2018年10月09日

80年代の日本のパンクは何に怒っていたか?

オッサンの昔語り的なテーマが続くが、『爆裂都市』や『ちょっとの雨ならがまん』というパンク系映画を久々に観たこともあって、80年代の日本のパンクについて書いてみたい。

このブログやTwitterは、浮かんだ考えを自分のなかにしっかり定着させるために書いている面もあるので。



80年代半ばまでの日本のパンクが好きだった。こう言うのもなんだが、自分はパンクスだなどと思っていた。

好きだったのは、バンド名で言えば、スターリン、ラフィンノーズ、スタークラブ、GISM、あぶらだこといったところで(もちろんその他のバンドも。なかでもスターリンは断トツだった)、当時としては、ごく一般的な好みと言える。

ライヴにもよく客が入っていたし、レコードもメジャーから出せるほど売れたし、シーンは盛り上がっていた。


そのシーンで吐き出されていたのは、もちろん怒りであり、「くそったれ」という感情だった。では、何に対しての「くそったれ」だったのか。


反戦の曲はあった。ハードコア系のバンドに多かった。しかしそれは、お手本と言えるUKハードコアパンクがそうだったから、という面があるように思う。

また米ソ全面核戦争が起きるかもしれないというバッドな感覚は、すでに日常的なものだったので、そのイメージが曲のなかに出てくるのは、特に社会派・政治的でなくても十分あり得た。


DSCPDC_0001_BURST20181009133817240_COVER.JPGではそれ以外に、政治的・(狭い意味での)社会的なテーマが歌われていたかというと、極めて少なかったと思う。

社会派とは見なされないセックス・ピストルズでさえ、女王やキリスト教を敵視したし、日本のバンドに比べたらかなり社会派と言える。

政治的なバンドのシーンがあったことも知っているが、全体の特徴としてはやはり、政治的・(狭義の)社会派ではなかったと言うべきだろう。


けれども、単にわめいているだけ、単に滅茶苦茶だったかというと、そういうわけではまったくなく、極めて真面目だった。セックス・ピストルズのほうが、よほどいい加減だ。


では何に怒っていたのか。やはりそれは、押しつけられる人生や生き方、日常的な窮屈さ、閉塞感に対する「くそったれ」だったと思う

当時はなかなか気づけなかったのだが、ある程度引いて眺められる今ならハッキリとわかる。やはり世界のなかでも当時の日本は、特別に窮屈な「硬い」社会だった(例えば終身雇用も、学校も家庭も)。それは多少崩れながら、今もある。

その人生の閉塞感に対して「ふざけんな」と言うことは、まったく当然のことだった。それなりに十分「(広い意味での)社会派」だったのだ。


自分たちには自分たちなりの社会の問題と不満がある。それは新聞が取り上げてくれるような大問題でなかったり、自分でもいわく言い難いものかもしれない。それでもそれは、とても大事なものなのだ。

(狭義の)社会問題・政治問題にそんなに怒りが湧かないのであれば、無理に怒って叫ぶことのほうがはるかに誠実さに欠ける。

そもそも人が強く思い悩んでいることの大半は、新聞に載らないような個人的な問題ではないのか。



今回はこのへんで。

これに対して、「当時は生きやすい社会だったからだ、それにひきかえバブル崩壊後は──」などというあれを言ってくるのは、違うのでやめてもらいたい。

posted by 鶴見済 at 17:19| Comment(0) | 生きづらさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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