わっているのだろう?これは推測なのだが、考えてみれば、部族社会、狩猟採集時代のような身のまわりに生命の危険が迫るような環境で、不安があるのにぐっすり眠ってしまっては、その生き物は生き残れなかったかもしれない。今は眠る環境だけはまったく安全になったのに、体がそれについていっていないのではないか。 また人間は、悪いことばかり思い悩む病気は多いのに、いいことばかり考えてしまう病気はあまり聞かないのはなぜなのだろうと気になっていた。どうせならその病気にかかりたいものだと。これも考えてみれば、そういう性質の生きものがいたとしたら、命の危険にあふれている太古の時代には生き延びられないかもしれない。 狩猟採集時代の人間が、獲物を獲りに森に入ったとする。まず、自らを襲う外敵や、植物の毒や、地形や天気にも細心の注意を払い、それ以上の繊細な注意をもって獲物を探すことだろう。目に見える、耳に聞こえるありとあらゆるものが、心配や注意の対象だ。 そういう命を危険にさらすような不安材料を人間は今に至るまでに、ひとつひとつ取り除いてきた。もちろん細かく色々あるけれども、はっきり言って今はそこまで不安が必要な環境ではない。例えば人の目のこと、ばい菌など生活環境のこと(コロナウイルスや放射性物質なんかは別として)、健康のこと、不審者等々、材料は色々あ…

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