この話ばかりだが、『オルタ』での連載「もうたくさんだ!」の1回目の記事がネットで読めるようになった。
http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_07-08_yabasta.html
ここでも書いているとおり、この「経済の仕組み」に依存しないで生きることは、いよいよ世界中で差し迫った問題になってきた。
ならば、別のどういう仕組みに向かっていったらいいのか?
ちなみに自分はもう何年も、出した生ゴミ(髪の毛や爪も含む)などを肥料にして、土を作り、種をまき、野菜や果物を育てて食べている。
とは言っても大々的にやっているわけではなく、まったく些細なことなんだけれども、これだけのことのなかに、大げさに言えば我々の「生」や「死」の問題まで含めた「本来の仕組み」とでも言うべきものが凝縮されているように思えるのだ。
こういうことは、企業のイメージアップだけのための「偽善エコ」が世の中に溢れかえった今、言い方が非常に難しいが、まだまだ右肩上がりのグラフを描こうとしているバカげた人間界の経済の仕組みにいつまでも付き合っていないで、その外側にあるグルグルと循環しているこの当たり前の仕組みのほうへ、半歩でもいいからとっとと踏み出したほうがいいんじゃないかと思う。
写真は生ゴミを肥しにして育っている水菜