教室やオフィスに通う生き方の問題

教室やオフィスのような、人が密集しているひとつの箱のなかに一日中居ること。工場のような環境もそれに近い。そしてそこに毎日通うこと。これが人間の当たり前の生き方だと思っている人は多いだろう。
そのこと自体を問題として考えたいのだ。
自分も人生の初めの30年は疑いもなくそれをやっていた。その後思い切ってやめて以来、まったくその環境には縁がない。
この変化は、自分の人生を振り返っても特に大きなものだった。
そして今は、もしあれを続けていたらどうなっていたかわからないと、胸をなでおろすような気分だ。

あれほど人の視線が張り巡らされている空間に、あんなに長時間座っていることなど、今からでは想像もできない。
否が応でも他人のことを強く意識してしまうし、意識される。意識し合えばもめごとも起きる。
生きた心地がしないではないか。

ああした場所に通わない生き方など、何かとんでもなくひどいことになるのではないかと誰もが思うだろう。自分も初めはそう思った。けれども、そんなことはないと言っておきたい。
(もちろん収入もつながりも、この社会は保障してくれないのだが)。

教室やオフィスや工場のような環境にずっと居ること、そしてそこに毎日通うことが当たり前になったのは、人間の歴史のなかでもヨーロッパで18世紀に産業革命が起きて工場ができ、続いて学校ができてからの、ここ200年くらいのことだ。
人間の体や脳は、そんな環境に合わせて作られているわけではない。
誰もができて当たり前のことではないのだ。
だから意識過剰になったり、視線恐怖になったりと、様々なバグが出てしまうのも当然なのだ。
対人恐怖症は10代で発症することが特に多いのだが、これは「教室病」なのではないかと睨んでいる。
(対人恐怖のひとつである自己臭恐怖など、こうした環境なしには、なることすら難しい)。

もちろんそれほど苦手でない人もいるのだろう。けれども神経過敏な人間にとっては、あの環境は耐え難いものになる。
学校が嫌だ、会社が嫌だと言う時、それは本業である勉強や仕事が嫌なのだろうか? 多くの場合はそこでの人間関係が嫌なのではないか。自分はまさにそうだった。
ある調査では、本音の退職理由で一番多かったのは「人間関係」だった。そんなことでたくさんの人が本業を続けられなくなるのは、社会の損失でもある。

そして今「オンライン」の登場によって、教室や職場に通わずに人生を送れる可能性が出てきた。
テレワークでいい、オンライン授業・通信制でいい、となれば、これは200年ぶりに人の生き方が変わることになる。そのくらい大きなことなのだ。
それなのに、小中学校などでは導入を特に検討もしていないのがもどかしい。
その生き方を自由にやめる選択肢のある社会にしないとまずい。

この記事へのコメント