彼の名は”騒動”(ちくまweb)
日本の80年代パンクシーンにはいいバンドが多かったが、やはりザ・スターリンはひとつ飛びぬけていた。
本領を知るにはまず、『トラッシュ』『STOP JAP』『虫』の3枚のアルバムを、さらには『フォーネバー』、ソロの『オデッセイ1985SEX』(シリーズ1枚目)あたりを聴いてもらったらいいと思う。
そのよさについては、記事に書いた。
『ワルシャワの幻想』という代表曲の出だしが
「オレノソンザイヲ アタマカラ カガヤカサセテクレ」
なのだが、この
「オ・レ・ノ・ソ・ン・ザ・イ・ヲ」
の8文字が素晴らしく、これだ、などと思いつつ、部屋で毎日ぶつぶつとこの部分を歌っていた。当時の日記を読み返すと、この8文字が何度も出てくる。
(元は町田町蔵の歌詞の一部だが、そんなに重要なことではない)
そして書評にも書いたが、ミチロウ氏が晩年被災地に行ってまで、ザ・スターリンなどのえげつない歌詞を歌って受けていたのも、もっと評価されていいことだ。
中高年像もまた昭和の時代から明らかに変わってきている。ローリング・ストーンズが70代になってもライブで「不満だぜ」と歌って、中高年の客がそれで盛り上がっているのを見てもわかる。
親が子供に威圧的でなく、友達みたいになってきたのも、同じ変化の別の側面だと思う。
かつて中高年と言えば、実際には大した境地に達していなくても、子供に道徳臭い説教を垂れて、いかにも悟った大人物っぽくふるまうのが当たり前だった。年を取るにつれて、まわりもそうなってきている。
けれども人が10代20代の頃に、大人が言っていることに対して感じる怒りは、この年になって振り返っても、十分に理のあることだ。
それを「卒業」して、社会の最大多数派の意見である「道徳」や、分別臭い何かに自分を合わせる必要は、どんどんなくなっているのだ。
では具体的にはどのような形があるのか。それを示したのが晩年のミチロウ氏なのだ。
ミチロウ氏の歌詞は攻撃的で下品だったが、ステージから降りると礼儀正しいとさえ言えそうな、丁寧な人だったことも言い添えておこう。
青山正明氏もそうだった。約束した時間に現れず電話をしても出ない、などということはあっても、通常は丁寧すぎるほど丁寧な人だった。
この二人はインモラル(反道徳的)なことを言いまくった点で共通している。
大勢を占める既存の価値観にたて突くというのは、単に下品な言葉を乱発したり、不快感を誰彼かまわずぶつけたりすることとは違う。
何に向けるか狙いを定めて、方法を練って、ある程度”一生懸命”やらないと、ちゃんと届くようなものにはならないのだ。
ミチロウ氏には特に感謝しているのだが、人は自分を救ったものに強く感謝するのだろう。
(初めて会った時に『完全自殺マニュアル』を読んで滅茶苦茶はまったと言われたので、その本にはミチロウさんの影響がたくさん入っていると、細かく説明した。と記憶する)。
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