不適応者の居場所@オンライン忘年会の報告

年末の不適応者の居場所は、苦肉の策のオンライン忘年会だった。参加者は15人で、オンラインらしく地方からの参加も。 今回はメインルームでの大人数の話が多かった。ブレイクアウトルームがあるとは言っても、そこにすんなり分かれる技法が確立されていないので(リアルな居場所なら、それが確立されていると言える)、こういうことがあるのもいいだろう。 コロナ禍中でもストレスを発散して心の健康を保つ方法や、散策にいい所、オンライン会のやり方にどんなものがあるかなど、3時間たっぷり話せた。色々なオンライン会に参加している人も多く、他の会がやられている工夫の話はとても刺激的だった。 一年を振り返って、あっという間だったという話が出たが、自分もそのとおりかもしれない。どこかに行ったりしていないので、一年がつるんとしている。そうなると、一年経つのは遅いのではなく早いのだと再認識した。10代の頃の一年は、今とは比較にならないほど長かった。歳を取るほど何も起こらなくなるので一年は早い。それと同じかな。いいことが多くて長く感じる一年を、来年は過ごしたい。

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心のなかにある「人には言えないこと」の意味

悪いことをしたわけでもないのに、それどころか被害を受けたのに、人には言えず隠してしまうことがある。例えば、「いじめ被害にあった」なんかはそうだろう。これほど「いじめはいけません」と言われているのに。それどころか「お前いじめられていただろう」などと、脅しに使う人間までまだいそうだ。泥棒にあったことを言えない人はいないのに、何が違うのだろう? 軽い精神病については、随分自分から公言できるようになってきた。「うつ病」「発達障害(ADHDなど)」などは、本人が堂々と公言しているし、今は「過敏症(HSP)」が市民権を得ている真っ最中だ。けれども例えば「社交不安障害(対人恐怖症)」は、今でも言いづらいだろう。何か違いがある。 つまり「気が弱い」なんてことは、まだまだ市民権を得ていないのだ。人に対してガーッと強気で行けることが、いまだに偉いのだ。市民権がないとは、やんわりと見下されているということ。そして、誰でも自分のイメージをよくしようと日々がんばっているのだから、そんなことを言いたくなるわけがない。 ちなみに、自分は96年に出した『人格改造マニュアル』のなかで、精神科に10年以上も通院していることを初めて明かした。『完全自殺マニュアル』を出してすぐにそれを言っていれば、もっと受け止められ方が違ったのだろうが、その当時はとうてい言える空気ではなかった。80年代はネクラを笑う社会だったことは周知のとおりだが、90年代前半もそんなに変わったわけではない。「暗い」などと言って、公然と他人を笑っている有名人もま…

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不適応者の居場所、オンライン大忘年会のお知らせ

つながりをなくしがちな人がつながるための「不適応者の居場所」、年末はオンラインで大忘年会をやりたいと思います。広めの屋内でやる、屋外のどこかを散策のみ(寒いので)、そしてオンラインの三つの選択肢がありましたが(一番やりたかったのは屋内)、感染が拡大しやがったためまず屋内が無理に。そして気温の様子を見るうちに、やはり散策のみの会も難しくなりました(暖かい日に当たればいいが、寒い日だったらまずい)。というわけでやむを得ずオンラインに。でも散策より、オンラインのほうがちゃんと駄弁りができると思います。ちなみに散策地で考えたのは上野動物園でした。 オンラインの例により、中の安全やプライバシー確保のため、残念ですが参加はこれまでに居場所に参加された方のみで。せっかくメディアでも取り上げられたばかりなのに残念。 日時:12月26日(土)16時~3時間くらい? 参加方法:Twitterで連絡をいただければ、ZoomのURLをお送りします。すでにオンラインに参加済みの方は同じURLです。初めて連絡をいただく際には、いつ頃参加されたか、自己紹介で言った名前など、ご自身の特徴がわかる情報をお知らせください。Twitter以外で鶴見とつながりのある方は、そちらからでもOKです。今回は、16時ちょうどからの参加が理想的ですが、途中からでもいいです。適当に覗いたり、外れたりしてもらえれば。2時間も話すと疲れるので、適当なところで勝手に退出してもらってOK。 参加資格:これまでこの居場所に一度は参加された方。 …

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DANROに「不適応者」インタビューが載った

DANROという孤独マガジンからインタビューを受けた。 鶴見済さんが語る「不適応者」の生きづらさ というタイトルで、「不適応者の居場所」メインの取材は初めて。こちらの活動や考えをよく知っていただけていて、話したいところを訊いてもらえた。おかげで居場所のことも、自分の就職のことも、資本主義社会のことも話している。 どこもいい話だと思うのだが、 「俺たちが真剣に悩むことって、国際問題だとか内閣改造だとか、そんなことじゃないだろうっていう気持ちがずっとあったんです。みんな、立派な問題については声を大にして語るんですけど、内心では、自分のプライドとかよく見られたいとか友達が少ないとか、そういうことで悩んでいるんでしょう?」 の部分が個人的にはよかった。 これは自分が一番初めの頃、90年代の前半あたりによく言っていたことだ。「友だちにどう思われたか」とか、そういうことで皆が悩んでいるなら、それが一番重大な問題だ、ということ。これは立派な問題、これはつまらない問題なんて区別していると、問題設定のところで間違ってしまって、不幸を改善できなくなる。例えば、政治・経済・国際関係といった問題にどれだけ精通しても、身近な家族や同僚と喧嘩ばかりしていたら幸せになれない。そんな感じのことだ。30年くらい時間が経った今でも、やはり大事なことだと思える。

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