高校を中退する話をした4月の居場所

4月の居場所は、花見が終わったのにまだまだ混んでいる代々木公園の中央広場で。噴水の見えるあたりは人気が高くて、そこから少し離れた場所にしたのが残念。参加者は35人くらいで、女性がいつもより多めで半分近かった。中心年齢層は30~40代。 高校をやめてしまった10代の人の話を聞けたのは、特に印象に残った。決して説教ではなく、同じようにかつて高校を中退した人や、大学を卒業したばかりだけど就職がまだ決まっていない人、大学を二回も変わっている人、高校に無理やり通い切ったばかりに心の病を長引かせた人(鶴見)、等々が思ったことを伝えたりした。(「もしやめないで済んだなら、それがいちばんよかった(けれどもしかたなかった)」という言い方がしっくり来た)。自助グループのポータルサイトを作っている人が、それを紹介したり。 その10代の人が薦めてくれたボカロPの曲を聴いてみたらやはりよかった。「ロック、ヒップホップ、ボカロ系と三つあるとしたら、生きづらさをうまく扱えているのはボカロ系」と自分は言った。 「過不足ない 不自由ない 最近に生きていて でもどうして 僕たちの 胸元の塊は 消えたいって言うんだ 死にたいって言うんだ」という歌詞なんかいい(帰ってから聴いた。かなり前に大ヒットしていても意外に知らないもんだ)。 不謹慎に聞こえるかもしれないが、こういう体験ができるこの活動はやっぱり面白い。(ちなみにこうした話を書いてもいいですかと確認してます)。 それから、哲学カフェ、読書会、ひきこもり会のよう…

続きを読む

4月の公園はそこにいるだけで気分がいい

4月の居場所はまた代々木公園でやりたいです。 4月、5月は公園でやればどうせ気持ちがいいので楽。ゴールデンウィークがなぜこの季節にあるのか、この居場所をやっているとよくわかる。 ちなみに自分はこの季節に、昼飯を公園などでよく食べる。ヨーロッパなんかでも庭で食事をする習慣があるようだけど、外で食べるだけで全然気分が違うもんだなと、わりとびっくりしている。部屋のなかでは食事も何か他のことをやりながらでないと間が持たないのに、外ではそんなことがない。外にいるだけで気が晴れているので、何かあえてやる必要がないという感じ。考えてみれば、外にいるだけで気分がいいだなんて、幸せも本当はずいぶん簡単なんだなと感心してしまう。 というわけで、気分のいい外で飲み食いしましょう。 ****************************日時:4月22日(土)13時~17時(雨の場合は翌日に延期)。場所:代々木公園 中央広場の噴水池の側(図の赤丸あたり。正確な位置は当日発表)持ち物:各自の食べ物、飲み物(飲酒可)。おいしい手作りの食べ物(ビーガンもあり)は、カンパ制でおそらくそこそこあります。    対象:ひきこもりがち、フリーランス、労働週4以下、心の病、社内ぼっちなど、様々な理由でつながりをなくしがちな人。もちろん厳密には決まってません。注意:・参加者へのハラスメントや攻撃などはやめてください。抑えられない人の参加はできません。支援活動ではないので、参加者が相手の気持ちを思いやれないと成り立ちません。・4…

続きを読む

「病院に笑いが必要だ」と発想すること、映画『パッチ・アダムス』

映画そのものの出来がいいとは思わないのに(失礼)、いつまでも頭から離れない映画がある。『パッチ・アダムス』という映画だ。病院の患者を笑わせようとしたアダムスという男の話(彼の功績はそれだけではないが)。 彼は医学生だった頃、入院中の患者の部屋を訪れ、道化師(クラウン)を演じたりギャグを言ったりして患者を笑わせていた。笑顔がなかった小児がん?の病室の子どもたちも、怒ってばかりの末期すい臓がんの男性も笑う。これで患者が快方に向かうことはないだろう。けれども彼らが笑った時、何か大きな変革が起きたように感じられる。 「死を遅らせるだけではなく、生の質(QOL)を高めることだ」というアダムスのセリフもある。そういうことだ。 そして彼の試みは後にホスピタル・クラウン(ケアリング・クラウン)という活動を生み出す。これは道化師の格好で病室を訪問して、道化を演じて患者を笑わせる活動だ。欧米では文化として定着しつつあるという。今は主に子どもに対して行われているようだが、それだけではもったいない。終末医療の現場全般でも活躍してほしい。 「病院に笑いが必要なのではないか」と思うこと。そこには何か、幸せとか生きづらさの解消とかいうことの本質があるように思えるのだった。それだ、などと思う。 残念ながら医療に笑いがなぜ必要なのか、数値や理屈ではまだ十分な証拠をあげることはできないだろう。まあ、自分がひしひしとそう感じるだけなのかもしれない。 「笑いは鎮痛作用蛋白の分泌を促進し、血液中の酸素を増し、心…

続きを読む