Twitterに家庭のなかの「暴力による支配」の問題を「昭和の頃までの話」として書いていたら、農水次官が息子殺しを正当防衛と主張したというニュースが出た。
「殺すか殺されるか」だなんて地獄だなと思うが、そういうことが起こり得ることもわかる(事実関係はよくわからないものの)。
こうした事件が現に起きているので、昔のこととして語るのもよくない。そしてこういう話はどこまで開示するべきか悩むが(引かれるのも嫌だし)、現在進行形の問題である以上、語ることに意義はあるだろう。
少なくとも昭和の頃までは、親が子供を厳しくしつけるのはむしろいいことで、父親は威張っている「べき」ものだった。子供に対して怒鳴る、叩く、をしない親がいただろうか。つまりこの頃までの親は、今で言う「毒親」が普通だったと言っていい。
そして親が暴力を後ろだてにして家庭を支配をしているのだから、他のメンバー間で暴力を行使してはいけない理由がない。
兄・姉が弟・妹を、同じように暴力で従わせることは珍しくなかったはずだ。当時は2人以上の兄弟が普通だった。
こちらのほうが大人が関わらない分、より危険だ。
例えば子供の頃、向かいの家に男の兄弟が住んでいた。よく彼らと遊んでいたので、兄が3歳下の弟にあれこれ命令したり、怒鳴ったりしているのはわかった。
そして弟さんは母親が外出して兄と家に二人だけになりそうになると、何をされるかわからないので、用もないのに母親に付いて回っていたそうだ。親がいない状態が極めて危険なのはよくわかる。
ただ、暴力による力関係は逆転することがある。
大人の男と言えども、中学高校になって力も互角になった息子が容赦なく攻撃してくるなら、その言いなりになってしまうものだ。
ただ、暴力による力関係は逆転することがある。
大人の男と言えども、中学高校になって力も互角になった息子が容赦なく攻撃してくるなら、その言いなりになってしまうものだ。
そしてその息子もまた、他の兄弟が自分より暴力で勝るようになると、どれだけ偉そうにしていても、逆らえなくなる。
こうして暴力を後ろだてにしている家庭では、力任せの殴り合いにおいて、相手に殴り勝った者が一番偉くなる(大きい物を壊すなど、凶暴なことをするのも効果が大きい)。
民主主義も法の支配も平等もあったものではない。まさにむき出しの野生の世界だ。
この殴り合いは止められないし、包丁が出てきたりもするし、大けがもある。相手を殺してしまうことも起こり得る。
「うちもそうだった」と言う人は少ないけれども、40代以上なら、そこまででなくても似たような経験した人は相当いるのではないか。
うちはそうだった。
そして似たような話は、知り合いからたくさん聞き及んでいる。
人が一生を振り返る時、「あれは苦しかった」と思い出すのがこうしたことだと思うので、それが減ってきたのは素晴らしいことだ。
重大な変化なので、きちんと評価しなければならない。
こういう問題の原因はもちろん加害者なのだが、こういうブログのようなところでひたすら加害者を責めてもらちは明きそうもない。自分はこう考えている。
家庭の在り方がおかしいのだ。
家庭はもっと外に開かれていなければならない。
そして、人間は全然素晴らしくない。
この世はひどいところだ。
少なくとも半分は、こうした醜い面を持っている。だからこそ、せめて自分の身のまわりにだけは優しい世界を作るのだ。それが「物事の順番」だ。
そしてその優しい世界がこの醜い世界に広がっていけば、もっといい。
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