
9月の半ばにアメリカの投資銀行・証券会社が破綻し、買収され、まず「アメリカ金融危機」が起きた。それはヨーロッパから世界中に広がって、「世界金融危機」になった。その後、危機は世界の実体経済に及んで、今は「世界同時不況」などと呼ばれている。この間、大企業を救済するために夥しい我々の公のカネが湯水のように使われて、夥しい数の人々が失業し、その数は来年以降、ますます膨れ上がる(註1)。
これだけの被害を及ぼした当のアメリカの投資銀行・証券会社、あるいはそれらと取引していた金融機関、さらにはそれらを通じてマネーの投機に興じていた連中に、なぜ世界中の怒りが向かわないのか、不思議だ。
それを反省しておかないと、この事態が世界中のより弱い立場の人々の犠牲のうえで回復した後、また奴らは同じことを始めるんじゃないか?
金融危機の背景にあるのは、「新自由主義」(市場原理主義)がグローバルに推し進めた“金融の自由化”と規制緩和による無秩序な“マネー投機”や資本の移動だ(註2)。
数ヶ月前まで世界中で猛威を振るっていた新自由主義は、これまでにも書いてきたように、国家は経済への介入を極力小さくして、カネの供給量の調整だけを行ない、市場の自由競争の原理にすべてを委ねれば上手くいくと主張していた。こうして経済は政治よりも優位に立ち、「小さな政府」が目指され、国はカネのかかる余計な手出しをしないことがよしとされた。そのせいで社会保障は削られ、民営化が進められ、あらゆる規制が緩和され、非正規雇用が増え、世界中で格差が拡大した。
1929年の世界恐慌の結果を研究した経済学者ケインズは30年代に国家の介入による完全雇用や不況の克服を目指した“ケインズ革命”を起こして、従来の経済自由放任主義を否定した。それに先駆けてアメリカのF.ルーズベルトが取ったニューディール政策は、ケインズの理論を応用した代表例だった。
しかし、そのケインズ主義が国の出費を増やして財政赤字という問題を募らせてきた70年代に、ハイエク、フリードマンといったノーベル賞経済学者が再びケインズを批判して極端な自由放任主義を唱えた(註3)。これが新自由主義で、80年代からサッチャーやレーガンが応用して、IMFや世界銀行がそれを負債を背負った国々に強制し、世界中に広めたのだった。
確かに金融自由化政策は、すでにアジアやラテンアメリカでも金融危機を招いてきた。ところが今回は、その中心となっている国が金融機関どころか自動車会社まで救済しないと世界が成り立たないという前代未聞の事態になっている。
それだけを見てもわかるとおり、この危機はしかたない景気変動の一局面なんかではなく、ひとつの経済に関する理論の破綻なのだ。
じゃあケインズ経済学に戻ればいいのか? というと、事態はそんなに単純ではないらしい。
もちろん国の赤字の問題もあるが、国が公共事業を起こして雇用を生み出すと言っても、今となってはそのために環境破壊的な道路工事やダム作りをするのはマズイ。雇用の問題さえ解決できれば、自動車産業が減産することだって、本来望ましいことだったはずなのだ。
この国の場合なら、自給率の低い食糧やエネルギー(註4)を自分たちで作る方面で、あるいはますます人手が足りなくなる介護などで人を雇わなくちゃいけないはずだ。
そもそも自然環境的に見れば、ヒトはもう経済成長自体をやめなきゃいけないんだが、そんな自然界のことまで視野に入れた、しかも雇用の問題もクリアできる、ケインズでも新自由主義でも、もちろんマルクスでもない経済の理論なんてあるのか!?(註5)
もう経済学には頼れそうもない。
もし世界恐慌になって世界中の銀行が潰れても、他の生き物は一体何が変わったのか気づきもせずに生きているだろう。けれどもヒトだけが生きていけないというのは、マズくないか?
とりあえず今は、怒るべき奴らに怒り、この先はカネや経済により依存しない、他の生き物に近い生き方を目指さなきゃダメなんじゃないかと思う。そうしないと、今後もカネを操ってる奴らに翻弄され続けるばかりだ。
(註1)「世界の失業者、2010年までに最大2500万人増 OECD事務総長」http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081222AT2M2202K22122008.html
(註2)石油や食糧の価格が高騰した最大の原因も、同じく投機マネーだった。
(註3)フリードマンが唱えたマネタリズムでは、完全雇用すら市場の力で実現できるとされた。
(註4)日本のエネルギー自給率は、食糧自給率よりさらに低く、わずか4%程度にすぎない。エネルギー消費量はアメリカ、中国、ロシアに次いで世界第4位(2005年)。
(註5)「私が読んだあらゆる経済理論も、原料はそれが作業過程に入って初めて経済的要因と見なされます。換言すると、地中に眠る原油はまだ経済的要因とみなされないわけです。熱帯雨林は、それだけではまだ経済的要因ではありません。伐採され、製材されて始めて経済的要因となります。(略)私たちは世界の自然資源が、資源の段階ですでに経済的要因であり、養い育てられなくてはならないことを学ばなくてはなりません。」(ミヒャエル・エンデ)
(『エンデの遺言─根源からお金を問うこと』 河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、より)
(同じく註5)「マルクスに言わせると下部構造、生産の手段と諸関係が一番下(部)にあって、一番の基礎だった。(略)二十世紀になって分かったのは、マルクスが言っている下部構造は、やっぱりタイタニックの一番下の部屋、機関室にすぎなかったということです。それよりも深い下部構造がある。それは自然環境そのものです。(略)マルクスが言っている下部構造は経済制度ですが、経済制度の外にはやはり自然環境があるわけです。」
(C.ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社、より)
参考:
提案されている国際金融システム改革のための「グローバル・サミット」に関する声明
http://attaction.seesaa.net/article/109093283.html
(ちなみにATTACとは、今とは別のグローバリゼーションを求める運動を10年にわたって推進してきた団体)
写真は、ウォール街で金融機関の救済に反対する人々(08年9月。ただしなぜ星条旗を持っているのかは謎。彼らにとって新自由主義を進めたアメリカ政府には重大な責任があるし、我々にとっての日本政府も同じ)