春の居場所は林のなかだった

4月の代々木公園での居場所は、参加者も多く、時間を延ばして日没まで続けた。初めての参加者は8人もいた。 この日は漫画や映画の話をたくさんした。林のなかに場所を取ったので、新緑に包まれているようで、上から時々木に咲いている大きな花がボトボトと落ちてきた。森林浴をしているような気持ちよさがある。いつもの噴水のそばが使えなかったおかげで、公園の別のよさを発見した。 代々木公園のなかは、中心の広場を含む、半分くらいの面積が立ち入り禁止になっている。遠くに柵が張り巡らされているのが見える。なぜその向こうが立ち入り禁止なのか、もうわからない人もいる。実はこれは桜が生えている場所で、花見が禁止になったので、花見の時に混みあう場所を閉鎖したのだ。そして、花見のシーズンは終わったのに、代々木公園は、「なんとなく」この締め出しを続けていたのだった。この日は、残されたエリアがピクニックをする人で一杯だった。閉鎖していなければ、あんなに過密にならずに済んだ。それ、何の意味があるんだろう。 今日公園のサイトを見てみると、2時間以下、5人以内で使用しろなどと、この公園だけの独自ルールができていた。 今は「感染防止のため」と言っておけば、何でもできる特殊な状況だ。だからこそ、おかしいものはおかしいと、ふざけんなと思ったら「ふざけんな」と、「我々の生きる歓びだって大事だぞ」と言っていたい。

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「雑草を飾る」という0円の娯楽

「雑草を食べる」でもなく「雑草で酔う」でもなく、「雑草を飾る」のにはまるようになった。以前に花の栽培ばかりやっていたので、花はよく飾るほうだった。机やテーブルの上のような殺風景なところには、こういう「野生のもの」は異様に映える。PCに向かっている時に、こういうものがちらちらと目に入るのがいい。 上段左は、最近特に気に入ったナヨクサフジ。つるものはどうせだめだろうと思って飾ってみたが、光に透かすと素晴らしい。たまたま窓からの光に透ける場所に置くことができるので、思わず見てしまう。夜布団のなかで頭に浮かんで気分がよくなったり、効果が多岐にわたっている。 上段右は、日本で猛烈な勢いで繁殖しているため、注意が呼びかけられているナガミヒナゲシ。道端によく群生して咲いていて、色と形がとてもいい。そのせいで駆除されないのかもしれない。 中段左は、河原なんかによく生えているムラサキツメクサ。形がポンポン触りたくなる”かわいい系”でいい。すごく長持ちするのに驚いた。 その右は、勢いがつくと恐ろしいほど増殖するツルニチニチソウ。この青い色はなかなかかけがえがない。 その下の左はドクダミ。これはとても地味な雑草なのだが、花は結構きれいなのではないかと以前から思っていた。これを飾るとなると、花がいいというより、葉を含めた全体の感じを面白がっていると言える。「雑草の葉っぱだけでも、感じがよければ飾れる」と思えた。ドクダミはこれまで、茶葉や薬草として使ったが、この「見る」という使い方が一番はまる…

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4月の「不適応者の居場所」は再び代々木公園で

再び季節がよくなった4月の居場所は、例年どおり代々木公園でやりたいと思います。噴水見ながら座っているだけでも、この季節は気分がいいと思う。 日時:4月24日(土)13時~17時? (雨天延期)場所:代々木公園噴水池の向こう側(図の赤印のところ)この場所は立ち入り禁止になっていることがわかりました。原宿門近くのどこかに場所を決めて、開始時間までにTwitterで発表します。こんなことは想像もしておらず、すみません。目的:つながりをなくしがちな人がつながる。 必要なもの:食べ物飲み物は基本、各自持参で。良質な食べ物を、カンパ制である程度提供できると思います。シートはこちらで用意します。最寄りのコンビニは原宿駅前。 対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。(とは言っても実質的には、誰でもOKの交流会オフ会だが、、、。毎回4分の1くらいは初めての人。) 注意:一方的な支援活動ではないので、各自が相手の気持ちを思いやらないと成り立ちません。ハラスメントはやめてください。抑えられない方の参加はできません。途中から参加、途中帰りももちろん可。 ※使わない物を無料放出するコーナー「0円ショップ」を作ります。何かある人は使ってください。 先日、9年くらい毎月友人とやっている「くにたち0円ショップ」に参加して、路上でたくさんの人に会って、特に鬱々としていた気分が改善したのを感じた。この居場所も「今の日本社会に必要なのは絶対にこ…

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自分はこうしたいと言う人/みんなにこうしろと言う人

みんなや他の人にこうしろと訴えている人と、自分がこうしたいと訴えている人がいるのに、ちゃんと区別されてないという話を。 夫婦別姓について反対の人と賛成の人が、同じように扱われているのに不満がある。そこそこ指摘されることだが、夫婦別姓に反対の人は、全員に別姓を選ばせないぞと主張している。そして別姓を選ぶ人がいても、おそらくその人には何の害もない。一方賛成の人は、全員別姓にしろとは言っていない。個人の選択について言っている(ここには個人の選択を尊重するかしないかという、第二のテーマが隠されている)。後者は前者に比べて、はるかにひかえめな訴えをしているのだ。そこのところは、はっきりと意識されるべきだろう。 こういう不公平というか不利な扱い、人生のなかでずいぶんたくさん接してきてしまった。 90年代の若手論壇?に、「大人になれ派/子どものままで何が悪い派」という分類みたいなものがあった。これは一時期、どこかで勝手に名づけられたものなので、大体のイメージみたいなものでしかない。自分はこの両陣営のなかで、もちろん「子どものままで~派」に括られていた。「大人になれ派」の代表は、小林よしのり氏だった。これはこれで、今あらためて検討してみるのも面白いのだが、ここにも不公平がある。こちらは個人の勝手な選択を訴えているのに対して、「大人になれ」とは随分命令的だ。この自分にすら、生き方を指図してきていることになる。 大麻論争にもこうした側面がある。反対と言う場合は、大麻を全員吸うなということ。賛成と言って…

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