原爆を落とされた日本の人々は、もちろん原子力も放射能も大嫌いだった。その正しい嫌悪は、1954年アメリカの水爆実験による第五福竜丸の被爆で頂点に達した。その日本にどうやって原発を持ち込めたんだろうか? それをやった中心人物が「原子力の父」と呼ばれる読売新聞と日本テレビの社長、正力松太郎だった(註1)。
アメリカはその頃共産圏に対抗するため、西側諸国の核装備を進めたがっていた。そのひとつの方便が、「原子力の平和利用」つまり原発だった。
55年に国会議員にもなった正力松太郎は、このアメリカの意向を受け、「原子力平和利用懇談会」を立ち上げた。そこには、経団連会長を筆頭に、重工業、電力業界など経済界の主要メンバーが集まった。原子力導入に積極的な学者も集められた(註2)。
そして正力は読売新聞と日本テレビなどを使って、人々の原子力嫌いをねじ曲げ、いいイメージを植えつけるべく、一大世論操作を行なったのだ。
すでにここで、マスコミ、経済産業界、学者、政界が癒着した「原発推進派」が出来上がっていて、「アメリカの意向」までが入っているのに驚く(原発に限らず、これらがこの国の裏の中枢だ)。さらにマスコミが、ここまで偉そうに我々の考えを左右しようとするのにも驚く。あまりにも我々をナメている(なにしろ、人々の感覚のほうが正しかったのだ!)。これが当時からずっと、今も変わらずに、マスコミを通じて行われていると言わざるを得ない。
デモなどを通した我々の下からの声が、推進派の連中に届いていないわけはない。連中は認めたくないだろうが(註3)、たくさんの人々が怒っているというのは、絶対に恐いはずなのだ。だからもっと怒ってやろう。推進派はまだまだナメたことを言っている(註4)。
16日(土)には、PARC主催の「さよなら原発・野菜デモ」がある(註5)。自分も有機無農薬でやってきた畑に、放射性物質を撒き散らされた被害者として加わろうと思う。
本当の正義を!
(註1)参考:原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ (NHKのドキュメンタリー。必見)
『原発・正力・CIA』(新潮新書)という本には、より詳しく書かれている。
(註2)翌1956年に正力は、政府の原子力委員会委員長に就任。原子力産業界の中心的な組織「原子力産業会議」(現・原子力産業協会)の設立を呼びかけた。この会議は、東京電力会長・経団連評議会議長の菅礼之助を会長に、東電旧館に事務局を置いて発足した。
(註3)ナイキが宮下公園の名前を残すことにした時も、無印良品がイスラエルへの出店をやめた時にも、「大々的に反対されたから」とは言わなかった。
(註4)原子力は今後も基幹エネルギー─関電会長 (時事)
原子力委員長、推進政策は変えず (毎日)
東電社長が柏崎原発再開に言及 (新潟日報)
今これを堂々と言う連中がこんなにいるなら、黙っている推進派はどれほど多いことか!
関係ないが、ストロンチウム90がこれほど軽く扱われるとは、信じがたいことだ。