人生の不幸を減らすために一番重要だと思っていることがある。
1~2年以上といった長期にわたって、自分のことを狙い撃ちして攻撃してくる人間がいるだろう。
家族、同じ学校、同じ職場、同じ地域にいることが多いが、ストーカーやネット上の加害者に出くわすこともあるだろう。
そういう人間は、一生のうちに10人も現れないだろうが、5人以上は出るかもしれない(はっきりと姓名を憶えているはずだ)。
人の不幸の最大の原因になるのは、そういう人間であり、そこから来る攻撃(暴力や嫌がらせ)なのだ。
そしてそういう人間が現れた時に、なるべく早く有効な対処をすることが何よりも大事だ。そう思っている。
人の不幸の原因として、政治や社会制度のことばかり語られるけれども、この日本の場合それでいいのかと疑問に思う。もちろん国政を変えねばどうにもならない問題はあるのだから、そちらも大事だ。
けれども、別格と言える不幸を招くのは身近な人間からの執拗な攻撃ではないか。経験からはそうとしか思えない。
個人を不幸にするのはまずは、「鈴木」とか「田中」といった具体的な名前を持っている別の個人だ。
身も蓋もない話だ。
けれども世の中は、唱えられている社会論のとおりではない。
本気で自分の苦しみを減らしたいと願う人には、社会論など勉強するよりもまず、とにかく身近な人間から来る加害に目を向けてほしいと思う。
そして加害者からはもちろんのこと、そういう加害が容認されている世界からも、迷わずに離れる(近づかない)ことだ(もちろん、そうできない場合もあるし、反撃したほうがいいことも、助けを求めたほうがいいこともあるので、決まった対応などないわけだが)。
長期にわたる狙い撃ちでなくても、個人による「嫌がらせ(ハラスメント)」は特に苦痛の大きいものだ。
長期にわたる狙い撃ちでなくても、個人による「嫌がらせ(ハラスメント)」は特に苦痛の大きいものだ。
また一方では、人を幸せにする大きな要因も、友好的な個人(たち)とのやりとりだったりする。
人の幸不幸を語るうえで、「他の個人」の存在はそれほどのものだとかねてから思っている。
お金や住まいと同じく、「良好な人間関係を持つこと」もまた人の権利のように見なされればいいと思う。自治体がつながり作りに走っている今は、すでに想定されているようなものだが。
一方嫌がらせ・ハラスメントは、リアルでもネットでも、もっと踏み込んでできないようにするべきだ。
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加害者かもしれない
鶴見済