対人恐怖症は「大人になれないせい」と見なされていた
吃音(どもり)の原因が、かつては家族や本人のせいとされていたことを、ひきポスというひきこもりのサイトの記事で知った。記事を書いた人はそれをこのままにしたくないと語る。不登校と吃音の共通点
これを読んで、対人恐怖症(社交不安障害)にも似たような過去があったことを書きたくなった。
対人恐怖症は少なくとも80年代まで、本人が「大人になれないせい」で生じる病理現象とされていた。「本人の未熟さのせい」と言いかえてもいい。当時の精神病の本には、「友人とはたがいに信じあうものなのに、その友人が怖いなんてなんと子供なのか」なんて書いてあるのだ。アホか。
いや、対人恐怖症だけではない。たいていの恐怖症(強迫神経症)や不安障害も「大人になれないせい」だった。うつや怠惰まで「アパシー」と呼ばれ、「大人になれないせい」にされた。「不登校(登校拒否)」ももちろんこのくくりのなかに入る。自分も以前に少し書いたことがある。「大人になれない若者」批判が流行っていた
ではどうすれば「大人になった」と認めてもらえるのか。それは「社会性を身につけること」なのだ。具体的に言えば就職する(社会に出る)ことだ。「社会に適応できる」こと。学校に行けないなら、行けるようになること。「内向性から外向性へ」みたいにも言われてもいた。自分の内面世界に閉じこもって、営業マンっぽくなれない人はダメなのだ。これは内面世界全般を否定されているようで空恐ろしかった。そしてそれができない者は「精神病」という病気であり、治療をして「社会性を持っ…