ムンクに見る心を病むことの価値

The_Scream.jfif絵のよさがよくわかっていない小学生か中学生の頃、図書館で暇つぶしに色々な有名画家の画集を見ていて、「このムンクという人だけはすごくいい」と思った。あの『叫び』で有名なE・ムンクだ。
ただ画集の終わりのほうになると、妙に明るい凡庸な作品が出てきて、何だろうと思ったものだった。

E・ムンクは精神を病み、その強い不安や恐怖を絵に描き出すことから、『叫び』や『不安』といった傑作を生みだしていった作家だった。
けれども後年、ムンクは精神病院に入院し、精神病は治ってしまった。その後の彼は、明るい色彩を使って、内面ではなく風景画などを多く描くようになった。
もちろん当時も今も評価されているのは、その苦悩のなかから生み出した作品だ。


“生命”を前向きにとらえるようになったムンクは自分の感情を描くのではなく、身の回りの見たものを描くようになります。彼のパレットには明るい色が並び、作品を覆っていた陰鬱とした頽廃感が薄れていきます。


今は、たとえ彼が後世に残る作品を生み出さなくなったとしても、病気なんか治ったほうがよかったと思う。けれども初めてこれを知った時は、ムンクは治らないほうがよかった、などと思ったものだ。
こういうケースは音楽ならザラにある。


自分はもちろん、心の病に限らず、人生の苦労など少なければ少ないほどいいという主義だ。
けれどもこれまでに触れた本(自分のではなく)、音楽、映画、芝居、絵、など、どれを取っても、自分の人生において最高の作品とは、どうにもこうにも自分が一番苦しかった頃に感動して何度も何度も接したものなのだ。そこそこに過ごした時期に接したものは、どうしてもそこまでにはならない。苦しんだ時期に手に入れた何かの考えもそうだ。
その場合、作品の力だけではなく、そういう状態で加えた自分なりの独自の解釈の力もあるから、それも創造の一種だとも思っているが、それはまた別の機会に。

苦しんでいる時は何にしても真剣で、必死で、全力なので、そうなるのだろう。
それを考えると、少ないほどいいとは言え、苦労には確かに「何かある」と思える。

※昔の絵画は著作権が切れているので転載可。

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