マウンティングしない方法

アンケートを見ると、いじめをしたことがある人のほうが、されたことがある人より多いくらいなのだが、なぜか「いじめをしてしまう」立場に立った言説はない。
「いじめを許すな」「いじめをなくそう」「みんな仲よくしよう」といった、いじめを「どこかの悪人がやってしまう悪事」扱いした叫びなら溢れている。もちろんそれは必要なのだが、何かしっくりこないのだ。

前々回の記事で、「暴力に反対」みたいに読めることを書いたのだが、そこにも同じような違和感を感じてしまった。暴力や明確ないじめのように、滅多にないことだけ取り上げたいわけではないのだ。

いじめでなくても、相手に強く出てしまう、ガーッと行ってしまう、偉そうにする、命令するといったことがすでにダメだと思うし、それらはいじめと別物とは考えられない。
一方がもう一方をいつも威圧したり指図したりしている関係も、いじめと呼ばれなくても恐ろしいものだ。
いじめでなければ、少し違うけれども「マウンティング」くらいの言葉がいいだろうか。「ハラスメント(嫌がらせ)」だともっと違ってしまうし。

そういうことを、どんな時にやってしまうか、どうすればブレーキをかけられるかを考えてみると、はるかにしっくり来る。


まずは、どんな時に人にマウンティングしてしまいそうになるか?
自分がその場の古株、仲間が多い、知識が多い、上手い、そして相手がその逆である場合なんかは、やってしまう危険が大きい。しかも、相手が大人しいなど、一言で言えば、嫌な言い方だが、自分が「強い」、相手が「弱い」と感じられた時だ。そこでガーッと行きそうにならない人のほうが少数派だろう。
こういう時にはあらかじめ、緊張するくらいに、ガーッと行かない注意をしておく必要がある。
特に酒を飲んだ時には、神経を最大限に張りつめさせる必要がある。⇐これ、まったく他人事ではない。


一方的に話すことも、それが望まれていないなら、マウンティングになりかねない。
若い頃はよく「上の人」の一方的な話を、目の前のお手拭きを丸めたりまた広げたりしながら、短い相槌だけでずっと聞いていたものだった。
一方的になりそうだったら、相手に興味があるかどうか確認したり、相手に質問して話を振ったりするといいと思う。相手が複数ならファシリテイター役になるのもいい。

言う頻度の問題もある。
1、2回聞くだけなら内容にも言い方にも納得がいくことでも、何度も何度も聞かされると、その内容にまで反感が湧いてくる。
毎日会うたびに相手に何か同じ指摘をしてしまうのであれば、丁寧に言ったとしてもマウンティング的(いじめ的?)だ。口癖のように会うと言ってしまうことがないかどうか、自己チェックするといいだろう。


基本は、面と向かっているなら相手の気持ちを最上位に考えること。誰もが対等であること、私もあなたも誰も特別に偉くなんかない、何様でもないことを忘れないこと。そんなところか。

人生において100%被害者である人なんか、まずいない。だからこそ、加害者の視点に立った注意は絶対に必要だ。
ここに書いたような注意が、「いじめをなくそう」と同じくらい広く叫ばれたら、確かにいじめが減ると思う

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