川崎での殺傷事件があった頃Twitterで、「公園のベンチに座っていただけのおじさんが、ママ友集団に不審者通報された」という事件が批判的に広まったことがある。
驚いたのは、それに対して「悪くない、どんどん不審者通報をしよう」というツイートもまた、拡散されたことだ。興味深いのでそうしたツイートも色々漁って読んでしまった。
ネット右翼など、特定の考えの人たちが言っているわけではなく、多くは「子供を守るため」「犯罪をなくすため」という正義感を持った人たちのようだった。
自分が疑問を持ったのは、そうした発言のすべてに、通報される側にいる人々のことが、まったく頭にないことだった。そして不審かどうかの判断を、通報する人間が完全に恣意的に行えることへの疑問もない。
不思議な気持ちになった。
同じ地域に住んでいる人間のなかで、なぜ一方には自らを「通報する側」という特別に有利な立場と自認している集団がいて、もう一方には「通報される側」という不利な立場に置かれる人間が生じるのか。もちろん自分は後者に入るし、「平日昼に地域をウロウロしている高齢者でない男」は、皆そうなりうる。一人でいる、子供を連れていない、など他にも色々あるだろう。逆に、「子供を連れたママ友集団」は絶対に通報されないと断言できる。
地域における「生きやすさ」は、すでにそのくらい違っているのだ。近隣の目を怖がることから、ひきこもりをこじらせる人も多いだろう。野宿者はさらに厳しい。
「不審者通報をする側」と「される側」。この両者の違いというのは、一言で言うと何なのか。ある程度自分のなかには答があるのだが、少なくともこういう生きづらさについて、遠慮して言わずにいることなんてないですよ、と言いたい。
「不審者通報をする側」と「される側」。この両者の違いというのは、一言で言うと何なのか。ある程度自分のなかには答があるのだが、少なくともこういう生きづらさについて、遠慮して言わずにいることなんてないですよ、と言いたい。
(別に、子供がいる母親層との対立をあおっているわけではないので、それも念のために。通報するような人ばかりではない)。
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