「不適応者の公園散歩」の報告、コロナ騒動と人が集まること

20200321 (11).JPG3月の「不適応者の居場所」は、感染対策として井の頭公園を散歩する集まりにしてみた。駄弁る会ではなかったのは初めてのことだ。
参加してくれた人は30人くらいと、予想外に多かった。確かに自分が人づきあいが苦しい時だったら、会話の会より、こちらのほうが楽だと感じたかもしれない。
ジブリ美術館を見ればジブリアニメの話になるし、バードサンクチュアリを通れば野鳥の話ができる。玉川上水や、もちろん公園の池やもうすぐ満開になる桜など、話題には事欠かない。
13時から歩き始めて、途中2回広場に各自敷物を敷いての駄弁り休憩も入れつつ、結局17時半頃まで歩いてしまった。

20200321 ぼかし.JPG春になって花が咲いている公園は、それだけでも気持ちがいい。そこに人が集まるとなるとさらに気持ちよさが増す。


コロナ騒動が起きて、人が集まることについて誰もが考えさせられたことだろう。
ライブ、スポーツ観戦、宗教の集会などはどれにも共通したイメージがあると感じていたが、やはり今回はどれも問題視されて話題になった。
人は単に必要な栄養を摂り、危険から身を守り、衣食住が足りていれば十分生きられるのに、なぜ古来からわざわざ集まって生きてきたのだろうか。
衣食住は「生物学的に生きている」状態を保つために欠かせないことだが、それだけでも人は十分には生きられない。「生きたいと思う」レベルには少し足りない。
20200321 (3).JPGそのためには面白味や興味や気持ちよさを味わうことも必要で、そのなかでも簡単で大きいものが「集まる」だったのだろう。もちろん肯定される関係のなかで。
大集会には、同じ趣味趣向の人が集まっていることそのものの面白さもあるのだ。

この日井の頭公園にも、たくさんの人が散歩に訪れ、小さなピクニックも至る所で行われていた。
そういうところにいるだけでも、気持ちが上がる人は多いだろう。
後半は別に項目を立てて書きゃよかった。

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