「貧乏暮らし」ではなく「簡素な生」ーー『清貧の思想』から

51tcO0E2srL._SX332_BO1,204,203,200_.jpgミニマリスト、小屋暮らし、モバイルハウス(車上生活)、隠居、、、
これらは、お金や物にとらわれない新しい生き方として注目されがちだが、志向されているのは単に貧乏ではないだろうという話。
フリーランスやあまり働かない選択、「プア充」などについても言える広い傾向について。

『清貧の思想』という90年代のベストセラーを久々に読み返すと、そのあたりのことがはっきりしてくる。
この本は、松尾芭蕉、良寛、西行、鴨長明、吉田兼好(註1)といった、日本を代表する世捨て人たちの価値観を、「日本文化の精髄」として紹介している。
そこで強調されているのが、著者が「清貧」という言葉で言おうとしてるのは、単にお金や財産を持たないことではなく、「簡素な生」のことだということ。
(註1)彼らは低い身分ではなかったので、最低限のお金は持っていたと思われるが。良寛以外は。

その価値観においては、お金や財産はひとつの要素にすぎず、地位、人間関係、業績、他者評価、将来、過去など、自分の外にあるものすべてを、自分の幸福の根拠としないつまりは、「現在」と「自分」の充足を重視した。
そしてこうしたシンプルさを重んじる感覚は、決して彼らのような特別な立場の人間だけのものではなく、庶民にまで広く行きわたっていたそうだ。
(註2)もともと仏教とともに来た考え方だそうなので、大陸にも大きな流れとしてあったはずだ。

これは今の傾向にも言えることだ。日本にもアメリカにもこんな傾向があり、物にあふれた時代を経験したことや、リーマンショックのような経済破綻を目の当たりにしたことから来ているだろう。

こういう価値観が全然珍しいことではなく、古くからこの地の文化の重要な側面だった、というのがなかなか嬉しい。

これだけではまだうまく言い表せていないのだけれども、ブログで完全を目指してもしょうがない。軽く書くほうがいいと思っているところなので、このへんで。

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