「ナチスにもいい人がいた」と言う勇気
「ナチスにもいい人はいた」と証言している人がいたらどう思うだろう。こうしたことについては今もまだ定説がないので、意見は分かれるはずだ。
アウシュビッツなどの強制収容所からかろうじて生還した、V・フランクルというユダヤ人の精神科医・心理学者がいる。その体験を記した『夜と霧』はあまりにも有名な本だ。
彼は生還後「ナチスにもいい人がいた」と著書や講演会で語り続けた人でもある。収容所で監視員を任されたユダヤ人にもひどい悪人がいたとも主張した。戦後に巻き起こった「ナチス=悪、ユダヤ人=善」という決めつけ論に異を唱えたのだ。そしてナチスはみんな連帯責任だという「ナチス共同責任論」に反対しつづけた。彼はそのせいで、ユダヤ人側からの批判・中傷にさらされることにもなった。
自分がこれを知った時に思ったのは、「そんなこと言わなきゃいいのに」だった。「ナチス=悪」としようというのは戦後の世界全体の運動のようなものだ。『夜と霧』と『アンネの日記』はその聖典のように扱われた。フランクルも、奇跡の生還を果たし反ナチス運動にまい進した聖人と崇められればいいではないか。
けれども彼は「それが真実だから」「自分のような者が言うから信じてもらえる」と、言うことをやめなかった。確かにナチス側の誰かがそれを言ったところで信じてなんかもらえない。考えてみれば、ナチスにもいい人がいたなんて当たり前のことではないか。彼は最後にいた収容所の所長がいい人だったので、米軍がやってきて引き渡す時に、彼に触れるなと交渉したと見ら…