4月の居場所は代々木公園でどうか

4月の「不適応者の居場所」は、ふたたび代々木公園でやりたいです。4~5月はこれまで屋外で居場所をやってきた経験からしても、一番気持ちのいい季節です。 日時:4月29日(金)30日(土)14時~18時 (雨天の場合は翌日)場所:代々木公園の三本きのこの休憩舎近く(図の青丸)。正確な場所は、当日決まり次第Twitterの鶴見アカウントで発表します。(行ってみて噴水池のまわり(図の左上)が開放されていたら、そちらでやるかも) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(酒OK)。おいしい食べ物は、カンパ制でおそらく多少あります。 対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病など、様々な理由でつながりをなくしがちな人。 注意:・参加者へのハラスメントや攻撃などはやめてください。支援活動ではないので、おたがい様の気持ちがないと成り立ちません。・途中で座る場所を変わったりするのは、こういう集まりでは普通。せっかく来たので、なるべくたくさんの人と話すのもいいです。最近国も、孤立はよくない、つながりだ、居場所が必要みたいなことを言いだしているのだが、それなら広い和室を、飲食飲酒OKにして無料で貸し出してほしい。すぐに予約が埋まるよ。そういう場所をレンタルするのはものすごくお金がかかるので。そこで飲みも含めた宴会が行われると思うけど、つながりってそんなもんだろう。行政って、真面目で実直なものばっかりチヤホヤして、そうでない人たちを締め出すことで、大変な過ちを犯してないだろうか!?

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死んだらどこへ行くのか、見田宗介追悼最終

見田宗介氏追悼記事の最後は、「波としての自我」の話をぜひしておきたい。ただこういう話、ガッツリやろうとすると、仕事みたいに大変になるので、適当にやりたい。我々は生まれる時にどこからやって来て、死んだあとどこに行くのか?いきなり何言ってんだと思うかもしれないが、これは多くの地域の神話・民話に見られる、人間が持つごく普通の疑問だ。 その答えになる見田氏の言葉を少し、『現代との対話 見田宗介』というインタビュー本から。 「〈私〉は自然の波頭のひとつだと。宇宙という海の波立ちの様々なかたちとして、個体としての「自我」はあるのだと」。「海が宇宙だとすると、波というのはある数秒間の形としてあるわけです。自我というのは宇宙の海の波みたいなもの」 この「自我=波」という例えは、本のどこかに書いてあっただろうか?本来は『自我の起源』に書いてあるべきことなのだが、ここにはない。(ただし、この本の表紙を見よ!)。それでもこれは見田氏の論のなかでも、最大レベルの重要事項だと思う。 そんなわけでこれから書くのは、自分がその骨格に勝手に肉づけしているものと思ってほしい。 まず、自我は「自己意識」と言いかえることができる。「自分で自分を意識している」ことで、これは生物のなかでも人間にしかないものとされる。自己意識の誕生は、生物進化の流れのなかのひとつの大きな山と言える。(このあたりは『自我の起源』から)。 では、自我が波とはどういうことか? 波は海の水の高まりで、海が盛り上がっては波(あるいは波頭…

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見田宗介作品ベスト3、「我々はみんな死ぬ」ことの価値

先日死んだ見田宗介氏の作品や考えも、せっかくの機会なので紹介せねばと思う。まずおすすめ本を挙げるけれども、そういうものはマニア向けなので、よくわからない人は飛ばしてもらっていい。それでもぜひ、後半の彼の考えのところは読んでほしい。 鶴見個人が選ぶ見田作品ベスト3はこうなる。 ①『自我の起源』(93年)②『気流の鳴る音』(77年)③『時間の比較社会学』(81年)(すべて真木悠介名義) 以下は補足的に。・『現代社会の理論』の「4章2項と7項(単純な至福)」(96年)・『社会学入門』の「6章 人間と社会の未来」(06年)・『〈現在〉との対話5 見田宗介』の「4章 波としての自我」(86年) さて、まず②の『気流の鳴る音』のなかの、自分としては絶対に読んでほしいところについて書く。それは本文ではなく、巻末にボーナストラックのように入っている「色即是空と空即是色」という短い文章だ。ここで言っていることは、4章「心のある道」の結論にもなって出てくる。つまりこの本のなかでも、一番か二番目の主張と言える。 何が書いてあるのかというと、、、、 戦後南の島の収容所でつかまっていた戦犯たちが、死刑判決を受けてまた収容所に戻る。その帰り道。何度も見ていたはずの通っていた道や小川が鮮烈に美しいものに見えたと、みんな同じように書き残しているのだそうだ。なぜそういうことが起きるのか?それまで先のことばかり思いわずらっていた意識が、先がなくなったとたんに、「今生きている世界」に向いたのだ。よく見れば美しいもの…

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見田宗介の死、「ほんとうに切実な問い」

有名な人が死んだ時にやる追悼表明は、ちょっと苦手だった。追悼のためと言うより、その話題に便乗しているように見えてしまうことが多かったので。 けれどもさすがに、ザ・スターリンの遠藤ミチロウ氏が死んだ3年前には、追悼の記事を書いた。その時に、「自分としてはこれ以上に追悼すべき人はいない」みたいなことを書いたのだが、実はひとりいるなと思っていた。それが見田宗介だった。 誰かを英雄視したり偶像視したりするのにもまた、自分には大きな抵抗があると言っておきたい。それでもやはり、見田宗介が死んだら何か書くだろう。 見田さんは、日本を代表する社会学者と言っていい。そして自分は大学で5年間(笑)、見田ゼミに出ていた。単位は3年までにほとんど取ってしまっていたので、4年目5年目は授業に出る必要もなかった。その間、このゼミ以外に大学で何をやっていたのか、よく憶えていない。 見田さんが授業で言っていた言葉で、心に残っているものがある。「大学に入ってくる時には、みんなとてもいい問題意識を持っている。けれどもあれこれ学んでいるうちに、その問題意識が拡散してしまって、つまらないテーマで卒論を書いて出ていってしまう。それがとてももったいない」といったことだ。 「自分にとって本当に切実な問題を考える」。そういう言い方もよくしていた。 さっそく同じく見田ゼミだった友人と、あれこれ話していて気づいたことがある。自分の問題意識や研究分野を限定しなかった見田宗介の理論は、少なくともいくつかの分野に大きく分かれる。そ…

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