渋谷駅から歩いて数分の山手線・明治通り沿いという絶好のロケーションにある宮下公園を、「ナイキ公園」に変えようという計画が持ち上がっている。
「ナイキ公園」になると言っても、渋谷公会堂が「渋谷C.C.Lemonホール」に変わるとか1)、東京スタジアムが「味の素スタジアム」になる2) といったネーミングライツ(施設命名権)売却だけの問題ではない。
これについては次号の『オルタ』にも書いたが、渋谷区はナイキジャパン社に10年間で1億5000万~2億円の施設命名権売却をするだけでなく、同社の資金援助を受けて、約5億円かけて有料のスケートボード場やロッククライミング施設を新設しようとしている。
これによって皆が気軽に休むこともできなくなるばかりか、夜間は鍵がかけられ、ここで生活している野宿者も追い出される可能性が大きい。
こうした「カネを払わないと休むことも遊ぶこともできなくなり、生活空間が企業の宣伝広告で埋まる」なんてことは、単に宮下公園で起ころうとしている特殊なことではなく、我々の身の回りでもすでに、そして世界中でますます広がっている由々しい事態だ。
新自由主義(ネオリベラリズム)は、労働力でも農作物でも公共のサービスでも、何でもかんでも(グローバルな)市場の自由競争にゆだねることをよしとする思想だが、そうやって公共のもの、共有のものをどんどん民営化3) していった末に出来上がる世界は、例えばナイキ公園のような世界だ。
それで得をするのは競争力の強い大企業(あるいは多国籍企業)だけであって、その戦略に何の疑問も持たない従順な消費者・利用者でさえ、いいようにカネを巻き上げられる被害者だと言える。
しかし、その大企業でさえグローバルな自由競争にさらされ、合併・買収されないように日々経営の合理化や際限のないコストダウンを強いられているんだから、新自由主義的グローバリゼーションによって「よくなる」と主張されている、その「よくなる」主体は一体誰(何)なのか、もうわからないのだ(それがヒトでも「環境」でもないんだとしたら、「よくなる」だなんて言えるのか?)。
宮下公園では23日(土)、24日(日)の二日間、今年はナイキ公園化反対の意味も込めて、大々的に「夏まつり」が開催される。自分も行くつもりだが、合理化競争や企業価値の向上なんかに全員が追い立てられているより、皆でこういうものを作っていくほうがよほど人々も世界も「よくなる」はずだ。
1) 2006年に渋谷区が、電通を介してサントリーにネーミングライツを売り渡すことで名前が変わった。
2) 2003年。石原都知事によって、公営施設としては日本で初めてネーミングライツが企業に売却された。
3)「民営化」とは”privatization”、つまり私有化・私物化のこと。 新自由主義者は「官から民へ」などと提唱しているが、元の英語では「publicから privateへ」つまり「公から私へ」が正しい。
参考:
みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会HP
http://minnanokouenn.blogspot.com/
『週刊金曜日』 2008年7月18日号
『民営化の戦略と手法ーPFIからPPPへ』 野田由美子編著、日本経済新聞社刊、他
図はアジア太平洋資料センター(PARC)刊、『NIKE:Just don‘t do it 見えない帝国主義』の表紙。ナイキ社の悪行が報告されているブックレット。