服を買わせる戦略

アラル海 1989-2008.jpg「モードは死ななければならないし、ビジネスのためには早く死ぬほうがいい」──ココ・シャネル


日本の服の自給率はわずか4%でしかない(註1)。なのに日本に住む我々は一人あたり年間9キロの服を買い、8キロをゴミとして出していて、その総重量は家電4品目(テレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機)の年間総廃棄量約60万トンの2倍近くもある。しかも、そのほとんどをリサイクルもせずに処分してしまい、古着まで輸入に頼っているありさまだ。

だというのに服を作っている業界では、流行の服を売り出す2年前から、年に2回も、流行の色や素材を決めていって、川下にいる一般人に最終的な流行の服が届く頃には、すでに2年先の流行色が決めれられている、なんてことを今でもやっている(註2)。
つまり彼らは「これが今の流行ですよ」と売り出している裏で、「次の流行」「次の次の流行」「その次の次の次の……」まで同時に作っているんであって、今の流行なんか半年くらいで廃れさせるつもりで、そういう流行り廃りのサイクルまで計画して動いてるのだ。この人をナメた態度こそが、“計画的陳腐化”の本質と言ってもいい。

1950年代のアメリカでは、こうした婦人服業界の手法を他の様々なジャンルのデザイナーが取り入れて、計画的陳腐化の技術を練り上げていったため、この手法はあらゆるジャンルに及んでしまっている(註3)。まったくバカバカしい。


オルタ 09年7-8月号.jpg先進国の人々がこんなことをやっているので、世界で第3位の綿花輸出国である中央アジアのウズベキスタンでは、綿花栽培用の灌漑のために世界で4番目に大きい湖だったアラル海が干上がって、今や消滅寸前となっている(註4)。これは20世紀最大の環境破壊として知られている。

このウズベキスタンとアラル海で起きていることも恐ろしいが、詳しいことは今発売されている『オルタ』を読んでほしい。今回はこういう話です。

『オルタ』 09年7-8月号 「もうたくさんだ!vol7 服と綿花とアラル海」
http://www.parc-jp.org/alter/2009/alter_2009_07-08.html

そしてこれも記事に書いたが、こういう話を知った時に大事なのは、いたずらに自己責任化しないことだと思う。国内の格差・貧困問題での自己責任論は否定されたけれども、エコ問題についてはまだまだ人々は自己責任論に陥りがちで、もう十分な努力をしているのに、もっともっと自分の生活を切り詰めなければいけない、と考えてる人は多い。

もちろんそれはいいことだけれども、その結果これらのことすべての「推進者(アクター)」「受益者」である大企業や、この経済の仕組みそのものに批判が向かわなくなるのは、それはそれでよくないのだ。


(註1)こうして身近なものの自給率を調べていると、食糧、金属、木材(18%)、石油(エネルギー)と、むしろ自給できていると言えるものなどほとんどないような気がしてくる(セメントだけは意外にも100%自給してたが)。

(註2)参考:流行色が決まるまで 日本ファッション協会 流行色情報センターHPより

http://www.jafca.org/trendcolor/process.php

(註3)自動車業界に、まるでファッション・ショーのような「モーター・ショー」という新作発表会があるのも、婦人服業界の影響だろう。

(註4)ウズベキスタンにもともと綿花のモノカルチャーを押しつけ、ずさんな灌漑設備を作ったのは旧ソ連だった。が、こうした綿花の単一栽培に伴う環境破壊や搾取的な労働などの問題は世界的に広く見られる。

参考映像:Green TV Japan 『消えたアラル海~純白の黄金』

http://www.japangreen.tv/journal/#/000057
参考活動:「自分で縫う」という対抗的活動をするNU☆MAN@IRA

http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/search/label/numan
上の写真は、89年と08年のアラル海