自分にとって革命的だったこととは何か? それは15年くらい前にレイヴ・パーティーに行くようになって以降、「他の生き物の存在(というか自然界)に気づいたこと(というか思い出したこと)」だ。
──という原稿を『革命への手紙』というzine(同人誌)に書いたので、以下にその一部を抜粋してみる。
『沈丁花やスイセンの“匂い”。スズムシやカエルやシジュウカラの“鳴き声”。ツツジやアゲハやメジロや、木の幹を覆うカビや地衣類、紅葉や新緑の“色”。それまで完全に無視していたこれらのものが、急に飛び込んできた。いつの間にか、「こんなものは、取るに足らないものだ」と思っていたのかもしれない。(もちろん、空や川や石の色、雪の結晶の形といった生物でないものにも惹かれたので、「自然界に気づいた」と言ったほうがいいのだが。)
モノクロの世界がフルカラーに、モノラルだった音が5.1chサラウンドに変わったようだった。』
『生き物には、植物、動物、菌類の三種類があって、植物だけは太陽の光のエネルギーを、物質(ブドウ糖)を作る時に閉じ込めること(光合成)ができる。動物と菌類はそれを分解(あるいは消化)して、閉じ込められた太陽光エネルギーを取り出すことで生きていることも知った。
菌類の存在に気づいたことは、自分にとって特に革命的だったと言える。菌類はカビやキノコという形で時々目にするだけで、普段目には見えないが、土の中や自分の体の中にも無数にいて、昼も夜もなく、生物が合成したものを分解する活動(発酵や腐敗)を続けている。それがなければ、植物も土から養分を得られず、この生き物の世界が回っていかないのだ。
つまり、ヒトの世界の動きがどうであれ、他の生き物どうしが密接に関係した世界がそこらじゅうで営まれていた。そしてよく考えれば(特に太陽光のエネルギーの流れから見れば)、自分もやはりそのなかに組み込まれているとしか言いようがないのだ。』
都市に住んでいると、こういうことを忘れずにいるのは難しい。
他の生き物は一見いないように見えるし、自分が食べているものがどこでどうやって作られたのかもわからず、それどころか服であれ建物であれ、ありとあらゆるものが何からどうやってできているのか、さっぱりわからないのだ(それらは本来、絶対に何かの自然物なのだが)。
もちろん、そんなことは忘れていても生きていける。けれどもそのまま生きていると、「この世界って一体なんなんだろう?」といった現実感の希薄さみたいなものをぼんやり感じているようになるかもしれない(自分も部屋でビデオを見たり、街でCDや雑誌を見ては消費をしていた頃は、常にそうだった)。
こういうことは、このブログに書いているような、反格差、反カネ儲け主義、反経済成長、DIY肯定…と関係があるのかというと、入口は別だったが、もちろん自分のなかでは深くつながっている(詳しくは『革命からの手紙』を参照)。
このzineは、新宿のCafé★Lavanderia(註1)に置いてあり、無料で貰える。「あなたにとって革命的だった(である)こと」について皆が書くという趣旨で、様々な人が“手紙”を寄せている(註2)。
(註1パスティスなどおいしい酒をたっぷりと安く飲め、革命的なイベントもやっている注目すべき店。(⇒Café★Lavanderia)
(註2)鈴木孝弥さん(⇒3軒茶屋40男辞典)や杉山敦さん(⇒TUK TUK CAFÉ日記)たちが、いい“手紙”を書いている。
関連日記カテゴリー:自然界
図上は自然界のエネルギー・物質循環図。中は自然界の超大御所・カビ。下は『革命への手紙』。