例えば一方に、ただでもいいから自分の演奏を聴いてほしい人がいて、もう一方には、誰かの演奏を聴きたい人がいるとする。マイクを一本置いて両者を集めれば、基本的には無料で双方の望みが叶うことになる。これが「オープンマイク」だ。
こんな組み合わせは、誰かに泊まってほしい人と泊まりたい人、ある物がいらない人と欲しい人、ヒマをつぶしたい人と人手が足りない人、空きスペースのある人とスペースが欲しい人など、無限に考えられる。
こうした組み合わせが成功した場合、そこには単にお金を使わわずに済ませた以上のことが起きている。こうしたほうが、お金を払って事を済ませるよりも豊かだと感じられる。個人的には「美しい」とさえ感じてしまう。
こんな「お金は使わないけれどもより豊かなやり方」は、お金を使いたくない人の間で、もちろん自分の身のまわりでも、錬金術のように練りに練られているのを近年感じてきた。気がつけば、自分でも色々とやるようになっていた。ネットの普及がそれを広めてもいるし、国内よりも欧米のほうがもっと練られ、実践されているとも感じた。
考えてみれば、お金をそれほど使わず、物や人手が足りなかったかつての社会では、毎日がこんな工夫の連続だっただろう。
こういう発想は、物をもっと売ったり(ひとりにひとつ!)、お金を使わせるための商業戦略のせいで抑えられてきたのだ。
こうした流れをもっと推し進めて、お金を稼ぐのが苦手な人でも、つながりを持って豊かに生きることができる社会にしたいものだ。もっと、お金を稼ぐことが重要でない社会になればいい。
『0円で生きる』のような本を書こうと思った動機はいくつかあるのだが、そのひとつは、こんなところにある。
本の意図については、こんな記事も参照してほしい。
版元・新潮社のこの本のサイトでは、この記事の他に、目次と前書きが読める
『0円で生きる―小さくても豊かな経済の作り方―』
写真は、ベトナムでただで寝かせてもらったカフェの閉店後の空きスペース。ここのオーナーはカウチサーフィンを使い、毎日のように旅行客をただでこのスペースに泊めている。
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