今回はさらっと書いてみよう。
否定されている人間関係のなかにいることは、生きていて最もつらいことのひとつだろう。
いじめを受けている人が自殺するのは、それが「死以下」だと見なしたからだ。
家庭や職場で毎日のように否定されるのも、確かに最もつらいことに数えられる。
それよりは、一人でいるほうがマシである。肯定されない代わりに、否定はされない。
そしてそれよりマシなのが、肯定される人間関係のなかにいることだ。
この状態を続けることができたら、それはもうかなり幸せな人生と言えるかもしれない(もちろん一定のお金は必要だが)。
ただし、そこで否定されるようになるかもしれないので、危険はある。
たった一人でいることは、人間関係を持つことと対極にあるかのように言われているが、心理的には否定的な関係と肯定的な関係の真ん中あたりにあるわけだ。
自分は人間関係すべてが嫌なのだと思っていた人も、「否定される関係」が嫌なだけで、「肯定される関係」であれば大歓迎なのかもしれない。
その先には「褒められる」「羨ましがられる」という段階もあって、この状態にある人はまず自殺するとは思えない。そのくらい生きるうえで軽視してはならない本質的なものが、「褒められる」のなかに入っている。それを口にしない決まりになっているのも面白い。が、それについてはまたの機会にしておく。
周囲から肯定されていることは、その場所を自分の居場所だと感じる決定的な要因になる。人間関係があっても、否定されているならば、人はいたたまれなく感じるのであって、そこは居場所ではない。
同じく、偽った自分が受け入れられていても、何かがばれた時に一転して否定される恐れがあるなら、その場所はいたたまれない。その関係が自分にとって大きくなり、手放すことができなくなるにつれて恐怖も増してくる。いくつになっても、重要な関係のなかで突然否定されるのは怖いものだ。常に白羽の上を歩くような気持になる。そして不自然に集団にしがみついたり、地位を獲得しようとしはじめると、そこはすでに苦しい場になっている。
要するに、偽りのない自分を肯定してもらえる場所こそが、自分の居場所と感じられる、必要な場所なのだ。
それが簡単に見つかるかどうかはわからない。けれどもこうして考えると、人間の幸福も地獄も意外と手の届くところにあるのに気づく。
「正社員+家庭」が幸福、それ以外は不幸、というあの謎基準も何だったのかなと思う。職場と家庭でいじめられていれば地獄じゃないか。
この記事へのコメント
おしり
新書で一冊書いて欲しいです。
出来るならばもう少し若い頃に読みたかった・・。