男女一対一のつきあいをこの社会が褒めたたえすぎていることについても、見直すべきだとかねがね思っていた。
自分は30歳くらいになるまで、異性とつきあったことは一度もなかった。
最大の理由は、高校から大学という普通なら一番異性とつきあいそうな時期に、心の病の関係で対人関係が非常にやりづらかったから。症状の重い期間は、そもそも異性とつきあいたいという気持ちがない(病んでいる人が皆そうだとは限らないが)。
別に異性が嫌いではないし、話もする。けれども、そんなに重くない時期でも、男女一対一でつきあうのは対人不安を押してまではしなくていいかと思いつつ、結局引いてしまうというところだった。
30歳くらいになってつきあうようになったのはなぜかと言うと、書いた本が売れて雑誌などで散々持ち上げられたため、異性同性を問わずそれまでは知り合えなかった、気が合う人、話が合う人と格段に知り合えるようになったからだった。
ただしこれは、心の病とかそういう特別な話にしたくない。自分としてもそれだけではない。
無理につきあわなくてもいいか、くらいに思っている人は、今の世の空気のなかでは言えないだけで、実はたくさんいるのではないか。
そもそも、そんなに皆が皆、一対一で異性とつきあいたいと思うかどうかが怪しい。
またあの、異性の目を気にして、自分をよく見せようと努力すること(カッコつけたり、かわい子ぶったり)をよしとする文化が嫌な人も多いだろう。自分にもそれはあった。
そもそもこの社会では、「若者=男女一対一の恋愛」というイメージが強すぎる。流行歌に占めるラブソングの割合は、どう考えても多すぎる。若い時期に考えていることが、そんなことばかりであるはずがない。
もちろん、つきあいなどやりたくなければやらなくていい。けれどもこの社会が最大級に褒め上げる「恋愛→結婚→子供」という一連の「幸せの形」は、この男女一対一のつきあいから始まる。これをやらなければ、こうした「普通の幸せ」からはこぼれてしまうのに、そういう人間もいることがわかっていて、こういうものばかりを「幸せ」と決めてつけているのか。
「幸せの形」はどんな人にも開けているように、たくさんあるべきなのだ。その文脈で言えば、こんなに多様性に乏しい社会は珍しい。
(こんなことを言っていると、つきあう努力をやめてしまう人が出ることも危惧するが。やめる必要はないので)。
この記事へのコメント