新年の「不適応者の居場所」はゆる哲学カフェでどうか?

相変わらず感染者が減らず、しかも寒い
となるとまた、居場所もオンラインでやらざるを得ない。
そこで今回は「哲学カフェ」(または哲学対話)をやってみてはどうか、と考えた。
哲学カフェと言っても、別に難しいことをするわけではなく、あるひとつの一般的なテーマ(例えば「死」とか「学校は必要か?」など何でも)について議論をするというものだ。
ただ通常の哲学カフェは、純粋な議論のみでちょっと硬いし、頭が忙しい。司会者が話をふったりはするものの、弁の立つ人が有利になるので、そんな人ばかりの集まりになりがちだ。
なのでここでは「ゆる哲学カフェ」として、「いつもよりもちょっとテーマがある雑談」くらいにすればいいんじゃないかと考えた。



日時:1月24日(日)16時から2時間

参加:Zoomで。一度居場所に来られた方に限らせてもらいます。鶴見までTwitterなどでご連絡を。その時に、いつ参加したか、ご自身の名前や特徴などお伝えいただければ、URLをお知らせします。

やること:ゆる哲学カフェ(テーマに沿ったゆるい討論。まず自己紹介をしてもらって、その後そのテーマについての考えなど。話したい人が適当に話してもらって可。司会者も適当に交通整理をしながら振ったりします)。
これまでのように単に雑談するだけではなく(自分はそれが理想だったので残念ですが)、ちょっと話しやすいようにテーマが決まってるだけ、くらいに思ってもらえれば。
話を聞いているだけでもOK。

そして議論から離れたい人は、ブレイクアウトルームに行ってもらって(自分で移動できる設定にしておくので)、自由に雑談できるようにします。
肝心のテーマは、まだ考えていないので、決まったら発表します(それを待っていると日程まで発表できない)。


しかしいくらコロナに困らされても、「みんなあれするな! これするな!」みたいなことは言いたくないな。会食してる人をSNSで叩いたり。
そういう厳しい感じ、命令的な感じ、全体主義的な感じが、自分には徹底的に合わない。

追記:ゆる哲学カフェのテーマは「学校」でどうでしょうか。
すでに上のほうに書いてしまっていますが。
哲学的とは言えないのですが、こういう誰でも何かしら言うことがあるテーマのほうが話しやすいかなと思い。
離れて長く経つと、また違った見方もできると思います。自分の話をしなくてもいいし、してもいい。学校のこういうところが悪い、いい、こうすればいい、など何でもかまいません。
通信制など新しい形も広がっているし、教室、部活、運動会、修学旅行、クラスメートなどが必要/不要、卒業や登校、勉強は一応したほうがいい/しなくていいとか、いくらでもあると思います。
そしてただ聞いているだけの参加も、ブレイクアウトルームへ行って雑談も、途中退出も可。
というわけでよろしくお願いします。

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