「ナチスにもいい人がいた」と言う勇気

「ナチスにもいい人はいた」と証言している人がいたらどう思うだろう。こうしたことについては今もまだ定説がないので、意見は分かれるはずだ。 アウシュビッツなどの強制収容所からかろうじて生還した、V・フランクルというユダヤ人の精神科医・心理学者がいる。その体験を記した『夜と霧』はあまりにも有名な本だ。 彼は生還後「ナチスにもいい人がいた」と著書や講演会で語り続けた人でもある。収容所で監視員を任されたユダヤ人にもひどい悪人がいたとも主張した。戦後に巻き起こった「ナチス=悪、ユダヤ人=善」という決めつけ論に異を唱えたのだ。そしてナチスはみんな連帯責任だという「ナチス共同責任論」に反対しつづけた。彼はそのせいで、ユダヤ人側からの批判・中傷にさらされることにもなった。 自分がこれを知った時に思ったのは、「そんなこと言わなきゃいいのに」だった。「ナチス=悪」としようというのは戦後の世界全体の運動のようなものだ。『夜と霧』と『アンネの日記』はその聖典のように扱われた。フランクルも、奇跡の生還を果たし反ナチス運動にまい進した聖人と崇められればいいではないか。 けれども彼は「それが真実だから」「自分のような者が言うから信じてもらえる」と、言うことをやめなかった。確かにナチス側の誰かがそれを言ったところで信じてなんかもらえない。考えてみれば、ナチスにもいい人がいたなんて当たり前のことではないか。彼は最後にいた収容所の所長がいい人だったので、米軍がやってきて引き渡す時に、彼に触れるなと交渉したと見ら…

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残暑でもわりと盛況だった居場所

8月の不適応者の居場所は、やはり真夏日の残暑のなか。途中窓の外で大雨が降ったのに、空は明るいままで、すぐにまた暑さが来る。なんか亜熱帯地域のスコールみたいだと、そんな話もした。 そして早く暑さが和らがないかと思っているうちに、もう残暑と言われだした。日差しが健康に悪いと認識されたのはいいけれども、一日のなかで午前中も昼過ぎも部屋にこもって、夕方にやっと外出するのでは、部屋に連続して居る時間が長すぎる。心の健康だって健康問題なのだから、健康を総合的に考えれば、日中に外出するほうがいいのではないか、という話もした。(このことは毎日思っていたことだったので、同じことを思っている人が見つかってよかった)。 8月の居場所に来てくれた人は37人?で、わりと盛況だった。そのうちで初めての人が7人はいたと思う。 ある決して近くないところから来た女性は、ひとりで来る勇気が出なかったのでレンタルされる人(レンタルなんもしない人のように)に同行してもらって、とうとう初めての参加を果たした。そしてこのレンタルされる人はすでに、この居場所に何度も参加したことがあったので、これまた負担にならないちょうどいいレンタルだったと思う。 どんな集まりでも、ひとりで初めてその扉を開くのはなかなか勇気がいる。「話し相手が欲しければ居酒屋に行けばいい」なんて軽く言われるが、たまり場的居酒屋こそ常連率100%、内輪だけの話題100%の、初心者には恐ろしい空間ではないか。 そしておそらく最高齢の参加者かもしれない70代半ばの…

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子どもを産まない人が増えると社会が発展するかも

別に奇をてらってこんなタイトルをつけたわけではない。まだそれほど知られていないが、こんな見方をする専門家もいるという話だ。 いきなりだが、ハダカデバネズミというひどい名前のネズミがいる。 そしてこのネズミが一番変わっているのは、哺乳類にしてはとても珍しく、女王ネズミがすべての子を産むというシステムを取っていることだ。そして生まれた子供は分業体制で、社会全体で育てる。ひとつの集団は100匹くらいで成り立っているそうだ。 これによってこのネズミはどうなったか? 彼らはわりと短命な普通のネズミに比べて10倍も長寿なのだ。各々別のメスが子どもを産むより、一匹がまとめて産んだほうがエネルギー効率がいい。(もちろん効率がいいことは、何でもかんでも人の幸せにつながるわけではないが)。この場合は、各自の労働量が減りストレスが減る。 つまりたくさん産みたい人に産んでもらって、みんなでそれを育てたほうが社会としてよくなる面があるというわけだ。 これは『生物はなぜ死ぬのか』という、今かなり話題の本に書いてある話だ。著者の小林武彦氏は、ハダカデバネズミを参考にした人間社会の具体的な政策モデルまで提案している。 自分はこの話を聞いて、すぐに国際養子縁組を思い出した。海外の恵まれない子供を、主に先進国の里親が譲り受けるシステムだ。日本では珍しいけれども、欧米では普通だ。そして世界には多産で人口が増え続けている国があり、しかも貧困のせいでひどい境遇に陥る子供もたくさんいる。(先進国でももっと産みたいのに、…

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8月の居場所も屋内で

暑いですね。8月もまた室内で「不適応者の居場所」をやりたいです。ただ、これはよくする話ですが、東南アジアに行くと夕食後に公園など街の中心になる場所に出かけて、延々友達と雑談をしています。日本にも夏はそういう習慣を作ろうとアピールをするためにも、公園で駄弁り会をやるなんて絶好じゃないかとちょっと思いました。コロナ中に夜の公園でやっていた時には結構快適で、人も多かったのです。 暑さを避けて家のなかで快適とは言っても、やっぱり体がムズムズしませんかね。やっぱり外に出たいし、体を動かさないと気分が悪くなる。自分はそういうタチです。暑さの中でも外に出て心の健康を保ったほうが、全体の健康度合いは上がるのではないかと思うほど。 でもやはり屋内の簡単さに負けて、また後楽園を予約してしまった。とは言えこれだって外出。外出して他人と会話して、心の健康を保ちましょう。 ******************日時:8月26日(土)14~18時場所:後楽園駅近くの会議室 (もし当日場所がわからなくなっても、会場運営者には問い合わせないでください)。   床に布を敷き、そこに花見のように座りたいです。なので最初と最後に会場を作る・元に戻す時間あり。住所:東京都文京区小石川 2-4-17 東京清飲会館 3階会議室(図の赤印) 持ち物:各自の食べ物、飲み物(飲酒可)。手作りの食べ物(ビーガンもあり)は、カンパ制でおそらくそこそこあります。やること:花見のように室内に座って各自勝手に駄弁るだけ。簡単な自己紹介タイムだけはあり…

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苦しいことはわかってるのさ、さあ陽気に行こう

高石ともやの『陽気に行こう』という曲が10代のころから好きだった。ものすごくダサい曲なんだけど、この曲の代わりになる曲はこの年になっても見つからない。自分はダサい曲もわりと抵抗なく聴くほうで、ダサいなんて理由でもっと大きなものを取りこぼしたくないと思っているからだ。 (Spotify) 高石ともやは60年代の日本のフォークソングの黎明期からいる人で、自分も後追いで知った。この曲はカーター・ファミリーという戦前アメリカのフォークグループのヒット曲(Keep On The Sunny Side )のカバーだ(それもまたカバーで、その元曲となると19世紀)。ダサいに決まっている。 自分もカーター・ファミリーバージョンはそんなに好きではない。高石ともやバージョンの違いは、ザビに「苦しいことはわかってるのさ」というオリジナルの一言を入れたところだろう。 嵐吹き荒れても 望み奪われても 悲しみは通り過ぎて行く 陽も輝くだろう陽気に行こう どんな時でも 陽気に行こう苦しい事は解ってるのさ さぁ陽気に行こう(『陽気に行こう』の2番の歌詞) もともと陽気な人が歌う「陽気に行こう」とか「Take It Easy」なんて、あまり聴きたくない。苦しい人が自分に必死に言い聞かせる「陽気に行こう」には聴く価値がある。高石ともやがそういう人かどうかはわからないが。 自分はザ・スターリンやあぶらだこのようなドロドロした曲を毎日聴いていた時でも、この『陽気に行こう』は聴いていた。今も部屋でよ…

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