自分は旅行中、そこに住んでいる人の暮らしに触れるのが好きなので、地域の屋台や小さな飲食店にばかり行っている。地元の人が乗りこなす小さなバスにもよく乗る(料金は15円くらい)。自転車や徒歩で、住宅地みたいなところを見て回るのも好きだ。
今回そんなふうに見ていて驚いたのが、都会でも地方でも盛んな駄弁り文化・カフェ文化だ。
カフェは夕方から夜にかけて、駄弁る人々で一杯になる。カイロのカフェが集中している地帯では、ざわざわと話声が響いている。地方ではサッカーの中継を大画面で見る人も多い。街頭テレビといったところか。
平日昼でも、水タバコを吸いながらのんびり話していたり、独特のボードゲームをしていたり。
カフェに限らず、街頭や公園のそこかしこに腰かけて、あるいは連れ立って歩きながら、延々と会話をしている。
大通りでない路地にも、子供も大人も人が溢れていて、彼らがまた立ち話をしている。
インドネシアをはじめ東南アジアでもよく感じたのだが、平日でも人々が夜に連れ立って外に出て、延々駄弁るという文化がある。学校や職場しか行くところがないような社会とはまるで違う。
エジプトは物質的には豊かな国とは言えない。失業率も高い。そんな場所で何か楽しめることと言えば、やはり会話ということになるだろう。何しろ無料だし、昔から親しまれてきた娯楽だ。
もしこの会話を毎日数時間でも心から楽しんでいるなら、他に何もいらないかもな、と思える。
もちろん、旅行者にはわからない仲間外れ、いじめ、敵対はあるに決まっている。第三世界はおおむね日本より荒っぽさを感じるので、こうしたものも日本より多い気がする。イスラム教が強いので、個人の自由という概念が強いとも思えない。と言うよりイスラム教圏は、日本も含め自分が行ったことがある地域のなかでも、同調圧力はMAXであると感じる。
それでも、駄弁る大勢の人々のなか路上に座っていると、浮いているくせに「ああいい感じだ」とどうしようもなく思ってしまう。
こうしたカルチャーのいい部分だけ、日本にも取り戻したい。あくまでも、いい部分だけ。
(※)写真は大都会カイロのものだが、地方のカフェでは女性は見たことがなかった。
(※)写真は大都会カイロのものだが、地方のカフェでは女性は見たことがなかった。
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