新しい形のつながり、共有、贈与『ニートの歩き方』書評

51SWyFzNj8L__SL500_AA300_.jpgキッパリとした「だるさの肯定」がいい。面倒臭いものは面倒臭いのだ。そして脱成長、つながり、贈与等々は、環境系の人たちの専売特許ではない。こうした方面からも働きたくないという脱成長、ネットを通した新しい「つながり」、新しい形の贈与や共有が追求され実践されている。自分好みの価値観と言える。
『東京新聞』に書いた記事。


*******************

日本人ほど頑張ることが好きな国民が他にいるだろうか? 日本が工業製品の輸出に特化できた理由は「勤勉な労働力が豊富にあったから」というのが定説であり、電車は日夜分刻みの比類のない正確さで運行している。「頑張ります」「頑張ってください」という言葉抜きには、日常会話さえ難しい。

けれども我々はいつまで頑張らなくてはいけないのか? 頑張って技術を進歩させ生産効率を上げたのに、働くのが楽にならないのはおかしいではないか。


ニートの生き方について書かれた本書は、この社会を支配する“努力教”に対して、「そんなに働かなくていい、もっといい加減でいい」と反旗を翻す。現在三三歳の著者は通学や通勤が苦手で、就職しても社内での仕事がほとんどなく、こんな人生は嫌だと三年ほどで退社。その後は住居など生活上のインフラを最少限にとどめ、共有や贈与や小さなコミュニティを大切にしながら暮らしている。生活の中心にあるのはインターネットで、必要なお金はネットでの広告収入などで賄っている。

こうした生き方を選んでいる人は、最早少数ではない。そして社会の表舞台にこそ登場しない彼らのなかでも著者が異彩を放つのは、ネガティブに見られがちな働かない生き方を肯定的に捉えかえし、その正しさを堂々と主張しているところだ。


さらに著者は、オープンソースのプログラムの方法論を取り入れて、独自のシェアハウスの運営の仕方をネット上に公開し、勝手に広めてくれる人を増やしている。こうして現実の社会を生きやすく改造(ハック)することが、著者なりの社会変革なのだ。

 高度成長期に全員に押しつけられた生き方が、今でも最善であるはずがない。むしろその頑張る空気こそが、この社会の生きづらさの原因なのではないか。著者に限らず、ますます多くの人がそう感じているはずだ。(『東京新聞』2012年9月23日)