遠藤ミチロウと大人しくしない中高年像

DSC_2409.JPGザ・スターリンという日本を代表する80年代のパンクバンドをやっていた遠藤ミチロウ氏の本の書評を書いた。

彼の名は”騒動”(ちくまweb)

日本の80年代パンクシーンにはいいバンドが多かったが、やはりザ・スターリンはひとつ飛びぬけていた。
本領を知るにはまず、『トラッシュ』『STOP JAP』『虫』の3枚のアルバムを、さらには『フォーネバー』、ソロの『オデッセイ1985SEX』(シリーズ1枚目)あたりを聴いてもらったらいいと思う。
そのよさについては、記事に書いた。
『ワルシャワの幻想』という代表曲の出だしが
「オレノソンザイヲ アタマカラ カガヤカサセテクレ」
なのだが、この
「オ・レ・ノ・ソ・ン・ザ・イ・ヲ」
の8文字が素晴らしく、これだ、などと思いつつ、部屋で毎日ぶつぶつとこの部分を歌っていた。当時の日記を読み返すと、この8文字が何度も出てくる。
(元は町田町蔵の歌詞の一部だが、そんなに重要なことではない)


そして書評にも書いたが、ミチロウ氏が晩年被災地に行ってまで、ザ・スターリンなどのえげつない歌詞を歌って受けていたのも、もっと評価されていいことだ。
中高年像もまた昭和の時代から明らかに変わってきている。ローリング・ストーンズが70代になってもライブで「不満だぜ」と歌って、中高年の客がそれで盛り上がっているのを見てもわかる。
親が子供に威圧的でなく、友達みたいになってきたのも、同じ変化の別の側面だと思う。

かつて中高年と言えば、実際には大した境地に達していなくても、子供に道徳臭い説教を垂れて、いかにも悟った大人物っぽくふるまうのが当たり前だった。年を取るにつれて、まわりもそうなってきている。
けれども人が10代20代の頃に、大人が言っていることに対して感じる怒りは、この年になって振り返っても、十分に理のあることだ。
それを「卒業」して、社会の最大多数派の意見である「道徳」や、分別臭い何かに自分を合わせる必要は、どんどんなくなっているのだ。
では具体的にはどのような形があるのか。それを示したのが晩年のミチロウ氏なのだ。


ミチロウ氏の歌詞は攻撃的で下品だったが、ステージから降りると礼儀正しいとさえ言えそうな、丁寧な人だったことも言い添えておこう。
青山正明氏もそうだった。約束した時間に現れず電話をしても出ない、などということはあっても、通常は丁寧すぎるほど丁寧な人だった
この二人はインモラル(反道徳的)なことを言いまくった点で共通している。
大勢を占める既存の価値観にたて突くというのは、単に下品な言葉を乱発したり、不快感を誰彼かまわずぶつけたりすることとは違う。
何に向けるか狙いを定めて、方法を練って、ある程度”一生懸命”やらないと、ちゃんと届くようなものにはならないのだ。


ミチロウ氏には特に感謝しているのだが、人は自分を救ったものに強く感謝するのだろう。
(初めて会った時に『完全自殺マニュアル』を読んで滅茶苦茶はまったと言われたので、その本にはミチロウさんの影響がたくさん入っていると、細かく説明した。と記憶する)。

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