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全体を一度に言うのは無理なので、とりあえずこの本の白眉と言える、第六章『人間と社会の未来』についてだけ。
ヒトという生物種にとって、近代という時代は、その個体数の増え方から見て、爆発的な繁殖期だった。そして今は、その人口増加の時期を少し過ぎて、横ばいになりかかっているという。
どんな生物でも、その適応できる範囲一杯に広がってしまったら、無限に繁殖し続けるのではなく、あとはこうして増加を減らしていくそうだ。
つまり自分たちは、人類史上においても、無限に成長していく夢が破れた、かなりしょぼくれた時代に生まれついてしまったというわけだ。
こういう人間社会の重要な問題を、生物学的な(つまり絶対的な)根拠をもって説明してしまうところが、他の人には真似できないところだ。
そしてこうした人間の歴史は、1原始社会、2文明社会、3近代社会、4現代社会、そして5未来社会の5段階に分けられ、我々現代人は、それらの各段階に対応して、0生命性、1人間性、2文明性、3近代性、4現代性の五層構造を持っているという。つまり自分のなかには、生物としての自分、人間としての自分、文明人としての自分、近代人としての自分、現代人としての自分、がすべて生き続けているわけだ。
こういうふうに、「現代社会」や「現代人」を”重層的”にとらえることが、決定的に重要だとされる。
歴史は、それ以前のものをすべて否定した上にできるのではないのだ。
そして、我々の未来社会は、これらの層の上に築かれる。
それは「有限なものを無限なものであるように幻想することをとおして有限に終わるシステムではなく、有限なものを有限なものとして明視することをとおして無限に開かれたシステム」であるはずだという。それが「どのように思いがけない形態をとるものであっても」。
これは、人ひとりの人生にも当てはまるんじゃないかとも思ってしまった。
──と、一章だけに絞ってみても、やはり言い尽くせないわけだが。
自分たちの未来がシケているように感じるのにも、理由がないわけではないこと。今でも無限の成長の夢にしがみついている人のほうが、もはや時代にそぐわないのだということ。
あるいは、我々の理想的な未来社会を構想する時に、どれかひとつの段階をすべて否定したり、すべて肯定したりする必要はないこと……等々。
こういう、ホッとするような結論を導いてくれたりするところがまた、自分の精神衛生上よかったりもする。