大江健三郎『セヴンティーン』と自意識過剰という病
「俺は自分を意識する、そして次の瞬間、世界じゅうのあらゆる他人から意地悪な眼でじろじろ見つめられているように感じ、体の動きがぎこちなくなり、体のあらゆる部分が蜂起して勝手なことをやりはじめたように感じる。恥ずかしくて死にたくなる、おれという肉体プラス精神がこの世にあるというだけで恥ずかしくて死にたくなるのだ。」(大江健三郎『セヴンティーン』〈短編集『性的人間』所収〉より)
実は大江健三郎から大きな影響を受けている。そして『セヴンティーン』は最初に読んだ作品であり、ダントツに好きな作品だ。
高校の時この一節に触れて、「これは俺だ」と思った。この青年がどのように日々を生き、どのようにこれを克服したかというのが、この作品のテーマだ。
まずはこの作品について書こう。(最後のほうにネタバレの箇所を明示しているので、読むと決めている人はそこは避けてください)。
さて、「俺は自分を意識する」という「症状」を、単に社交不安障害(対人恐怖症)と言ってしまうとちょっと違う。「自意識過剰」とでも言うべきだろうか。もちろん「うぬぼれ」なんていう意味ではない。つまり考えすぎ、意識しすぎという状態に陥っていて、その過剰な意識が全部自分自身に向いているという状態だ。
自分は変な臭いを放っているのではないか(自己臭恐怖)。自分は容姿が醜いのではないか(醜貌恐怖)。自分は重い病気にかかっているのではないか(疾病恐怖)。「にやりと笑う、睨む」など不快感を与える表情をしているのではないか(表情恐怖)。
これ…