悪いことに意識を集中するのをやめる

「嫌な気分になりたくない」。これは誰でも思うことだが、その割にはその思いは実行されていないのではないか。 ある人が朝から晩まで、嫌な気分に取りつかれていることはよくある。もちろん、そうならざるを得ないほどひどい状況にいるならしかたがない。けれども、朝から晩まで嫌な思いをし続けねばならないほど悪い状況もそんなに多くない。 そんな時は、わざわざ悪いことに意識を集中してしまっているのではないか。いちいち言うまでもないほど、誰でもやってしまいがちなことだ。不安なことに朝から晩まで意識を集中すれば、朝から晩まで不安になる。イライラすることに集中すれば、朝から晩までイライラすることになる。当たり前だ。 下手をすると、それを何年も、もしかしたら何十年も続けてしまうかもしれない。 自分は中年になった頃に、このままだと、こんな嫌な気分のまま、もう一生行ってしまうなと思った。物心ついた頃から、ずっと不安やイライラに圧倒されている状態だったが、放っておけば「人生のメインの時期はすべてそれだったな」などと振り返ることになりそうだった。それを思った時には、さすがに底知れない恐怖を感じた。 25年くらい前に、取材も兼ねて催眠療法というのを受けることにした。その時に言われたのが、「『自分は嫌な気分になんかなりたくないんだ』という強い思いを大事にしよう」ということだった。それをいつも心に留めておこうと。それが嫌な気分から遠ざかる方法だと。 わざわざ悪いことに意識を集中する悪習は、自分でやっていることなので、どうし…

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「不適応者の居場所@ゆる哲学カフェ」の報告

新年初の不適応者の居場所は、オンラインで哲学カフェをやってみた。参加者は11人。「学校」というテーマにしてみたところ、連帯責任、いじめ、不良、部活、変化など、色々出た。結構面白い、うまくいくものだ、というだけでなく、日頃なかなか人と共有できないような不適応な感覚を共有できたのはよかった。 話し終わった後に間が空くことが結構あったのだけれども、それもゆるくてよかった。我々は日頃の会話でも「間が空いてはいけない」と焦って隙間を埋めていくので、前の話をゆっくり考えてから受け答えることや、話を切り出すのがサッと行かない人が話す機会をなくしてしまってるのかもなと思ったり(自分も他の哲学カフェではまったくサッと入れず、考えたことを言えないことの連続だった)。 「間」なんか空いたって全然いいんだな、という感覚は新鮮だった。

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新年の「不適応者の居場所」はゆる哲学カフェでどうか?

相変わらず感染者が減らず、しかも寒い。となるとまた、居場所もオンラインでやらざるを得ない。そこで今回は「哲学カフェ」(または哲学対話)をやってみてはどうか、と考えた。哲学カフェと言っても、別に難しいことをするわけではなく、あるひとつの一般的なテーマ(例えば「死」とか「学校は必要か?」など何でも)について議論をするというものだ。ただ通常の哲学カフェは、純粋な議論のみでちょっと硬いし、頭が忙しい。司会者が話をふったりはするものの、弁の立つ人が有利になるので、そんな人ばかりの集まりになりがちだ。なのでここでは「ゆる哲学カフェ」として、「いつもよりもちょっとテーマがある雑談」くらいにすればいいんじゃないかと考えた。 日時:1月24日(日)16時から2時間 参加:Zoomで。一度居場所に来られた方に限らせてもらいます。鶴見までTwitterなどでご連絡を。その時に、いつ参加したか、ご自身の名前や特徴などお伝えいただければ、URLをお知らせします。 やること:ゆる哲学カフェ(テーマに沿ったゆるい討論。まず自己紹介をしてもらって、その後そのテーマについての考えなど。話したい人が適当に話してもらって可。司会者も適当に交通整理をしながら振ったりします)。これまでのように単に雑談するだけではなく(自分はそれが理想だったので残念ですが)、ちょっと話しやすいようにテーマが決まってるだけ、くらいに思ってもらえれば。話を聞いているだけでもOK。 そして議論から離れたい人は、ブレイクアウトルームに行ってもらって…

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「気が弱い人」というまだ市民権を得られない人種

まだ市民権を得ていないマイノリティ、というか不当に低く見られている人種はたくさんいる。LGBTなんかは、最近ようやく市民権を得たマイノリティということになるだろう。 「気が弱い人」もそのひとつだ。慎重であることは、決して劣っているとは言えない(不安を感じやすいかどうかが、気の弱さと大きく関わっているだろう)。争いを好まないのは、むしろいいこととさえ言える。それなのに「気が弱い人」は「小心者」「臆病者」と見下さてきた。悪いことなど何もしていないのに。逆に「気が強い」っていうのはそんなに偉いのかというと、これも善し悪しなのだが、とにかく社会で幅を利かせることができるのは確かだ。「気が強い」「気が弱い」という切り口で世の中やTwitter界なんかを見ると、ものすごく興味深いのでぜひお薦めする。 人間の歴史は「気が強い人」の勝利の歴史だったはずだ。気の強さによって相手を威嚇したり圧倒したり、時には相手を殴り倒して従わせた者が上に立ってきた。今でもそうだ。特に学校のような一般社会に比べて野蛮さの残る場所では、まだ「オラ、やんのかよ」みたいな態度が大きな力を持てる。TwitterなどSNSのように個人が十分に守られておらず、むき出しで戦わねばならない新しい場所も同じだ。こういう気の強さ、「武士の魂」みたいなものにその一番純粋な形を見ることができるのではないか。すごく武士っぽいなと感じる。「度胸」なんて言葉が浮かんでくる。自分の子供の頃でも、気の強さが崇められるがゆえに、気の弱さは不当に蔑まれ、克服すべき気…

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