電車に乗って公園までの道のりは、直射日光を散々浴びたので、こりゃ数人しか来ないかな、と思えた。
けれども参加者は16人。
もちろん暑いのだが、石神井公園は木陰ばかりなので、そこそこ涼しく過ごせる。
そこらじゅうに木陰がある環境だったなら、猛暑でもこんなに困らないことがわかる。
夏だけあって、池のまわりは様々な昆虫で一杯で、耳に聞こえるのは大音量のセミの声だ。
虫に詳しい人が、トンボや蝶の名前を、ぱっと見ただけで次々と言い当てて、「なわばりから追い払っている」などと生態を教えてくれる。
(人間以外の生き物を意識するのは、人間関係を絶対化しないためにとてもいいので、こういう集まりにはよく合うと思っている)。
そんなふうに池のまわりを歩きつつ2回ほど休憩して飲食をした。日が暮れるとすぐに、セミの声がスズムシの声に変わった。
そして突然涼しくなる。これもさっきまでの暑さがあってこそだ。
『枕草子』によると「夏は夜」だと誰かが言う。
真夏にやる外の居場所もいいものだと思えた。
そのまま暗いなかで飲みながら駄弁っていた。
けれどもやってみれば、割と問題なくできるし、夏ならではのよさがたくさんある。
暑いなかでやったことさえ、他の季節よりもハッキリした思い出になるのではないか。
最近こんなことばかり言っているが、「できないと思っていたことができる」のはものすごい快感だ。
「やった!」というあの爽快感に匹敵するもの、そんなにたくさんあるだろうか?
最近冒険をしている人と話す機会が多いのだが(植村直己氏のような本物の冒険家)、彼らが熱烈に追い求めているものも、やはりこの爽快感なのではないか。
子供の頃は日々その連続だったのだから、これは懐かしい感覚でもあるだろう。
自分が野菜作りにのめりこんだのも、この快感があったからだ。
いくつになってもそれを味わっていたいものだ。
ただ一時蚊に食われたのだけは申し訳なかったが。
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