経済成長せずに幸せになること

今、若いフリーターが増大してしまっていることは、重要なテーマだと思う。

日本人は戦後、80年代まで、“働きアリ”とか“エコノミック・アニマル”と、世界的に蔑称されてきた。終身雇用と年功序列は、日本独自の制度とされていた。
50年代の戦後復興、60年代の“奇跡の”高度成長、80年代のバブル経済は、そうやって全員が「会社人間」として、(確か80年代半ばくらいまでは「週休1日制」で)働きまくった結果、実現したのだ。
そして今また、首相は「経済成長を!」と叫んでいる。
まだ経済成長したいのか? そもそも成長し続けなければもたない社会なら、いつか必ずもたなくなるはずだが。

若いフリーター層の増大は、主にバブル崩壊後の就職難のせいだろうが、そういう「会社人間」という人生に対する反発も大きかったはずだ(自分が若い頃はそうだった)。
フリーターが増えたことは、極端ではあったかもしれないが、一概に不幸な出来事とは言えない。多くの人は、会社や経済成長のためじゃなく、自分や家族が生きていくのに必要な分だけ働きたかったのだ。

国は、企業なんか優遇してないで、そういう自由な個人をサポートするための政治をすればいい。企業もそういうった流動的な雇用にちゃんと対応していけばいいと思うが(今でも日本で普通の中高年サラリーマンが転職すると、欧米ではそれほど下がらない年収が、半分以下になり、元には戻らないらしい。まだ終身雇用・年功序列を引きずってるんじゃないか?)。

経済成長はもういい。
大体、そんな過剰な生産やエネルギーの使いすぎをやめないから、環境問題だって解決できないし。
自然界のなかに含まれている人間界だけが、右肩上がりのグラフを永遠に描き続けることなんてありえない(いわゆる“持続可能”でない)。まわりの自然界と同じく、横ばいのグラフのもとで幸せになるべきなのだ。
そもそも、そんなには頑張れない。そこそこ頑張れればいい。