雨宮処凛さんの記事への疑問

雨宮処凛さんが、自分の以前の文章を引いてある記事を書いていたので、それについて少し言いたい。

「普通の生活がしたい」という悲鳴。の巻(雨宮処凛)

引かれているのは、自分が『完全自殺マニュアル』の前書きに書いた、「学校や塾に通いながら、よりいい高校・大学に進学して、会社に入っていい地位について、勤め上げる」という人生はきつい、という部分だ。
それが、「なんて贅沢なもの」「ほとんど貴族のよう」と書かれている。

雨宮さんの非正規雇用や貧困についての問題提起は素晴らしいので、これまで何度も対談をしてきた。けれども、こうした昭和期というか、正社員的な人生みたいなものについての評価については疑問がある。

マスコミ全般に言えることだが、昭和期の生き方や正社員的な生き方については、収入・金銭のことばかり取り上げられて、この上なく恵まれていたかのように言われる。そこでは、金銭面以外の働くきつさ、学校のきつさなどの「生きづらさ」への視点は、必ず抜け落ちてしまう。

自分のこの文章には、当時、言わなくても広く共有されていることだったので、わざわざ書いていない。けれども週休1日で長時間残業が当たり前の長時間労働、パワハラに満ちた職場、満員電車で毎日出社、転勤も含め一生を会社に捧げる人生など、「社畜」と呼ばれてしまうような人生がそこにあった。
全体的に見れば、今よりも働く環境は劣悪だっただろう。
もちろん、今の正社員だっていいとは言えない。電通に勤めていても自殺してしまう人もいる。

自分はいわゆる一流の大学を出て大手メーカーに就職したが、毎日満員電車に揺られて工場に通い、朝から夜まで帳簿をつけていた。何よりも、職場のいじめ的な空気はひどいものだった。
給料は残業がつかなければ手取りで月13万円。2年間就活しても、内定はそこしか出なかったのでしかたない。バブル期の話だ。
その後、パワハラを受けた職場もあった。

学校もきつい。自分の頃は進学も受験戦争と言われていたし、不登校なんて認められていなかったし、大検も選択肢ではなかった。もちろんいじめ・パワハラに満ちた教室・部活・先輩後輩の関係などもひどかった。今だってそれがないとは思わない。


これが贅沢で貴族なのだろうか。

自分はこのままでは死ぬと思って、こういう人生から降りた。

もちろん、うまくやっていける人は世の中にはたくさんいて、そんなに生きづらくはないのだろう。けれどもうまくやれない人にとって、「この日本の社会で」会社で働いたり、学校に通ったりすることは、何ときついことなのかと思った。
そう思う人が決して少数派だとも思っていない。
そして自分の文章が指していたのは、そういう人生しかないきつさだ。


また記事のなかでは、「特別な仕事がしたいと思うのはバブルの影響」とされていて、これも何か贅沢なもののように言われている。
けれども、そもそも自分の創意工夫を発揮できないような人間味のない仕事は、やらざるを得ないとしても、誰にとってもきついのではないか。マルクスが言うところの「疎外された労働」の問題だ。
そういうものが嫌だ、自分の創意工夫を発揮できる仕事がしたいと考えるのは、単に「うわっついた、贅沢な」ことなのだろうか。

自分は、嫌なものは嫌だと言っていいと思う。それでもやらざるを得ないとしても。

自分の創意工夫を発揮できる仕事で食べていきたいと思う人が、今はほとんどいないとも思わない。日々Twitterなどを見ていても。


長くなってしまった。
もちろん記事の趣旨は、いかに現状がひどいかについてなので、そのせいで過度にこうなっていたりもするのだろう。
ただ長い間気になっていたことであり、昔を知らない若い人たちが過去をとらえそこなってしまうと危惧してもいたので、やはり書いた。

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