京王線ジョーカー氏が本当にやりたかったこと

書きにくいことだが、こんなことは自分が言わなければ誰も言わないだろうから書く。京王線ジョーカー事件の犯人の裁判での証言の肝心な部分が、率直に言えば、どうしても信じられないのだ。 念のためにあらかじめ強調しておきたいが、自分は彼に「自殺をすればいいのに」と言いたいわけではない。(書きにくいのはこういう誤解のせいだが、そのせいで考えを言えなくなるのはおかしい)。 彼はこれまでに二度、自殺に失敗したと言う。最初は中学生の時、自宅の屋上で首を吊ったところ、「何かの拍子にロープが外れて」失敗したそうだ。そして社会人になった18歳の時、また自宅の屋上で首を吊ったが、気づいたら病院のベッドの上だったそうだ。一度ならあるかもしれない。けれども二度も同じ場所で、首吊りを失敗するというのはどうか。首吊りを成功させる条件なんて、わざわざ調べなくても子供にもわかる。それを二度も失敗したと言うのだ。 そして彼の言い分では、このことが無差別殺人に走った大きな原因となった。 つまり、自分で死ぬことはできない。死刑になって死ぬしかない。そう考えて、「大量殺人から死刑」という遠大な道を選んだという。確実に死ぬために「確実な首つり」を選ぶのではなく。あるいはもっと確実な別の自殺手段を検討するのではなく。 ではその「死に方」はそんなに確実だったのだろうか。彼はまず、「殺人のモチベーションを保つのに苦労した」と語る。それを克服してとほうもない準備を重ねて犯行にこぎつけても、技術的にも大量殺人などできなかった。死ぬために…

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晩秋の公園はちょっと寒かった

今年最後の公園での居場所は、12時に始まってから20分くらいは3人しかいないという、居場所はじまって以来の寂しさ。いったいどうなるんだと思っていたら、1時間もするとそれが20人になり、最終的に来た人は全部で36人(かな?)になった。気温は低くなく、日が照ると暑いくらいだったのに、途中から風が吹きはじめると暖かさは相殺された。これで日が完全に陰ったら、いたたまれないくらいの風だった。が、最後まで日は照ってくれた。終了の16時には風で寒くなり、これ以上はいられなかったのでギリギリセーフだった。──と、こんなことばかりいつも考えている。 ある人が、川を河口まで歩いていくのが好きだと言っていた。多摩川の河口まで歩いた時は、そこで野宿をして日の出を見たと言う。日の出の写真を見せてもらったが、確かにこれを見たら「歩いてきた甲斐」を満身で感じられることだろう。自分も自転車ではるばる多摩川河口まで行ったことがあるが、海が見えてきた時の感動は忘れられない。この人はこの居場所では、隣の人によく「何が好きですか」と聞くそうだ。 自分もこの日他のところで、「日頃何をしてますか?」と聞くと、少なくとも駄弁りはいい感じになる、というような話をした。それは例えば、山歩きが好きとか、哲学カフェに行くのが好きとか、何でもいいのだが。 ある仕事を辞めて休職期間中に何もすることがなくなり、それとともにつながりも元気もなくなり、ますますうつっぽくなり、どんどん休職期間が延びていく。これが、この居場所では一番メジャーな悩みなのか…

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11月の居場所はギリギリ暖かい公園で

11月の「不適応者の居場所」は、ギリギリでまだ暖かいであろう真昼の公園でやりたいです。いつもより少し早くしたのは、なるべく暖かいうちにやってしまいたいから。関係ないけど先日、社会人になったばかりくらいのすごく年下の人に会って、60年代から現在までの洋楽・邦楽ロックの話をした。60~90年代の洋ロックの話(ストーンズからニルバーナまでとか)が合うのは割と普通なのだが〈すでに情報が整理されている〉、最近の日本のロック(きのこ帝国やニトロデイのやぎひろみさんまで〈全然メジャーじゃない〉)合ったのは驚いた。なぜなんだろう、それだけでも感動する映画何本分くらいの感動を覚える。ただ名前を挙げているだけなのに。 こういうことは他のあらゆるジャンルであるだろうし、別に居場所はコア趣味話ばかりする場ではないけれども、こういう相手がいくらでも世の中に存在するのに、その相手に会わず、この不思議な感動を味わわずに死んでいくのはもったいないと思う。話が合うってなんなんだろう。(ちなみにLINEのグループチャットみたいな場でこのような話が合ったとしても、特に感動しない。そのような人を集めているわけだし。あー、みんな俺より詳しくてすげえなあ、みたいな気持ちによくなる) というわけで、別に大した話なんかしなくても、気分のいい公園で駄弁りましょう。 ****************日時:11月18日(土)12~16時 (雨の場合は23日(祝)に延期)場所:代々木公園(噴水池・5本ケヤキそばの図の赤丸のあたり。ただし最近は…

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