魚の“あら(粗)”は時々買って食べているが、肉(牛肉、豚肉、鶏肉)はまったく買わなくなった。肉を滅多に食べなくなって思うのは、「それまでと何も変わらない」ということだ(註1)。
農林水産省がはじき出した、「国内で日本人の平均的な必要カロリー量を供給した場合のメニュー」を見ると、そっちのほうが普通なのかもしれない、と思えてくる。
国内生産のみで2020kcal供給する場合の一日の食事のメニュー例
一見すると、驚くべき粗食に見える。けれども、カロリーはこれでおおむね足りている。また、右下に書かれているPFCバランス(たんぱく質、脂肪、炭水化物のバランス)を見ると、今の食事とたんぱく質の比率はほとんど変わらず、脂肪は大きく減っていて、今よりもむしろバランスがいいことがわかる。
つまり国内で、必要な食べ物を調達することは、一応可能なのだ。
まあ、問題は自給の方向に向けることであって、すぐにこれに移行しなければならないわけではない。ここで注目すべきなのは、今の我々の食生活と大きく隔たっている部分だ。
特に肉は、9日に1回100g程度しか食べられないが(卵や牛乳、油脂の少なさにも驚くが)、もともと今が肉を食べすぎなのだ。
牛肉1kgを作るには、エサとして穀物が7~11kg、豚肉1kgには穀物4~7kg、鶏肉1kgには穀物3~4kgが必要になってしまう。こうしたエサ用穀物の増大が、生産量としては足りている食糧が、世界の全員に行き渡らない大きな原因になっている。たんぱく質は自分の体のなかで合成できるのだから(註2)、皆がこれらの穀物を直接食べるようにすればいいのだ。
それなのに、世界の食肉量は増加の一途をたどり(特に中国の伸びが著しい)、売られている弁当は肉と油ばかりに見え、肉を食べずにいることのほうが難しくなっているのだから、どうかと思う。
(註1)調子がよくなった、と言えればいいのだが、そのようにも感じないので。ちなみに、自分の知り合いには、牛乳や卵も含めて動物性のものは一切摂らない完全菜食主義(ヴィーガン)の人もいるが、もちろん健康に生きている。仏教の僧侶なども昔から、多くがヴィーガンだ。
(註2)それでも豆類など、植物性たんぱく質はなるべく摂るようにしているが。
参考:国内の農業だけで生産を行なった場合の供給可能量 (農水省)
『穀物をめぐる大きな矛盾』 佐久間智子 2010年
図は国連食糧農業機関(FAO)による、世界の肉消費の動向。60年代初頭に比べると、40年後の2000年代初頭には、4倍近い消費量になっている。
追加参考映像:映画『いのちの食べかた』予告編(trailer)
(たくさん肉を食べようとするから、こんな作り方しかできなくなるのだ)