あたかも環境にいいかのように装うこと、例えばほんの少しだけ環境にいいことをすることで、自社の環境破壊をごまかそうとすることを「グリーン・ウォッシュ」と呼ぶ。同様に、フェアトレードに配慮しているかのように装うことを「フェア・ウォッシュ」と呼んだりする。
この本を読むと、欧米ではそうしたグリーン・ウォッシュ、フェア・ウォッシュが溢れていて、そのせいでフェアトレードや倫理的ビジネスに文句を言いたくなるのだろうなと思わせる。頻繁に目にするフェアトレード認証ラベルの問題点も気になるところだろう。『コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語』もそんな批判を展開していた。
けれども、企業がフェア・ウォッシュすらしようとしない、認証ラベルですらめったにお目にかかれない日本で、その批判だけを輸入して声高に論じても意味がない。トレードそのものへの批判が広まって、「ウォッシュ」程度でもいいから企業が不正貿易を気にかけるようになるまでに持っていくことが当面の目標だ。
この本の原題は『Unfair Trade』であり、倫理的ビジネス批判も含んではいるものの、主要部分は不正貿易批判と言える。
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タイトルにあるようなフェアトレード批判だけの書ではない。英国のテレビキャスター、ジャーナリストである著者が、「北」の市場に食料や製品を供給する「南」の生産現場を訪ねた秀逸なルポルタージュだ。その現場から、貧困や環境破壊に配慮しているとされるフェアトレードなどの「倫理的」ビジネス全般の有効性を検証している。
米国向けのロブスター漁が行われるニカラグア、電子機器の製造を支えるコンゴのスズ鉱山と中国の工場、麻薬の原料となるケシからサフランへと作物転換を試みるアフガニスタン。ラオスのゴム、タンザニアのコーヒー、コートジボワールの綿…。貧しい村々や紛争地に赴き、ブラックマーケットにも果敢に乗り込む取材力は見事だ。
ただしそこから著者が導くのは、グローバル資本主義が貧者を搾取している、という結論ではない。むしろ「資本主義は人々を貧困から救うもっとも有効な手段」と主張し、既存の承認に頼らずに独自の「倫理的」なビジネスを開拓する起業家たちに希望を見出す。
なぜならこれらの現場では、「倫理的」ビジネスが必ずしも貧者の役に立っているとは言えないからだ。危険に身をさらしても、武装集団の資金源になろうとも、より実入りのいい仕事を選ぶほかない人々がいる。こうした事実は「倫理的」ビジネスの支持者も真摯に受け止めねばならない。
また「倫理的」という承認ラベルを利用した大企業のイメージ戦略や、それを取り扱うフェアトレード財団などへの批判も手厳しい。
ただこうした批判が、今の日本にそのまま適用できるかどうかは別の問題だ。フェアトレードも認証ラベルもそれほど普及していない日本では、まずは「非倫理的」ビジネスが「南」で行っている搾取の実態が知られるべきだろう。本書はそのためのテキストとしても絶好だ。われわれの社会は、まだその段階に止まっている。(2013年10月共同通信配信)