新刊の紹介記事と蛇足的な自己解説 その2

新刊がらみでありがたいことに、その後も紹介記事が出続けたため、さらにここにまとめを。この取材の多さは前の本、その前の本よりもはるかに多く、注目度がまるで違うなと驚いた。おかげ様でよく読んでもらえていて、3刷が決まりました。 こだまさんとの対談 こだまさんの本では、自分は『夫のちんぽが入らない』にはもちろん感動したのだが、『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に入っている「学校の話」にもガンと来た。心の病のことだけでなく、消極的であることがそもそも大きなマイナスである世界のことが赤裸々に描かれていた。それが笑えるところがまたすごい。そしてこの『ずっと、おしまいの地』めぐる対談では、色々経験してしまった後で、物事を肯定的に見られるようになるにはどうすればいいのか聞きたいと思っていたため、答えらしきものが見つかってよかった。いい対談になっていると思う。 村田らむさんの東洋経済のインタビュー 村田らむさんの東洋経済オンラインでの、来歴を語るインタビュー連載。高校時代は精神病院に行きたかった。どう見ても頭がおかしいから。(自分が意識することを意識する状態で、テストの最中にもそれが始まる)。部活をやめるために骨折したかった。救いはロックだけだった。(ここのところは、「その当時は世界が三つあるわけですよ。学校と家庭と、もうひとつがロック」みたいに話した)。などなど、新刊よりも多少詳しく過去のことを語っている。新刊の話も含め、読み応えたっぷりにまとめていただけているのはさすがだと思った。…

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秋の公園の居場所の報告

10月の不適応者の居場所は、暑くもなく寒くもないちょうどいい気温のなかでできた。このちょうどいい気温にならないところが、最近の気象の一番おかしなところだ。 今回は長らく立ち入り禁止になっていた、中央広場方面の池のそばに戻れた。最近は木が繁った場所でこっそりやることが多かったので、広々と感じられ、シートを広げた時に「ああこれだけで成功だ」と思った。かつてはいつもそう思っていたのを思い出した。 参加者は40人以上で、外でやったなかでは最多だった。これも新刊とインタビューが出た影響だろう。 17時を過ぎると急に暗くなったが、この時期になるとあまり虫の声は響かなかった。木の上で鳴いているのはスズムシではなく、アオマツムシという虫だと教えてもらった。 よく来てくれていた人が京都の料理屋に就職するので、最後に寿司を作って持ってきてくれたなど色々あった。とは言え、特筆するようなことも特にない。ためになる話も色々聞けたが、こういうところで時間を過ごせれば、ためになんかならなくてもいいのかもしれない。

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秋の公園の池の側で居場所

10月の不適応者の居場所は、また代々木公園でやりたいです。ちょうどいい気温がないことが続いた夏以降でしたが、10月半ばの気温はまさにちょうどよく、まずいい気分でやれそう。気をつけていると、夕方に一斉にスズムシが鳴きはじめるのが聞けます。今回は以前の定位置で、眺めがいい噴水池の側に戻ってみたい。公園側は長い間、中央広場を閉鎖していたので、ここに戻るだけでも感慨がある。 日時:10月22日(土)13~17時。場所:代々木公園 噴水池そば(図の赤印のあたり。正確な位置は当日発表) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(酒OK)。おいしい手作りの食べ物は、カンパ制でおそらくそこそこあります。    対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。注意:・参加者へのハラスメントや攻撃などはやめてください。攻撃を行う人の参加はできません。支援活動ではないので、おたがい様の気持ちで相手を思いやる姿勢がないと成り立ちません。・途中で座る場所を変わったりするのは、こういう集まりでは普通。せっかく来たので、なるべくたくさんの人と話すのもいいです。逆に席を変わられても、がっかりすることはないです。・ずっとは長いので、少しだけいるのも可。・ほとんどの方はひとりで来られてます。 新しくこの居場所を知った方に。そんなに誤解もないので念のためですが、鶴見はこの居場所の一参加者兼管理人にすぎないので、自分が全体に話す時間などもちろんないし、周囲の人に「俺の話」…

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集団に入るべきなのか問題(仲間が多いのは力が強いことである)

「人間関係を結ぶかどうか」とはまた別に、「集団に入るかどうか」の問題がある。集団に入るべきかどうかについては、新刊のなかでも言っていなかった。 ちなみに社会学で言う社会集団の定義とは、まずその集団に所属している自覚のある複数人から成っていること。そして持続的に、たがいに活動をしあっていることが条件だ。つまり満員電車に乗り合わせている人たちは、たがいに活動していないし持続的でもないので集団ではない。「不適応者の居場所」も集団ではないと思っている。規模については、自分がイメージしているのは、クラス、〇〇校生、✕✕部、サークル、職場、町内会など、そこそこ大きいものだ。 自分が挙げている人間関係のメリットには、「人から肯定される」とか「思っていることの共有」なんかがある。そして言いたいのは、これらは「今日は〇〇さんと話す」「来週は✕✕さんと一緒に行く」といった「個別の人間関係」ですべて満たすことができるということ。 つまり「集団に入らなくてもいい」ということだ。自分は集団に入ってしまうこともあったし、まったく入っていない時期もたくさんあった(今は入っていない)。それを振り返れば、そういう結論になる。 どの学校、どのクラス、どの部活なんてことがその人の肩書きのようになってしまう環境にいると、集団に入っていないと大変なことになるのではないかと感じる。けれども外れてみれば、それは関係なかった。 ただし集団に入ることにも、何かメリットがあるはずだ。それは「力」の感覚なのではないかと思う。自分…

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