映画『英国王のスピーチ』に見る対人不安の解決法

51ao3y0YeOL._SY445_.jpg『英国王のスピーチ』というアカデミー賞作品賞まで取った映画が、社交不安障害や吃音症をテーマにした実話で、とても考えさせられる。
ちょっとネタバレしてしまうので、見ると決めている人はここから先は、見た後で読んだ方がいい。

【ネタバレここから】
スピーチの場だけでなく、日常的に対人場面で緊張してしまって、言葉が出なくなったり、どもってしまったりする英国王子(後に国王)が、それを克服しようと悪戦苦闘する映画だ。
そして、”I have a voice!”という自分が発した言葉を転機に変わる。
その日本語訳がおそらく訳者の意図を超えて、偶然核心を付いているのだ。

「私には伝えるべきことがある!」
これが字幕に出る訳である。”I have a voice!”は直訳すれば、「私には話す権限がある」だが、訳はこうなっている。
偶然なのかもしかしたら意図的なのかわからない。
けれどもこれこそが、吃音症の治療の主眼としてよく語られることなのだ。声が震えるかどうか、つかえてしまうのではないかということよりも、相手に何かを伝えるために話すのであって、そこがすべてだと思ってしまってはかえってうまくいかなくなる。
英国王のスピーチと吃音臨床について書かれた、吃音専門のブログ (←参考)

【ネタバレここまで】


吃音に限った話ではなく、日常におけることすべてにおいてこれは言える。例えば、動きがぎこちなくなってしまうとか、どぎまぎしているのを見破られて変に思われるのではないかとか、対人場面に限らず、何か取り返しのつかない事態に至ってしまうのではないかとか。こんな不安は、大なり小なり誰にでもあることだろう。

けれども、「どう見られるか」というのは、生きる上でメインの部分ではない。

がんじがらめに我々を縛っている「どう見られるか」の心配がもしなくなったら、理想的な生き方なんてものすごく単純な姿で、目の前に現れるに違いない。
とは言え、過度に心配しなくていいなどと言われても、心配になるからこそ不安障害なのだが。それでも、基本はそうだ。

また、戦後の不安障害・緊張症・恐怖症の治療では、「不安はそのままにして、やるべきことをやれ」(森田療法)という趣旨のもとに、かなりスパルタな荒療治が行われたりもしたが、スパルタもよくない。少しずつやるべきだ。
ただ、「やるべきことをやる」という方針は、やはり核心を突いている。
英国王の場合は、それが「伝えること」だったわけだ。
実践面で慣れていくという過程を踏まないと、なかなか治らないというのも確かだ

「人前で話す」ことについて付け加えるなら、実践面においてすぐに効果があるのは、飽くなきリハーサルと抗不安薬だろう。
到底できないと思えることをしている人を見ても、少しずつ慣れていくことで、案外あんなふうにできるようになるのではないかと、最近は思うようになった。
高い山に登るとか、すごい数の人の前で話すとか、多くのことについて。

※こういう話、相当慎重に書かないと、必死の思いで不安と格闘している人にとっては、「何言ってんだ!」と思えることが色々出てきてしまうのだが、ブログはあまり吟味しまくっていると書けなくなるので、このへんで。

※途中、書体と行間がおかしくなるところが出てしまうな、このブログ。

この記事へのコメント